Sick City
第四章・雷神帰参

「――――――ッ、ッ、うああッ!ッぐッぐぐぐぐッ!あうおうおおおおおッ!!」
 形容し難い激痛に耐えつつ、力を振り絞って何とか敵の射線上から逃がれる。右の手首あたりを打ち砕かれ、勢いよく溢れ出る血液を何とかしなくてはならない。まずは傷口を心臓より高い位置に掲げ、血流の勢いを弱める。右腕を持ち上げつつ、空調の室外機と思われる構造物の影に身を隠す。
「素晴らしい精神力だね!しかし、そう簡単に逃がす訳がないだろう!!」
 ズドン!ドンドンドンドンッ!!
「ッ!!」
 左の肩口に奔る痛み、思わず顔をしかめる。弾丸は容易く貫通し、いくつかが私の身体を掠めたのだ。とにかく遮蔽物を利用しつつ、これ以上の出血を抑えなくてはならない。
「しぶといねえッ!」
 次々と射ち込まれる弾丸に肝を冷やしながらも、這い蹲って姿勢を最低限低くする事で何とかやり過ごす。そして素早く左のリカーブボウの弦を解体し、左手一本で右腕に巻き付け、口も使ってキツく縛り付ける事で出血を止める。
「ぐううううッ!かはッ!はあッ!はあッ!」
 何とか止血が終わり、役に立たなくなったリカーブを捨てて左で『白銀』を引き出す。この状態で逃げてもすぐに力尽きるのは目に見えていて、ならば誰かが応援に来てくれる事を期待しつつ、死力を尽くして食らい付くしか無いと判断した。
「そこかッ!!」
 ドンドンドンドンッ!!
 物陰から飛び出した私に向け、弾丸がいくつも放たれる。横の室外機を足場にして横転し、或は逆へと転がる事で全ての弾丸を躱し、志方の懐へと肉迫する。
「シッ!!」
 左手に握った白銀を用い、近接戦闘を挑む。パンチダガーの要領で繰り返される突きに対し、志方は慌ててステップを踏んで後方へと退避する。
「勇敢だなッ!!」
 ズドン!!
 温存していたマグナム弾を至近距離で放つが、逆にこの距離ならば軸を外す事で容易に回避する事が出来る。こちらの攻撃も簡単には決まらないので、思い切って奇策に出る。
「――ぐあッ!?」
 顔を目掛けて連続で突きを繰り出し、唐突に志方の右太腿へと突きを繰り出す。右を軸足としていた為に重心が掛かっており、突然の動きの変化に対応が遅れたのだ。
「よくもッ!!」
 未だに手放さない二丁拳銃をこちらに向けるが、即座に反転して志方の右脇へと位置取る。志方の視界より一瞬消える事で死角を生み出し、素早く次の白銀を引き出す。こちらを捕捉した時には既に白銀を手に構えは完成し、全身を弓の如く力を引き絞り、一気に解き放つ!
「何ッ!?」
 ズドン!
 マグナム弾が放たれた音と蹴撃の音が重なり合う。がしゃんと、何やら重たい音が足下で響く。
「ぐおおおッ!?」
 痛みに顔を歪める志方。私の放った右の蹴りが志方のカドゥケウスを持つ右腕を捉え、給水塔らしき構造物の壁面に『縫い付けて』いた。
 これぞ天仰理念流絶技・豪脚(ごうきゃく)。
 踏脚と同じ要領で溜めた力を高い横蹴りで放つ。上腕を複雑骨折し、いくらか陥没した壁面に埋め込まれて志方の動きは止まる。取り落としたカドゥケウスを蹴って遠くへと引き離し、今度はその頭部に白銀を叩き込む。
「うげッ!?」
 右のこめかみに白銀は深く突き刺さり、そのまま捻り込む。ぶしゅっ、と嫌な音と共に血を噴き出し、志方の意識が一瞬途切れる。突き刺さったままの白銀から手を放し、そのまま拳を握り込みつつ身体を引き絞り、独特な構えから一気に突きを繰り出す。
 ゴスッ!!
