Sick City
第二章・電光石火

 意外にも、四名の仲間は足が速く、持久力もなかなかのものだった。それでも駅前に着く頃には、皆汗だくになって息を荒げていた。
「ぶはっ、はあっ……お前らは手ぶらだから……うえっ……俺なんて、機材担いでんだぞ……酷い目に遭ったぜ」
「一応私も、弓担いでんだけどね」
 蓮見の恨み節に、私は肩に担いだソフトケースを揺らして見せる。
 それから再び、駅前の惨状を視界に収める。いくつかの建物が炎上しており、路上には、大勢の人々が火事場の野次馬となって群れ集まっていた。パトカーと消防車も何台か到着しており、警察官が群衆をビルに近寄らせないように立ち塞がっていて、消防隊員達がはしご車から炎上中のビル目掛けて放水していた。
 突然、突風が巻き起こる。
 震える大気に野次馬達が悲鳴を上げ、再び爆発が起こる。それでも群衆はその場に留まり、若者達はカメラ付きケータイでぱしゃぱしゃと写真なんて撮ってる。
 まさに平和ボケそのものだ。
「っと、ボサッとしてる場合じゃない。カラオケボックスって何処の?」
「生徒会の連中は、いつも同じ所を使ってます。案内しますんで付いて来て下さい」
 団長の先導で私達は群衆を抜け、駅前の6階建ての商業ビルに到着した。そこはビリヤード場や卓球場、ボーリング場など複数の遊戯施設が入ったビルで、カラオケボックスは5階と6階に入っている。
 エレベーターで5階に着くと、受付の人に同じ制服を着た連中がいないかと聞き、一つの個室を教えてもらった。生徒会の連中は大音響で歌っていた為に外の状況を知らず、団長の説明に唖然としていた。
 団長が説明を続けていると、ビル全体が激震に襲われた。それでやっと危険を感じ取ったようで、私達はようやく外へ出る事が出来た。だけど私の足は、外へと出た途端に止まってしまった。
 団長が怪訝そうな顔で、私の背中に声を掛ける。
「……姐さん、どうしたんです?」
 強烈な殺気を感じる。
 人を殺した事のある者特有の、純然足る殺意。
「……御空ちゃん、気を付けて」
 どうやら叶さんにも判るらしく、注意深く辺りを見回していた。
 また爆発が起こる。
 やっと身の危険を感じたらしい人々が、脱兎の如く逃げ惑う。阿鼻叫喚の中、周りの人間を寄せ付けず、異様な迫力を持った男が歩いてくる。
 その光景は何故か、幻想的ですらあった。
「……何だ、あいつ」
 蓮見が冷汗を流しながら戸惑った声を出し、気圧されでもしたのか少し後じさる。私は男から視線を外さずに、皆に指示を出す。
「……団長達は、先に行って」
 その言葉に、緊張した面持ちの団長は被りを振った。
「何を言い出すんです? こんな所からは早く避難した方がいい」
「……余裕無いの。お願いだから、先に行って」
 冷汗が頬を伝い、私は無意識に肩のソフトケースを外した。私の顔が珍しく緊張に強張っているのを目の当たりにし、団長は戸惑いを覚えながらも短く応じた。
「……では、先に行きます」
 団長はテレオと蓮見を促し、生徒会の連中を引き連れて学園の方角へ走って行った。叶さんが私の横に並び、小さな扇を取り出した。
「……叶さん?」
「これも乗り掛かった船って事で。一人よりは二人の方が確実でしょ?」
 どうやら加勢してくれるらしい。
 男は私達から20メートル手前で足を止め、私達の姿を注意深く観察している。
 少し茶色掛かった長めの髪、目深に被ったソフトフェルトハットから覗く、鋭い眼光。ダークブラウンの背広に赤いカッターシャツ、黒のネクタイを締めており、手には黒革のグローブを嵌めている。身長は186センチ程、肩の筋肉が発達しており、節制によって鍛え上げられた引き締まった体付きをしている。
「……そっちの制服。お前は崎守御空だな」
