Sick City
第二章・退魔迎撃

 叶さんが車椅子に座る翔子さんを押しながら、廊下の先を進む美雪ちゃんの後を付いて行く。私は最後尾から、叶さん達の背中を守るように付いて行く。
「何だか禍々しい気配よねぇ……。蓮見君の方は大丈夫かしらね?」
「アイツは要領いいから大丈夫じゃないかな」
「しかし、合流するに越した事はありません。急ぎましょう」
 三者三様の反応を聞いて、あまり事情を知らない翔子さんが居心地悪そうに控えめに発言する。
「……あの、よく普通にお話出来ますね?」
 彼女がそんな反応をするのも無理は無い。病室を出たすぐ後、正体不明の化け物と一戦やらかす事になってしまったからだ。『神』以外で人間とは違う怪物に襲われる経験は、キメラくらいしか無かった。そして今度の怪物は、キメラなど比べ物にならないくらいに私達の常識を超える存在らしい。
 当初は赤黒い、何かの肉の塊みたいだった。それが動き出すと、全身剛毛に覆われた姿に変化した。さらに蛸の足のようなものが何十本も生えており、それが足の役目を果たしている。腕は存在せず、蛸の足が必要に応じて増殖し、攻撃を担う。そして剛毛に覆われた丸い身体の上に、何と人間の顔が飛び出ているのだ!
 まさに、この世ならざる異形の化け物。どうしてこんな化け物が、新宿に現れたのだろう。それも一匹二匹の話では無く、少なくとも数百。そして耐え難い程の異臭がそこら中に漂っていて、吐き気を我慢する羽目に陥っていた。
「本当はすっごい嫌なんだけどね。何なのよ、この悪臭は」
 私の愚痴に、皆同じ気持ちを抱いている事だろう。この化け物は攻撃してくる時、触手を生やしてその先から緑色の悪臭を放つ強酸性の液体を噴射し、それによって廊下の床が溶けて益々酷い匂いを放っているのだ。
「しかしこの怪物、見た事も聞いた事もない姿形。一体、何処から現れたのでしょう?」
 美雪ちゃんの指摘に、幾つかの疑問点が浮かんで来る。
 しかし、そんな事を悠長に考えている場合でも無い。次々に現れる異形の怪物、その度に恐怖に怯える翔子さん。この化け物は、見る者の精神を揺さぶる何かを備えているのだ。
 行く手を阻む三体の化け物に、既に水神スリスへと姿を変えた美雪ちゃんが応戦する。
「――チェーダ・リンカ!」
 スリスの全身から水飛沫が迸り、数十本の水圧カッターとなって異形の怪物を切り刻む。バラバラに切り刻まれ、ただの肉片となる。
「烈風呪法・天狗扇(てんぐせん)!」
 叶さんがバラバラに切り刻まれた肉片と、撒き散らされた濃緑色の血液を烈風によって吹き飛ばす。同時に、一時的に悪臭を払う効果もある。
「翔子ちゃん大丈夫? 気持ち悪く無い?」
 車椅子を押しながら、叶さんが翔子さんの顔色を伺う。若干青ざめてはいたけど、難なく怪物を倒してのけるスリスを見詰めていた翔子さんは慌てて答える。
「あ、だ、大丈夫です。少々驚いてしまって……」
 翔子さんの反応は、至極当然と言える。『神』の存在など知らないし、目の前のスリスがそうなのだとも知らないのだから。ただそれでも、おぞましい怪物に比べれば人間の姿形をしているだけでも充分に理解出来る範囲であるらしく、特に何も突っ込んではこない。まあスリスの無双状態を見て、若干引いているのかも知れないけど。
 それにしても、この正体不明の怪物は強さ自体はたいした事は無いけど、その特異な外見と悪臭、理解不能の狂気がある種、本能的な嫌悪感を誘発させる。
 ただの一般人で、しかも病人である翔子ちゃんはここまでよく正気を保っていられると素直に感心する。後方から迫って来る怪物は私が撃退し、叶さんが時折、術でサポートしてくれる。
「それにしても、蓮見君は何処かしらねえ?」
「んとね、ここが4階東棟で蓮見は1階の受付室で看護士さん達と一緒にいるみたい」
 叶さんの疑問に対し、私は『心眼』で得た情報を伝える。病院内ではレーダー網など構築していないので情報の精度は劣るものの、蓮見の現状はよく分かった。怪物相手に無理に戦おうとはせず、出来る限り体力を温存するように篭城戦をしている。
