Sick City
第一章・崩壊序曲

 ――何だか夢を、見ていた。
 こちらを伺う何かが、私の顔をぐしゃぐしゃに潰した。それから何度も何度も、身体中を鈍痛が襲った。悶絶して地面に倒れ込み、私は差し出した手を何かに潰されて、悲鳴を上げていた。
「……はあっ、はあっ……私は女だぞ、全く」
 畳の上の布団からのろのろと起き上がって、パジャマが汗でぐっしょりと濡れている事に気付いた。
 女だぞと意気込んでみても、私の部屋は全く以て女らしさの欠片も無い。畳張りの八畳間の中には、縫いぐるみとかの可愛らしい小物は何も無く、障子や襖も飾り気一つ無い。
 だいたい女の子の部屋なのに、釣り道具とかアウトドアグッズとか、あとはアーチェリーの道具とかの色気とは無縁の代物ばかりがごろごろしている。本棚を見れば料理本くらいはあるし、机の上には裁縫道具があったりする。箪笥を開ければやはり女だと判るだろうけど、やっぱり見た感じは男の部屋にしか見えない。
 少しげんなりしつつ、私はシャワーを浴びに部屋を出た。一通りさっぱりとした後、朝食の席で爺ちゃんに質問した。どうやら今日は叶さん達は押し掛けて来てはいないらしく、爺ちゃんとお婆ちゃんしかいなかった。
「爺ちゃん、楯山神社ってよく知ってるよね」
 私の祖父である崎守伝一郎は、楯山神社の宮司さんとは付合いがある筈だった。そもそも楯山神社の氏子なので、祭事には顔を出している筈だ。
 私も七五三は、楯山神社でやった記憶がある。
 爺ちゃんはとってもいい加減な人なので、あまり当てにはならないかも知れないけど、まずは身内から何か聞けないかと思ったのだ。
「朝っぱらからいきなりだな。知ってるも何も、崎守と楯山は遠縁に当る」
 それは初耳だった。
 私はお爺ちゃん子だったから、小さい頃から色んな話をした筈なのに。
「そんな事、今初めて知ったよ」
 その途端、爺ちゃんはバツの悪そうな苦笑いをした。
「言ってなかったか? そりゃ済まんかった。何でも戦国時代に遡れば、楯山の巫女が、崎守に嫁入りした事があったらしいぞ。家系図に記されておるしな」
「家系図なんて見ないもん。爺ちゃんって、そういう昔話みたいな事って全然教えてくれないし、そういえば子供の頃に零ちゃんには黙ってろ、とか何とか言ってたじゃない」
 零ちゃんが記憶を失っていると判明した時、爺ちゃんは楯山静の事や事件の詳細など、私に黙っているように口止めした。
 その時は、あまり本人に刺激を与えるような事は言わないようにとか言っていたけど、記憶を取り戻そうとするなら、それはおかしいと思っていた。
「よく覚えているな。だがまあ、お前もそろそろ一人で判断出来る歳だから、聞きたい事があるなら言える範囲で教えてやってもいい」
 妙に引っ掛かる言い方をする。
 それではまるで、言えない事があるって言ってるようなものじゃない。
 その時、私の『勘』に例の『虫の報せ』が届いた。
 目覚めた力の事を話してみよう。
「私さ、白銀が使えるようになったよ」
 それだけで何を言っているのか判ったらしく、爺ちゃんは目を細めて顎に手をやって頷いた。
「そうか、そろそろそんな時期か。では、俺達の名前の意味から教えてやろう」
 爺ちゃんの口から出てきたのは、私の望む話では無さそうだけど、何故か好奇心が沸いた。
「……『零』とはゼロ、つまり虚数だ。『空』とは実体が無い事、これも虚だ。そして『伝』とは方法を伝える事。俺は、お前達の師という役割を与えられている」
 何が言いたいのか、さっぱり判らない。
 私が理解出来るかどうかなど考えていないのか、爺ちゃんの口からは次々と訳の判らない話が続く。
「崎守と楯山は目的を持って存在している。楯山静が生まれると、まず『零』が生まれ、後に『空』が生まれる事になっている」
