Sick City
第三章・対空戦術

 巨大な蛇の出現は、周囲で逃げ惑っていた人々にさらなる混乱を与えた。それでも理性的な大人は、目の前の非現実的な光景を安易に受け入れる事は無く、自分の身の安全を優先した行動を取ろうという冷静な判断をする。
 異常な事態だろうが、刺激的な光景は若者の興味を釘付けにした。それはまさに平和ボケの大人による、無自覚の教育の賜物と言ったところだろうけど、我が身に迫る命の危険すらゲーム的な感覚でしか受け止められず、まるで制作サイドの主観が邪魔臭いテレビの報道番組でも観ているかのような、感受性を放棄した受け止め方しか出来ない現在の若者達の現状が垣間見える。
「……おう、今駅前にいるんだけどよ。すげえぞ! 蛇だよ。巨大な蛇! いいから見に来いって!!」
「爆発してて凄いんだけどさぁ〜。大きな蛇がいきなり出てさぁ〜」
 無自覚な若者達の声が聞こえる。中には、ケータイのカメラで写真を撮っている者もいる。群れ集う若者達の後ろから、二人の警察官が緊迫した声を上げて躍り出てきた。
「危険だから早く避難しなさい!!」
「え〜、こちら鎌鍬104、駅前にて巨大な蛇を目撃。爆発事故との因果関係は不明。状況は危険だと思われます。至急応援を要請します」
 どうやら、面倒な事になってきたようだ。
 ケツアルコアトルが、鎌首を野次馬へと向ける。
「……何時の世も、民というのは指導する者如何だな。これを見るに、相応の処罰を与えるべきであろうな」
 それは一体、どういう意味なのか。
 ケツアルコアトルの喉元が、大きく膨らむ。
 暴力的なエネルギーが、体内で集束しているのが判る。
 私は不吉な兆候に、絶叫を上げた。
「――みんな逃げて!!」
 ズドン!!
 ケツアルコアトルの巨大な顎門から高熱の炎の塊が放出され、若者達の集まる地点で爆発をした。若者達も二人の警察官も、悲鳴を上げる暇すら無く消し炭と化した。目の前の惨劇を、蒼ざめた顔で見ていた鳴神が叫ぶ。
「何という事を! 彼らを殺す必要なんて無い筈だ!!」
 鳴神にしてみれば依頼内容は私の殺害だけであり、無用な殺生は容認出来ないだろう。これもまた、律義な性格を反映していた。叶さんもまた、震えながらも毅然とした声を搾り出した。
「……無関係な人達を巻き込んでまで、炙り出そうと言う訳!? それが神と崇められた者のする事なの!?」
 だけど蛇の顔は、目に判る表情の変化を何一つ感じさせたりはしない。ケツアルコアトルはしゅうしゅうと不快な吐息を吐きながら、侮蔑の言葉を吐き出す。
「人間などいくらでも増える。我が本気なのだとこれで理解出来ただろう。人知れず暗躍するなど回りくどい方法に頼らず、無差別な破壊で揺さぶりを掛ける方が効果的だという事だ」
 そこに悪意めいた感情は、何も無い。
 ただ純然たる効率のみが、ケツアルコアトルの判断基準なのだ。これ以上の殺戮を止めるには、率先してこの異形と戦い、被害を最小に抑えなくてはならないと実感した。
 左腕と左足の甲の骨に入ったヒビは痛いし、今では腫れ上がっている程なんだけど、私は自らの意志によって脳内麻薬の過剰分泌を引き起していた。それが出来るなら最初からやればいいのだろうけど、叶さんの術の効果を再現しただけなので、それ以前は出来なかった事だ。
「……巫女を誘き寄せるなら、私を殺すだけで用は足りる。私はお前に、挑戦する」
 神だと言うならば、人如きに挑戦されるなど屈辱的な筈だ。言葉だけでどれだけ挑発出来るかは判らないけど、今やれる事を真剣に考えた結果だ。果たしてケツアルコアトルがどう考えたかにせよ、結論はすぐに出た。
「……小賢しいが、その誘いが我に不利益となる事は無い。良かろう娘よ。神の威力をとくと知れ」
 巨大な虹色の翼を拡げ、突風が巻き起こる。
 その巨体に見合わず、俊敏な動作で一気に空中へと飛び上がった。
「どうするの、御空ちゃん!?」
 敵が空中にいては手出しが出来ないと考えたのか、叶さんが切迫した声で尋ねてくる。アーチャーである私なら空中の敵にも攻撃は出来るけど、鳥を相手にするのと神を相手にするのとでは大違いだ。
「攻撃は私がやるから、叶さんはバックアップをお願い。巻き込まれそうな人がいたら、逃がしてあげて」
 役割分担としては、それがベストだろう。
 もしかしたら呪術で空中の敵を攻撃出来るのかも知れないけど、叶さんの身体能力はあくまでスポーツが得意な女性の範囲なので、音速で飛行するジェット戦闘機みたいな化け物を相手にするのは無謀だと思うのだ。
 蛇の身体はまさに流線型であり、飛行物体として理に適った形態だと考えられる。あれの相手をするなら最低条件として、私や零ちゃん、ナイフ使いのメイド女、それに鳴神くらいの運動能力が必須になる。
「判ったわ。それと、そこの探偵ボクサーはどうする?」
 探偵ボクサーという表現にちょっとウケてしまった私は、鳴神の張り詰めた顔を見て思わずクスッと笑ってしまった。
「……こんな状況なのに、緊張感の無い女だ」
「ああ、ごめんなさい。それよりも、自分の身は自分で守れるよね」
「当たり前だ。俺はとっとと逃げるさ」
 そう告げて、鳴神は左足を引き摺って立ち去った。夜空を見上げると、ケツアルコアトルの姿が見えない。
『心眼』ではケツアルコアトルのエネルギーを確認出来るので、単純に不可視の状態になっているらしい。おそらくは光の屈折率を変える事によって、自分の姿を隠す事が出来るのだろう。私は視覚に頼らず行動出来るけど、これでは叶さんには、ケツアルコアトルの攻撃に対処するのは難しいだろう。
 突如、爆音を伴ってケツアルコアトルが、高高度より垂直降下を開始。
「叶さん! 来る!!」
 私は叶さんに害が及ばないように、一気に走り出す。狙いは私の筈だから、ソニックブームの範囲から叶さんを引き離す必要があるのだ。
 ケツアルコアトルはこちらの誘いに乗って、進路を私へと変える。叶さんも私の意図を察したのか、私とは逆方向へと走っていった。
 さて、ソニックブームの範囲から私自身はどうやって身を守ったらいいのだろうか。よく漫画やアニメなどで、ソニックブームは一瞬だけ発生しているような表現があったりする。だけど現実には、音速で飛行している限りは常に発生しているものなのだ。
 音速の壁は、攻撃であると同時に防御でもある。
 あれだけの速度で擦違うだけで、私の身体は衝撃波によって吹き飛ばされてしまう。全身を粉々にするような破壊力により、私は受け身も取れずに壁やアスファルトに叩き付けられて即死。
 そんなところがせいぜいだろう。
 縦方向へ飛ばされるなら、それでも何とか体勢を立て直す事も可能かも知れないけど、横方向へと飛ばされたらおそらくは何も出来ないで死ぬ。
 まともな戦い方では、決して勝てない相手だと判断した。まずは逃げる、それが最優先になる。アーチャーである私は、せいぜい姑息な戦い方をさせて貰おう。
 マッハ3の突撃は、あっという暇も無く、地表すれすれまで到達してしまう。私は爆風を避ける為、ギリギリの判断でビルとビルの狭間に逃げ込んだ。
 ズドン!!