 男は低い声で、私の名前を口にした。
「どうもお目当ては私のようで。そんな風に殺気丸出しで、まるで今から、私を血祭りに上げてやるって感じじゃない」
 そんな私の軽口に、男は意外そうな表情を浮かべた。
「どうやら、楽な仕事とはいかないらしい」
 そう言って男は黒革のグローブを嵌めた両の拳を顎下に構えて、トントンと足を軽くステップさせた。
「……ボクシング?」
 男のフットワークから、私はそう連想した。
「……こんな状況でいかにもおかしいと自分でも思うが、これも依頼でな。 探偵稼業の人間に、殺しの依頼とは普通じゃないのは確かだ」
 どうやらこの男は探偵で、誰かの依頼で私を始末しに来たらしい。
 叶さんが怪訝な顔で問い質す。
「まずは名乗るのが礼儀じゃない? それから依頼者と、依頼内容も教えなさい」
 男は厳しい目付きで叶さんを睨み付ける。
「依頼者の名は明かせない。こちらには、守秘義務ってのがあるんでな。だが、俺の名は教えよう。鳴神エージェンシー代表、鳴神真悟だ。標的は一人だが、邪魔をするならそれなりの対処はさせてもらう」
 鳴神と名乗った男は、左の拳を叶さんに向けて突き出した。話をしている間に、私はリカーブボウを取り出して弦を張った。
「……ほう、アーチェリーか。アーチャーとやり合うのは初めてだ」
 私も、ボクサーとやり合うのは初めてだ。だけど私の手に矢が握られていないのを見て、鳴神は不思議そうな表情を浮かべる。
「……弓だけか? 矢なんて何処にも見えないが。それでどうやって戦うつもりだ?」
 私は右手を背中へと回し、『死角』から白銀を取り出してみせた。隣の叶さんが、驚いた顔で私を見る。
「……零二くんは刀で、御空ちゃんは矢なんだ」
 叶さんの口振りで、どうやら零ちゃんと一緒に戦った経験があるらしいと感じた。それに零ちゃんが刀って、どういう事なんだろう。もしかして、私が『死角』から矢を引き出すのと同じ理屈で、零ちゃんは刀を引き出すのだろうか。
 そんな時、またもや近くで爆発が起きた。
 空を飛ぶ物体の姿は目視では確認出来ず、どうやら誰もその存在には気付いていないらしい。
 時折、上空からごうごうと風が唸る音が轟く。
 背中から唐突に出現した矢の存在に、鳴神は一層怪訝な顔をした。
「手品師って訳では無いだろうな? しかし、まあいい。俺は依頼をこなすだけだからな……行くぞッ!!」
 その姿が、ふっと消えた。
「なッ!?」
 ――早い!!
 左へふらっと身体を傾けた瞬間に、小刻みなフットワークから一転して、一気に間合いを詰めてきたのだ。
「シッ!!」
 気合いと共に電光石火。
 肉眼では右肩がブレた様に見え、私は『心眼』でいち早くその挙動から放たれる一撃を察知して、地面を転がって逃げた。
 遅れて反応した叶さんは追撃を恐れ、すぐにその場から駆け出した。鳴神のパンチのスピードに、叶さんではまともな反応が出来ない。
 両者の反応速度には、明らかに大きな隔たりがあった。私は叶さんを攻撃されないように立ち回る必要があると感じた。立ち上がって矢を番えようと構えたものの、強烈な殺気を感じ取って私は反転して後退した。
「ふんッ!!」
 私の目の前に、鳴神が迫っていたのだ。
 まさに神速のスピード。
 私が知る中で、一番早い動きを持つ人間を思い浮かべる。
 真っ先に思い浮かぶのは零ちゃんだけど、あのメイド女のナイフを扱う女が、最後に一瞬だけ見せた動きは零ちゃんを上回っていた。そのメイド女と鳴神のスピードが同じくらいだろうか。
 脇腹を狙った、左からのショートフック三連打。
 反転し続けて躱す私に対し、鳴神はフットワークで間合いを詰めつつフックを連発してきたのだ。
 左のトリプル?