 なんだか遠い昔から、崎守と楯山には因縁めいた関係があるみたいだ。
 何だか気味が悪い。
「我らは不確定を確定する。その一連の流れにおいて、確定しなけりゃならん時がある。その判断によって、楯山は存続するか否かを問われる」
「……ぜんっぜん、わかんない」
 力いっぱい言ってやった。
 爺ちゃんは気にした様子も無く、話を締め括った。
「気にするな。その判断をするのはお前じゃない」




 学校で授業を受けていても、私の頭の中は爺ちゃんの話でいっぱいになっていた。
 この前もそうだけど、これじゃ授業に身が入らないから困る。
 団長達はイジメについて零ちゃんのクラスの人に聞き込みをしているらしいし、蓮見は楯山神社の歴史とか現在の状況とかを調べているらしい。
 そして私は何をするのかと言うと、楯山静ちゃん本人との接触になる。
 小さい頃に一緒に遊んだ仲だとは言え、今は会話らしい会話の一つもしていない程、関係は遠のいている。たまに神社にお参りした時とかに出会ったりすると、簡単な挨拶を交す程度。イジメに合って不登校になった今、静ちゃんは私とお話してくれるだろうか。
 昼休みに入り、轟富士子と児島沙由里の二人と一緒に昼食を摂る。私はお婆ちゃんの手作りお弁当を、富士子はボリュームたっぷりのドカベン、沙由里は可愛らしい小さなお弁当だ。
「……毎日五人前の弁当平らげてりゃ、デカくもなるって」
「失礼な。五人前じゃなくて三人前だ」
 やはり大巨人は、食事にしてもスケールが違う。
「そういうお前は相変わらず大豆製品ばっかりじゃないか。精進料理を喰っても、呪われし運命は変わらぬぞえ」
「五人前を三人前に減らしても、その神々しいお姿が損なわれる事はありませんわね、おっほっほ〜っ」
 お婆ちゃんは昔の人の為か、煮豆とか揚げ出し豆腐とかを毎日の様に弁当箱に入れてくる。
 私と富士子の相変わらずの言葉の応酬に、沙由里が口を挟む。
「二人共、黙って食べなさい」
「……どう考えても身も蓋もないご指摘です。どうもありがとうございました」
 見れば少ない食事量の沙由里は、ゆっくりと時間を掛けて、よく噛んで食べている。
「アルカリハイパワー沙由里は環境に優しそうだねえ。環境基準に準拠して、排出量が低く抑えられております」
「……高尚な会話かと思わせて、シモネタ言うのやめようよ〜」
「今なら売り手市場だよ、排出権。沙由里の排出権だったら、きっと素敵なおじさまが名乗りを上げる筈だよ」
 以前に零ちゃんと一緒に観たテレビのドキュメンタリー番組で、『排出権』とかいうものを知ったっけ。
「……このシモネタクイーンめ。本当はこんなヤツだと、男子諸君全てに教えてやりたいよ。しかも食事時なのに」
 私の笑いのセンスを理解出来ないのか、料理の巨人は白い目でこちらを睨んだ。そんな会話をしながらお弁当を食べ終えると、廊下から蓮見が顔を覗かせた。
「おい」
 ぶっきらぼうに私を呼ぶ声に、私は廊下に出た。
「こんな昼間にアンタの声なんて、聞きたく無い」
「まあそう言うなって。放課後に団長達も報告があるって言うからさ。屋上に集合でいいだろ?」
「へえ、早いね。用件は判った」
 放課後、私はすぐに屋上へと出向いた。薄曇りの空の下で、既に団長とテレオ、蓮見の三人が待っていた。
「おっせーぞ」
「お疲れさんです、姐さん」
「……さん」
「……本当は面倒臭いだけでしょ?」
 なんだか、毎回テレオに突っ込みを入れている様な気がする。給水塔の壁に寄り掛かった私に、まずは団長が報告をする。
「どうやら、姐さんにとっては辛い話になりそうです」
 始めにそんな事を言われたもんだから、私は思わず身構えてしまった。団長は私の顔を見れないくらいに、この話をするのは気乗りしない様子だった。