 地表に激突する寸前で、ケツアルコアトルは蛇の柔軟性を以て身体を引き起した。急激な方向転換は、鳥であるなら通常は不可能な挙動の筈だけど、全身を自在に曲げる事の出来る蛇の肉体によって、捻り方向の慣性力を使って虹色の翼をロールさせ、一気に地表から舞い上がる事を可能にするのだ。
 地表とケツアルコアトルの巨体にサンドイッチされた空気圧により、周囲に衝撃波が発生する。道路脇に路駐していた、何台かの乗用車やトラックが吹き飛び、周辺のビルの窓ガラスが割れる音がした。びりびりとビルの壁面が振動し、いくつかの建物の壁面に亀裂が奔った。
「きゃあッ!?」
 何とか裏路地に逃げ込んだものの、強烈な爆風はあっさりと私の身体を吹き飛ばした。それでも当初の計算通り、私の右手はビルの壁面から向き出しになっていたパイプを引っ掴んだ。
 これでは、反撃どころでは無い。
 それに矢を射るとしても、爆風によってケツアルコアトルに到達する以前に届かない方が可能性としては大きい。
 逃げながら、何とか戦術を錬る必要がある。
 ケツアルコアトルは再度、高高度まで上昇をしてる最中だ。再び転身して地表に到達するまでの猶予は、およそ30秒程度だろうか。
 私は路地裏を直進して、次の通りに出て周囲を確認する。そこは先程の駅前とは違って、まだ数人の一般人が呑気にコンビニ前でたむろしていた。私と同年代の男の子達で、私が弓を持っているから注目されてしまった。
 ここは駄目だ。
 こんなところで、ケツアルコアトルのソニックブームを待ち受ける訳にはいかない。
 私は通りを一気に駆け抜ける。
 もしこちらから攻撃を仕掛けるとして、真正面からでは空気の壁に阻まれてしまう。私の矢が届くとすれば、それはケツアルコアトルの背後からしか無い。
 だけどそんな事が可能なんだろうか?
 普通なら絶対無理。
 どうやったらそんな事が可能になるのか、今は考えが纏まらない。
 充分に男の子達から離れたところで、ケツアルコアトルの再突撃が始まる。
 移動したところで簡単に追尾されてしまうので、私は一旦停止して息を整える。振り返るとコンビニ前の男の子達はまだ私を見ていて、げらげらと笑い合っている。
「見ろよ〜。あいつ、弓持って走ってるぜぇ〜」
「ん〜? 何だありゃ? テレビとか映画とかの撮影じゃねえの?」
「でも、顔はかなりイケてんじゃね? っつーか、何だかムラムラしてきた」
「お前はイイ女見る度にソレだな。そこのオネエチャ〜ン! どうしたら、お相手して、く〜れま〜すか〜?」
「ギャッハ〜ッ! ボク、ハズカチ〜」
「うははははは!!」
 こんな状況なのにあんな風に笑ってるなんて、次の瞬間になったらどんな顔になるのか。
 爆音が上空から迫り、大気がびりびりと震える。それで何かが起こっていると少しは考えたのか、男の子達は空を見上げた。
「ん〜? なんか、耳がキ〜ンってしねえ?」
「そういや、さっきから空から音がすんな」
「お前、アレだよ。こういう時は、空から女が落ちてくるってのがお約束だろ」
「なにその萌えアニメ。っつーかこの人数じゃ、まるでロシアンルーレットだな」
 残念、落ちてくるのは可愛い女の子じゃなくて、空飛ぶ蛇の化け物なんですよ。
『心眼』で空気の渦の接近を感知し、ぎりぎりのタイミングを測る。
 私の頬に冷汗が伝う。
「――今だッ!!」
 絶好のタイミングを期して、私は跳び上がった。
 不可視のケツアルコアトルが、地表ギリギリで反転する。
 膨大な風圧によって私の身体は簡単に吹っ飛ばされるけど、錐揉み回転によって慣性を回転力に還元、ビルの三階辺りの壁面に両足を接地し、膝を曲げて充分に威力を殺してからケツアルコアトルの上に舞い上がった。
 その時、コンビニ前の男の子達は増大したソニックブームの余波に巻き込まれ、路上を転げ回っていた。
「うぎゃッ!?」
「痛い痛い痛い!!」
「死ぬ死ぬ死ぬ! マジ死ぬ!!」
「骨ッ! 骨ッ! 骨ッ! 折れたッ! 折れたッ! 折れたッ!」
「足ッ! 俺の足ッ!? 出てるっ、骨出てるっ!?」
 死ぬ事は無さそうだったけど、あれでは身体中が打ち身だらけになってしまうだろう。何人かは、腕の骨とか足の骨とか折れてしまったみたいだけど。
 事前に忠告くらいはしてあげた方が良かったのかも知れないけど、危機感の欠如した人に何を言ったところで、寝耳に水ってのが関の山。
 反転したケツアルコアトルの視線が、頭上の私を捉えた。急制動の為に上空ではソニックブームの余波は無く、私は咄嗟の判断で背中の『死角』から白銀を取り出す。
 逆さの姿勢で弓に番え、引き絞る。
 これぞ天仰理念流近接射術・弓蜻蛉。
 鳴神に用いた『二双弓蜻蛉』の基本形である。
 ――一撃で決める。
『点殺の術理』を行うには、まず相手の力の源である『経穴』に狙いを定める。『心眼』のエネルギー感知によって、エネルギーの集中する『経穴』を探査。だけどどうした事か、ケツアルコアトルに限っては『経穴』どころか、エネルギーの通り道である『経絡』すら感知出来ない。『心眼』で感知出来るのは、蛇の外皮の表面温度が250℃近くに上昇しているという事実だけ。
 これでは、一撃で勝負を決めるのは難しい。
 バロールは力の源となっていたのは左の義眼だった事を考えると、神と人間ではエネルギーの運用に違いがあって当然なのだろう。
 一瞬の迷いが、致命的な隙を生んだ。
「甘いわッ!!」
 相手の経穴が判らず、一か八かと蛇の眉間を狙って放った一撃に反応し、ケツアルコアトルは身体を回転させた。反転して蛇の尻尾を振るい、風圧が矢を弾き飛ばした。さらに私の身体が、風圧によって横方向へと飛ばされる。
 くるくると回転して、対面のビルの窓に飛び込む形になった。
 どうやらソニックブームによって窓ガラスが割れてしまい、そのおかげで傷一つ無くビル内部へと侵入を果たした。
 外ではケツアルコアトルが、ビルの目の前で静止している。あの巨体ではビルの中には入ってこれないだろうけど、それならビルごと攻撃をしそうな気配だ。
 それならいち早く、ビルの中を移動する必要がある。だけど普通に下から出るのでは、今までと同じ展開にしかならない。ここはケツアルコアトルを撹乱する意味においても、屋上へと出るのが得策では無いか。
 その時、『心眼』による感知でケツアルコアトルが炎を吐き出そうとしている事を知った。
「やばっ」
 私はビルの奥へと駆け出す。
 ズドン!!
