Sick City
第四章・共同戦線

「あら〜、賢いワンちゃんねぇ〜。お遣いかなぁ〜?」
「――やれやれ。心配になって来てみたが、余計なお世話だったか」
 それだけ告げて、くるりと背中を向ける。
「あ、ウソウソ。冗談だってば」
 ちょっとしたお茶目なのに、どうも気に入らなかったらしい。
「これだけ甚大な被害を出していながら、そうやって軽口を叩けるというのはどういう神経をしているんだ? それにこのままでは、お前に勝ち目は無いだろう」
 背中を向けたままで厳しい意見を言う。
 こうしている間にも、あの四つの円盤は攻撃を続けていて、ケツアルコアトルはこちらからの攻撃が届かない空域を周回している。
「私の出来る事は目一杯やったんだけど、『経穴』が判らないんじゃどうしようも無いよ。それにあの高さには届かないし」
 シェパードは私の説明を聞いて、顔をこちらに向けた。
「……『経穴』とは何だ?」
「エネルギーの出所って言ったら通じる?」
 その説明だけで何の事か判ったのか、シェパードは身体ごとこちらに向き直って尻尾を振った。
「お前は神の属性に、余り詳しく無いのだな」
「属性ってショタとかロリとか、そういう事?」
 ちょっとしたお茶目のつもりだったのに、シェパードはプイッと横を向いて大きな欠伸をして呆れたような態度を取った。
「何だそれは? そのものの固有の性質という意味だ」
 どうやら馬鹿にされたらしい。
「言葉の意味じゃなくて、神の属性ってどういう事なのか判んないんだってば」
 シェパードはこんな状況にも関わらず、地面に伏せてから説明を始めた。
「まず、神は大まかに三つの世代に別れる。ケツアルコアトルは第二世代の『獣神』の一種だ」
「……『獣神』って何?」
 また判らない言葉が出てきたので問い返すと、シェパードは何だか拗ねた様に両足に顎を乗せて、こちらを上目遣いで見上げた。
「そこから説明しなくてはならないのか。いいか? 『獣神』とは、動物霊を憑依させて神となった者達の総称だ。動物霊はこの地球の集団意識を代行する存在の一つであり、それぞれが『滅殺能力』を保有する。ケツアルコアトルは『白蛇の霊』と『始祖鳥の霊』の二匹の獣と同化した神だ」
 そこまで聞いて、別の疑問が浮かんだ。
「バロールは何だったの?」
「ヤツは第一世代の『巨人族』の一種、『フォモール族』だ。ちなみに北欧神話に登場する巨人族は、フォモール族の事を指している」
 友人の円錐状成層火山女も『巨人族』なのだろうか、とか場違いな考えが脳裏に浮かぶ。また訳の判らない話になってしまったので、慌てて手を振って話を中断する。
「ああ、判んないからやっぱいいや。さっきの話続けて」
「エネルギーの出所だが、ケツアルコアトルの外見を見て何か気付かないか?」
 ヘエヘエと息を吐きながら、謎掛けみたいな事を言う。
「ん〜、蛇も犬も喋る世の中になったのかと」
「茶化すな。ヤツの外見は、同化した動物霊に影響されている。つまり、身体は蛇で、翼は始祖鳥という事だ。その境目である翼の付け根の真ん中に、エネルギーの出所がある」
 今まで散々苦労して探ってきて、それでも判らなかったのに、随分と簡単に結論を言われてしまった。
「翼の根元? それってマジで?」
「嘘だと思うか? しかしこの私自身が『獣神』なのだから、その仕組みはよく知っているのだ」
 これまたびっくり発言だけど、今までの説明からそれなりに納得は出来た。
「まあ何となくそうじゃないかとは思ってたけど……もしかしてシェパードの神様?」
「……何だそれは。この格好はあくまで、人間社会で警戒感を与えないので便利だから取った姿だ。本来はジャッカルなのだが、犬類は交配が可能だからな。別の犬種になるのも容易という訳だ」
 ジャッカルって日本では見慣れない動物だから、聞いただけだと姿形が思い浮かばない。
「まあ何でもいいんだけど。それよりも『経穴』が判れば勝ち目はある。問題は、どうやってアイツの上を取るかって事」
 シェパードの知識によって『経穴』の場所は判明したけど、それだけで勝てる程甘い相手では無い。
 翼の付け根を射るとして、空高く飛ぶ相手の背中側にどうやって矢が届くと言うのか。あちらは円盤による一方的な攻撃が可能だけど、こちらは今の高度を維持されている限り、どうやっても攻撃出来ない。