 腕一本で超高速三連打なんて、普通では有り得ない。防戦一方の私を見兼ねた叶さんが、右手の扇を左肩に構えて高めた精神を解き放つ。
「烈風呪法! ――天狗扇(てんぐせん)!!」
 突然、強烈な突風が発生した。
 私の背後から巻き起こった風により、鳴神が両腕で顔を庇う。
「何だ!?」
「わあッ!」
 一方で私の身体は風圧で押し出され、視界を遮られて動きを止めた鳴神に体当たりしてしまった。
「あ、ごめ〜ん」
 私にまで被害を与えた事で、叶さんは扇を煽いでいた手を止めた。風が止んだ事で、私と鳴神はお互いに飛びすさって間合いを取った。
 再び、叶さんが扇を振るう。
 今度は水平に構えた状態で、鳴神に向けて突き出す格好だ。
「今度はバッチリ決めるわよ! 烈風呪法・鎌鼬(かまいたち)!!」
 扇は空気を切り裂き、断裂した空気は鋭利な刃物となって鳴神へと襲い掛かった。
 目には見えない筈の攻撃手段。
「……ふッ!!」
 しかし鳴神は、僅かな大気の振動から何かが来ると察知し、頭を振ってその場で躱していた。
 そしてそのまま突進。
 叶さんへと、間合いを瞬時に詰めた鳴神。
「まずい!!」
 私はその動きをいち早く看破し、速射で対応した。
「ふんッ!!」
 どうやら鳴神は耳が異常にいいらしく、飛来する矢の僅かな音を察知し、その場でいきなり急転回しながら、右のショートアッパーで矢を弾き飛ばした。
 次々と速射し、叶さんから鳴神を引き剥がす。
 バックステップしながら次々と拳で矢を打ち落とし、鳴神は唐突に動きを変えた。今まで前傾姿勢のファイタースタイルだったものが、右半身で左腕を突き出す格好になった。速射で次々と飛来する白銀を、左腕の高速フリッカーが唸りを上げて叩き落とす。
 そしてこちらの虚を突いて、一気に私目掛けて飛び込んでくる。距離を置いてアウトレンジで戦うのがフリッカージャブを用いるヒットマンスタイルの本領の筈が、まるでスライドしてるかの様な動きで急接近してくる。
 拳の制空権内に近寄られ、矢を放つには危ない距離となった。この距離で矢を撃つと、躱された後に生じる隙を狙ってカウンターを取られる。
「――はッ!!」
 鳴神の頭上へと、一気に跳躍。
 スカートが捲れ上がってパンツ丸見え状態になってしまうけど、鳴神は当然ながらそんな嬉しい状況でも動じない。
 女子高生のパンツで、喜ぶようなヤツだったら楽なのに。
 力を溜めた左脚から、一気に鳴神の頭部へと踵を打ち出す。
 天仰理念流絶技・踏脚。
 鳴神の腕よりも私の足の方がリーチが長く、さらに頭上からの強襲ともなれば、容易には対処出来ない筈。だけど鳴神は、驚くべき反射で身を屈め、私が当初想定していたヒットポイントよりも、さらに下へと自然落下した瞬間を狙い、頭上に向けて全身で伸び上がりつつ、右のストレートを放った。
 電光石火の拳が、私の左の踵と激突する。
「チッ!!」
 こちらの打撃を防がれた悔しさに、私は舌打ちをしていた。だけどこの体勢はこちらに有利な筈で、私はこのまま追撃する。
 今度は右脚からの踵蹴り。
 しかしこちらも鳴神の左ストレートによって弾かれてしまい、私の身体は再度空中に浮き上がる。
「ならば!!」
 しつこいくらいに連続で、踵蹴りを繰り返す。
 これぞ天仰理念流絶技・列脚(れっきゃく)。
 踏脚の連続バージョンだけど、空中からの一方的な攻撃が可能なので安全だ。対する鳴神もたいしたもので、次々に襲いかかる頭上からの踵蹴りに左右の拳で応戦する。
 しかし、蹴りの威力は拳の三倍と言われている訳で、しかもこちらは全体重が一点に掛かっているのだから、その威力足るや拳の比では無い。さらに、下から上へと拳を繰り出すのは通常よりも身体への負担が大きく、疲れが全身に回るのも早い筈だ。
 次第に反応の鈍ってきた鳴神に対し、私は徐々に調子を上げていく。
「……くッ!!」
 次第に押されていく攻防に堪り兼ねたのか、鳴神はバックステップで一気に後方へと退いた。
 着地した私はそのまま速射。
 軽快なフットワークでそれを躱した鳴神が、再び突っ込んでくる。
「今度はこちらの番だ!!」
 背中から白銀を引き出したものの、番える前に鳴神の接近を許してしまう。
 ここは反転して躱すしか無い!