「……イジメの主犯格は神足飛鳥。今は旅行中だとかで本人には確認が取れませんでしたが、クラスの何人かは彼女をやり玉に上げていました」
「……飛鳥ちゃんだって?何だってそんな事に」
 正直、それは信じられない話だった。
 飛鳥ちゃんとは、零ちゃんを通して知り合った。
 何でも洋楽同好会に入会したので、ギターを教えるんだって言って何度か音楽準備室で見かけた事があった。話をしてみると物事をはっきりと言う人で、かなり直情型の性格をしていると感じた。私とは普通に会話が弾み、学校で会うと零ちゃんの事とか聞かれたりして、結構話をするようになった。
「冷静な意見を言う者が少なかったので正直、疑って聞いていた訳で。しかし風紀委員によれば、楯山静にしつこく言い寄っていた男がおったそうです」
「それと飛鳥ちゃんが、どう関係してんのよ」
 脈絡の無さそうな話になったので、私は飛鳥ちゃんの事を聞かされて気分が悪かった為に苛立った声を出していた。しかし団長は私の心情を察したのか、特に気分を害した様子は無かった。
「その男と当時付き合っていた女がおりまして、その女は神足飛鳥を中心としたグループに属していたようです。それでリーダー的な存在であった神足飛鳥に、何事かを吹き込んだのでしょうな。始めは軽くちょっかいを出す程度だったものが、次第にエスカレートしていったそうです」
 聞けば聞くほど、胸糞悪くなる。
 真実はどうなのか判らないけど、これが本当なら、静ちゃんは何の落ち度も無いのだ。その女もどうかしているけど、飛鳥ちゃんもそんな女の言葉に踊らされる程度の人だったなんて。
 私は飛鳥ちゃんに今すぐにでも話を聞いてみたいと思ったけど、彼女は零ちゃんと一緒に旅行中だ。
 なんてタイミング悪いんだろう。
 一通りの説明を終えた団長の横で、蓮見が何気なく口を挟む。
「そのグループの事は聞いた事があるな。かなり性質の悪い連中らしいぜ」
「どういう事?」
 そんなに悪い連中なんだろうか、と不安を抱く。
 飛鳥ちゃんって、一体どういう人なんだろう。
「今じゃあ神足飛鳥は縁を切ったらしいけど、最近じゃ悪質な小銭稼ぎってヤツで、街中を荒らし回ってるのさ」
 何の事を言っているのか、全然判らない。
 きょとんとした顔の私を見て、蓮見はニヤリと笑みを浮かべる。
「正直者のアンタじゃ想像付かないか。んじゃ具体的に」
 訝しげな表情の団長を脇目に、蓮見は先を続ける。
「まずは本屋で万引き。万引きした本を古本屋やネットオークションで売り捌く。路上強盗。原チャリに2ケツで背後から年寄り狙いでバッグを引ったくる。自販機荒し。大型のバールで深夜に自動販売機をこじ開け、釣り銭泥棒」
 私は蓮見の説明に、唖然とするしか無かった。
 話を聞く限りでは、まるで犯罪者集団だ。どうやって調べているのか想像も付かないけど、相変わらず、蓮見の情報網は大したものだった。
「しっかし、よくもまあ、そこまで調べ上げたもんだね。感心すればいいのか、軽蔑すればいいのか」
 それを聞いて蓮見は珍しく、不機嫌そうな表情になる。
「連中とは少しばかり、領分が重なるんだよ。でもあいつらは金しか興味が無い。遊ぶ金欲しさでな。俺はそうじゃない。あくまで金は活動資金。目的は情報収集さ。犯罪者とスパイ、紙一重に見えるかも知れないが、目的意識が違う」
 どうやら蓮見は、彼らに敵意を持ってるらしい。一方で団長は、怒りに身を震わせていた。
「けしからん事だ。草間の件同様に性質が悪い。宗教の次はチンピラ共か」
 風紀を守る『大都会』の会長だから、そういう反応になるのは当然だろう。
 犯罪が低年齢化してきているとは聞いていたけど、まさかこんな身近なところで起こっているとは。
「蓮見だって、盗撮写真をその手の雑誌に売ってたじゃない」