 よしんば攻撃出来たとしても、ミクロンレベルで『経穴』の位置を特定しなくては一撃で倒せないから、特定する為には何度か試みる必要があるかも知れない。ならばあの円盤をどうにかして排除し、こちらの攻撃の届く距離に誘き寄せるしか無い。
「お前の矢が届かないのが問題な訳だな。まずはヤツの滅殺兵器を破らない事には、こちらへ接近する事は無いだろう」
「それが問題なんだよね〜」
 あの円盤は、さらに円を大きく描いて周回している。
 今はケツアルコアトルから見えない場所に隠れているからいいけど、一度姿を晒そうものなら円盤が一気に襲い掛かってくるだろう。
「しかし電波で熱量を発生させる兵器を破るというのは、なかなか厄介だぞ。電波を吸収するとか、もしくは指向性を何らかの形で発散させるとか、そういった方法で無力化するしか無い」
 シェパードの指摘に、唸るしか無い私。
 電波を吸収するなら巨大な質量を持った無機物、例えば鉛みたいな比重の大きい物質が必要になるし、指向性を発散させるには、電波を発信する円盤の形状を変えなくてはならない。
 この私が巨大な質量を用意するのは不可能だけど、無機物なら白銀がある。
 白銀を大量に用意して、円盤に打ち込んだらどうなるだろう。
 アンテナとしての能力を考えれば、マイクロ波の受信は問題無い。円盤の裏の平面から放射されている状態から、何十本ものアンテナが突き出た状態に変われば、アンテナが電波を発散して指向性を失う。
 でも、上に向けて誘導弾を射る事は出来ないのが問題になる。誘導弾はあくまで地上のアンテナからの誘導によるので、出現ポイントから地上方向にしか直進出来ない。円盤の裏に矢を打ち込むならば、自ずと円盤の下に潜り込まなくてはならない訳で、そうなるとマイクロウェーブをダイレクトに浴びる事になる。
 つまり、矢を打ち込む前に私が消し炭と化す。
「……あのさ、シェパードさんなら円盤の上に飛び乗る事って、出来る?」
 一つ、アイデアが閃いた。
 私だけでは無理なので、協力者が必要だった。シェパードは円盤を眺めて、耳の裏を後ろ足で掻き毟ってから答えた。
「タイミング次第だが、充分に可能だ。……何を考えている?」
「内緒。っつう訳で、この矢を口に銜えてね」
 私はにんまりと笑みを浮かべつつ、背中の『死角』から一本の白銀を取り出した。




 口に矢を銜えたシェパードは私から離れ、円盤の一つを目指して路地を走る。ケツアルコアトルは相変わらず高空を維持しながら周回しており、おそらくは地上を走る犬一匹など気に留めていないのだろう。
 どうも神と言う存在は自惚れが強い連中らしく、小さな事柄を重要視せずに油断する傾向があるような気がする。
 シェパードは円盤が通過すると思われるルート上に存在するビルの中に入り、屋上で待機した。飛び移るタイミングに関しては、犬任せ。
「ん〜、いい子だねシェパードさんは。成功したら後でご褒美をあげちゃおう」
 既にこの時点で、私はすっかりシェパードさんが気に入ってしまっていた。
 ちょっと偉そうな態度だけど、犬に偉そうにされても偉そうに見えないし。
 そういう意味では、人間に警戒感を与えない様にという言い分は成功しているのかも知れない。
 私は来るべき時に備えてリカーブボウを構え、片膝立ちになって自分の周囲に大量の白銀を出現させる。バロール戦の時と同じ、周囲に誰の眼も無ければ、唐突にその地点に『あった』事になる。アスファルトに突き立った状態での出現は、『その時そうあるべき確定結果』だ。
 ――不確定な事象を確定させる。
 それが崎守に与えられた、神代の頃からの掟みたいなものだから。
 待機していたシェパードが助走を付けてから、一気に空中へと躍り出た。
 円盤の上に無事着地。
 その行動を傍観していたケツアルコアトルが、訝しげに声を出す。
「……あの犬は、何をしようとしている」
 円盤の上に乗っかったまま、特に何をする訳でも無い。そんな行動に何の意味があるのかと、真意を計り兼ねているのだ。
 さて、ここからが本番。
 私は片膝立ちのまま天空へ向けてリカーブボウを構え、手近の白銀を手に取って番える。
「――ふッ!!」
 呼気と共に矢を放ち、すぐさま矢を手にし、続けて速射。
 秒間一秒の連続速射。
 同時にシェパードの口に銜えられた矢を認識、座標リンクを実行、ケツアルコアトルから見えない事を利用し、円盤の下部の空間へ次々に矢を出現させる。
 バスバスバスッ!!
