Sick City
第三章・仮面策謀

 鳴神エージェンシーが間借りをしている古いテナントビルは、新大久保界隈にあった。雑多な印象の通りには、韓国料理店や何かのアイドルショップみたいなものまで様々な店が軒を連ね、普段ならばそれなりに人通りがある筈だった。しかし今日に限っては、そしてこれから当分の間は、そういった店が営業をする事は適わないだろう。
 何故ならば、今この瞬間、この街は無慈悲なまでに破壊されようとしているからだった。
「あいつら、周りの事なんてお構い無しかよっ!?」
 どこか遠方より飛来する、眩い光を纏った荷電粒子によるビーム状の攻撃がビルの一つに大穴を開け、それを見て蓮見が顔色を変える。視線の先には全身に紫電を纏った男の姿。雷神カンナカムイの姿となった鳴神が、街の上を飛んでいた。その下の路上を、沢山の焼け焦げた死体が転がっていた。
「カンナアリキ・アニ・パカシス!!」
 カンナカムイの両腕から放たれる、指向性を持った電撃。己を狙う遠距離の敵目掛け、雷撃の束が一直線に飛んで行く。
「あの先に敵がいる。ああ、これは強敵だね。主神クラスだよ」
 雷撃の飛んだ先、敵がいるであろう地点を『心眼』で捉える。空中から荷電粒子の砲撃を行っていた敵は、およそ1億ものエネルギーを持っていた。
「んで、スリスが接近戦してるみたいだね。だから遠距離攻撃を仕掛けてるみたい」
 遠方の敵はカンナカムイへの砲撃の他に、己に肉薄してくるスリスの相手も同時にこなしていた。つまり、カンナカムイとスリスが手を組んでいるという状況に見える。
「でも何で、カンナカムイと共闘してるのかしら。おそらく仲間割れなんでしょうけど、ちょっと状況が判らないわね」
 路地裏から顔を出して様子を伺っていた叶さんの疑問に、色々な可能性を考える。一番説明が付く推測は、例の『青い肌の女』とやらが静ちゃんをさらった訳だけど、鳴神は命令に従わずに逃亡しており、何らかの理由で両者が激突しているのではないか。鳴神が仲間割れをする理由として考えられるのは、やはり翔子さんの存在だろうか。
「鳴神は静ちゃんを助ける為に必要だ。だから美雪のヤツが助太刀をしているのかも知れないな。とにかく、あの敵を何とか撃退するしかねえな」
「ちょっとお、こんな街中で白昼堂々とバトるつもりぃ?」
「仕方無いだろ。あんな攻撃防ぎようが無い。空飛ぶ蛇の時だって、街の破壊は食い止められなかった。さすがに主神クラスなんてのは天災と同じようなもんさ。出来る事と言えば、一刻も早く倒すだけだ。長引けば、さっきの化物達がこっちに来るかも知れないし」
 叶さんの懸念を一先ず脇に置き、さっさと駆け出す蓮見。しかしその前方から、唐突に炎の塊が飛んで来る。
「うおっ!?」
 完全に不意を付いた攻撃だったけど、リーディング能力で何とか事前に察知して回避に成功する。炎は後方で弾け、猛烈な勢いで周囲の建物を炎で包む。
「ははは。悪いが、ここで足止めさせて貰うよ」
 不意打ちを仕掛けたであろう人物が、通りの先から悠然と歩いて来る。見た目は白い学ランみたいな服装をした、眼鏡を掛けた優男風の細身の男。しかしその身から溢れ出る膨大なエネルギーは、彼が見た目通りの人間では無い事を表している。
「……やっと出てきやがったな、志方明滋(しかためいじ)」
 蓮見の口から出た名前に、その男は満面の笑みを浮かべた。そして心底楽しくてしょうがない、と言った感じで含み笑いを漏らす。
「くくくっ、なんで僕の名前を知ってるのか、実に興味深いね。やっぱり崎守零二から情報を得ているのかな?って事は、彼が今何をしているのかも知っているのかな」
 眼鏡男の口から飛び出た零ちゃんの名前に、少なからず驚いてしまう。あのバカ兄はこんなヤツとも戦っていたのかと思って、軽く頭痛がするような気がした。
「別に、それだけじゃねえんだけどな。お前の家が昔から貿易関連で稼いできたもんだから、お上がちょっと目を付けてたってだけの事だ」
 そう一々説明しつつも、蓮見は密かに少しずつ相手との距離を縮めていた。対して眼鏡男の方も、少しも臆する事無くこちらに向かって歩を進めていた。このままならば、いつか二人が衝突する。その時を見越し、私は援護の為にリカーブを構える。