 無論、非戦闘員である看護士さん達を庇っているというのもあるだろうけど、要するに私達の到着を待っているのだ。そうでなくては、看護士さん達を連れて脱出など出来ないと判断したのだろう。看護士さん達の数は5人。決して多くは無い人数だけど、たった5人しか無事な人がいないという事実に心底震えがくる。
 その報告を聞いて、皆が複雑な顔をする。喜ぶべきか悲しむべきか、分からないのだろう。僅かに苦い表情で、叶さんが呟く。
「……無事な人がいるのは良かったと思うけど、たった5人ってのは悲しいわね」
「いえ、それよりも何故生き残れたのでしょう? 他の大多数の人間が忽然と消えているんですよ? 何かおかしくはありませんか?」
 さすが飛び級で博士号まで取った秀才、美雪ちゃんの指摘に私も朧げながら違和感を感じ始めていた。しかし、現状得られる情報だけでは事の詳細は分からない。
「まあ蓮見と合流して話を聞いてみない事には、何とも言えないんじゃない?」
「そうね。おそらくこの病院内全体が一種の結界となっているみたいだから、いつまでも敵の土俵で戦うのは不利だしね」
 さすが結界術に長けた修験者、叶さんは早々にこの異常の原因について、ある程度の目星が付いているらしい。今の私では、レーダー網の恩恵が受けられないので広範囲の探知は出来ないけど、病院とその周辺の状況くらいは分かる。どうやらこの異常事態が起きているのは病院内だけのようで、病院の外は何事も無いようだ。病院に誰も入ろうとしないので、やはり結界によって人払いをしていると考えられる。
 階下へ降りる為にはエレベーターか階段を使わなくてはならないけど、車椅子の翔子さんがいるのでエレベーターを目指す。しかし敵もそれは予測していたらしく、エレベーターのある4階エントランスまでの通路には、異形の怪物共が大量にひしめき合っていた。その為か、異臭は益々酷くなっている。
「うーん、やはり誘導されてるっぽいな〜」
 私が唐突にそんな事を言った為、皆がこちらへ振り返る。
「おかしいって話はしたけど、何処へ誘導されてるって言うの?」
「いえ、御空さんの言う通りかも知れません。私達はきっとこの病院を脱出する。その為のルート上に、怪物を配置する。そうすれば、困難な道であるからこそ進まなくてはならないと感じてしまう。これは言わば、囮作戦なのでしょう」
 叶さんの疑問に、美雪ちゃんがまさしく私の言いたい事を代弁してくれる。
「って事はさ。最終目標の出口か、その外に敵の親玉がいたりするんじゃない?」
 二人のおかげで、相手の意図するところが読めてきた。私の出した結論に二人も同調し、いくらか顔付きが変わる。
「……うん、まあそうかもねえ。いっそ屋上に出て救急用のヘリコプターでも使いたいわねえ」
「いえ、操縦出来る人はいませんし、打ち落とされたら一網打尽にされてしまいます」
 そんな話をしていたところで、曲がり角から飛び出して来たバケモノを切り刻んでエレベーターの手前に到達した。
「あら?ボタン押してるのに来ないわね……」
 ほんの数分間エレベーターが来るのをその場で待ち、結果来る気配が全く感じられずに当惑してしまう。叶さんは何度かボタンを押したものの、このエントランスに向かって三方の通路からバケモノ達が何十と現れた為にエレベーターでの移動を諦めざるを得なくなってしまった。
「階段降りるしか無いよ!車椅子は捨てるしかない!」
 そう告げながら速射で次々に矢を放ち、バケモノの侵攻を食い止める。とは言っても私一人では三方の通路の内の一つしかカバー出来ず、もう二つは水神スリスが両手を使って二方向へ水圧カッターを飛ばす事で何とか押しとどめている。私の言葉に頷いた叶さんは翔子さんを背負い、おんぶして階段を降りる。
「うわっ!階段も敵だらけだわよ!」
 叶さんの悲鳴で階下へと視線を向けると、下からもバケモノが上がってきているのが見えた。しかし階段を上るには蛸足はあまり適していないのか、平坦な場所を移動するよりも遅い。ならばそちらを相手にした方が、現状を打開するには容易い!