「がッ!?」
 天仰理念流絶技・推衝拳(すいしょうけん)。
 頭部に浸透する衝撃に志方の意識は刈り取られ、壁にめりこんだ右腕を引き剥がしながら床上に崩れ落ちる。これで志方の動きは一時的に止めた。すぐに意識を取り戻すだろうけど、その間に仮面の破壊をしなくてはならない。
 意識を失った為か、ご丁寧に仮面は志方の顔面に浮き出ていた。馬乗りになって何度か白銀で突きを叩き込む。しかし全く歯が立たない。仮面の額に付いている赤い石にエネルギーが集中しているので、そこが『経穴』な筈なんだけど、そもそも全く傷が付けられないのでは話にならない。
 これではどうしようも無いので、まずは左手に握られたままだったピナーカを蹴り飛ばしておく。そこで志方の意識が回復し、仮面の破壊は一先ず諦めるしか無くなった。
「ふ〜っ、いや酷い目にあった。大したものだね。腕一本吹っ飛ばされてよくやるもんだ」
「これでも一度死んでるからね。自分の寿命が尽きるまでどのくらいか、それくらいは把握してる。それに……私の役目は充分果たした」
「……何だと?」
 脂汗を浮かべながらも、精一杯余裕の笑みを浮かべてみせる。次の瞬間、志方の頭上から膨大な量の稲妻が迸った!
 スドン!!
「ぐおおおおおおッ!?」
 天空を覆う雷雲より、紫電を纏って降臨する雷神。叶さんと契約を果たし、主神クラス1億のエネルギー総量を得たカンナカムイが応援に駆けつけて来たのだった。
「貴様が仮面の神か。よくも俺を利用してくれたな」
 憤怒で満ちた表情で志方を見下ろすカンナカムイ。利用され、大事な者を人質にされ、さらに殺されそうになった事などが彼の離反の理由なのだろう。
「別に利用だなんて、人聞きの悪い。単に我々の通り道に、たまたまキミが転がっていただけの話さ。なんか神の血統がいるなあ、って思ったから試してみたんだ。バイブ・カハもそうだけど、あくまでも使い捨てだからね。その一瞬だけ使えれば、あとはどうでもいい。裏切ったところで大枠は変わらないのさ」
 志方の、仮面の神の持つ価値観がいかに私達とかけ離れているのか、よく分かる物言いだ。元々何も信じていないのだろう。
「それに駒はまだいるしね。こちらに駆け付けて来たって事は、つまりイシュタルは撤退したんだろう?ならこちらの目的は達せられた。敵がイシュタルだけだと思ったら大間違いさ。あと一人、ただの人間だけど金原ってヤツが目立たないように動いていたんだ。あいつが巫女を確保したからこそ、イシュタルは撤退したんだよ」
 志方の言葉を聞き、私達は顔色を変える。どうやらまたしても、一杯食わされたらしい。鳴神が静ちゃんを保護していたらしい事とかイシュタルがどうとか、いくつか知らない事があるのが気になる。
「自分で囮役をしていた訳か。だが貴様の思惑、最大の目的は達成出来ないぞ?」
 相変わらず嫌な笑みを浮かべる志方が、カンナカムイの一言を聞いても余裕の表情を崩さない。
「何を言うかと思えば、強がりかい?僕がいつ目的なんて話したっけ」
「分からないか。俺のエネルギー総量は主神と同等だぞ。つまり、俺が神奈備(カンナビ)の現在の主だと言う事だ」
 神奈備――――――それは環太平洋の神々達が集う神域の名前だ。言葉としては神道において、神霊が宿る領域の事を指し、神聖な山や森などの事を言う。有名なところでは『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に記される四つの山、島根県松江市の茶臼山、朝日山、仏経山、島根県出雲市の大船山などの他、奈良県桜井市の三輪山なども有名である。