「……で、本当のお前はどっち何だろうな?人間、志方明滋なのか、それとも仮面の方なのか」
「!?――――――驚いたな。この僕の正体を見抜いたのは、キミが初めてだ」
 蓮見の言葉に対し、驚きの顔で答えた志方。いつの間にか手にしていた仮面を、目前に掲げてみせる。
「ご推察の通り、僕こそが『仮面の神』と呼ばれている存在さ。正確に言うならば、『志方明滋という存在を乗っ取った仮面』とでも言った方がいいのかな」
 やっと正体を現した、本当の敵。しかし何故、今ここで正体を明かしたのだろうか。
「……お前、仮面を外しているって事は、元々からして人間じゃねえって事か。スリスが操られていた時は、仮面は不可視の状態で顔面を覆っていたもんな。『仮面』って形態を取っているのだから、そうしないと相手を乗っ取れない筈だ」
 見事に敵の正体を看破した蓮見の推理力が、さらなる事実を暴き立てる。志方明滋という人間は仮面に操られているのでは無く、仮面の神の依り代であって手であり肉であるという事だろう。もっと簡単な言い方をすれば、『仮面の神・人間形態』とした方が判りやすい。
 つまり、仮面の神そのものであるのだけど、あらゆる認識から欺瞞する為、私は仮面の神では無いですよと騙してきた訳だ。例えば、地球上のあらゆる情報が記されているとされるアカシック・レコード。もしくはそれを利用して情報を共有出来る、私のような『心眼』などの能力。
 唯一の例外が、蓮見とスリスの持つ、物体の詳細を把握するリーディング能力だった。リーディング能力は人間が道具を作り、そして使うという特性を活かす上で獲得したスキャン能力である為、道具という物体の範疇である『仮面』をも詳細に知る事が出来た。
 リーディング能力と聞くとあまり馴染みが無いけど、『サイコメトリー』と言えば判る人も多いかも知れない。元々サイコメトリーとはリーディングの一種であり、もっと広義の意味で使われるのがリーディングという名称だ。サイコメトリーは手で触れた物体から記憶や情報を得る力だけど、リーディングはそのさらなる上、触れずして情報を読み取り、アカシック・レコードにも記録されていない未知の存在ですらも、その本質を見通してしまう。
 自らの正体を悟られ、さらにそのカラクリの一旦さえも見抜かれて、それでも志方は余裕の表情だった。
「そうさ。僕は見た目通りの人間じゃあないよ。例えば、祖父だの父親だの、そんなものは最初から存在しない。ずっと志方家当主はこの僕。つまり、大昔から貿易で稼いでいたのはこの僕だよ。もっと言えば、志方を名乗る以前から、もっと大昔から僕は僕だった」
 一人の人間が、ずっと大昔から暗躍してきた。おそらく、地球に神が生まれた頃から。
「ついでに言えば、人間の創作物で僕と似たようなのがいるんだけど。アレはその作者が、夢で僕の正体を知ってしまったらしいんだよね。確か、ラブクラフトとか言ったか。彼の精一杯の警告だったんだけど、それをまともに受け止められる人間はついにいなかったね」
 その話はよく知らないんだけど、どうやら何かのフィクションに仮面の神を模したものがあるらしい。ならば『器の神』も登場するのだろうか?
「ああ、クトゥルー神話ってヤツだな。ラブクラフトは、予知夢と千里眼を併せ持った超能力者だったって事か。どうやら彼の認識とは大きく違いがあるみたいだが、もしかしてあっちの方が正しいのか?」
「ふふふ、どっちでも構わないんだけどね。グロテスクなのがお好みなら、ただの肉の塊になってもいい。まあ神は、より多くの認識に合わせるものだからね。でないと存在を保つのが難しくなるから。その点『仮面』だの『器』だのに形態を取っていれば、人間は容易に認識してくれるからね。」
 驚愕の事実なのかも知れないのだけど、私にはよく判らない。それよりもお互いに話をしている内に、二人の距離はもう目と鼻の先というくらいにまで迫っていた。
「ここまで接近を許すとは、随分と余裕なんだな。俺に先に仕掛けていいって、挑発してんのか?」
「ふふふ、僕は優しいんだ。ちょっとしたサービスってヤツさ」
 おそらく罠だと、そう思って援護しようとした次の瞬間、蓮見は何を思ったのか志方の脇をすり抜け、何とそのまま一気に走り出した!