 私の指摘に、蓮見は苦笑いした。
「だからあくまで目的が先にあって、小銭稼ぎは余技だっての。情報収集の過程でたま〜に、マニアが喜びそうなショットが紛れてる訳でさ。そのまま寝かせておくのも勿体無いじゃないか。それに機材を揃えるにゃ金がいるんだぜ? 必要経費を捻出しなくちゃならないんだ。これぞ蓮見流交渉術・其の壱『時は金なり』だ」
「……言い訳にしか聞こえないんですけど」
 白い目で睨む私に対し、本人は自分の正当性を主張し続ける。って言うか、蓮見流交渉術って何だ。
「モラルと実利を天秤に掛け、実利が上回ってたら迷わず実利を選ぶね、俺は」
「……まあ、ここであんたを追及する気は無いけどね」
 理解は出来るけど、納得は出来そうになかった。話が横道に逸れた事に気付いた団長が、生真面目な顔で蓮見をせっつく。
「それよりも、蓮見の方はどんな事が判ったんだ?」
 蓮見は話の矛先を変えたかったのか、途端に真面目な顔で説明を始める。
「まずは楯山神社の歴史からだな。とは言っても、判った事はあまり多くは無い。祀っている神は大国主と客人神、地元の氏神や産土神と、まあ一般的な神社と大差無い」
 関係ある話なのかどうか、今の時点では何とも言えない。考えて見ればバロールはケルトの神様だって聞いたから、何か関係があるのかも知れない。
「土地の古い言い伝えってのがあって、何でも鬼退治の伝説が神社に遺されているとか」
「……鬼退治?」
 桃太郎とか一寸法師とか、そういったお伽話みたいなものだろうか。
「俺もよく判らん。神社に鬼の爪、なんて代物が奉納されてるんだとさ」
 なんだか胡散臭い話だと思った。
 オカルトマニアは大喜びかも知れないけど、私は現実主義を自負しているので話半分でスルーしておく。でも『心眼』に目覚めた所為で、たまに霊が見えたりするのは内緒だ。
「現在はここいらに昔から住んでいる氏子なんかが保存会とか作ってるらしい。神社ってのは最近じゃ会社経営に近いらしくて、例えば七五三とか厄除け祈願とかで金になるらしいんだが、最近じゃ収入減で苦しいらしい。楯山静の親父が宮司だけど、どうやら入り婿らしい」
 何だか現実を知ると、宗教もお金なんだな、とがっくりしてしまう。現実主義とか言っておきながら、少し寂しい話だと感じてしまう。
「楯山静は正式な巫女じゃあないけど、アルバイト扱いで手伝いをしているらしい。でも将来は神職に進むんだろうって話だ。そっち系の大学に進学するつもりらしい。休学する以前の成績は常に5位以内をキープする程の秀才だったようだ」
 常に中の下程度の成績の私とは大違い、正直羨ましくなる程の成績だ。
「後はマニア情報。楯山静は制服姿と巫女服姿は見かけるが、普段着姿は激レアだとか」
「……あんたの趣味の情報は必要無い」
 どんなマニアなんだか、全く。




 放課後になって、楯山神社に行く事になった。
 ここ鎌鍬市は神社仏閣が多い街で、桐琳学園のあるエリアもいくつかのお寺が密集している。お寺が殆どで神社は割合としては少ないけど、他の街に比べればそれでも多い方だろう。
 やはり歴史的な背景があるからか。
 空が茜色に染まっていく中、私達は高台に位置する楯山神社の、長い石段を登っていた。
「こんなに人数いたら萎縮しちゃうんじゃないかと、私は心配だよ」
 私達、つまり私の他に団長とテレオ、そして蓮見の四人で会いに行く事になってしまった。
「安心しな。話するのはあんたに任せるから」
 撮影機材を肩に担いだ蓮見が、意外な事に息一つ切らせる事無くそんな事を言った。また例の、校内新聞の取材って手を使うらしい。ただ静ちゃんは対人恐怖症の気があるので、単に神社の境内を撮影するだけに留めるらしいけど。
「これならマジックアワーが期待出来るな」