 外からの炎の攻撃により、ビルの壁面が吹き飛ばされる。背後で起こった爆発は、コンクリート片を伴って私の背中を押した。
 一気に階段へと駆け込み、脇目も振らずに駆け登る。五階から侵入して三階分を駆け上がり、八階まで到達。なかなか私が出て来ない事に痺れを切らしたのか、ケツアルコアトルが再び炎を吐き出した。
 再び爆発。
 しかしこれで終わらず、さらに爆撃を続けていく。連続する爆発に、ビル全体が揺さぶられる。このままでは、いずれ倒壊してしまうだろう。
 私は屋上に出て、周囲を素早く確認する。『心眼』による周辺捜索によって、駅前周辺の地形を把握する。だけど圧倒的に不利な状況を覆す為には、それだけでは足らない。
 全ての情報を、把握出来る状態にしなくては。
 右隣のビルはこちらより二階分だけ背が高く、窓から侵入出来そうだった。
 こちらのビルはもうすぐ倒壊しそうだったので、私は右隣のビルに侵入。そしてすぐに階段を見つけ、屋上まで駆け登った。屋上に出ると白銀を取り出し、周囲のビルに一本一本打ち込んでいく。駅前周辺を私の感知で支配下に置く為に、そこら中に白銀を打ち込んでアンテナ代わりにするのだ。
 一本は受信アンテナ、もう一本は送信アンテナ。
 そして『鳴弦』によるもう一つの利用法である音紋索敵をすれば、各所に配置したアンテナによって、さらに深い感知が可能になる。
 空を飛ぶ敵を相手にするならば、せめて地上はこちらで常に把握しておきたい。
「そこにいたか!!」
 隣のビルを崩壊させたケツアルコアトルが、こちらの私を見上げた。
 20メートルの巨体を持つケツアルコアトルからすれば、八階のビルなんてそんなに大きいとは映らない。こちらのビルは25メートル程度の高さしか無いので、少し飛び上がれば私の頭上を抑えるのは難しく無い。
 駅周辺のビルは高くてもせいぜいこの程度なので、ビルの屋上にいるからといって、別段こちらの有利に働く訳では無さそうだった。
 上昇して上空に滞空したケツアルコアトルが、私目掛けて炎を吐き出す。私は屋上を駆けて、一気に隣のビルへと飛び移った。
 ズドン!!
 私のいたビルの屋上が、紅蓮の炎に包まれる。
 再び向かい側のビルに白銀を打ち込んだ私の行動に、ケツアルコアトルは疑いの目を向ける。
「……何をしている?」
「ビル……ビルは嫌い! 大金持ちだから!!」
 別に悟られても構わないのだけど、どうせだったら少しくらいはヤキモキさせてやる。ケツアルコアトルは私の言葉の脈絡の無さに思考を幻惑され、しばらく攻撃の手を休めて、こちらを伺うような形になった。
「ビル、ビルと言えばマイ・ワイフ! そんなに奥さんおっかないんですか、ビル〜っ!!」
 次に飛び移ったビルは三階分低かったけど、上手い具合に着地して再び向かいのビルや地面に矢を打ち込む。隣のビルはまた八階のビルなので、普通に飛び上がっただけでは移動出来ない。壁面に白銀を何本か打ち込んで楔代わりにし、それを足場にして飛び上がった。
「……そういう事か」
 どうやら矢を足場代わりにしているのを見て、勘違いをしたようだ。
 私は内心で、密かにほくそ笑んだ。
 屋上に飛び上がろうとしたところで、ケツアルコアトルが狙い澄ましたかのように炎を吐き出した。
「うわっ!?」
 運が良かったのか悪かったのか、私は屋上へ上がる前に反応出来た。だけど後方へと逃れた為に、ビルとビルの狭間を落下していく事になり、私はビルの壁面を何度も蹴って、地上に降りる事を余儀なくされた。
「ビルとビルの間……何だか二人のムサいアメリカ人に、サンドイッチされてる気分。ガクブル。」
 ゴミだらけの路地裏には、先客がいた。
「ひいッ!?」
 大きな紙袋を両手に持ち、皺だらけの服を着た、薄汚れた感じのおじさんだ。どうやらゴミを漁っていたらしく、その為にゴミが散乱していたらしい。
 頭上ではケツアルコアトルが旋回しており、このホームレスらしきおじさんを巻き込み兼ねない。
「おじさん、ここは危ないから逃げた方がいいよ」
「な、何だって?」
 どうも状況が判っていないらしく、私の言葉の意味が理解出来ないらしい。
「さっきから、そこら中で爆発が起きてて死人も出てる。火事場泥棒って訳じゃないだろうけど、今日食べるものを探すよりも、自分の命の方を優先した方がいいよ」
 理解出来るかどうかは判らないけど、一応念を押す。
 相変わらずきょとんとした格好のおじさんだったけど、急に激しい反応を返してきた。
「お、俺の事を馬鹿にしてんのか! 仕事も家も無いし、税金だって払って無いさ! お嬢ちゃんみたいな若い娘と違って、夢も希望も無いんだ!! とにかく飯を喰わなきゃ、明日には死ぬかも知れない境遇なんだよ!!」