「――――――何ッ!?」
 私にも予想の出来なかった行動に、志方は咄嗟に蓮見の走り出した方向、つまり背後へと振り向いてしまった。それは私にとっては、願ってもいない大きな隙だった。
「貰った!」
 リカーブに番えた『白銀』が、狙い通りに志方の心臓を捉える。
「ぐッ!?」
 短い叫び声を上げ、志方の身体が大きく崩れ落ちる。背中越しから左胸を貫かれ、志方の口から泡のような血が吐き出される。そのまま地に伏して絶命したかに見えたけど、妙な胸騒ぎがする。この程度で終わるような相手だとは、とても思えないからだ。
「仮面の神って言うくらいだから、もしかして仮面が本体なんじゃないかしら?」
 私の少し後ろで様子を伺っていた叶さんが、そんな指摘をした。エネルギーの流れが心臓に集中していたので自分の感覚を信じて心臓を射抜いたのだけど、よく考えればその通りかも知れない。
 その指摘通り、志方の死体はみるみる内にただの肉塊へと変貌し、仮面に吸い込まれた後、再び再構築をする。ほんの一瞬で元の姿を構築し直した志方が仮面を手に笑う。
「ふふふふ、あははは。そうそう、その通りだよ。尤も、本体が仮面だと判ったところで、どうにも出来ないと思うけどね」
「言ってくれるわね!それなら破壊してあげるわよ!!」
 ご丁寧に仮面を手にしているのを見逃さず、すぐさま『白銀』を放つ。仮面の額に設えてある赤い石を、寸分違わず矢が貫くかと思われた。
 カキン!!
「なッ!?」
 絶対の自信を以て放った筈の矢は、しかし仮面に傷一つ付ける事無く、乾いた音を立てて弾かれてしまった。
「ふふふ。時間と空間を超越した存在であるこの僕は、決して破壊される事は無いんだよ。時の止まった物質が、どうやったら損なわれる事があると言うんだい?」
 仮面の表面を愛おしそうに撫で、志方は泰然たる態度でそんな事を口走る。『時の止まった物質』とは一体、どういう意味なんだろう。それが傷一つ付けられない理由だとするならば、それは決して軽い言葉では無い筈だ。
 しかしそんな事を考える暇など与えてくれる程、相手もお人好しでは無かった。
「さて、そろそろサービスタイムは終わりとしようか――――――ディンギル・イム・ドゥグゥドゥ・フ・プーフル!!」
 大きく拡げた両の腕が、凄まじい旋風を生み出す。周辺のビルの窓ガラスが悉く割れ、強烈な衝撃波が私達を襲う。
「ちッ!!」
 一番近い距離にいた蓮見が、咄嗟に大地を蹴ってその身体を空へと浮かせる。と同時に突風に煽られ、その場からかなりの距離を吹き飛ばされてしまった。対して叶さんは、懐から扇を取り出して対応する。
「烈風呪法・天狗扇(てんぐせん)!!」
 扇から放たれた風圧が、志方の放った旋風とぶつかり合う。しかし相手の方が力は上だったらしく、一瞬でかき消されてしまった。それでも一瞬の反応を可能にするだけの間を稼ぐ事は出来た訳で、私と叶さんは迫り来る風圧を前に、何とかビルの影に隠れる事が出来た。
「叶さんは先に行って!ここは私が食い止める!!」
「分かったわ。御空ちゃんお願い!」
 私の掛け声に頷き、叶さんは別の路地へと入る。ここで志方の妨害に時間を取られると、カンナカムイが殺されてしまうかも知れないとの判断だった。『心眼』でカンナカムイやスリス、さらに敵対者のエネルギー量くらいは把握している。スリスと敵対者はエネルギー供給を受けているらしいので、消費したエネルギーは緩やかに回復するのだけど、カンナカムイは神域からの供給を全く受けていないらしく、消費したエネルギーは一向に回復する気配は無かった。
 これではいつかカンナカムイが力尽きるのは明白で、このまま戦わせていてはいけない。もしもカンナカムイが失ったエネルギーを回復させたいと思ったのなら、そこに叶さんがいる事で契約が成される可能性がある。実際に契約するかどうかは、叶さんの交渉力に任せるしか無い。
「ここでこいつを倒せれば、そんな心配しなくてもいいんだけどねッ!!」
 ビルの影から飛び出して、即座に『白銀』を射つ。一発で何とかなるとは思えないので、フェイントを交えつつさらに連続速射。
「無駄な事を!――――――グル・ル・カラ・カラ・イル・アシュアシュ!!」
 志方は両腕を頭上高くに掲げ、合わせた手の平をそのままにして一気に振り下ろす!