「何それ」
「この時間帯で撮影すると、夕日によって幻想的な絵面が撮れるって手法の事さ」
 専門用語なんて判らないし。
 こちらも石段を苦にした様子は無く、団長の声が後ろから響く。
「お前は余技の方が余程、世の中の役に立ちそうだな」
「……だな」
「ほっとけ」
 長い石段を登り終え、巨大な鳥居を潜り抜けた。
 途端、何か異質な感覚を覚える。
「……何だろう」
 脳髄がぴりぴりと刺激されるような感じだった。
 私は周囲を見回す。
『心眼』では10人の気配を感じるけど、見える範囲では人の姿は確認出来ない。石造りの道を100メートル行けば、正面に大きな神社の境内がある。
 道の脇には等間隔に灯籠が立っていて、広い境内に入るところにも鳥居があった。周りは雑木林になっていて、見通しは悪い。絶好の狙撃ポイントが沢山あって、何だか落ち着かない。まあ私の索敵範囲の中だから、スナイパーがいてもすぐに判るけど。
 気にしていても仕方が無いので、さっさと境内に向かう。二つ目の鳥居を潜って境内に入ると、蓮見が感心したような声を出した。
「……へえ、経営状態が苦しいって聞いたけど、なかなか立派なんじゃないか?」
 私達の正面に聳える本殿は、かなり歴史的な価値のありそうな立派な造りをしていた。本殿の軒先には、八咫烏の模様が入った大きな提灯がいくつか下っている。そして本殿の前で、竹箒を持って掃き掃除をしている巫女服姿の女性が二人いた。
 その二人の片割れが、楯山静だ。
 身長は158センチ位、長い黒髪を後ろで束ね、薄目がちな目付きが憂いを帯びているように見える。不登校と聞いていたけど、家業はしっかりとこなしているらしい。
 私達の姿に気付いた二人の内、もう一人の女性が近寄ってきた。
「こんにちわ御空さん。参拝ですか?」
「ご無沙汰してます、皐月さん」
 落ち着いた感じの声音で尋ねてくるこの女性は楯山神社の巫女長で、霧島皐月さんという人だ。セミロングの黒髪と、意志の強そうな顔立ちが凛々しい。
 楯山静は私達に無関心なのか、一心に掃き掃除を続けていた。
 皐月さんは二十九歳と巫女さんの中では一番の年長者で、私が五歳の七五三の時に既にアルバイトをしていた。それ以来、時々遊びに来ては皐月さんを筆頭として、巫女さん達と仲良くお話をしたり、お茶菓子を戴いたりとお世話になっている。
 実は毎年行われる例大祭で流鏑馬神事が行われていて、私は去年から執りを務めている。アーチェリーは引退状態だけど、楯山神社の氏子という立場から流鏑馬には参加しているのだ。
 そういう関係もあって、皐月さんには何かとお世話になっている。
「相変わらずですね。お爺様からまた叱られますよ?」
 皐月さんは私の事情を知っている。爺ちゃんは気軽な気持ちで楯山神社に遊びに行く私に、いつも注意をしていた。神社の人達は仕事なのだから、軽い気持ちで遊びに行って迷惑を掛けるな、と。
「爺ちゃんの言い付けなんて関係無いよ。それに最近じゃあ諦めてるっぽいし」
 そう答えながらも、静ちゃんの方をちらっと伺う。私の両親が死んだ一件以来、彼女は私と関わり合いを持とうとはせず、それは相変わらずの様子だった。
 皐月さんと出会ったのはあの事件のすぐ後で、私が静ちゃんの幼なじみだという事は知っている。私の後ろにいる三人の男を見て、皐月さんは怪訝そうな顔をした。
「……そちらは?」
「ああ、同じ学校の人。こっちのカメラ持ってる彼は校内新聞の取材で、楯山神社の景色を撮りたいんだって」
 私が説明したすぐ側から、蓮見が近寄ってきた。
「そんな訳で、境内の景色を撮らせてもらっても構いませんか?」
 皐月さんは少し考えて、にっこりと微笑んだ。
「ええ、よろしいですよ。本来なら責任者に聞くべきなんですけど、宮司さんや他の方が所用で出掛けていまして。その間は巫女長の私が責任者ですから」