 ――しかし。
「いっ!?」
 左足の甲に激痛が走る。
 相手をボクサーだと思って油断していた。私の左足は、鳴神の大きく踏込んだ左足で踏ん付けられていたのだ。
 おそらく、骨にヒビが入っている。
『心眼』でその挙動を把握していた筈なのに、鳴神の電光石火の動きは私の予測を上回ったのだ。
「――貰ったッ!!」
 右肩が残像を伴って震え、パッと光を放った。
 バチィッ!!
 驚くべき事に、ただの右ストレートの筈が、余りにも早い反射によって、大気摩擦を引き起して紫電を発生させたのだ。気付いた時には既に遅く、私は何とか両腕をクロスしてガードするのが精一杯だった。とてつもない破壊力に、私の身体が吹っ飛ばされる。
 空中で三度回転し、何とか着地。
 だけど慣性を殺し切れず、私は鳴神から8メートル離れた位置に着地し、そのままアスファルトの上を6メートル程滑って、何とか踏み止まった。クロスした両腕の内、前に交差させた左腕に奔る激痛に、顔を顰める。
 どうやら左の前腕骨にも、ヒビが入ったようだ。
 踏まれた足を無理矢理引き剥がしたのが幸いしてヒビだけで済んだけど、もし足を固定されたままの状態で打ち抜かれていたら、確実に腕の骨が折れていた。それどころか、そのまま腕を弾き飛ばして顔面に届いていたかも知れない。
 そうなれば、私はその時点で終わっていた。
 鳴神は右ストレートを打ち切った格好で、驚きの表情を浮かべていた。
「……俺のサンダー・ストレートを、ガードしただと?」
 サンダー・ストレートとは、まさに名前通りの技だった。
『心眼』を以てしても、完全には反応出来なかった。右肩が閃いたかと思った時には、既に打ち終わっているのだ。剣術の『居合』と同じような技だった。
 欠点があるとすれば、技の初動で力を溜めなくてはならない事くらいで、それもこちらの足を踏むという作戦で完全にフォローしていた。
 電光石火の動きと、今の技。
 プロボクシングの世界でも、此程の猛者は存在しないだろう。武術の世界に達人、即ちマスタークラスなる者がいるけど、ボクシングのマスタークラスがいるならこの鳴神がそうなのだろう。左足と左腕の骨が損傷してしまい、明らかに私の身体は満身創痍といった状態。
「御空ちゃん!!」
 私と鳴神の攻防に、手出し出来ずにいた叶さんが、こちらへ駆け寄ってくる。鳴神は叶さんを脅威とは思っていないのか、こちらに来るのを黙って見ていた。
「怪我を治す事は出来ないけど、痛みを抑える事は出来るよ」
 叶さんは懐から、一枚の紙切れを取り出してみせる。紙切れの表面には毛筆で何かうねうねとした文字だか記号だか、よく判らないものが描かれていた。
 先程の突風を思い出し、叶さんには呪術的な能力があるのだろうと思い至った。
「大助かりだよ叶さん。何でもいいから、ささっとお願い」
「りょうか〜い」
 何とも緊迫感に欠ける声だったけど、手際は良かった。紙切れを私の背中に押し付けると、手で何やら印を結ぶ。
「……封呪・反響魂」
 その声が耳に入った途端、気持ちが軽くなった。
「……お?」
 そればかりか痛みが薄れ、何だかとても気分がいい。『心眼』で自分の身体がどうなったのかを調べてみると、どうやらアドレナリンが過剰分泌されているらしい。
「この呪符の効果は五分程度だから、それまでにあいつを倒さなくちゃね」
 五分というタイムリミットを与えられた事になるのだけど、鳴神をどうやって倒せばいいのか。
「叶さん、あいつの動きを一時的にでも止められる?」
 せっかく二人で戦っているのだから、叶さんの能力に期待したい。私の問い掛けに、叶さんはにっこり笑みを浮かべた。
「任せなさいな」
 私達の行動を黙って見ているだけだった鳴神が、再び構える。
「……そろそろいいか?」