 北欧の北磁極を司るワルハラ、地中海火山地帯レイラインを司るオリンポス、オーストリアのハルシュタット湖などを起源とする水源を統括するティル・ナ・ノーグ、チグリス、ユーフラテス川などいくつかの河川を起源とし、水流による水力エネルギーを統括、エネルギーのネットワークの中枢を担うエ・テメン・アン・キ、エジプトのピラミッドを主とする、巨石建造物の重力エネルギーを扱う神域ベンベン。
 そして環太平洋地域、すなわちパシフィック・リムを司る神域が新たに判明した。カンナビの司るものは、太平洋を周回する膨大な量の『潮力(ちょうりょく)』である。故に最大の神域でもあり、これのエネルギーを狙って外宇宙の邪神共は侵略をしてきたというのがアカシック・レコードが示す歴史の真実だった。
 さすがの志方も、この事実に僅かに顔を引き攣らせる。
「……バカな。この僅かな時間で国譲りをしたのか?」
「元々そういう取り決めがあったのだ。故に貴様達が主神と神域を得ようと企んでも、この環太平洋はそう容易くは無いぞ」
 カンナカムイの言葉を聞き、しかし志方は先程の僅かな動揺から即座に立ち直り、再び落ち着き余裕を取り戻す。
「成る程。では今度はキミを手に入れれば問題無い訳だね。或いは、殺してしまおうかな?」
「それはこちらの台詞だ!――――――イメラ・ハチリ!!」
 ズシン!!
「ぐおおおおッ!!」
 雷雲より稲妻を呼び寄せ、志方の頭上へと落とす。膨大な電力が志方の肉体を包み、一瞬にして燃焼してしまう。ブスブスと肉を焼き、焦げ臭い匂いが辺りに漂う。
「ヤウヤウセ・トゥ・テケ!!」
 ボボボボボッ!!
 炭化した志方のボロボロの肉体に、カンナカムイの追撃が決まる。電熱を纏う双拳が雨あられと突き出され、怒濤のラッシュとなって志方の肉体を粉砕していく。その拳が止まった頃、志方の肉体は完全に消し飛び、仮面のみが空中に残された。
「チャッチャリケ・チャプシトゥリリ!!」
 ズバン!!
 仮面を両手で鷲掴みにし、体内に蓄えた電流を一気に叩き込む。絶えず流し込まれる膨大な電荷に対し、しかし仮面は全くダメージを受けていないように見える。やがて電撃が止まると、仮面の裏側より突如として肉の塊が溢れ、見る見るうちに膨張していく!
「何だとッ!?」
 その異形の変化に対し、カンナカムイは即座に退避しようと試みる。しかし数多の肉の触手がカンナカムイの四肢を絡め取り、口や首まで締め上げるに至る。仮面の口が大きく開き、口腔から凶悪な犬歯が覗く。
 スババババババッ!!
 カンナカムイの全身から放出された雷撃が肉の触手を炭化させ、肉の拘束から何とか逃れる。間一髪で仮面の噛み付きより逃れ、再び電撃を仮面へと叩き込む。絶えず増殖する肉の触手を炭化させ、再び触手が生えてくるという悪循環に陥る。
「ふははははッ!そんな普通の攻撃で、この僕がどうにかなると思ったら大間違いだ!!」
 圧倒的な再生能力を前に、千日戦争の如く消耗戦となってしまう。これではいつか、カンナカムイのエネルギーが先に尽きてしまう。それを悟ったのか、カンナカムイは攻撃を止めて一旦距離を取る。
「……どうも我々の攻撃手段では、こいつを倒す事は出来なそうだな。後は滅殺兵器に頼るしか無い」
 滅殺兵器という最終手段。情報生命体の根幹を成すプログラムの破壊を伴う、言わばアンチ神兵器。人間に例えれば毒による二次的なダメージみたいなものだけど、これが無機物で物体という形態を取る仮面の神に通用するのか。
「ふふふ。悩みたまえ悩みたまえ。僕ら外宇宙の存在に対抗する術があるなら、どんどん使いたまえ」