 私の言葉が、おじさんの心の内にある何らかの思いを刺激してしまったのだろうか。さっさとこの場から離れた方がいいんだろうけど、おじさんをこのまま放置する訳にもいかない。
「この街は、今すごく危険なんだよ。おじさんがどうしようと勝手だけど、今死ぬよりも、明日死ぬ方がまだマシでしょう? 明日が来るなら、今日と違う事が出来るかも知れないよね」
 するとおじさんは通りを覗いてみたり、空を仰いでみたりして、それから怯えた様な顔をして声を搾り出した。
「あ、明日死ぬなら、今日死んだって同じだ!!」
 どうやら開き直ってしまったみたい。
 少なくとも危険な状況だと理解はしたみたいだけど、自分の今を悲観している人に何を言っても無駄なのかも知れない。
 それでも、私は言葉を続ける。
「今日は街をうろついて、危険と鉢合わせになった。そして今日を生き延びても、明日も街をうろついて、食べるモノが見付からないかも知れない。だったら、そんな優しく無い都会になんて、いない方がいいんだよ」
 昔の日本ならいざ知らず、現代の日本では、人々は優しく無い。誰もが欲を剥き出しにする事を肯定し、他者の欲に無関心を気取る事で、幼い自己を防御する。
 でも誰でも心を傾ければ、きっと何か社会に貢献するんだと思う。それがホームレスの人だとしても、いつか立ち直って、自分を見捨てなかった人に対して何かを返そうと思うんじゃないかな。
 だから昔ながらの『優しい日本人』でしかいられない人は、幼い大人が醜く遊ぶだけの為にしか存在し得ない『病んだ街』であり続ける『都会』になんて、何も期待しない方がいい。『優しい日本人』は気持ちが優し過ぎる為、笑顔で近寄る悪意に騙されやすい。
 それでも昔は国に宗教があって、社会に『恥』という規範があった。それが無くなった今の社会において、優しい人を騙しても恥だと思わなくなってしまった。
 そう言った恥知らずな人間が増えた原因は、太平洋戦争でアメリカに負けた事と、そこに付け込んでいる特定のアジア人と、それと連動する団塊世代の左翼主義者による古き良き日本社会の破壊が、それなりに成功をした為だ。
 堕落した社会に『優しい日本人』は生きられないって事を、もっと今の日本人は知るべきだ。『誇り』を失った社会は、緩やかに没落するのだと、どうして判らないのだろう。
 私の言葉に唖然とし、何か喋ろうと四苦八苦するおじさんに、さらに話をする。
「おじさんみたいな人達は、優し過ぎるんだよ。だから今の社会から脱落『させられてしまう』。同じ様に優しい人に何かをして貰って、初めてやる気が出るんだもんね。だから、優しい人がまだ沢山いる場所を、おじさんは探した方がいいと思うよ」
 そこでやっと、おじさんは何かに思い至ったかの様に、声を上げた。
「……そんな所が、まだあると思うのかい?」
 きっと今まで、そういう居場所を探し続けていた時期もあった筈だ。でも都会に拘り続ける限り、そんな居場所は易々とは見付からない。
「とりあえず、お年寄りがいっぱい住んでる田舎がいいんじゃないかな。農業でも手伝ってあげれば、きっと居場所を作って貰えるんじゃないかな。でも昔の人は偏見も結構持ってるから、黙ってたらダメなんだよ? いっぱいコミュニケーション取る努力をして、何で自分がホームレスなのか、ちゃんと理解して貰わないと受け入れて貰えない」
 それは口で言うには簡単だけど、実際には難しい事かも知れない。けど『優しい日本人』はただ口下手なだけで、時間は掛かっても、その気持ちの優しさはきっと伝わる。それが伝わる人種は『都会』の幼い大人達にはいないけど、『田舎』に住んでるお年寄りになら、伝わる可能性はまだある。
「明日死ぬかも知れないなら、明日はいつもと違った事をしなくちゃ何も変わらないと思うんだ。だから、おじさんは明日になったら街を離れた方がきっと、今より希望がある」
 そこまで言ったところで、上空のケツアルコアトルが地表に向けて火球を放った。
 ズドン!!
「ひいッ!?」
 辺りを揺るがす轟音に、おじさんが怯えた悲鳴を上げる。
「どうやら痺れを切らしたみたい。あっちの相手があるから、私はもう行くね。おじさん、さよなら。元気出せよ!」
「あっ! お嬢ちゃん!?」
 私はおじさんの反応を待たず、路地裏から一気に表通りへと駆け出す。再び通りに出ると、向かいのビルに向けて素早く矢を放ってアンテナを設置。上空ではケツアルコアトルが私を見つけたらしく、炎を吐く前兆行動に入る。
 ズドン!!