 どうやら、こちらの準備が整うまで待っていたらしい。案外、律義な性格なのかも知れない。
「お待たせ、ダーリン」
「行くぞ!!」
 律義な性格なのはいいけど、こちらの冗談に少しは乗ってくれても罰は当らないだろうに。
 身体を揺すりながらも、高速フットワークで間合いを詰める鳴神。普通に矢を射るのでは躱されるか迎撃されるか、どちらにしても通用しないと判ったので弓に矢を番えたまま、接近されるに任せる。そして拳の射程距離に入った瞬間、鳴神の頭上へと一気に跳躍。
「その技は既に見たぞ!!」
 再び天仰理念流絶技・踏脚。
 しかし鳴神の右肩が震え、残像が発生する。煌めく閃光サンダー・ストレート。踏脚とサンダー・ストレートが激突し、互いの威力によって強烈な反発が生まれる。だけど体重の軽い私の方に、強い慣性が働いた。
「それを待っていたのよ!!」
 サンダー・ストレートの威力によって上空へと打ち上げられた私は、錐揉み反転運動で頭を下に逆さま状態に移行、『死角』から二本目の矢を引き出す。
 そこへ私の後ろにいた叶さんが、懐から楔のような金属の棒を取り出して鳴神の足元へ投げ付けた。
「――秘技・影封じ!!」
「何だ!?」
 楔型の飛び道具が鳴神の影をアスファルトに縛り付け、動きを封じたらしい。女の細腕でアスファルトに突き刺さる筈は無いのだけど、どうやらあの楔は何やら特殊な武器らしい。
 影という自然現象はあくまで結果であり、物体が光を遮断する事によってその裏側に影が出来る。物体が動けば当然、影も追随して動く。だけど、影を縛り付ける事なんて普通は出来ない。
 この術は別に影を縛り付けている訳じゃ無くて、修験者が一番得意としている『結界』の技を応用しているに過ぎない。『結界』とは、内と外に境界を作る事が重要で、『影封じ』とは光と影の境界を利用した結界では無いかと思われる。
 上半身は兎も角、どんな体勢だろうと必ず足だけは影に接しているのだから、足が影の結界に囚われる。どんな人間だろうと影を消す事は出来ないのだから、破るのは困難だろう。
 そして頭上から、私が放った二本の矢が飛んでくる。
 これぞ天仰理念流近接射術・二双弓蜻蛉。
 元々は居合術である『切り蜻蛉』を応用し、頭上から二本同時撃ち。頭上からの射で迫る矢は目視出来る面積が小さい為に、見てから反応するのは至難の業となる。
 しかしさすがはボクシングのマスタークラス、驚異的な動体視力を持っているのか、一本の矢を電光石火の左フックで打ち落とした。
「ぐッ!?」
 しかしサンダー・ストレートを打って動きが鈍った右腕は、同時に襲い掛かるもう一本の矢に反応出来なかった。
 白銀が鳴神の左の太股の辺りに、深々と突き刺さる。流れ出る血潮を左手で抑え、鳴神は片膝を地面に付いた。
 着地した私は再び『死角』から矢を取り出し、鳴神の眉間に狙いを定める。
 背後で叶さんが歓喜の声を上げる。
「さっすが御空ちゃん。よくやった感動した」
「それ古いから」
『影封じ』の効果はそれ程長い時間は続かないのか、鳴神は太股に食い込んだ白銀を引き抜き、なんとか立ち上がって一歩前へ出た。
「……まさか曲芸と手品で、ここまでやられるとは。しかも女相手に」
 強さを誇る男ならば、誰でも女に負けるとなれば屈辱を感じるだろう。それは自然な感情だと思うから、私は不快とは思わなかった。
 日本という国は昔から男尊女卑で、その反動なのか昨今では寧ろ女性優位な風潮があって男性の肩身が狭い事が多い。女に負けて悔しがる男を見て無様とか、ざまあみろとか思う女性は多い。それどころかヒステリックに反応して、女性差別だとか声高に叫ぶ、女性の権利専門の活動家とかまでいたりする。
 だけど、女に負けて悔しがらない男なんて、逆におかしいと思う。寧ろ悔しいと思うからこそ、女に負けないように頑張って己を高めようとするんじゃないかな。そういう男の方がいいと、私は思う。