 絶対的な自信があるのか、仮面の神の安い挑発が続く。
「やってみるしか無いか!トゥペシ・カチョ・カラ・ウフイ――――――――ケムカ・クリップ!!」
 決意を固めたカンナカムイは背より円環状の物体を投擲する。赤熱した円環は仮面の頭上に滞空、次の瞬間、膨張して数倍の大きさへと突然変化した円環。
「リクンモシリ・レ・ニシ・ウユユック・ペナウンペ・ランケサプテ!!」
 掛け声と共に膨大な熱量が円の中と地面までを覆い、マイクロ波加熱による水分子振動により、急激な温度上昇を発生させる。これはつまり、電子レンジと同じ原理だ。
 何故カンナカムイはこの攻撃を選択したのか、それはおそらく電子レンジにおいては金属の容器やマイクロ波を吸収してしまう樹脂類など、使用すると火花などが発生して危険とされる物体が存在する事がその理由ではないかと思う。
 仮面に使われている素材が何なのかは分からないけど、物質によってはマイクロ波で破壊する事が出来る。あとは攻撃が通じるかどうか、とにかく試してみるより他は無い。
 しかし――――――――。
「ははははは!アイデアとしては素晴らしいけど、そもそも時間の経過を受け付けないのさ!!」
「くっ!通じないか!!」
 膨大な熱量に晒されていても肉の触手が消し炭となっただけで、本体の仮面は全く変化が見られない。傷一つ付かないのでは、プログラム破壊の効果も発揮される事は無い。円環を背に戻したカンナカムイに対し、仮面の神はそのままの状態で対峙している。
「それでは今度はこちらの番といこうかな?熱量大反射だ!!」
 突如、仮面が光り輝き、蓄えられた熱量がカンナカムイ目掛けて放たれる!
「何ッ!?――――――――オイカラリ・オノイェ・エエン!!」
 背の円環を前に押し出すと、即座に回転をして電磁フィールドを形成する。放射熱は電磁層に阻まれ、周囲に拡散してしまう。
「やるねえ。ではこんな攻撃はどうだろう?」
 一瞬震えた仮面が、突然巨大化した。まるで映画のコマ落としでも見たかのように、何の前触れも無く唐突に巨大化したのだ。その全長は、およそ50メートルはあるのではないか。さらに仮面の背面より膨大な質量の肉塊が溢れ出て、何百という数の触手へと変異する。
「さあて、今度は巨大質量攻撃だ!」
 巨大化した触手は仮面本体よりもさらに長く、およそ1kmはあろうかという長大さを誇る。触手の一本が振るわれるだけで、ビル一つが呆気なく崩壊してしまう。逃げれないと思ったその時、私の傍に一匹の犬が寄り添っていた。
「手酷くやられたものだ。背中に乗れ。ここから離脱しよう」
「……おお、シェパードさんじゃない。助けに来てくれたんだ」
 ケツアルコアトルとの戦いで共闘した、犬の姿をしたエジプトの神アヌビス。どうやら集中力が切れて索敵が疎かになっていたのか、彼の接近に気付かなかった。
 若干巨大化したアヌビスの背に跨がり、触手に叩き潰されたビルから間一髪脱出した。
「アレが外宇宙の化物か。雷神だけでは勝ち目は薄いかも知れないぞ」
「……他の仲間が合流すれば、倒す事は出来なくても追い払うくらいは出来るかも。あいたたた」
 揺れる背中の上では体勢が安定しない為、失った右手の傷口がなおさら痛む。出血も酷いので、もうそろそろ意識が落ちるかも知れない。
「止血くらいはしておいた方がいいだろう――――――――ウアーブ・シャネフ」
 アヌビスの力により、右腕の傷口が塞がっていく。それと共に出血も止まり、ようやく生命の危機から脱する。とは言え、失った右手が元通りになった訳では無い。スリスなら私の右腕を元通りに出来るだろうか?