「どうもすいませんね。では失礼して」
 軽く手を挙げて蓮見は早速、カメラを構えてうろうろし始めた。
「それでこっちの二人は風紀委員で、楯山静さんに少しお話を聞きたいとの事で」
 私の声が聞こえたのか、少し離れた場所で掃き掃除をしていた静ちゃんの背中がビクッと震えた様に見えた。皐月さんも不登校の事は知っているので、私の説明を聞いて顔付きが厳しくなった。
「……どんなお話を?」
 団長が口を開く前に、私は静ちゃんに向かって聞こえるように喋った。
「私達が話をしなくなって十二年くらい経つよね。爺ちゃんは静ちゃんがショックを受けてるから、そっとしておいてやれって言ったからその通りにしてきたんだよ」
 私の声に、静ちゃんは掃き掃除の手を止める。何かを堪えているのか、手元が少しだけ震えている。
 皐月さんは私の言動に、驚いて目を丸くしていた。私は構わず続ける。
「どうしてショックを受けていたのか、私は知らない。私の両親が死んだのが原因?零ちゃんが重症を負ったのが原因? こんな事を言うのはどうかとも思うけど、崎守と楯山って遠い親戚なんだってね。仲違いした訳じゃ無いのに、こうして話も出来ないなんて、何処かおかしいよ」
 今まで何一つ話が出来ずにいた反動か、私の口から自然に言葉が溢れてくる。相手が心を閉ざしているのなら、こちらから心を開くしか無い。
「不登校の原因だって私はよく知らなかった。イジメの中心にいた神足飛鳥ちゃんは私も知ってる。出来れば本人同士で話をした方がいいんだろうけど、彼女は零ちゃんと一緒に旅行に行ってるから連れて来れないんだよね」
 突然、静ちゃんの顔がこちらに向いた。
 顔面蒼白、口元がわなわなと震えている。
「……私、何か変な事言った?」
 思わず、団長に尋ねてしまった。しかし団長も判らないらしく、横に首を振っていた。
「いや、どうなんでしょう。全く判りませんが」
 そこでやっと、静ちゃんの口が開く。と思ったら、先に皐月さんが声を張り上げていた。
「もういいでしょう! 静さんは本当にまいっているんですから、そんなに沢山の事を言われては気持ちの整理が付きませんよ」
 おかげで静ちゃんは急に気力が萎えたみたいに、声も出さずそのまま沈黙してしまった。そして突然後ろへ振り向き、脱兎の如く逃げ出してしまった。
「……あ〜」
 本殿脇へと姿を消してしまったので、私は諦めるしか無かった。
「ご免なさい。一方的過ぎましたよね。出直してきますので、私が謝っていたと伝えてもらっていいですか?」
 私が申し訳無さそうに謝ったおかげか、皐月さんはいくらか落ち着きを取り戻した様だった。
「……ええ、あなたとはお友達だと思ってるし、悪気があった訳じゃ無いでしょう。私だって、このままでいいとは思っていないの。でもあの子はああいう子だから、自分から外に出るのを待つしか無いと思うの」
 皐月さんは心の底から、静ちゃんを心配しているんだろう。きっと私達が帰った後で、皐月さんがフォローをしてくれる筈だ。
「だからご免なさいね。話を聞きたいと来てくれたお二人には申し訳無いけど、出来ればそっとしてあげて下さいな」
 そう言って皐月さんは、団長とテレオに頭を下げた。
 その誠意ある対応に団長は心を打たれたらしく、少し顔を赤くしながらも斜め30度にお辞儀をした。
「いえ、こちらこそ無理をお願いして申し訳ありません。学園の教師には私から状況を説明しますので、どうか気持ち安らぐ日まで養生なさるようにとお伝え下さい」
「……お伝え下さい」
 団長に追随するテレオを見て、皐月さんはにっこりと微笑みを返した。二人は照れ隠しなのか、では、と告げて回れ右をして立ち去ろうとする。