 「点殺の術理へと至る、破魔の音色を我、奏でん――兵法陣立・波定鳴陣(はじょうめいじん)」
 第三の矢、『赤銅(しゃくどう)』の音が出るという特性により、『鳴弦(めいげん)』の音紋索敵と併せたデータ抹消の秘技。二本の赤銅を同時に放ち、二つの音が干渉する事によって敵の精神を錯乱させ、動きを一瞬だけ止める。神経系に奔る電気信号へ干渉する事によって末梢神経に一瞬の遅れが生じ、あらゆる行動を阻害する。
 ピウッ、ピウッと風を切るような短い音が階下に反響し、階段を埋め尽くすバケモノ達が動きを止めたところへ第一の矢、『白銀(しろがね)』が立て続けに飛ぶ。二つの音がもたらす効果は動きを止めるだけでなく、『鳴弦』による音紋索敵によって敵の力の集合点、『経穴(けいけつ)』の正確な位置把握を可能とする事でもある。
 ギュオオオオ!!
 何やらおぞましい、断末魔の叫びを上げたバケモノ。剛毛に覆われた丸い胴体の下部、蛸足の生え際の一点にある『経穴』に矢は突き刺さる。波定鳴陣と白銀の交互射ちで次々にバケモノを打ち倒し、叶さんより先行して階下へと我が身を飛び込ませる。空中で放つ二射にて最後の敵を仕留め、再び鳴弦による索敵で周辺の状況を確認する。
「うっわ、激くさっ!」
 死して後は肉が溶解し、強酸による悪臭を広く撒き散らす。臭い液を踏みつけるのを出来る限り避けつつ、三階から二階へと素早く降りる。翔子さんを背負った叶さんが後に続き、最後尾をスリスが守る。二階エントランスにて群がるバケモノ達を相手に戦い、先鋒をスリスに任せる。叶さんに遅れて一階エントランスへと降りると、すぐ近くに受付の窓口があり、そこから蓮見が顔を見せた。
「おお、案外早く来たな。そっちは生存者は他にいないみたいだな」
 見れば蓮見の背後に五人の看護士さんがいる。女性四名に男性が一名、いずれもそこそこ若いが、ごく普通の人達のようだ。
「どうも病院スタッフ以外がバケモノ化したらしいんだよな。この人達以外はバケモノにやられちまった。その娘が無事なのは良かったが、患者は一人残らず異形化しちまった。こりゃあ何か仕掛けられた可能性が高いな。例えば、病院食に例の黒い粘液を混ぜた、とかな」
 蓮見の推測する『黒い粘液』とは、あの『器の神』がロキに力を与えた時に垂れ流した物質の事だろう。つまり蓮見の推測では、この現象を引き起こしたのはロキの手下となった金原あたりでは無いかと、そう見ているようだ。そして私自身も、おそらくはそうではないかと思っている。
「って事は、私達の動きは筒抜けだったって事になるのね。さてさて、どうしよっか」
「ちょっと待って下さい。患者が化け物になったのなら、何とか元に戻す事は出来ないんですか?」
 叶さんの背中におぶさったままの翔子さんの一声に、どう答えようかと一瞬迷ってしまう。既に肉体から何から変容してしまっているので、それを戻すような手段は私には考えつかない。まして水神スリスからして、そんな可能性には一言も触れていないのだから、現状では無理な話だろう。
 私がそんな事を思いながら無言で視線を向けていたからか、水の神は少し物憂げな表情で躊躇いがちに口を開く。
「残念ですが、私達ではどうにも出来ない事です。真性変質能力があれば何人かは救えるかも知れませんが、その力を持つ者はここにはいませんし……」