「右腕は我が使途が回収しているから安心するがいい」
 どういう事なのか尋ねようとしたけど、周辺の物陰から何十匹もの犬が現れ、その内の一匹が血塗れの右手をくわえていた。どうやらこの犬が預かってくれるらしい。
「この者達は私の信者だ。私は犬に認識される事で存在を保っている」
「……成る程。犬でもいいんだ」
 沢山の犬達と共に街を疾走する。次々と破壊される建物、空を飛び交う瓦礫の雨。巨大な仮面の繰り出す触手嵐が地を揺るがし、突風さえ巻き起こす。そんな中でもカンナカムイは肉鞭の嵐を躱し続け、何本かの触手を電撃で吹き飛ばしもしていた。
「カンナ・エエン・アニ・モシリ・ウェンキクキク!!
 ズドン!ズドン!!
 数多の雷撃が雷雲より降り注ぎ、仮面の神とその周辺の大地を蹂躙する。この周辺は既に破壊され、殆どの建造物は崩落していた。つい先程まで普通に人々が歩いていた街並みとは、とても思えない。荒れ狂う雷の束によって触手が次々と消し飛び、血と肉が辺りに飛び散る。
「頑張るねえ!しかし、こちらの増殖スピードの方が上だ!!」
 消し飛ばされた触手はたちまち元通りとなり、さらに新たな触手まで生えてくる。当初の数百単位から数千単位に増殖した触手が、カンナカムイを取り囲むようにして一斉に躍りかかる。
 ドパン!!
 だがしかし、カンナカムイに触れる寸前、空間を格子状に奔る電撃によって触手が粉砕され、次々と襲い掛かった触手も悉く消し飛ばされる。注意深く観察してみれば、いつの間にか仮面を取り囲むように空中から地面まで、全方位を正立方体の形で電撃の結界が覆っていた。
「これは一体!?」
 おそらくこれは、電撃の束が地面に降り注いだ時に構築されたものと思われる。
「……これこそ滅殺兵器カンナ・カチョの力。電撃の結界で全ての能力を妨害し、力を使えば使う程、同等のエネルギーによって削り殺す。例え貴様を殺せないとしても、その動きくらいは封じる事が出来るという算段だ」
 カンナカムイの背の円環は8つの筒状へと変化しており、絶えず膨大な電力を結界へ供給し続けている。さらに言えば、そのエネルギーの元は神域カンナビより取り出されている。永遠にこの結界が維持出来る訳では無いだろうけど、神域の膨大なエネルギーが環太平洋の潮力を源としている以上、相当長い間、結界の維持が出来るのではないだろうか。
「やってくれるじゃあないか。確かにこれは厄介だ。しかし、こんなものではこの僕は倒せない」
 暴れ回る触手が結界に触れる度に弾け飛び、それどころか肉の塊ごと結界に叩き付けて質量で結界を排除しようと試みる。
「無論、この技のみで倒す事は出来ないだろう。だが貴様の攻略法は、いずれ知る事が出来るだろう」
「……何だって?」
 謎めいたカンナカムイの物言いに、仮面は僅かに動揺したように見えた。
 そこへ今まで他所で戦ったいたらしい蓮見やスリス、叶さんが駆け付けて来た。
「悪い。今まで例のアロケンとか言う連中に邪魔されていた。全て倒したんだが……お前、右手やられたのか」
「うっわ、反応薄っ!」
「御空ちゃん、それだけの傷だと真性変質能力が無いと治療出来ないと思うわよ。こっち陣営だとカンナカムイだけが使えるから、終わるまで我慢しててね」
「申し訳ありません、私の治癒では傷の治療しか出来ませんので」
 スリス自身は自分の肉体であれば欠損部分を一から構築する事も出来るみたいだけど、他者に対しては同レベルの治癒能力を発揮出来ないみたいだった。
「それよりもヤツを倒す為にはまず、ヤツの事をもっと深く知る必要がある。俺かスリス、どちらかがリーディングでヤツを直接調べるしかない。今までは大気中の水分子を媒介にして情報を読み取っただけだったから不十分だったようだ」