 駆け出した私の背後で爆発が起き、危うく吹き飛ばされそうになった。
 いくら私の足が速いとは言え、空を音速で飛行するケツアルコアトルにとってはノロマな亀みたいなものだ。
 その圧倒的な不利を補う為には広い通りを真っ直ぐに走るのでは無く、ビルとビルの間の小さな隙間や建物の中に入ったりして、出来るだけ複雑なルートを通るように工夫しなくてはならない。それだけでは疲れてしまうので、頑丈そうな建物の中に入っては隠れて息を整えたりする。
「……どうやら今日は、ビルとビルに好かれる日みたいだ。お前らなんて大嫌いだ!」
 そうやって移動しては隠れるといった事をしながらも、なるべく等間隔に矢を打ち込んでアンテナを立てる。
 叶さんはどうしただろうと『心眼』で探ると、どうやらあのコンビニ前の男の子達を避難させている最中らしい。
「ん?」
『心眼』による探知で偶然に、ここから200メートル程離れたビルの屋上に、逃げた筈の蓮見がいるのを発見した。
 あのビルは確か、美容整形外科だった筈。どうやらカメラを構え、姿を現したケツアルコアトルを激写しているようだ。
「……あの莫迦」
 ケツアルコアトルから離れた場所で撮影しているとは言え、危険な事に変わりはない。一方のケツアルコアトルは私の姿を見失った為か、そこら中に無差別爆撃を始めている。
 どうせ自分の姿を晒した上で被害を大きくすれば、私が痺れを切らせて姿を見せると思ってるんだろう。アンテナを立て終わるまではなるべく発見されたくは無いけど、蓮見を放っておく訳にもいかない。だけど私が蓮見のいるビルの屋上に行けば、二人一緒のところを発見されてしまうかも知れない。
 ここは叶さんに、蓮見の元へと駆け付けて貰う方がいい。
 私はケツアルコアトルに見つからないようにビルの裏口から外に出て、迂回するような形で先程のコンビニ前まで移動する。近寄ってきたのが私だと気付いた叶さんが、安堵の表情を浮かべる。
「無事で良かった、御空ちゃん」
「いや〜、あいつメッチャ強いっす」
 私のあっけらかんとした態度に余裕を見て取ったのか、叶さんは苦笑いをした。
「それだけ元気なら大丈夫そうね。私もあいつの相手は勘弁」
 自分ではどうにもならないと知っているなら、おそらくはうまく逃げ回ってくれるだろう。
「それよりさ、あの美容整形外科の屋上に蓮見のヤツがいるんだよ。悪いんだけど、取っ捉まえて逃がしてやってくれる?」
 それを聞いて叶さんは呆れたような、それでいて困ったような笑い顔をする。
「好奇心なのかな? それにしても、こんな状況なのに度胸があるわね〜」
「度胸って言うか、ただの莫迦って言うか。兎に角お願い」
「はいはい」
 私と叶さんは再び別れ、遠くで起こる爆発が地面を震わせた。
 矢を打ち込んで、アンテナを立てつつ移動。
 既に街中からは殆どの人間が姿を消しており、時折見掛けるのは警察官と消防のレスキュー隊員くらいなものだった。それでも治まりを見せない爆発に、しばらくは様子を見ようと指示が降りたらしく、彼らも退避しつつあった。
 街が無人となれば、こちらもやりやすくなる。
 だけど空を見れば、時々私を見付ける為にケツアルコアトルが滞空しているのが普通の人でも確認出来る訳で、もしかしたら自衛隊でも呼んだのかも知れない。
 もしそうだとして、通常兵器でどれだけ効果があるのか疑問だ。
 音速を誇るケツアルコアトルを打ち落とせる陸上兵器を、こんな街中で配備出来るのかとも思うし、もし可能だとしても、地対空ミサイルなんてものは撃墜されるのがオチだろう。
 一番効果があるのは空自のイーグルだろうけど、それだって最高速度で劣る上に火力も決定的に足らない訳で、殆ど通用しないだろう。
 戦術核でもあればそれなりのダメージを与える事が出来るかも知れないけど、自衛隊は核兵器なんて持っていない筈。
 こんな仮定をしても意味は無いのだけど、現代兵器の前にお払い箱になった弓という前時代的な武器一つで戦う私にすれば、あらゆる武器による戦法、戦術を理解するのは自分の戦い方を作り上げる上で助けになると思う。
 まず考えなくてはならないのは、音速で飛ぶケツアルコアトルの外皮は、少なくともジェット戦闘機の外装と同等か、それ以上の硬さを持っているだろうという事だ。
 現代兵器と神を比べても安易に比較など出来ないのかも知れないけど、音速で飛んでる最中のケツアルコアトルに人間の腕力で矢を射ったところで、ソニックブームの前に弾き飛ばされてしまうだろう。
 緩い速度で飛行している状態であれば突き刺さるだろうけど、そう簡単に速度を落とすとは思えない。
「……う〜ん、今のままじゃ勝てないな」
 出来れば真後ろから、なるべく直角に近い角度で当るようにしなくてはならない。先程の戦闘でやったように、地表すれすれで急上昇に移行する瞬間を狙って、ケツアルコアトルの背後を取るべきか。
 だけど、その方法は破られたばかりだ。
 叶さんの『影封じ』で動きを止められればいいのだろうけど、防御も回避も叶さんには難しいだろうから、その方法は使えない。
 となると、後は不意打ちを狙うしか無い。
 まずは当初の予定通り、アンテナ設置を完了させる。戦闘シミュレーションを組立てながらも街中を縦横無尽に駆け回り、ケツアルコアトルに発見されないようにしながら矢を打ち込んでいく。
 美容整形外科の屋上にいた蓮見の元に叶さんが到着し、蓮見を引っ張ってその場から離れていくのが確認出来た。
「そろそろ戦闘再開といきますか」
 私は弦の上に指を奔らせ、『鳴弦』を行う。
 可聴領域を超えた高周波振動は各所のアンテナに反響し、増幅されて駅前一帯の構成情報を探査する。全ての情報を受け取った脳がそのままではバラバラの情報を統合し、脳内に街の全景イメージを構築。
 ――ミクロからマクロへ、マクロからミクロへ。
 これでこの一帯の、全ての情報を手に入れた。その情報を元に、絶好の不意打ちポイントを絞り込んでいく。
 ケツアルコアトルから姿を隠しつつ移動し、弓の射程範囲内に捉え、あくまで気付かれる事無く射る。もし失敗をしても、やはり気付かれる事無く退避出来、次の狙撃ポイントへと隠れながら移動出来る。
 まずは近くの狙撃ポイントを目指す。
 屋上に大きな立て看板が設置されているビルがあり、そこからケツアルコアトルが旋回している空域まで360メートル程ある。
 風によって威力は落ちるだろうけど、タイミングさえ間違わなければ矢を当てるのは充分に可能な距離だ。
 今までの隠密行動でこちらに気付いた節は無いので、おそらくは聴力はあまり発達していないと推測する。
 蛇と言う生物は通常、視力と聴覚は発達していなくて嗅覚が優れているらしいけど、高高度から地上の人間に狙いを定める事が出来るのだから猛禽類並みに視力が発達しているのかも知れない。しかし、だからと言ってさすがに360度全周を見渡せる訳ではない。
 無事にビルの屋上まで上がると立て看板の裏、支柱から横に渡された鉄の骨組みに足を掛けてよじ登る。
 夜空を背にして旋回を続けるケツアルコアトルが地表に向けて炎を吐き出し、爆音と共に炎が巻き上がった。
 弓を構え、矢を番える。
 周回するケツアルコアトルの飛翔速度はかなり抑え目で、どうやら私が痺れを切らして出てくるのを待ち構えている様子だ。あのスピードなら背を見せた時に射れば、確実に当てる事が出来る。
 だけどケツアルコアトルの『経穴』が何処に存在するのか判らないので、一撃で致命傷を与えるのは難しいかも知れない。それでも方法が他に無い以上、まずはこちらの攻撃を当てる事だけに集中する。
 弓を引き絞り、弦が極限まで張力を得る。タイミングは完璧、吸気から下腹に力を溜める。ケツアルコアトルが周回し、こちらに背が向けられようとする一瞬。
「――ふッ!」
 呼気と共に矢を放つ。
 僅かに放物線を描き、空を矢が駆ける。
 素早く背に右手を回し、『死角』より第二の矢を引き出す。再び弓構え、矢を番えて僅かの間で吸気しつつ弦を引き絞る。
 ――速射、速射、速射。
 一射目がケツアルコアトルの尻尾に命中するまでに、続けて三射、合計四射を立て続けに放った。
 ギシャアアアア!!