「あ、私も帰る。それじゃ皐月さん、また遊びに来ますね。蓮見!帰るよ!!」
「はい。皆さんさようなら」
 掃き掃除に戻る皐月さんを後にして、私達は立ち去った。




 石段を降りる私達の後ろから、誰かが追い掛けて来ているのを感知した。
「御空ちゃ〜ん!!」
 この声は叶さんだ。
 十人くらいの気配を感じた中で、叶さんらしき人の気配も感じていた。でも当人かどうかまで気にしていなかったし、正直それどころじゃなかった。
「神社で何してたの?」
 横に並んだ叶さんを見ると、何だか不貞腐れた様な顔をしている。
「ちょっと近所のお年寄りと一緒にタダ飯――じゃなくてお茶を。そんな事よりも、あんな言い方をしたらダメじゃない」
 どうやら聞こえていたらしい。
 先を歩いて石段を降りていた蓮見が、興味津々といった様子で聞いてくる。
「このお姉さんは?」
「あらお姉さんですって。ねえ聞いた? まだまだ私もイケるって」
「いやいや、そんな事言ってないから」
 話の腰を折るのはやめて欲しいと思ったけど、叶さんとはこういうキャラクターの人だから、とりあえずツッコミだけ入れておいた。叶さんは何やらにんまりと笑みを浮かべて、蓮見達を見回す。
「成程。これが男の園って訳か」
「――やだなあ、あははちょっとこっちこいコラ」
「怒っちゃいやん」
 まったくこの人は。
 幸いにも男衆は今の発言が耳に入っていなかったようなので、気を取り直して叶さんを紹介してあげた。
「この人は遠い親戚で桐内叶さん。ウチの近所に最近越してきたんだよ」
 私の説明に何か引っ掛かるものを感じたのか、蓮見は少し首を傾げた。
「なんか楯山嬢といい、この人といい、遠い親戚ってヤツが立て続けに出てくるなあ。崎守ってもしかして由緒正しいお家柄のお嬢さんなのか?爺さんが防衛庁のお偉いさんだった、ってのは有名な話だから知ってるけど」
 さすがに蓮見でも、ウチの家系とか歴史まではカバーしていないらしい。でも他人に話しても楽しい話とは思えないので、私は適当にお茶を濁す事にした。
「そんな大層なもんじゃないけど。大体、私が草間みたいなお嬢様に見える?」
「……女傑って感じだな」
 失礼な。
 いや、褒め言葉なのか。
「それより叶さん、ダメって言うけど、静ちゃんの心を何とか開けないかと思って言った事なんだよ」
 あれで駄目だって言うなら、どうすればいいのか判らない。叶さんは指先を口元で振って見せ、私の間違いを指摘してくる。
「あの子からすれば、御空ちゃんは眩しいんだよ。いつでもストレートに言うから、後ろ暗い気持ちを抱えた人間には堪え難い気持ちを与えるんじゃないかな」
「……後ろ暗い?」
 静ちゃんは別に悪い事なんてしてないと思うけど、何か悪い事でもしたのだろうか。叶さんはう〜んと唸ってから、首を横に振った。
「私にもよく判らないけど、負の感情に雁字搦めになってるって事は感じたのよ。言いたくても言えない事情でも抱えているんじゃないかな」
 言いたくても言えない事情、か。
 もしそんなものがあるのだとしたら、イジメはあまり関係無いって事なのかも知れない。イジメがあった事は周知の事実なんだから、今更隠しても意味は無いだろうから。
 そこで蓮見が、話に割り込んでくる。
「アレじゃねえ? 崎守が、ミスターストイックと神足飛鳥ちゃんが一緒に旅行に行ってるって言った時。激しい反応をしたように見えたけどな」
 そう言われてみると、そうだったかも知れない。何か凄い動揺していた様に見えた。
「ミスターストイックは、密かに特定層でモテ度高いからな。恋破れし乙女が無気力になった、って線はどうよ」
「……特定層って?」
