Sick City
第三章・忍者鬼道

 フェニックスに敵を三名排除した事を無線機で伝え、俺とエリカは連れ立って神社を目指す。走りながらも索敵は怠らず、神社と思わしき建物の前にいる人物がずっと動かずにいるのを察知した。
 防衛する側が何の工夫も無く、ただ俺達が到着するのを待ち受けているというのは理解に苦しむ。しかし本人が姿を見せる事で、こちらの油断を誘う意図があるならば判らなくも無い。
 それならば、こちらにも一計がある。
「今度は後方待機せずに、俺と並んで出てくれ」
 斜め後ろを走るエリカにそう告げると、俺が何かを意図して言ったのだと理解を示して軽く頷いた。
 やがて林が開け、大きな岩がごろごろ転がっている空き地に出た。空き地と言うか、丁度林が途切れて富士山の斜面が始まる境界とでも言うべきか。そんな斜面の前に、一見あばら屋か山小屋かと見紛う様な小さな社がぽつんと建っていた。
 それが神社だと判ったのは単純な話で、社の手前に鳥居があったからだ。鳥居と言っても長い間手入れもされずに雨ざらしになっていたのだと、容易に想起させる程の劣化具合だった。
 そして、鳥居を背にして立ち塞がる様に立つ人影。
「そこで止まれ」
 男の声が人影から発せられる。その姿を見て、エリカの顔がいきなり喜色に染まる。
「アルったら凄いわ! レイジさん、ホントにニンジャですよ〜」
「――俺も驚いたよ」
 同意したものの、そんなに喜ばれると日本人としては複雑だ。男の格好はまさに忍者そのもので、黒装束に忍者刀という姿。黒装束とは言っても別に黒い訳では無く、目の前の男が着用しているのは柿の色を黒っぽくしたような、何とも表現し辛い色をしている。消沈している俺などに構わずに、エリカは喜び全開で感慨深げに続ける。
「ニンジャとサムライ……ドリームマッチだわ」
「いや、俺からすればワルキューレ対ミノタウロスとかの方が夢の対決だけどな」
 そもそも俺はサムライじゃない訳だが、どうもエリカの頭の中では俺はサムライだという事になっているらしい。こちらが勝手に話をしている状況に、業を煮やしたらしい忍者男が口を挟む。
「本来、忍んで敵を打つのが忍者だが、生憎と戦える人材が限られていてな。二人で来るか、一人で来るか。どちらにせよ、この社には入れさせんよ」
 俺はこの男の言葉を聞いて、疑問を抱いてしまう。実は、社の中からは人の存在を感じない。遮蔽されているので中の構造の詳細に自信は無いのだが、人っ子一人いないのは確かだ。
「……おかしいな。社の中には人がいないじゃないか」
 思わず呟いた言葉に、忍者男が覆面の下から疑うような目付きをこちらに向ける。
「……何故、そんな事が判る?」
「図星か。あてずっぽうで言っただけなんだけどな」
 そうやってはぐらかしたら、妙な間が出来てしまった。以外に正直な性格をしている。
「……それでどうするんだ? 二人同時でもいいぞ」
 言うべき言葉が見つからなかったのだろう、忍者男はエリカを無視してこちらを煽る。俺がエリカにも並んで出るように言ったのは、何もエリカを戦わせる為では無い。
 敵が一人であると事前に判っていた訳だが、こちらが二人であるならば、もし伏兵がいたとしても出て来ざるを得ないと考えていい。せっかくの伏兵、隠れたまま、後で不意打ちさせるべきじゃないかと考える人間は多いだろうが、そうなると二人分の攻撃を受け続ける忍者男が危険な立場に立たされる。
 逆にやはり一人であるならば、一人の相手と戦っても、もう一人を常に意識しなくてはならず、もし不審な動きをしようとしても、一人を相手にするよりもやりにくいと感じる事だろう。