 次々と円盤の裏面に白銀が突き刺さり、それぞれがアンテナとなってマイクロウェーブを吸収、発散する。合計47発の白銀が突き刺さった事により、一方向へと放射されていた電磁波は指向性を失い、白銀の一本一本に導かれて拡散されてしまう。
 円盤に突き刺さったアンテナが、シェパードの声を拾う。
「矢と矢が引き合う……崎守空也の技と同じだな」
 ――崎守空也?
 何となく、聞いた事があるような。親戚にそんな人はいないと思うけど、だったらご先祖様とか?
 円盤の一つを無力化出来た事を悟ったらしく、シェパードはジャンプして対面のビルの屋上へと飛び移った。私は特に指示を与えていなかったけど、シェパードは自分の判断で、次の円盤を目指して隣のビルに飛び移って行く。一方のケツアルコアトルは、どういう結果が起こったのか理解出来ていない。
「……何だ? 何かしたのか?」
 ケツアルコアトルの滞空する位置からは円盤の裏側は確認出来ず、円盤自体に流れ込んでいるエネルギー量も変わらないので、47本の白銀による影響はすぐには判らない。
 そうこうしている間にもシェパードが次の円盤に飛び移ったので、再び天に向けて速射開始。
 すぐに三つ目の円盤目指してシェパードがビルの屋上に飛び移り、いくつものビルを経由して次の円盤に飛び乗る。
 三度目の速射で、円盤を無力化する。
 さすがに何かをされていると考えたのか、ケツアルコアトルは疑い始めていた。
「……あの行動が、無意味なものだと判断するのは危険かも知れん。とりあえず、あの犬を振り落とすか」
 その言葉と共に、円盤が上下を反転させた。
「――む!?」
 体勢を維持出来なくなった時点で、シェパードはビルに飛び移って難を逃れる。円盤の裏面が上を向いた事で突き刺さった白銀の存在が晒され、ケツアルコアトルの視線が注目をした。
「あの何処からともなく飛んでくる矢か。そう言えばそこら中に矢を打ち込んでいたな。あの娘、一体何を意図してそんな事をしていたのか」
 三つ目の円盤が無力化したので、シェパードはさらに四つ目の円盤を目指す。だけどケツアルコアトルの言動を聞き、この時点でシェパードが飛び移ってくるのを見過ごす筈は無いと悟る。
「……目障りな犬め」
 ケツアルコアトルは、私の予測を上回る行動に出た。シェパードが目指す四つ目の円盤が、方向を変えてシェパード目掛けて襲い掛かって来る。
「さすが主神、既に悟ったか!!」
 対してシェパードはそれ程危機感を感じていないらしく、むしろ勝負を挑まれた事に軽い悦びを持っているらしい。音速で飛来する円盤に、いくら運動能力の高いシェパードとは言え、対処するのは難しい筈。上空を抑えられた時点で、負けが確定する。
 だけど、それはシェパードにも充分理解出来ている。
 ビルの屋上から対面のビルの、窓ガラスが砕け散った窓の開口部へと身を踊らせる。ビル内部へと潜り込まれ、円盤から放射されるマイクロウェーブはコンクリートに吸収されてしまう。それでも時間が経てば、空気中の水分が熱を持ち、急激な室温上昇を招くだろう。
 その時、ビル内部に膨大なエネルギーが発生した。
 ケツアルコアトルとは別の、新たなるエネルギーの出現。ビルの外壁が爆砕し、巨大な黒い塊が飛び出て、対面のビルの壁面を蹴って中空へと飛び上がる。
 それは――巨大な犬だった。
 体高にして、およそ5メートルを超える程の巨大シェパード。唐突に現れた巨体は空中で錐揉み反転し、上空から円盤に躍り掛かる。それを遥か上空から見ていたケツアルコアトルが、驚きの声を上げる。
「何だとおッ!?」
 シェパードの保有エネルギーはおよそ3500万程度と、ケツアルコアトルに比べれば大幅に下回っている。それでも円盤一つに与えられているエネルギー量が1000万程度なので、理論的に考えればシェパードに分がある。
 ウォオオオオオーン!!