 生み出された真空の刃が大気を切り裂き、飛来する『白銀』の一つを弾き飛ばす。それでもいくつかの矢は志方目掛けて飛んでいて、逆に真空の刃もこちらへと飛んで来ているので、このままでは相打ちの格好になってしまう。
「うわっと!」
 不可視の刃は避けるのが難しいけど、『心眼』のおかげでその軌跡を知る事が出来る。驚く事に、真空の刃はもう一つの思惑が隠されていた。この攻撃は同時に空間断裂を引き起こし、空間に生じた『歪み』を正すべく働く引力のようなものが周囲の空間を巻き込み、力のモーメントをてんでバラバラの方向へと変えてしまう。
 これは例えるならば、モーリアンとネヴァンが最後に放った大技『ウル・ギャラル・ドルヒダス(暗黒月食)』との類似性を持つ。宇宙に満ちる反発力『ダークエネルギー』が通常物質を押し退けるように、時空間は常に正常な時間の流れを維持しようとして欠損を補おうとする性質を持つ。斥力が働くならば、それと同量の引力もまた働くのだ。
 この結果、続いて放たれた二の矢三の矢は悉く空間の歪みに巻き込まれ、その方向を捩じ曲げられてしまった。
「なんかケツアルコアトルも空間を捩じ曲げたっけ……」
 ちょっとズルいなー、などと思いつつ、今度はビルの壁面に打ち込んであった何本もの矢を足場に、ビルの壁面を駆け上って志方の頭上へと逆さ反転。この形になったらあの技の出番。
 天仰理念流近接射術・弓蜻蛉(ゆみとんぼ)。
「甘いッ!――――――アン・キ・ビリ・シ・アッチ!!」
 志方の掛け声でその全身から、猛烈な勢いで蒸気が噴き出す。その熱気は触れるだけで重度の火傷を引き起こす為、私は技を仕掛ける直前で断念する羽目になってしまった。
「しょうがない。あっちの動きにご丁寧に付き合う必要なんて無いし」
 そのままビルの屋上へと出て、高所からの狙撃へと切り替える。
「せこい真似を!ピナーカ!カドゥケウス!!」
 突如として、志方の両手に二丁の拳銃が握られる。弓と拳銃という新旧飛び道具対決。『白銀』『黒金』『赤銅』の三種の矢。一発の威力に秀でたカドゥケウスのマグナム弾、一度に33発を連射出来る上に3000度の熱を持つピナーカのタングステン弾。両者の間に飛び交う矢と弾が、激しい応酬となって飛び交う。
 しかしこの勝負、両者共に決定的な一打を加える事が出来ずにいた。私の方は高所に陣取っているので遮蔽物を利用した戦い方になり、敵の攻撃を避けやすく、逆に攻撃するチャンスが削がれてしまう。
 志方の方は銃という武器の特性上、手数による面制圧力はこちらより圧倒的に上。ただしあくまでも弾がある間だけの話であり、リロードする時間は無防備になる為、その間だけはこちらの攻撃のチャンスになる。
「一人で時間を稼ぐつもりか!そうはさせるか!!」
 こちらの思惑を早々と気付き、志方はこの膠着状態を変えるつもりのようだ。膨大なエネルギーが志方の全身を満たし、その顔に『仮面』が浮き上がる。
「アラルー・バーブ」
 突如として、志方のその身体が陽炎の如く揺らめいて後、消失してしまった。そして次の瞬間、私のすぐ背後に膨大なエネルギーが出現する。
「そこッ!!」
 右手に握り込んだ『白銀』を弓を使わず、そのまま拳で握り込んだまま背後へと回転しながら突き出す。
 天仰理念流近接射術・貫き推衝(つらぬきすいしょう)。
 だがそれは、志方の仕掛けたフェイクだった。
「残念!僕はここだよ」
 ズドン!!
 僅かな時間差で、少し離れた場所に移動して隠れていた志方、その右手に握られたカドゥケウスという銃。そこから放たれた一撃必殺のマグナム弾が、私の右腕を粉々に吹き飛ばしていた。


第十一話・雷神招来
志方 明滋
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