 蛇の身体を覆う硬い鱗を突き破り、四本の矢が縦に並ぶ形に突き刺さった。
 慌ててこちらを振り返るケツアルコアトル。だけどその動きを察知していた私は、即座に立て看板から飛び降り、背を低くして階段に逃げ込んでいた。
 音速の速さでこちらへ飛来してくるケツアルコアトル。
 私は階段を駆け降りて、次の狙撃ポイントを目指す。
 次は駅のホームの屋根の上だ。但し、そこまでは500メートルは距離がある上に、屋根へと出られるメンテナンス用のハッチに鍵が掛かっている。屋根に飛び移る事はさほど難しい事では無いけど、その間に見つかってしまう可能性がある。
 普通に今まで通りの行動をしても、成功率は低いと判った。ならば新たな手段を講じなくては、お話にならない。そこで、今までと違う状況が発生している事に気付く。
 今まで、私は探知精度を上げる為に矢をアンテナ代わりに設置してきた。
 今までは撃ち終わった矢は認識を切る事によって、誰も認識をしていない状態になると現世から消え失せていた。
 だけどアンテナの役割を与えている今に限り、全ての矢を認識し続ける状態を維持している。脳に掛かる負担は大きいけど、バロール戦で同時に450本の矢を引き出す事が出来たので、まだまだ余裕はある。
 先程、ケツアルコアトルに突き刺さった四本の矢も、未だに突き刺さったまま。つまり、ケツアルコアトルの身体には、私のアンテナが立っている状態なのだ。これは発信機を仕掛けているのと同じようなもので、これを利用出来ないかと考えた。
「ん〜……あ、発信機か」
 ――そうだ。
 テレビで見た事があるのだけど、確かアメリカ軍がイラク攻撃をした際に、地上にあらかじめ潜入させた兵士がレーザー発信機を持って、地上へミサイルを誘導するって戦術を使ったらしい。
 それは大きなヒントになった。
「よし、やってみよう」
 私は早速、誰もいない裏路地から空へ向けて矢を放った。
 誰も見ていない空。
 目を閉じ、認識力に全てを集中する。
 現世に留まる矢は合計371本。
 その内の一本、空へと放ったばかりの矢から、認識を僅かに逸らす。矢は現世での存在情報が曖昧になり、実体が消え失せる。だけど『死角』においては未だに存在を保ち続け、無窮の空にて一直線に飛び続けている。
 これは空間情報のみを曖昧にし、他の情報に関しては殆ど保ったままにしたからだ。
 続けてケツアルコアトルの位置を探り、突き刺さったままの四本の矢の中の一本を選ぶ。その一本も認識を僅かに逸らし、存在を希薄化させた。こちらは空間情報だけを確定したまま、他の情報を薄めてやる。
 さて、これからが本番。
 存在定義が曖昧になった、異なる場所に存在する二つの矢。
 この二つの曖昧となった情報をリンクさせ、誘導弾とする。
 そしてケツアルコアトルに刺さった矢に導かれ、虚空の彼方から、新たな矢が飛来する。
 突き刺さったままの矢は、ケツアルコアトルが痛みによって意識をしているから消える事は出来ないものの、与えた役割をしっかりと果たした。
 この試みの欠点はプロセスを完了させても、その時にその場所目掛けて矢が飛ぶというだけであり、移動中であれば狙いに誤差が生じる事だ。
 何処にヒットするのか、どの程度ズレが生じるかはあくまで予測するしか無い。『心眼』でだいたい10センチ程左にずれると感知したけど、その時には既に、ケツアルコアトルの脇腹に突き刺さっていた。
 ギャシャアアアアアア!!