 『真性変質能力』とは、一部の神々が持つ物質を自由自在に変化させる、創造と破壊の両面を併せ持つ能力だ。その力こそが神が神として君臨出来る、最大の特徴であると言っても過言では無い。ただし人間そのものを瞬時に変質させるのはそう簡単な事では無いらしく、精神というデータが無機質などに比べて多い為、解析や改ざんに時間を要するらしい。
 しかし、それを一瞬で可能としてしまう、あの黒い物体は私達の理解を超える存在だ。例え『真性変質能力』を扱える者がいたとしても、あの化け物を元に戻せるかどうかは正直怪しい。その上、見ず知らずの人達を全員救おうなどと言う無謀を犯す程、私達には余裕が無い。まずは速やかに自分達の安全を確保し、その上で敵を排除して、そうしてようやくその行動を取るかどうかを考えるべきだ。
「そいつは後回しだ。こっちのケツに火が着いてるって状況で、そんな悠長な事してられるかよ。まずは脱出だ脱出。さっさと行くぞ」
 はっきりきっぱり、翔子さんの願いを却下した蓮見が受付を出て玄関口へ向かう。
「ちょっと待って。待ち伏せとかされてるんじゃない?」
 結界によって病院の外の状況が分からない今、軽卒に外へと出るべきじゃない。そのくらいは考慮していると思っていた。しかし蓮見は軽く首を傾げる。
「あのな。外に病院の異常を知られたくないからこそ、結界で外部と隔絶してるんだろ?それでどうして外で待ち伏せするんだよ。そんな事したら、外で目立つだろうが。ねえよ待ち伏せは。時間稼がれるだけだぞ」
「あっ、そっか」
 さすが、悪党は悪党を知る、って事か。
 蓮見に続いて皆で外へと出ると、病院内での出来事が無かった事に思えるくらい、普通に人が歩いている街の景観が目の前に広がっていた。
「敵が俺達の動きを知っていて、どうして病院で仕掛けてきたか。俺達を倒しきれない中途半端さからして、時間を稼がれているな」
 病院の駐車場に止めてあった73式トラックに乗り込むと、まず蓮見の推理が始まった。
「時間稼ぎって、私達が病院にいた方が都合がいいって事?」
「いや、そうじゃない。場所は関係無い。連中が稼ぎたいのは、俺達が考える時間を邪魔する時間だ」
 考える時間を邪魔?意味が分からない。そんな考えが顔に出ていたのか、蓮見は呆れたような顔をする。
「つまり、俺達が冷静に物事を考え、次の行動を適切に判断して動くのを邪魔したいんだよ。やつらは同時進行で別の事をやってるって事だ。それに俺達が気付くのを邪魔してんだよ」
「ああ、いやいや、言ってる意味は分かるんだけど、何で連中がそう考えてるって分かるのかな、って思って」
 悪党が悪党の考えが分かるという事は分かるけど、悪党が何故そう考えるに至るのか、そのロジックがよく分からない。逆に蓮見もこちらの言い方がちょっとよく分からないようで、何だか微妙な顔をされてしまう。
「陰謀ってのは要するに意地悪だからな。人を陥れる時、罠を一カ所に配置すると思うか?同時に複数用意した方が、より効果的だろう?それと同じで、悪い事する時は複数箇所で同時にやるのがいいんだ。そうすれば情報は撹乱され、一つのより大きな目的を隠す事が出来る」
 やっぱりよく分からない。しょうがないので別の話にする。