 蓮見の言うように、物体の構造を知る事の出来る『リーディング』しか手掛かりを得る手段は無い。
「だけどあの電撃の中、仮面に接触するのは難しいでしょ?どうするの?」
「それなら私の力で何とかなるかも知れません」
 私の疑問に対し、スリスが応じる。神の力を駆使すれば、何とかなるのだろうか。
「肉体を霧状に変質させる事で、あの電撃の結界に触れずに仮面への接触が可能かと思います。コントロールは難しいですけど、何とかなると思います」
 スリスの提案する方法は、電撃の結界の隙間から接触するという方法だった。滅殺兵器であるカンナ・カチョの電撃に触れればスリスとて消滅しかねないけど、そもそも水分子は電気を伝導させるので、おそらく電気抵抗のロス分しかダメージにはならない。ならば電撃に触れてもいきなりすぐに消滅させられる事は無く、カンナカムイと連携さえ取れれば何とかなりそうだった。
「そうだな、それで行くしか無いだろ。叶さん、カンナカムイに作戦を伝えてくれ」
「分かったわ」
 契約を結んだ事で常に意思疎通を図る事が出来るらしく、叶さんは思念でカンナカムイに作戦を伝える。向こうもそれですぐに意図を悟ったのか、一瞬だけこちらに視線を向け、すぐに戻した。
「こちらから仕掛けていいそうよ。よろしく頼むわね、美雪ちゃん」
「分かりました」
 叶さんに促され、スリスが即座に肉体の構成を変質させる。まず肉体を水へと変え、地面に広がった水たまりが今度は水蒸気へと変化、そのまま霧状になって空を漂う。相変わらず結界の中で暴れ回る仮面の神の底部より格子状結界の狭間より侵入、そのまま仮面の表面へと水分が付着する。巨大化がこの時は仇になったようだった。
 そしてスリスが得た構造情報は即座に蓮見へと送られ、それを蓮見は脳内で反芻する。
「……成る程な、こいつは難解だ。どうやら時間軸をずらし、己の存在を同一時間軸の多次元空間に分散させる事で単一時間軸上から逸脱している。分散した分身に対し、同時に同じ部位を攻撃しなければ破壊は出来ないようだぜ。本体と分身、合わせて三体が別時間軸に同時に存在しているみたいだ」
 なかなか難しい物言いだけど、何とか理解は出来た。すなわち、別の時空間へと認識を拡げ、そして攻撃が出来なければ倒せないという事だ。そしてそれは私のみが可能だと思う。右腕が健在ならば。
「……弓が握れれば、何とかなると思う」
 さらに悪い事に、リカーブボウも今は手元に無い。しかしそれを聞いたアヌビスが、少し考えてから口を開く。
「……弓があればいいのだな?」
「え?いや、右腕を治療して両手が使えるようにならないと意味無いけどね」
「ならば弓は何とかしてみよう。腕の治療は雷神にしてもらうしか無いだろう。結界を解いてもらう他無いだろうな」
 アヌビスは配下の犬達に何事か命令したようで、何十匹もの犬達は即座に一方向へ走って行く。
 何分かすると、何かを口にくわえた一匹の大型犬がこちらへと走って来た。
「おお、和弓だ。ありがと〜ワンちゃん〜」
 もふもふの毛を楽しみながら頭を撫でる。犬が持って来たのは弓道で使われる和弓だった。埃だらけの弓袋からすぐに弓を取り出す。弦の張られていない状態なので、後で腕を治療したら弦を張らないと使えない。
 スリスがリーディングを終え、元の肉体へと戻ってこちらへ降りて来た。
「結界を解くと同時に、私とアヌビス神で攻撃をして仮面の注意を引きます」
「それしか無いだろうな。協力しよう」
 スリスの説明にアヌビスが同意する。私や蓮見、叶さんの人間チームは急いでここから退避し、隠れつつも攻撃が出来るような物陰にでも移動した方が良さそうだ。逃げる私達を見て頃合いと判断したのか、カンナカムイが結界を解く。アヌビスは肉体をさらに巨大化させ、体高およそ5メートル程にまで大きくなる。
「シェネウ・ジェアー!!」