 円盤を上から抑え込み、シェパードが勝ち誇ったかの様な遠吠えを轟かせた。
「シェパードさん偉い!!」
 私は即座にリカーブボウを構え、速射を開始する。
 増大したシェパードの体重を支えるのでやっとの円盤は、動きを止めて辛うじて滞空するに留まっている。
 次々に円盤の裏面に突き刺さった矢の効果により、マイクロウェーブの効力がガクンと落ちる。
 目的を達成した事を悟って、シェパードが隣のビルに降り立つ。
「畜生如きに舐められてたまるか!!」
 蛇に畜生呼ばわりされる謂われなんて無いだろうに、そんな悪態を吐くケツアルコアトル。
 マイクロウェーブが弱体化したとも知らず、先程までシェパードにのし掛かられていた円盤がシェパードの上を取る。だけど巨大化したシェパードの身体は、電波による影響を受けるには時間が掛かる。
 さらに弱体化した放射量では殆ど意味を成さず、シェパードはあっさりと円盤の効果範囲から逃れ、ビルとビルの間を飛び回って行く。それでやっと事の重大さを知ったのか、ケツアルコアトルの声が震えた。
「……そうか、そういう事だったのか! まさかトナティウ・トナラマトル・テトルを無力化するのが目的だったとは。しかし、たかが矢如きで破られるとは……。ただの矢では無い、という事か?」
 全ての円盤の力を封じられ、ケツアルコアトルがシェパードに接近する。
 お互いの声が届く距離で、双方睨み合う。
 シェパードは巨大な口から舌をべろんと出し、矢を吐き出してから声を出す。
「お前の滅殺兵器は破られたぞ」
 シェパードの挑発に、ケツアルコアトルは無感情な声で応じる。
「犬の外見という事は、貴様は『山犬の霊』か? もしくは『草原狼の霊』『草原犬の霊』、いずれにせよ、獣神の一柱か。どの地域の神かは判らんが、何が目的だ」
 円盤の脅威が無くなった事により、私はケツアルコアトル目指して移動を始めていた。
 その間に、二体の神がお互いに牽制し合う。
「既に死を迎え、それでもなお『仮面の神』に利用されるとは哀れみすら感じる。死を司る者として、連中の思惑を見過ごす事は堪え難い」
 シェパードの言葉に引っ掛かりを覚えたのか、ケツアルコアトルは何かを悟った様子だった。
「死を司る犬神――そうか。貴様があの『アヌビス』か」
 アヌビス。
 その名は、世界の神話に疎い私でも知っている。
 確か古代エジプトの、死を司る神。
 犬の頭部を持った神として、古代エジプトの遺跡に遺された壁画に描かれている。そういえばアヌビスの元になったのは、死体を食い荒らすジャッカルであると言われている。
 本人も言っていた。自分はジャッカルの霊を憑依させている、と。
 だけどどうしてシェパードの外見なのか、確かエジプトの神話ではアヌビスは犬の頭に人間の身体だった筈。
「我が力は死を嗅ぎ分け、死者を弔うものだ。死してなお利用される主神よ。ここで自然に還るがいい」
 ビルの屋上で姿勢を低く取り、膨大なエネルギーを発して臨戦態勢を取るアヌビス。対するケツアルコアトルは滅殺兵器を破られたにも関わらず、自信に満ちた尊大な態度を崩さない。
「よかろうアヌビス。ここで我らが争うのも『仮面の神』の用意した舞台なのかも知れん――主神の力、とくと味わうが良い!!」
 そう告げると虹色の翼を大きく拡げ、一気に急上昇する。
 私はケツアルコアトルの急降下が始まる前に、アヌビスが立っているビルの対面に位置するビルの屋上に駆け上がっていた。高度5000メートル近くで一旦滞空したケツアルコアトルの声を、アンテナが拾う。
「滅殺兵器を破ったからと安心するのはまだ早い……獲物を追うハンター『始祖鳥の霊』の滅殺能力、そして確実に獲物を仕留める『白蛇の霊』の滅殺能力――最早、貴様に逃げ場は無い!!」