 何事もバランスっていうのが大事だと思うし、女性ばかり強くて男性が弱い国になったら、きっと戦争とかになったら一瞬で敗走して、真っ先に逃げ惑う国になっちゃうよ。
 武道をやって初めて判る事は、やはり基礎運動能力は男性の方が圧倒的に上だって事だ。女性が男性よりも上回っている部分は柔軟性くらいで、反応速度などはどう努力しても絶対に敵わない。
 何故なら、女性と男性では脳の働きに違いがあるから。
 個人差はあるけど、男性は空間把握能力に優れ、女性は言語機能が優れていると言われている。だから男性は、立体物の目に見えない裏側を一瞬で想像出来るし、女性は会話中に突然話題が変わって、どんどん脱線するのに、唐突に前の話題に戻ったりする。
 だから技術職とか板前さんは男性が圧倒的多数を占めるし、通訳とか翻訳なんかは女性向きとされる。
 要するに、双方に得手不得手があるのだから、お互いがお互いを尊重して密にコミュニケーションが出来れば、何の問題も無いんだ、って事。そして、女性の方がコミュニケーション能力が高いのだから、男と女それぞれの主張がぶつかり合ったなら、それは女性側からアプローチする方が上手くいく事の方が多いんじゃないだろうか。
 ならば今、鳴神を納得させて戦いを回避出来るかどうかは、私の言説に掛かってくるのかも知れない。
「……こちらは二人。私だけだったら負けてたよ。だから勝敗だったら私の負け。殺しの依頼は断ったらいいんじゃない? これ以上やって、どちらかが死んでもつまらないし」
 出来るだけ穏やかな口調で、鳴神を説得する。実は叶さんの呪符の効力が無くなったので、これ以上戦うのは私自身きつい。それを聞いて、鳴神は被りを振る。
「……お前達には判らんだろう。仕事で受けた依頼を途中で破棄するのは信用を落とす。例えこの場は納めても、俺はお前を付け狙うぞ」
 本当に、嫌気を感じる程に律義な男。
 探偵という職業の人間には初めて接するけど、探偵ってみんなこんな人種なのか。そんなに律義な男が、どうして私を殺すなんて依頼を受けたんだろう。
 そんな事を思っていた時、空が震えた。
「やっとお出ましみたいね」
「――へ?」
 私の一言に、叶さんは何事かと辺りをきょろきょろと見回す。
 周囲では私達の戦いなど構っていられないのか、時折何人かの人達が逃げ惑う姿が散見される。消防は炎上するビルに掛かりっきりだし、警察は逃げ惑う人々を誘導するので忙しい。
『心眼』による感知で、空から何か大きな物体が地上に降りたのだと感じた。
 爆音、そして突風。
 駅前のロータリーに停車していた無人のタクシーが、何台も空へ吹き飛ばされた。凄まじい音を轟かせて地面に激突するタクシーと、周囲に撒き散らされる粉塵。
 遅れて爆発、炎上。
 炎の中から膨大なエネルギーを持った何者かが、悠然とこちらへ歩いてくる。
 それは褐色の肌をした、背の低い男だった。
 人種はメソアメリカ系だろうか、特定は困難だけど南米のインディオを思わせた。歳は三十代前半、人懐っこそうな陽気な笑顔を浮かべ、私達から20メートル離れたところで立ち止まった。
「……また、変なヤツが出た」
 叶さんは突然乱入してきた珍客に、何故だか生理的な嫌悪感を抱いてるようだった。男は太股から血を流す鳴神を、楽しそうに眺めた。
「人間にしては腕が立つと見込んでの依頼だったのに、どうやら失敗らしい」
 男の言葉に警戒感を強める。
 この男が、鳴神の依頼者なんだろうか。
「……確かあんたは、メキシカンマフィアのボスだったか? どうしてこんな所にいるんだ?」
 どうも雲行きが怪しい。
 両者は互いに面識こそあれ、だからと言って協力関係にあるという訳でも無さそうな雰囲気だ。
 それにメキシコのマフィアだって?