 アヌビスの背中の体毛が逆立ち、硬質化した毛が槍となって射出される。
「チェーダ・リンカ!!」
 スリスも水圧カッターを飛ばしつつ、仮面の後方へと移動する。こちらへと降りて来たカンナカムイが、すぐに私の右腕の蘇生に取り掛かる。アヌビスとスリスの連携を浴び、それでも仮面の神はその巨体を利して二人を圧倒する。崩壊したビルの陰で何とかこちらへは被害は及ばない。私の吹き飛んだ右手をくわえた犬が傍に来て、カンナカムイへと渡す。
「モシリ・ヘセ・アニ・エトゥタン・カラ・イクシペ・トゥリ」
 膨大なエネルギーが既に壊死していた右手を変質させ、傷口と傷口が瞬時に結合される。マグナム弾で吹き飛ばされた為に欠損部分がかなりあった筈だけど、細胞が増殖して欠損部分を埋め合わせてしまう。
「……凄いね。右手治っちゃったよ」
 以前と変わらないまでに治った右手をしきりに動かして具合を確かめる。どうやら全く問題無いみたい。
「俺は再び仮面の神と戦う。でないと、あの二人だけでは持ちこたえられないだろうからな」
 カンナカムイの言う通り、既にスリスとアヌビスは劣勢に立たされていた。膨大な質量の触手を殲滅するだけの攻撃力が無く、どうしても押し切られてしまうからだ。
「分かった。治してくれてありがと。すぐに弦を張るから時間稼いで」
 私の言葉に頷いたカンナカムイが仮面目掛けて飛び立つ。私はビルの瓦礫を利用して手押しで弓に弦を張った。
「さて、まずは別の時間軸に存在してる仮面を索敵しないと」
 この周辺に存在する全ての者が認識していない死角より、無数の白銀を呼び寄せる。突如として空より飛来したおびただしい数の矢が荒廃した大地に突き立ち、ある種異様な光景を作り出す。
「うわ、随分と盛大に呼び出したもんねぇ」
 初めて見る光景に叶さんが感想を漏らす。そういえば叶さんも蓮見も、この大量召還は見た事無いかも知れない。仮面の周辺やカンナカムイ達の近くにも矢は落ちたけど、直接接触する位置には呼び出していない。総数にして万単位の矢の乱立に、仮面の神がようやく異変に気付く。
「これはバロールの時に見せたものか!?何か企んでいるな?何処だ!?」
 触手を四方八方に振り回し、こちらの居場所を掴もうとする。しかし既に充分な距離を取った上で隠れているので、そう簡単には見付からない。
 最大の問題である別の時間軸の認識だけど、時間連続体において物事はいくらでも分岐するものであり、物理法則とは関係無い要素、例えば個人の考えの違いによって行動や結果が変わる場合、これらは突発的な分岐となり、予測が大変難しいものになる。逆に物理法則、風や海流、太陽光などのあくまで自然現象などの結果による変化の場合、個人の選択とは違ってあくまでなるべくしてなった結果は遡る事で予測が容易である。
 仮面の神がパラレルワールドまで認識出来ると言うのなら予測なんて不可能だけど、そもそもそんな事が可能であるのならば、今こうやって直接戦う必要なんて無い。歴史を改変するなり自分の望む結果にだけ飛ぶなり、好き放題出来る筈である。しかしそれをしていない時点で、仮面の神はそこまで全知全能の存在では無いと言える。
 おそらく仮面の神は自然の変化の範囲で異なる時間軸への跳躍を可能としており、こちらもあくまでその範囲で予測をすれば、仮面の神の分身も捉える事が出来ると考えられる。
 ではどうすれば認識が出来るのかと言うと、それは私の『白銀』がレーダー発信器としての能力を持っているのが役に立つ。単純に弓から放つだけで、飛来する矢は移動をする。時間とは計算上は距離と速度から割り出す事が出来るのだから、矢の飛んだ距離と飛ぶ速度を認識出来るのなら、それは同時に時間をも認識している事となる。