 それにエリカの持つ神気という強烈なプレッシャーは、それだけでも大きな武器になる。忍者男の視線から、エリカの存在がこの場にどれだけ影響を与えているのかが伺い知れる。相手からすればエリカの格好からして場違いに感じるだろうし、戦わせるつもりは無いとは言え、瞬き一つすらせずに動きを注視するその眼に、ただならぬ雰囲気を感じて当然だろう。
 しかし本当の所は、単に忍者に興味津々なだけだったりするのだが。そのせいかプレッシャーを全く与えていないのだが、それでも戦いが始まれば真面目になるだろう。
「分身の術とかイズナ落としとか、或いは、神風の術とか出来るんでしょうか」
「……案外マニアなんだな」
 なんだか猛烈に不安を感じるが、エリカは普通の思考回路の女では無いので考えるだけ無駄だ。当の忍者男の方は、エリカの余りの勘違いっぷりに眉をひそめている。
「どうもそちらの女は、戦う気は無い様だな――では男の方だけでいいのか?」
 まあ全く効果が無い訳では無いだろうし、始めから俺が戦うつもりでいたので問題は無い。
「俺がアンタの相手をするよ」
 俺がそう告げて一歩前に出ると、忍者男は背中の忍者刀はそのままにして、両手をぶらりと垂らして妙な構えを取る。
 通常あまり見た事の無い構えをする場合、それは普通では無い攻撃手段を取る事と同義である。例えば先程のブーメラン女にしても、両腕を上下に交差させる構えからブーメランをただの投擲武器としてだけで無く、近接武器としても使ってきた。
 刀を使うならば基本は袈裟斬り、構えは中段。ただし真剣での斬り合いを突き詰めるなら、中段は柔軟性はあるが、刀を振りかぶるなり引きつけるなりする必要がある為に動作が一つ増えるのが難点であり、袈裟斬りなら上段もしくは大上段、突きなら始めから水平に構えるのが、初手で一撃必殺を期する最上の手段である。
 例えば薩摩の示現流という剣術には、有名な『トンボの構え』なるものがある。初手での一撃必殺を信条とする示現流が行き着いたのは、まさに袈裟斬りの大上段。
 ならば両手を下げるという形が意味するのは、まさに必勝の構え。それ以上、下など無いのだから、当然腕を振り上げる為のものであるだろう。しかし離れた距離から振り上げたところで攻撃は当らないのだから、間合いを詰めつつ振り上げるのか、それとも何らかの投擲動作になるのか。そこまでを予想し、俺は腰を落として、いつでも間合いを詰める事が可能な姿勢を取る。
「殺しはしない――足を貰うだけだッ!!」
 だがそんな俺の動きを読んでいたのか、忍者男はその場で鳥居の上を蹴って空に舞う。飛び上がると同時に跳ね上がった両腕から、何か線状の光が煌めく。常人には視認する事は難しく、『心眼』によって、それがハイポリマー系の合成樹脂繊維で作られた透明な糸であると判った。
 糸の先には大きめの釣り針が複数取り付けられており、それが片腕三本、合わせて六本がうねるように中空に舞う。どうやら飛び上がる事によって、地面にあらかじめ垂らされていた釣り針が跳ね上がり、それを手で巧みに操る事によって、こちらに目掛けて投げ付けるつもりの様だ。
 ここまでの経過で大きな動作を二回も行ってはいるが、これだけ特殊な武器だと予備動作の多さは欠点にはならない。躱すか躱せないか、それが全てであり、躱せても距離が開いている為に接近してようやく五分五分の展開になる。
 鎖鎌と相対した宮本武蔵もこういう状況に近かっただろう、などと場違いな感想を抱く。
 しかし、俺はあくまで無手。
 釣り針を受ける事が出来ない上に、その釣り針が六つ同時に襲い掛かってくるのだ。空を覆うように頭上に迫る釣り針を、大きく迂回する様にして回避したものの、鳥居の上に着地した忍者男が巧みに釣り針を操って、六つバラバラに奇妙な舞いを始める。
 地面に落ちる前に手元へと引いたらしく、いきなり左右に三つずつ拡がる様にして展開する。左へと回避した俺を、三つの釣り針が追ってきた上に、少し遅れて残りの三つも追撃に加わる。