 何でそんな、見るからに怪しい人物がこの鎌鍬にいるんだろうか。
「詳しい説明はしていなかったからな。こちらは空から一般市民を攻撃して、巫女を誘き寄せる作戦なんだよ」
「……何だそれは。巫女だと? こちらは騒動に乗じて、誘き出されている筈の崎守御空を殺せという依頼だぞ」
 両者の話が噛み合っていない。
 巫女を誘き寄せるとは、あの楯山静ちゃんの事を言っているのか。
「何せ自分の民を殺されるんだから、黙っていられる筈が無いと踏んでいたんだ。それなのに現れない。下を見ればお前さんがそこの女に負けてひいひい言ってる訳で、それなら俺が片付けてやろうと、まあそう思った訳だ」
 ――自分の民?
 まるで静ちゃんが、この国の支配者みたいな言い方だ。訳が判らないのは鳴神も同じなのか、怪訝な顔で問い返す。
「これは俺が受けた依頼だ。あんたはあんたの仕事をすればいいだろう」
 だけど男は、大げさに両手を拡げて高笑いする。
「はっはっは、まあそう言うな。そこの女を殺してみれば、もしかしたら巫女が現れるかも知れないだろう?まあ、黙って見ていなよ」
 そう言って男は私の方を向く。
 鳴神はどうやらこの男を押し切る程強い立場では無いらしく、そこまで言われては黙るしか無いといった感じだった。
「さて、まずは名乗りを上げようか。俺の名前はホセ・マルティネス……と言っても、人間の名なんて意味は無い」
 男の周囲に、膨大なエネルギーが集束していく。既に理解はしていたけど、要するにこの男は人間なんかじゃ無いのだ。
 あのバロールと同じく、かつては神と呼ばれた存在。
 男の肉体が膨張を始める。
 その劇的な変化を前に、鳴神が眼を見開く。
「――な」
 私としても目の前で起こった怪異に、思わず自分の頬を抓る程だった。
「……痛気持ちいい」
 冗談かましてる場合じゃないのに、現実に目を背けたかった。
 それは――巨大な蛇だった。
 体長は、およそ20メートル程。
 白い鱗は炎上するタクシーから立ち上る炎を反射して所々が煌めいており、生理的な嫌悪感を抱かずにはいられない爬虫類の顔が、ゆっくりと鎌首をもたげる。
 そして胴体からは、虹色に輝く巨大な翼が生えていた。但し、翼から鉤爪が生えているのが普通の鳥との違いだった。
 そして保有するエネルギーは、バロールと同じく、約一億。
 確かあのシェパードは、バロールを『主神』クラスだと言った。ではこの巨大な空飛ぶ蛇も、やはり『主神』なのだろうか。
 蛇は口元から、尖端が枝分かれした細長い舌をちろちろと出して、ゆっくりとこちらを凝視した。
「……我こそは、オルメカの主神ケツアルコアトル。まさか我までが使い走りをさせられるとは思わなかったが、これも我らの神域の意志だ。貴様に平等なる死を、与えよう」


第八話・怪鳥強襲
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