 次の瞬間、ケツアルコアトルが一気に急降下体勢に入る。私は向かいのビルに立つアヌビスに向かって、大声を張り上げる。
「気を付けて! あいつは滅殺能力を使うつもりなんだよ!!」
 だけどアヌビスは何ら反応を返さず、ただじっとしているだけだ。おそらくはアヌビスにも判っているのだろう。二匹の動物霊を憑依させたケツアルコアトルには、まだ二つの滅殺能力があるのだと。
 だとすればアヌビスにも最低一つ、滅殺能力がある筈。互いの滅殺能力が激突したらどうなるのか、全く予想出来ない。
「空から襲い掛かってくる凶暴な猛禽に対し、地上の獣は無力に等しい。私が奴の動きを止める。最後はお前が決着を付けろ」
「――って、ちょっと! シェパードさんも滅殺能力で対抗してよ!!」
 まるで責任を最後までこちらに押し付けるかのような言い分に、私は悲鳴を上げた。そこへ、天空から飛来するケツアルコアトルの滅殺能力が発動する。
「これぞ『始祖鳥の霊』の滅殺能力――受けてみよ! ラピットザルリィ・ナラコトナ!!」
 突然、私の『心眼』の認識に、『ズレ』が生じる。
「……これは!?」
 それは、空間の断裂だった。
 具体的に言えば、ケツアルコアトルを座標軸の中心とし、その中心から空間が歪曲を始め、縦方向にいくつもの空間断裂が発生した。
 空間断裂とは『歪み』が増大した結果、まるで餅の様に空間が捩じ切れる現象だ。ブチッと切れた空間は元に戻ろうとした瞬間、物質の構成を破壊する。
 急降下してくるケツアルコアトルの周囲に何十もの空間断裂が発生し、ビルやアスファルトを破壊していく。まるで不可視のボーリング掘削機が突然現れて回転したかの様に、縦軸のスピンドルが次々と構造物を捩じ切る。
「うわっ、と!」
 見えないスピンドルの発生を『心眼』で察知し、私はビルの屋上で逃げ回る。スピンドルの太さは20センチ程度のものだけど、当れば人間の身体なんてミキサーに掛けられた果物の様に、目茶目茶になってしまうだろう。
「やってくれる!!」
 スピンドルの出現地点はケツアルコアトルの周囲15メートル、アヌビスは15メートル近い巨体が邪魔になって避ける事が出来ない。
 何せアヌビスの真上からケツアルコアトルが襲いかかって来る訳で、空間断裂は丁度アヌビスを取り囲む様な形で発生しているのだ。ケツアルコアトルの意図する所は、空間断裂によってアヌビスの逃げ道を塞ぐ事なのか。
 例えるなら、『空間の檻』みたいなものだ。
「我が牙を受けるがいい! ――イズタック・コアトル・イズタクトリ!!」
 空より音速で飛来するケツアルコアトルが、巨大な顎門を以て襲い掛かる。
 周囲は空間断裂によって包囲され、頭上からは巨大な牙。そして同時に、空間断裂のスピンドルによって、とうとうアヌビスの立つビルが倒壊を始めた。
「シェパードさん!!」
 ビルの倒壊によって沈みゆくアヌビスに、ケツアルコアトルが激突した。
 二体の獣の姿はビルの内側へと消え、姿が確認出来ない。『心眼』によって判る事は、アヌビスとケツアルコアトルが互いに噛み付き合った状態でいる事だけだった。
 だけど次に起こった事に、私はただただ驚くしか他に無かった。
 アヌビスに膨大なエネルギーが集束したかと思った瞬間、周囲のビルまで倒壊したその一帯に、突如として何かが形を成そうとしている。次々とビル群が倒壊していく中、まるで地中から立ち上るかの如く、巨大な物体が姿を現した。
「――アレ、何?」
 それは、巨大な天秤だった。
 直径にしておよそ10メートル、高さにしておよそ150メートルはあろうかという巨大な支柱。支柱の上部より左右に突き出た、天秤棒の突端から吊り下がる、巨大な皿。直径30メートルもある左右の皿に、アヌビスとケツアルコアトルがそれぞれ乗っかっていた。