 突然、何処からか飛来した矢に腹を穿たれ、夜空に絶叫が木霊する。私の立つ路地裏とは反対方向であったので、ケツアルコアトルは慌ててそちらへと飛んで行った。
「……グッジョブ、私」
 こちらから離れて行くのを確認し、してやったりと笑みを浮かべてみせた。
 だけど当初の予定とは違い、ケツアルコアトルとの距離が大きく開いてしまった。この狙撃ポイントで迎え撃つにあたり、当初の予定では立て看板のビルまで500メートルの上空でケツアルコアトルが滞空しているとの筋書きを描いていた。
 それが、1000メートルも離れてしまったのだ。
 一応はギリギリ矢の届く距離だけど、旋回しているケツアルコアトルに命中させる事は不可能だ。動かない標的なら問題は無いけど、動く標的に当る距離では無い。
 しかも運の悪い事に、今現在ケツアルコアトルが旋回している辺りは狙撃に最適な場所が無い。
 誘き寄せるなら相応のリスクを背負う事になるし、ケツアルコアトルがあの近辺での捜索を諦めて、他の場所に移動するまで待つと言うのでは他者の介入を誘発し兼ねないし、そうなれば犠牲者はさらに増える。ならば徹底的に不意打ちに徹し、なおかつ迅速に行動しなくてはならない。
「……やっぱり、誘導弾を多用するしか無いかな」
 相手にこちらの居場所を特定させず、距離に関係無く一方的に攻撃する。
 幸いにも各所に多数のアンテナを立てており、ケツアルコアトルの旋回している空間の下にも五本のアンテナが立っている。
 別に一撃で倒す事を目的にしている訳では無いので、最低ラインとして、何処にいようとも危険なのだと教訓を与える事。
 警告では無く、教訓と考えるのはケツアルコアトルがあまりにも無用な殺生をしているからで、最優先で私を殺さなくてはならないと、少しでも危険を感じてもらわないとならないからだ。
 それにその方が、余計な時間を省ける。
 今度は先程よりも、高度な技にチャレンジしようと思う。
 アンテナには受信アンテナと送信アンテナの二種類があり、私はそれぞれが隣り合うように気を付けて配置をした。
 中枢となるのは私の『心眼』、データリンクは『鳴弦』。これによって互いにネットワークを結び、空間に奔るあらゆる波長を網羅している。
 先程試した方法はレーザー誘導ミサイルを参考にしたけど、今回はDSP(早期警戒衛星)の衛星電波を利用するMDS(ミサイル防衛システム)を参考にしてみようと思う。とは言っても衛星電波の代わりに、地上レーダーを駆使しなくてはならないのだけど。
 女の子のくせにミサイルだのレーダーだのといった事を知ってるのはおかしいかも知れないけど、弓道なんてものを習わされた為なのか、やけにそう言った知識に興味を覚えるのだ。何というか、生まれた時から将来の自分が知っておくべき事が判ると言えばいいのか。
 まず、全てのアンテナを駆使してレーダー範囲内の全座標を計測。ミクロンレベルで横座標のX軸と縦座標のY軸、奥行きのZ軸を規定する。
 これにて私の地上レーダー網は完成。
 ビルとビルの間の狭い空間に潜伏したままの状態で、頭上に向けて矢を放つ。――さらに速射、速射、速射、速射。
 合計五本の矢が闇夜を飛ぶ。
 即座に矢の構成情報を希薄化して『死角』へと送り、ケツアルコアトル近傍の五本のアンテナと空間情報のリンクを行う。
 次いで、矢の出現位置の選択。
 ケツアルコアトルの周囲の『死角』より、取り囲むような形で斜め上空に出現させた。
 ギシャアアアアアアアアアアアアッ!!
 いきなり上空の全方位から矢が飛来して、ケツアルコアトルの胴体部に五本の矢が突き刺さった。
 激痛と動揺が、叫び声となって表れる。
「――いける!」
 この攻撃は有効だと、自信を深める。今までは私の方が一方的に攻撃されていたけど、今度はこちらの番だ。
 私は次々と矢を取り出しては、次々と空へと放つ。
 ケツアルコアトルは私の位置を知ろうと、必死になってあちこちへと身体の向きを変える。
 その度に違う空間に生まれる『死角』から、唐突に矢が飛んでくる。何十本もの矢を全身に浴び、混乱状態のケツアルコアトルが地上のあちこちを爆撃する。
 これだけ距離が離れている状態、わざわざこちらが移動する必要など無いので、その場に留まったままで次々と空へ矢を放つ。怒り狂ったケツアルコアトルは何を思ったのか、いきなり空高く上昇を始める。
「……あちゃ〜、いきなり欠点見つかったか」
 実は誘導弾には、致命的な欠点がある。
 それは地上レーダー網の有効範囲の中にしか、矢の出現ポイントを定められないというもの。
 ケツアルコアトルの身体に突き刺さった矢を利用すればいいと思うかも知れないけど、私の弓の射程距離内でしか矢を出現させられない。
 だけど空高い位置に滞空したケツアルコアトルにしても、吐き出した炎が地上に着弾するまで時間が掛かるのだからお互い様と言える。
 レーダー網の外へと出ても私本来の『心眼』自体は5kmくらいまでの範囲があるから感知は出来るけど、レーダー網を使う方が、情報を瞬時に理解して判断に繋げるのがより速くて楽なのだ。
 地上レーダー網のカバーする高度は、およそ3000メートル程度。
 こちらからは手も足も出ないという状況で、地上から4000メートル程の高度を維持したままのケツアルコアトルに、膨大なエネルギーが集束されていくのを感知した。
 何をやろうと言うのか、私は何とも言えない不安感を抱く。
 ケツアルコアトルに突き刺さった矢がアンテナとなり、ケツアルコアトルの発した言葉を拾った。
「……バロールを倒したのは伊達では無いと言う事か。ならばこちらも『滅殺兵器』を使うべきだろうな」
 ――滅殺兵器。
 その言葉は、確かバロールの口から聞いた覚えがあった。
 あの一睨みで対象を即死させる義眼の事だったと思うけど、ケツアルコアトルにもああいった力があるって事なのだろうか。
 突如としてケツアルコアトルの周りに、光り輝く四つの円盤が出現した。大きさはそれぞれ10メートルはあり、まるでUFOの様に見える。
「……この星に生まれた数多の神々の中で、我らの特殊性は他に類を見ないものだ。何せ我らだけが、外宇宙の星の神によって導かれた者だからだ」
 ケツアルコアトルはどういった意図で、そんな話をしているのだろう。そもそも周りに誰もいない空の上で、本人は独り言でもしているつもりなのか。それとも、私の不思議な力を思う存分に味わって、聞かれている事を悟っているのだろうか。
「彼らはこの地球に訪れる運命を予言した。今までに四度文明が滅び、今は五度目の文明の最中である。そして全ての文明の崩壊に、彼らが関わっているのだ。これからお前を滅ぼす力は、その一端であると知れ」
 ケツアルコアトルの独白は、私にはまるで理解の出来ない内容だった。それにこんな話を、私に聞かせる意味なんてあるのだろうか。
「我らを導いた存在を仮に『仮面の神』と呼んだ。彼は何者にでもなる事が可能であり、各地に裏切りの神を仕立てた。この星は内部から切り崩されて敗北した。しかし古き環太平洋の主神が、己を犠牲に彼らを追い払ったのだ」
 私は話を聞きながらも、例の『虫の報せ』によって一つの仮定を閃いた。
 もしかしたら、このケツアルコアトルという神は、自分の意志とは違う思惑によって強制的に戦いに駆り立てられているのでは無いか。本来の私にはメソアメリカの神話の知識なんて無い筈だったのに、『虫の報せ』はケツアルコアトルという神についての一般的な知識を私に与えた。
 ケツアルコアトルはインディオの伝承によれば、『白き神』という二つ名を持つ善なる神である。彼は戦神テスカポリトカが人間達に要求した人身御供に反対し、生け贄の風習を改めさせたという。人間達はケツアルコアトルに感謝し、善なる神として絶大な信仰を集めた。しかし、それによって戦神テスカポリトカは怒り狂い、人間達に命じてケツアルコアトルを追放させた。
「……我ら『死せる神』は『器の神』によって喰われ、『仮面の神』の命じるままに、現世に甦った。彼ら星の神々の力は宇宙の概念すら支配する。人が認識する限り、我らは彼らの意志には逆らえんのだ」
 さらに続けられるケツアルコアトルの独白により、私は事の真相に思い至る。『死角』を認識する私――つまり、通常は誰も認識していない状態であるならば、ケツアルコアトルを支配する意志は及ばず、こうして本人の意思による行動を取る事が可能だという事だろう。
「誰にも聞かれていない現状において、こうして支配に逆らう事が出来る。全く以て忌忌しい事よ。それでも、我は貴様を滅ぼさなくてはならん」
 四つの円盤が高速回転を始め、ケツアルコアトルから離れていく。大気が震え、きゅるきゅると不快な音が辺りに響き渡る。
「――トナティウ・トナラマトル・テトル!!」
 ブゥン!!