「まあいいや。それよりもこうして考える時間が出来たんだから、次どうするか考えよう。鳴神を探すんだよね?」
「そうだが、当初の予定通りに鳴神エージェンシーに行くのはまずいかもな。俺達の動きが予測されている。待ち伏せするなら、鳴神エージェンシー近辺が危ない。それでも行くならば、翔子ちゃんは危険だから連れて行けないな」
 そうして蓮見は手にした携帯端末で、何処かへ連絡を取り始める。素早い操作でメールを打ち、すぐさま送信。数十秒後、即座に反応が返ってくる。画面に映し出されたメールの文面を見て、今度はノートPCの画面を見る。そこには、新宿の地図を映したナビゲーションマップが表示されている。
「すぐに仁科さんが来てくれるってよ。あのサラリーマン忍者なら、安心して翔子ちゃん任せられるだろ」
 そうして3分もしない内に、仁科三郎さんが4ドアセダンに乗って駐車場に入って来た。眼鏡スーツの平凡な格好で、あまり印象に残らない外見をしているのは相変わらずだった。セダンの後部座席に翔子さんを乗せると、真剣な表情でこちらを見上げてきた。
「兄をよろしくお願いします」
「もちろんだよ。連れて来るから待っててね」
 そう断言したものの、内心は確実に連れて来れるかどうか確信を持っている訳ではなかった。そもそも、こちらも利害関係がある訳で、決して人助けの為にやっている訳ではない。まあ事の発端は静ちゃんの身の安全の為ではあるんだけど、さらに言うならば私達が助ける理由って何なのって話になってしまう。
 その理由は例えば、静ちゃんを助けたいって個人的で単純な気持ちが私にあるし、爺ちゃんの命令でやっている部分もある。しかし、本当のところはよく分からない。ただそうしなくてはならないという、強迫観念めいた衝動が私を突き動かしているような気がする。
「さて、それじゃ行くか。ああ、鳴神の事務所は駐車スペースなんてないから、歩きで行くぞ」
「……あのね、じゃあ何で車のエンジンかける必要あったのよ」
 73式の運転席から渋々降りた叶さんが、愚痴をこぼす。それを華麗にスルーして、蓮見は何やら自衛隊の装備でも詰まってそうなバッグをたすき掛けにして、さっさと走り出す。その後ろを元の人間の姿に戻った美雪ちゃんが追随し、それに私と叶さんが続く。
「このスピードだとおそらく、40分から50分程度かかるな。いっそ、美雪を先行させてみるか?」
「構いませんけど、私の最高速度は80キロ程度です。車よりは早く到着する程度ですよ?」
 水神スリスが最も早く移動する手段は潜水泳法によるか、自らを水へと変質させて地表を移動する方法の二つがある。潜水泳法は水路が無ければ不可能なので、今回は水に変化して移動するしか無い。車と比較しているけど、水に変化すれば殆どあらゆる狭所を潜り抜ける事が可能となる為、実際には車よりも早く目的地へと到着する筈だ。
 問題があるとすれば、それは単独行動になってしまう事である。もしもピンチに陥っても、皆が到着するまで一人で対処するしか無い。
「それで充分だ。そもそも単騎で無双出来る神という戦力を、小さなグループの一員にして運用する必要なんて無いからな。一人で充分に、それも自在に動けるんなら遊撃ってのも一つの手だ」