 空間断裂は掻き消され、己の牙による攻撃さえ無効化されたケツアルコアトルが、呆然と呟く。
「……我が力を全て無力化しただと!? 一体何なのだ、これは!!」
 それに対し、皿の上で伏せた状態のアヌビスが答える。
「これぞ我が滅殺兵器、天秤メカアト。全ての始まりは全てが中庸であり、天秤は始めにバランスを保つ。裁定神ウシルによって死者の魂を量る為に用いられたが、本来の使い方は裁定者による裁きに用いる事。つまり、裁定の目的は問われない」
 何を言っているのかさっぱりだったけど、こんなものが滅殺兵器なのか。ケツアルコアトルも同じ疑問に至ったらしく、アヌビスの真意を問い始める。
「これが滅殺兵器だと? こんなものでどうやって敵を滅ぼすのだ。我が力を無効化した事はたいしたものだが、天秤など武器とは呼べないでは無いか」
 だけどアヌビスは全く動じず、マイペースに説明を続ける。
「言ったではないか。裁定の目的は問われないと。武器とする場合、私が裁定者となり、片方に何も乗せずに片方に敵を乗せる。しかしメカアトはバランスを保つ。支柱を通し、天秤が吊り合うまで敵のエネルギーを大地へ還すのだ」
 その説明に、ケツアルコアトルが疑問を投げ返す。
「では何故、お前が天秤皿に乗っている? 裁定者による裁きが無くては発動しないのでは無いか?」
 言われてみれば確かにおかしい。
 皿に乗っていると言う事は量りに掛けられる側になっている訳で、攻撃に使う事が出来ないのでは無いかと思う。
「メカアトを出現させたのはあくまで、お前の攻撃を無力化する為のみだ。私が裁定者ではあのまま滅殺能力の餌食になっていたからな。そしてメカアトを所有する私は、裁定者を選ぶ事が出来る。かつてはウシルを裁定者としてきたが、裁定には人間を選ぶ事も可能だ」
「……何だと?」
 アヌビスは立ち上がって皿の端まで歩き、遥か下のビルに立つ私を見る。
「裁定者よ、死せる神に裁きを」
「……へ?」
 いきなり、私の身体が浮き上がった。
 これは多分、念動力とか言われる超能力だ。念によってエネルギーを集め、意志の力で物体に慣性を与える。
「わわわ、ちょっと!?」
 空中に浮き上がった私の身体はぐんぐんと上昇し、天秤の支柱の最上部に降ろされた。
「裁定って言われても、どうすればいいのか判んないよ!?」
 悲鳴を上げる私を、下からアヌビスが見上げる。
「何も悩む事は無い。お前のやり方でいい」
 私のやり方って言われると、単に弓で矢を射るだけなんだけど。
「そんな事言われても、飛ばれたらまた振り出しに戻っちゃうだけじゃないの」
「安心しろ。一度メカアトの上に乗った以上、皿の外へは出られない。我らが神域『ベンベン』による制約は、例え主神であろうと、容易に破れるものでは無い」
 まるで理解の出来ない説明をされ、とてもじゃないけど納得なんて出来ない。それでも今がケツアルコアトルを倒すチャンスならば、そんな事を気にしていてもしょうがない。
「判った。何だか釈然としないけど、やってやろうじゃないの!」
 私は支柱の上端から5メートル下の天秤棒に飛び降り、ケツアルコアトルを乗せた皿を吊るしている方向へと走る。天秤棒の上を100メートル走ると突端に突き当たり、そこから60メートル下に吊り下げられた皿の上にいるケツアルコアトル目掛けて弓を構える。
「……随分と侮られたものだ。主神とは何を以て主神とされるのか、お前達は理解出来ていないらしい」
 突如、ケツアルコアトルに膨大なエネルギーが集まる。それを見ていた対岸のアヌビスが、驚きに眼を見開く。
「メカアトを破るつもりか!」
 私はすぐに矢を背中から引き出し、ケツアルコアトルの翼の付け根の中心に狙いを付ける。
「その前に倒す!!」