「知らないのか? ミスターストイックのやってるバンドメンバーに、オカマのドラマーがいるだろ。そのオカマが『零二ちゃんファンクラブ』なんてものを作って、しかも会長なんだってよ。要するに『お姉マン』層を中心にモテてるんだろ。つっても、『お姉マン』はそのオカマ一人だけどな」
「……何処でそういう情報仕入れてくるのよ、アンタは」
 呆れ顔の私を見て、蓮見はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「そのオカマヤロウは、俺の情報源の内の一人なんだよ。夜の社交場を知り尽くしているヤツだからな。色々と面白いネタが、これでもかって位に出てくるんだぜ?」
 バンドのオカマさんってのは結構有名人で、桐琳学園においては恋のカウンセラー扱いされているくらい、女子に懐かれている。何でもクラブ遊びのエキスパートで、学生なのにドラァグクイーンをやってるんだとか。
 まあその話は兎も角として、かつては仲良く一緒に遊んでいた静ちゃんだから、有り得なくは無い。しかも自分をイジメていたのが恋敵で、その上、一緒に旅行に行ってる事になる。
 実際の所はエリカさんや他の仲間と一緒だからそういうのじゃ無いけど、さっきの言い方では充分に誤解を与え兼ねない。
「……確かに、失敗だったかも」
 むしろ火に油と言うか。
 知らなかったとは言え、燃料投下してしまったかも知れない。叶さんは溜め息を吐いた。
「はあ、伝一郎さんも酷な事を。どうやら尻拭い役に選ばれたみたいね」
 何を言ってるんだろう。爺ちゃんがどう関係してるんだろうか。
 ――その時だった。
 突如、西の方向で暗くなりつつある空に、オレンジ色の光が見えた。
 遠くで、何かが爆発したみたいだった。
『心眼』の索敵範囲内、何か膨大なエネルギーを誇る存在が、鎌鍬の駅周辺に爆発を起こしたのだ。
「――何かが飛んでいる」
 肉眼では絶対に判らないけど、何か飛行物体が、駅の上空を旋回している。
 叶さんにも何か特殊な感知能力があるのか、やはり西の方角を見据えていた。
「御空ちゃん、何が起こっているか判る?」
 事の詳細までは判らないのか、叶さんは不安げに私に尋ねてくる。
「……駅の周辺で爆発事故。空を何かが飛んでいる」
 その言葉に、今度は蓮見が反応した。
「おい!そりゃ本当かよ。つうか、よく判るな」
 説明するのは面倒だけど、頭がおかしいと思われるのも嫌なので、尤もらしい説明を考えた。
「アーチェリーなんてやってると、視力が鍛えられるんだよ。ちなみに私の視力は8.0あるから」
「……アフリカの狩人かよ」
 実際は『心眼』を会得してからは、視力に頼る場面は殆ど無くなっているんだけど。私達の会話が聞こえたのか、団長とテレオが側に来た。
「それはマズイかも知れません。確か今日は生徒会の連中が、懇談会と称して駅前のカラオケボックスにいる筈です」
「……筈です」
「うわ、何それ。空爆の真っ只中じゃないの」
 思わず本当の事を言ってしまった。空を飛ぶ化け物が、空から火炎放射をしているから。
 それを聞いた蓮見が、ニヤリと笑みを浮かべた。
「……連中、困ってるんじゃないか? ちょっと行って、何なら恩を売れるかも知れないぜ」
 現実がどんな事になっているのか知らないから、気軽にそんな事を言う。しかし生徒会の人達が困った事になっていたら大変だし、それを放っておく訳にもいかない。
 迷っている余裕は無い。
「叶さんは私と一緒に来て。団長達はカラオケボックスに着いたら、生徒会の連中を連れ出して、学校まで避難して」
 私の言葉に四人は頷いた。
 遠くの空を高速で飛来する物体は、新たな爆発を生み出していた。


 登場人物紹介
団長
テレオ
轟 富士子
児島 佐由里
第八話・怪鳥強襲
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