「分かりました。では先行しますね」
 即座に水へと変質し、アスファルトに広がっていく。水たまりがするすると、凄い勢いで移動していく。すぐにその姿が見えなくなると、懐からスマホ端末を取り出してナビゲーションマップを見る。
「仁科さんには事前に周辺の捜索をして貰っていた。各所に配置されている監視カメラなんかも使って、襲撃予測地点を割り出してある」
 スマホの地図上にいくつか点滅しているポイントをタップすると、するっとウインドウが飛び出すように表示され、何人かの男達が何処かの部屋の一室にいるのが映し出された。
「えっと、誰これ?」
「さてな。あの空飛ぶ蛇の一件の後、鳴神の身辺調査をして周辺の怪しい連中も目星付けてな。こいつらはここいら周辺のビルのテナントや、マンションの一室にずっと出入りしている。ただ、こいつらには戸籍が無い。出入国記録も何も無い。素性が全く掴めないってのは、この日本って国じゃありえないからな」
「この連中が襲撃してくるって事か。見た目通りの人間じゃ無いのかも知れないわね」
 私と一緒にスマホを覗き見していた叶さんの言葉に、蓮見も頷く。
「そういう事だ。こんな連中がこの界隈にはうじゃうじゃいるんだ。そんな訳で、レーダー網を構築しておいた方がいいかも知れん」
「了解了解」
 蓮見の忠告に従って『白銀』をビルの壁面に打ち込む。これから先はいつ襲撃者が襲い掛かって来てもいいように、途中途中で打ち込んでいく事になる。
 しばらく裏通り沿いを進んで行くと、何やら高エネルギーの気配を探知する。広範囲にわたって存在する人間それぞれの存在は感知していたけど、今まで人間であった者が突然、常人ではありえないエネルギーを持つ。どうやらこいつらが襲撃者らしい。
「出た出た。数はそんなに多くない。7人だね。ああ、アレがこっちを監視してたのか」
 私の指差した先、電柱の上にカラスが止まっている。今まで普通のカラスだと思っていたから、どこかに電気信号を発信した瞬間に普通のカラスでは無い事にやっと気付いた。取り出した白銀でカラスを射ち殺し、次に来るであろう敵に備えて新たな矢を引き出す。
 狭い路地裏を選んだのか、前後を挟まれるような形で上空から何かが降りて来た。前に3体、後ろにも3体。
「真上ッ!」
 私達の直上、空から飛来する何者かに向けて白銀を放つ。それを躱し、敵は炎を纏った幅広の剣を振り下ろす。
「うわっち!」
 熱風を伴った一撃を何とか転がって回避し、私達三人は目の前の敵を改めて視認する。膨大な神気を放つ、ライオン頭の異形の戦士。全身を覆う鎧の隙間から、赤い色の肌が見え隠れしている。
「我が名は戦士公アロケン。貴様らはここで死ね!」
 ライオン頭はそう叫ぶと、右手に携えていた炎の剣を横薙ぎに払う。
 ゴウッ!――――――と音を響かせ、衝撃を伴った熱波が私達を襲う。慌てて回避した背後へ、今度は赤黒い外骨格に覆われて蝙蝠羽を背中に持ち、頭部に二本の角を生やした悪魔めいた姿の化物が待ち構えていた。
「――――――サルマウェット・エシュ!!」
 巨大な炎の塊が生成され、周囲の温度が急激に上昇する。激しい熱波によって煽られるだけで生命の危機に陥るであろう一瞬、叶さんの呪法が完成する。
「激震呪法・地殻結界!」
 ズゴン!!