 ケツアルコアトルの姿が一瞬ブレたかと思うと、皿の上に紫電が奔る。
「おおおおおおおおッ!!」
 大地に激震が奔り、矢を放たんとしていた私はバランスを崩し、危うく天秤棒から落ちそうになった。体勢を維持出来ず、矢を射るのを諦めて天秤棒の上で身体のバランスを何とか保つ。
「今度は一体何だってのよ!!」
 そこで、アヌビスの声が辺りに響き渡る。
「――何と無茶苦茶な事を」
 下で一体何が起こっているのか。
『心眼』で判るのは、ケツアルコアトルの保有するエネルギーが一億から五千万へと半減している事だった。そして、もう一つの五千万のエネルギーを保有する存在。
「……うそ」
 呆然と呟く私の立つ位置から50メートル先に、虹色の翼を拡げた『始祖鳥』が滞空していた。全高5メートル程、両翼を拡げた全幅は15メートル程度。太古の昔、ジュラ紀に生きていたとされる、恐竜から鳥類へと進化する過程に当たる、原始生物。
 何でこんな化け物が、目の前にいるのか。
 下を覗くと巨大な白い蛇が、皿を吊り下げているケーブルの一本に噛み付いていて、バチバチと火花を散らしている。
 アヌビスの声が聞こえる。
「まさか分離するとは。これではメカアトの制約が働かない」
 目の前の始祖鳥が口を開くと、嘴(くちばし)にズラッと鋭い歯が生えているのが見える。
「――メカアト、破れたり」
 そこでやっと理解が追い付いた。
 要するに、ケツアルコアトルは『始祖鳥の霊』と『白蛇の霊』の二体に分離したのだ。まずはメカアトに噛み付いてイズタック何たらとか言う滅殺能力を発揮、メカアトの力を削ぐ。それから二体に分離し、始祖鳥が飛び上がって私を始末しようとしているのだ。
「さあ、まずはお前からだ! ――ラピットザルリィ・ナラコトナ!!」
 始祖鳥が身体をくるりと回転させ、己の周囲に空間断裂を生み出して突進を開始する。先程とは違って、横方向へと出現する不可視のスピンドル。
 唐突に発生した空間断裂に周囲を囲まれ、逃げ場を失う。足場となる天秤棒に、いくつか穴が開いた。このまま激突された場合、中空に弾き飛ばされた私の身体は、始祖鳥の周りの空間断裂に巻き込まれてぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
 ならば、ここで打てる手段はたった一つ。
 天秤棒の上で片膝立ちの姿勢を取り、リカーブボウを水平に構え、右手の白銀を人差し指と中指の間で挟み込む。顎下に引き付けた右の掌を外へと返し、全身のバネを溜める。
「――見切った!!」
 連続ダッチロールで飛来する始祖鳥が、目前に迫る。
 二体に分離した今、『経穴』の位置はケツアルコアトルの時とは違って丸判りだ。ケツアルコアトルのステルス能力は、あくまで分離する前の能力なのだろう。
『始祖鳥の霊』の象徴とも言えるその翼を結ぶ大胸筋のさらに中心、胸元の中央に膨大なエネルギーが集束している。
 巨大な嘴を大きく開き、回転したまま迫り来る相手の『経穴』を貫くのは至難の技。回転速度と突進速度、それに私の突撃速度から、どのタイミングで飛び込めばいいのかを即座に計算。
 僅か三秒という間合いにおいて、絶妙のタイミングを期して一気に飛び上がった。
 空間断裂現象は始祖鳥の周囲を円形に囲んでおり、大きな翼を拡げているので身体の上下に空間がある。回転する身体の上か下に潜り込めれば、その隙間においては少なくとも空間断裂に巻き込まれる事は無い。その代わり、回転する翼に巻き込まれて弾き飛ばされるだろうけど。
 中空へと躍る私の身体。
 巨大な嘴をギリギリで躱して始祖鳥の上に舞い上がり、私の目の前で胸元が上を向く。
「そこッ!!」
 右の手に握り込まれた白銀が、狙い違わず胸の中心を穿つ。
 これぞ天仰理念流近接射術・貫き推衝。