 大きく振られて弧を描き、俺の足元を狙ってくる釣り針を飛び越えて、鳥居に接近する。さらに襲い来る残り三つを、反転しつつ鳥居の裏側へと回り込む事で躱す。
 しかし、俺が円運動で躱すのと同じように、忍者男も釣り針を円軌道で操っている。飛び上がって躱した最初の三つは、そのまま忍者男の身体が回転する事で再び俺に迫る。だが、この攻撃の欠点は近寄れば近寄る程回避が難しくなる反面、釣り針の取り付けられていない内側の間合いに入りさえすれば、この攻撃は全く脅威ではなくなるのだ。
 鳥居の上の忍者男へと向かって、一気に飛び上がる。攻撃可能範囲の内へと入った俺に、忍者男はどうやって対応するのだろうか。
 それは驚きを以て解答となった。
「――何ッ!?」
 どういう事なのか、忍者男の後ろから突然飛んできた丸太。空中では回避出来ず、俺はその丸太をどてっ腹に喰らって、大きく弾き飛ばされてしまった。
「レイジさん!!」
 切迫した声でエリカが叫ぶ。
 軽く20メートルは吹っ飛ばされ、丸太から身体を引き剥がして地面とサンドイッチになる事だけは避け、地面を横に転がってから何とか立ち上がる。しかし腹に感じる痛みに、思わず手で腹を押さえてしまう。
「ぐッ……アバラを4本持ってかれたか」
「少しは驚いたが……無手ではどうにもならん。地の利はこちらにあるのだから」
 忍者男は話しながらも、あっさりと糸を捨てる。
 先程の丸太は、どうもあらかじめ設置されていた罠だったらしく、俺が躱した残り3つの釣り針を、林の中に投げ込んで発動させたものだったのだろう。
 おそらくは鳥居を中心として、周囲を囲む様に同様の罠が設置されている筈で、たまたま俺が飛んだ地点が丸太の射出軌道上だった訳だ。一度使った罠と同様のものは二度と使わず、新たな仕掛けを使う。
 それが糸をあっさりと捨てた理由だろう。
 一方のエリカは、俺が決して軽く無い怪我を負った事で心配になったのか、加勢しようと俺の顔を伺う。しかし、俺の眼にまだ戦う意志がある事を感じ、結局は己の気持ちを抑え込んだ様だ。
「……ッ」
 それでも不安なのか、自分を抑えるのに必死で、息を呑む声が僅かに漏れる。そんなエリカの反応を忍者男の眼は捉えていたらしく、僅かな笑みを浮かべていた。
「……動かなくて正解だ。一歩でも動けば、お前の足はちょっと正視出来ない状態になっていた」
 注意して観察すれば、『心眼』で人工物の存在は感知出来るが、やはり戦いの中でそれを意識するようなロジックが俺には無いのが悔やまれる。確かにエリカの一歩先に、何かが埋められているのが感じられる。
 男は懐から、拳大の球体を取り出して前へ突き出す。
「今度はコイツで勝負だ」
 それは、導火線の付いた花火の大玉であった。
 さすがに直撃すればタダでは済まないだろうが、それでも動けなくなる程の代物では無い筈だ。だが、そんなモノを持ち出してくる以上は何かあるのだろう。先程は、こちらが待ちの体勢を取った事が裏目に出た。
「……ならば、今度はこちらから行くまでだ!!」
 鳥居までの距離は、およそ20メートル程。
 俺は10メートルを一気に詰め、そこから転身して鳥居の裏側へと回り込みをかける。忍者男は鳥居の上で巧みに立ち位置を変え、あくまで俺を正面に捉えるだけで何もしようとはしない。
 花火をいつでも投げ付けられるように、両腕を野球のピッチャーの如く振りかぶってはいるのだが、距離が近ければ近い程、避けられにくいとでも思っているのだろうか。
 裏に回った俺は、すぐに反転して少し離れつつ、また裏へと回り込む。だが何を思ったのか、男はこちらを振り向かずに、俺が反転した地点に向かって花火を投げつけたのだった。
「喰らえッ! 投球発破の術!!」
「……?」
 バパン!!