 円盤の下部から放たれた、強烈なマイクロウェーブ。
 その周波数は、3テラヘルツに届きそうな程の膨大なエネルギーを発している。電波振動による水分子の沸騰により、全ての有機物は熱を持ち、瞬時に燃え尽きる。
 街路樹や小さな虫が、次々に消滅していく。但し、水分の無い物体は影響を受けないので、ビルなどの構造物はそのままだ。
「うは〜っ、一般人の避難が完了してなかったら大量虐殺になってたところだよ」
 それだけでは無い。
 円盤から放射されるマイクロウェーブは単純な電波では無く、航空管制レーダーと同じ様に、デジタル情報が含まれている。私にはその内容は判らないけど、情報に規則性が認められたから、何か暗号化された高度なプログラミング言語のようなものだという事は判る。
「……単に破壊兵器としてだけだったら、どうして情報なんて含ませる必要があるんだろ? 何か意味があるのかな」
『滅殺兵器』という言葉が気になる。
 バロールの魔眼の効力を考えると、ただ威力が高いという事では無さそうだ。確かにバロールの力は凄かったけど、大量破壊兵器という印象では無かった。敵一体を必ず殺す――そういう性質のものだったと思う。
 それなら、どうして情報が必要なのか。単に人間を殺すだけなら、そんな事をする必要は無い。
「あ、神を殺すのに必要なのかも」
 やっと理解出来た。
 膨大なエネルギーを持つ神という存在は、エネルギーそのものの情報がその正体だ。神格と呼ばれる構成情報を消去する為のプログラム――それが『滅殺兵器』の本当の効果なのだろう。
 四つの円盤は、それぞれ別方向へとゆっくり進む。
 こちらからは距離が離れているから切迫した状況では無いけれど、やがてはこちらにも飛んでくる筈。
 ケツアルコアトルを中心として四つの円盤が周回し、円を描き終わると10メートル分だけ円を大きくして再び周回。これは円盤の大きさが10メートルなので、照射されるマイクロウェーブの効果範囲も直径10メートルだからだ。
 こちらに接近してくる間に誘導弾による攻撃をし続けるしか無いのだろうけど、『経穴』をピンポイントで貫かない限り、ケツアルコアトルに蓄積するダメージは微々たるものにしかならない。もし円盤に接近され、マイクロウェーブを回避しながら誘導弾で攻撃をするとして、どちらが不利となるか。
 答えは簡単。
 こちらが一方的に攻撃出来る現状から、双方が攻撃出来る状態になるのだから、私に取っては不利となる。
 一撃で死ぬ私と、一撃で死なないケツアルコアトル。
 双方五分に渡り合う状況は、実際には私が圧倒的に不利である。
 こうなってくると、何が何でも『経穴』が何処にあるのか知らなくてはならない。
 ここまでの戦闘で、いくら何でもおかしいと疑問を持つに至っていた。
『経穴』とは人間においては『経絡』と呼ばれるエネルギーの流れる経路が集中するポイントであり、『経穴』を破壊する事によって、エネルギーの流れが阻害されて生体活動に支障を来す。
 エネルギー生命体である神においては、現世に構築された肉体は仮初めの姿であり、エネルギーそのものが無くならない限り、死ぬ事は無い。
 高次元から送られてくるエネルギーが発生するポイントが『経穴』であり、そこを貫く事で、エネルギーに含まれる情報の『核』を破壊する。
 疑問なのはエネルギーを保有する限り、『経絡』と『経穴』が感知出来る筈であり、それが感知出来ない筈が無いからだ。
 膨大なエネルギーが集まってくるのは判るものの、ケツアルコアトルの肉体に流れ込み、体内へと入った段階で判らなくなる。
 例えば、蛇という動物は変温動物であり、周囲の気温によって体温も変動し、気温と体温が同じである事により、熱感知センサーに引っ掛かりにくい。
 もしかすると、周囲に溢れるエネルギーを感知してしまう為に、ケツアルコアトル本体の『経穴』が判別付きにくいのでは無いか。
 蛇であるメリット。
 アンテナとなる矢が突き刺さっている状態にも関わらず、『経穴』が感知出来ないのである訳だから、かなり厄介なステルス能力を持っていると言える。
 それに『経穴』が判ったとしても、動いてる標的に誘導弾でピンポイント攻撃する事は出来ない。あくまで動かない対象ならば可能だけど、『経穴』を貫くなら接近する必要がある。
 ――どうする?
 勝てる気がしない。
「……攻撃が止んだな。逃げたか?」
 アンテナが、ケツアルコアトルの声を拾う。
 逃げる?
 それも選択肢の一つかも知れないけど、私が逃げた場合、被害がさらに拡大してしまう。
「……逃げる訳無いでしょ!!」
 ――そんな時だった。
 アンテナのレーダー網によって、あのシェパードが走り回っているのを感知したのは。
 レーダー網の外から侵入してきたシェパードは、何かを探してるらしく、時々立ち止まって辺りを確認している。おそらく、発達した嗅覚を用いて何かの匂いを嗅いでいるのではないか。
 そうだとすれば、私を探しているのかも知れない。何せこの周辺一帯において、動いている生き物と言ったら私とケツアルコアトルしかいない。ケツアルコアトルは空高く飛んでるから対象外だし、地面に鼻面突き付けて臭いを追跡する様な相手となると、私しかいない。
 どうやら当たりだった様で、新しい臭いを嗅ぎ分けてこちらへと接近してくる。ビルとビルの狭間でウンウンと悩んでいたところに、シェパードが姿を現した。


第八話・怪鳥強襲
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