「むぎゃっ!?」
 回転中の一点を貫くという離れ業を成功させたのも束の間、回転する翼に巻き込まれ、私は横方向へと吹っ飛ばされてしまう。
 不可視のスピンドルに巻き込まれるかと思った、その刹那。
「ギャアアアアアアアアアッ!!」
 絶叫を上げ、始祖鳥がバタバタと足掻くような動きをしながら地表へと落下していく。『経穴』を貫かれ、エネルギーの中枢を破壊され、全ての力が霧散していく。それによって空間断裂も消滅し、私は間一髪、巻き込まれずに済んだ。始祖鳥は消滅したけど、私の身体も地表へと落下していく。
 ――ああ、死ぬかも。
 それでも、ケツアルコアトルは倒す。
 逆さまに落下しながらも弓を構え、空へ向けて矢を放つ。虚空へ放った矢は目標物に当たる事無く、端から見れば無意味な行動にしか見えない。
 ケーブルに噛み付いていた白蛇は半身を倒された事で冷静さを失い、落下する私と目が合った瞬間、私はニヤリと不敵な笑みで挑発してみせた。さらに矢を放って無手となった、右手の中指を突き立てて挑発。ついでに、あっかんべー。
 白蛇は私の挑発に自尊心を刺激され、思惑通りにこちらへ飛び掛かってきた。
「ウガアアアアアアアア! 許さんぞ貴様アッ!!」
 躍り掛かる白蛇に向けて、二本目の矢を放つ。『心眼』によって白蛇の『経穴』が口の中、喉にあると判った。しかし蛇は柔軟な身体をくねらせ、難なく矢を躱してしまう。
「うははははッ! 我が痛みを思い知れいッ! イズタック・コアトル・イズタクトリ!!」
 勝利を確信した白蛇が大口を開け、私に噛み付かんと迫ってくる。
「……もうすぐ死ぬって時に何だけど、油断大敵ってヤツ?」
 私がボソッと呟いた瞬間。
「――ガッ!?」
 白蛇の口の中に、一本の矢が吸い込まれるように飛び込んだ。何が起きたのか理解出来ないのか、白蛇は眼を大きく見開いていた。
 これが誘導弾のさらなる進化、時間差誘導弾。
 先だって虚空へと放った矢は『死角』において運動エネルギーの一時停止状態となり、白蛇に躱された矢をアンテナとして誘導、私の身体の裏を『死角』とし、スカートに隠れた空間から再び現世へと出現させたのだ。おかげでスカートの股下に穴が開いちゃったけど、これで勝てたんだから良しと考えよう。
 もうすぐ地面に激突する。
 死を覚悟して眼を瞑り、最後の瞬間を待つ。だけど何やらエネルギーの波が私の全身を捉え、落下速度が急激に落ちる。ハッとして眼を開け、ゆっくりと地面に降り立った事実にアヌビスを見上げる。
「バロールの時といい、随分と際どい戦いをしているな」
 皿の上からこちらを覗き込んだアヌビスが、到って冷静にそんな事を口にする。どうやら、あの念動力で私は助けられたらしい。
「また助けられちゃった。サンクス」
 遅れて墜落したケツアルコアトルは、私のすぐ目の前に落ちていた。喉の『経穴』を貫かれた白蛇はエネルギーが霧散していく中、最後に搾り出すような声で私に語りかけてくる。
「……見事だ。運命に弄ばれたとは言え、お前には謝ると同時に感謝しよう。これでもう、人を殺さずに済む。――私は、運命に抗う事が出来たと思うか?」
 滅びの瞬間を間近に迎えたお互いの立場がそうさせるのか、私も何とも言えない感慨を抱いて頷きを返す。
「出来たんだと思うよ。少なくとも、私はそう思うから」
「……感謝する」
 ケツアルコアトルは最後に人間の姿、あのメソアメリカ系の若者へと変貌した。
「……母なる星よ。許されるなら、再び人間として生を受ける事を望みたい。どうか――」
 何者かに強制された戦いを終え、ケツアルコアトルは跡形も無く消滅した。


第八話・怪鳥強襲
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