 大きな破裂音と共に、閃光が辺りを照らす。
 気にせずに鳥居との間合いを詰めた俺だったが、次の瞬間にはその場から一歩も動けなくなってしまった。
 ――ごうごうと燃え盛る炎。
 忍者男を見上げれば、何処から取り出したのか、防毒マスクのようなものを顔に装着していた。
 辺り一面を覆う程の炎は、周囲の酸素を急激に奪っていく。地面を見れば、炎が燃え盛る道となってうねうねと鳥居の周囲を埋め尽くしており、あらかじめ仕掛けられた罠によるものだと判る。
 どうやら花火で俺を狙っていた訳では無く、あくまで標的は地面にあったと考えるのが自然だろう。そして、特定の地点から周囲を埋め尽くす様にして何らかの仕掛けが設置されていて、花火によって引火したのだ。
 神であるエリカなら兎も角、普通の人間である俺は、このままでは酸欠になってしまう。それどころか炎によって炙られ、徐々に体力も無くなっていく。どれだけの時間燃えるのかは判らないが、俺の意識が無くなるまでは炎が持続する様に計算されている筈だ。
 こうなってしまっては最早我慢の限界だと考えたのか、エリカが声を荒げて俺を呼んだ。
「レイジさん! 今からこの炎を消し飛ばしますから、じっとしていて!!」
 まともに喋る事すら出来ない俺だったが、だからと言ってここでエリカを消耗させたくは無かった。薄れる意識、しかし肉体とは別に、俯瞰で認識を行う客観的な思考が俺には存在している。初めて伝わった明確な心の声に、エリカは驚きを隠せない。
「――え」
 ミノタウロス戦においても、俺とエリカはテレパシーを行った事があった。
 しかしあの時は、エリカの方からのアプローチであり、俺にはそんな力は無かったのだ。
 今、この瞬間に行われたのはテレパシーでは無い。
『心眼』における思考の共有、すなわち『群』の認識によって、俺の意志でエリカの意志に影響を与える。さらに一段上の『空』の認識、空間の知覚ともなれば、時間の認識すら可能となる。
 時間を認識出来るならば、人の意識の時系列での変遷までも手に取るように判り、思考を繰り返す度に己の思考を介在させ得る。
 つまりエリカはつい先程、一瞬だけ『俺になった』のだ。正確に言うなら、まるで自分が俺になったかの様に、俺という人間になったという実感と共に、俺そのものの考え方で俺の考えていた事と同じ事を考えた。
 俺の気持ちを、100パーセント理解したのだ。
 それはきっと、神であるエリカですら、とても不思議な感覚だった事だろう。俺が酸欠と熱さで苦しんでいる感覚まで判ったのだし、そんな状況下ですら勝機を見出している事についても。そして勝機を抱いている事を理解し、助太刀する必要は無いのだと判って、その場に留まる事に決めたのだ。しかし悦びと同時に、寂しさみたいなものも感じた様だった。
「……全く、あなたって人は。でもさすが、私が見込んだ勇者です。あなたの死すら私が受け止めます――ご自分の力で成し遂げてみせなさい!!」
 珍しく叱咤激励が飛んだ。
 言われなくてもやってやるさ。
 炎の道――それ即ち、御霊の出入り口とも言われる鳥居に続く道と並走しているのだ。肌が炎に炙られ、重度の火傷を負う事も最早関係無い。
 きっと成し遂げた後は、死ぬ一歩手前位にはなっているだろうが。
 炎によって視界が遮られている為に、忍者男は頭上から急降下してくる俺に気付いていなかった。
「……なに?」
 ようやく気付いた時、忍者男は首筋から胴体を突き抜ける衝撃に、意識が飛んだ。独特の歩法で猛然と突進し、炎の道を擦り抜ける様にして燃焼していない空間を辿った俺。鳥居が見えたところで飛び上がり、首筋目掛けて一気に手刀を叩き込んだのだ。
 ドサリと、地面に男が落下した音が耳に届いた。都合の良い事に鳥居の周辺は炎が回っておらず、俺は膝を付いてエリカを見た。
「――後は任せる」
 一言だけそう告げると、俺はようやく意識を手放して地に伏した。


第四話・風神伝承
忍者男
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