 矢を飛ばし、その時に仮面の神を認識すれば、それは分身である。あくまで別の時間軸に存在している分身、であるのだから、場所自体は同じ位置に存在している事になる。が、実像は3つに分散しているので、物凄く分かりやすい例え方をすると、パソコンの画像編集ソフトで画像をレイヤー化するのと似た様な事だと言える。
 同じ場所に存在しているが、一枚のレイヤーを消去したところで画像そのものは消えない。仮面の神は例えるなら主線、色、影とレイヤー化して存在を分けているような感じだ。正確には時間で分かれているので、文字通り『分身の術』みたいな形になっている。こちらも同じく『分身』させるなら、対抗する事がきっと出来る。
「蜂の眼、贄の眼、鷹の眼。空に写りし空蝉の、影を拾いし雪月花(せつげつか)――――――――天仰理念流兵法陣立・雪月花」
 瓦礫の影より出て放った白銀は、まっすぐ仮面へと飛んで行く。それを察知した仮面の神は触手を蠢かせて待ち構えた。
「何をするかと思えば何の捻りも無い。だが何があるか分からん。払い落としてやる」
 振り上げられた触手が白銀を払おうとしたその時、遥か天空より飛来したもう一本の白銀が、まっすぐ飛んでいた白銀にぶつかってその軌道を変えてしまった。
「何ッ!?」
 カツッ!カカカッ!!
 さらに二の矢、三の矢と立て続けに空から新たな白銀が飛来し、その度に最初の白銀を弾いて軌道を捩じ曲げる。そして私はさらに次の矢を放ち、二本目の白銀もまた、同じように軌道を変える。
「これは何を狙っているんだ?」
 絶えず飛来する矢が軌道を変え、周囲をジグザグの軌道を描きながら取り囲むのを見て仮面の神はしばし動きを止める。しかしその二本の矢が突然あさっての方向へ飛んで行ってしまったので、再びこちらへと向かって来る。
「何をしたいのか分からないが、今すぐ殺してやるぞ!」
 そして最後の三本目を私は放つ。仮面の額に輝く赤い石を打ち砕くべく、必殺の一撃がついに飛ぶ。
 ガスッ!!
「……な、何だ……と?」
 白銀によって砕かれた赤い石。破壊不可能と思われた仮面の表面に、たちまち亀裂が奔る。最後の三本目が放たれ、そしてあさっての方向へと飛んだ二本の矢が再び飛来し、三本が全く同じ点を目掛け、三方向より飛んだのだった。それぞれの矢は放った時間、飛んだ距離が違い、死角を経由した事で違う時間軸を飛んだ。その為に数ある時間連続体の中で三地点同時攻撃を行い、仮面の分身を捉える事になったのだ。
 雪月花とは日本においては複数の景勝地を指す言葉だけど、起源となる中国においては四季それぞれを指す。すなわち、違う景色を違う見方をすれば、それまた違うものを見出す。そんな意味を込めた技の名だった。
「……ぐ、くくっ……こ、この仮面の神が、これで終わると思うかああああッ!!」
 ピキピキと表面に奔る亀裂をそのままに、巨大な触手を振りかざしてこちらに突撃してくる仮面の神。
「そうはさせん!貴様はここで終わりだ!!ケムカ・クリップ!!――――――――カンナアリキ・エロルン・パイェカイ!!」
 仮面の神の進路上に立ち塞がったカンナカムイが右腕を引き絞り、正面に展開した円環の中心へ向けて拳を突き出す。円環に蓄えられた電力がサンダー・ストレートと衝突し、反発力によって荷電粒子が弾き飛ばされる。膨大な光の奔流となった電荷が仮面の砕かれた額に突き刺さり、とうとう仮面に決定的な亀裂が生じた。
 ビシッ!
「ぐおッ!?くそおおおおおッ!これで、これで終わったなどと思うなよ!!いつか必ず、戻って来てやるぞ!ぐおおおあああああッ!!」
 バキン!!
 縦横に無数に奔った亀裂がついに断裂し、仮面の神は弾け飛ぶように粉砕された。


第十一話・雷神招来
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