 突然発生する、局地的な地震。両手をアスファルトの地面に付けた叶さん。その手を中心にアスファルトに亀裂が生じ、続いて地面丸ごと爆散する。私達三人を深く開いた正方形の大きな穴に落とし、巻き上がった多量の瓦礫と土砂が熱風を相殺した。大きく開いた穴は深さ5メートル程で、落下の勢いを転がって何とか殺して地底に着地する。
 しかしその上空から、今度はニワトリみたいな頭をしたヤツが襲い掛かって来る。
「ギャッ!?」
 だけどそんな事は既に予測済みで、醜いニワトリ顔の眉間に『白銀』が突き刺さる。
「残念。空からしか襲って来れないんだって判ってる?攻防一体の術なんだよね、これ」
 地殻結界は結界と名が付いているだけあって、ただ攻撃しただけで終わる術ではない。地面に大穴を開ける事により、敵は横方向から攻撃する事が出来なくなる。よって空中からの攻撃しか無くなる訳で、それはこちらとしては読みやすい。
 眉間の「経穴』を貫かれ、ニワトリ頭が消滅する。それを見た誰か、おそらくライオン頭が呻く。
「むうっ……アブラクサス、迂闊なヤツめ!」
 どうやら、このライオン頭がリーダー格らしい。エネルギーの大きさは他が5000万程度なのに対して、こいつだけ8000万程度はある。
「こりゃまた盛大なお出迎えだな。こちとら生身の人間だってのによ」
 敵の戦力が今までよりもより強力になったという実感から、蓮見が呆れ顔でぼやく。リカーブに新たな矢を番えていると、穴の中を覗こうとする気配を感じたのですかさず射る。敵もその動きを察知したのか、覗く手前で踏みとどまり、飛来する矢をやり過ごす。こちらの牽制が効いたらしく、敵はそれ以上は覗き込もうとはしない。
 しかしこうなってくると、どちらも迂闊には動けない。敵は上空を占位したいだろうけど、こちらはそれを易々とは許さない。逆にこちらとしては5メートルの穴を一瞬で上れる筈が無く、こうしてお見合い状態を維持している。とは言っても、こちらから動かない理由はあるのだけれども。
 痺れを切らしたのか、何か考えがあっての事なのか、残り6体の敵はその場から一気に飛び上がり、遥か1000メートル上空にまで到達して滞空した。
「こちらの射程外から、遠距離攻撃で殲滅しようって腹だな」
 敵の狙いを、蓮見がそう推測する。確かに、直上1000メートルの高度なんて私の弓では届く筈が無い。敵の攻撃を避けようと思っても路地裏に作られた穴の中では広範囲を巻き込むような攻撃、例えば先程の火の玉の攻撃なんて受けたら回避のしようがない。敵はどうやら、その辺りに気付いたから遥か上空へと位置取りしたのだろう。
「さすがにこの距離からの爆炎からは逃れられんだろう――――――死ねッ!!」
 などと言ったかどうかは知らないけど、彼ら6体からそれぞれ巨大な火の玉や火炎が放たれ、この穴へ目掛けて飛んで来る。しかしそれはそれで思惑通り。
「再び激震呪法・地殻結界!」
 叶さんが再び同じ術で対抗する。今度は穴の横壁が粉砕され、生み出された土砂が舞い上がって火炎と激しくぶつかり合う。しかし今度は相手の力がこちらの術の威力を上回り、土砂は炎に炙られつつ勢いを失って穴を埋め尽くす。土砂に含まれていた水分が熱で蒸発し、辺りを蒸気が覆う。
 視界が晴れ、6体が着地した頃には穴は土砂で埋まり、私達の姿が確認出来ない状態になっていた。それを見たライオン頭が僅かに呻く。
「うむ、奴ら死んだのか?確認するのは骨が折れるな」
 まだ白い蒸気が立ちこめている状態なので、土砂も熱を含んでおり、掘り返して穴の底を捜索するのは困難であると誰でも判る。超能力でも魔力でも何でも使えばいいのだろうけど、彼らはこの状況で使える有効な力は何がいいのか、すぐには思い付かないようだ。
 そんな敵の躊躇いなど私達には関係無い。
「よしよし、うまくいったわね」
 薄暗い階段の中で、叶さんがほくそ笑む。私達は別に生き埋めになった訳ではなく、単に横穴を開けて隣のビルの地下室へと退避していただけだった。別に彼らを殲滅するのが目的では無いので、この際さっさとスルーしてしまおうという作戦だ。
「俺の作戦うまくハマったな。それじゃさっさと行こうぜ」
 ちなみに地下室は土砂が流入してしまい、最早使い物にならないと思う。そこら辺りの事後処理とかどうなるのかな〜とか、別にどうでもいい事を考えながら蓮見の後に続いてビルの中から反対側の路地へと出るのだった。


第十一話・雷神招来
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