Sick City

第二章・傭兵志願

 メルトランデ大公国の首都、城塞都市キバナは二重の城壁によって囲まれた城を中心として発展した都市であった。都市の外周は三つ目の城壁で完全に守られ、街道に設けられた城門は関所の代わりとなっていた。
「キバナの門番って言ったら、がめつい事で有名なんだ。特に俺らみたいなよそ者は、絶対にタダじゃ通しちゃくれねえんだ」
 城門から少し離れた街道の上でメシェイラから説明される。城門は開け放たれてはいるものの、その道沿いには何人もの門番が常に見張っている。道行く者は常に呼び止められ、必ず身分を示す物や通行を許可する手形などを確認していた。現在は何台かの荷馬車を検閲しているらしく、幾らか時間が掛かりそうだった。
「ここを通りたかったら、何かあいつらを満足させる賄賂を用意しなくちゃなんねえ。俺達は当然、そんなもんは持ってねえ」
 メシェイラの言葉にトニーとバリーも頷く。それを聞いてレミュエールがフードを被ったままの顔を曇らせる。
「私達もお金なんて持ってない。食べ物も残り少ないし、あげられる物なんて何も無いわ」
 命からがら逃げ延びたエルフ達と盗賊家業の子供達では、金目の物など持っている筈も無かった。レイジとしては別にここで入れなくても一人でなら侵入する自信があったが、やはり情報収集をするならメシェイラ達は必要であると考えていた。メシェイラの主張でトニーとバリーが、エルフ側はレミュエールのみが同行し、他の者達は砦跡で待機する事になった。
 人の波を見ていると、城門前で並んでいる集団がいる事に気付く。
「あいつらは何で並んでいるんだ」
「ああ? ありゃあきっと傭兵だな。何か定期的にリュカリオン領で小競り合いがあるんだよ。それでじゃねえかな」
 レイジの疑問にメシェイラがそう答えるが、彼女もあまり詳しい事は知らないようだった。
「あれに紛れて中に入れないか?」
「……お前、ほんとに言う事がぶっ飛んでんな。あれで入れる連中は傭兵として登録されるんだ。中に入れても戦わされるんだから、実質損するだけじゃねえかよ」
「しかし他に方法があるとも思えないし、そもそも喰っていく為には、何か仕事をしないとならないだろう。短期的には傭兵というのは一つの手ではある」
 レイジの主張にメシェイラは心底嫌そうな顔をする。確かに何か仕事は必要ではあるが、だからと言っていきなり傭兵になるのは抵抗があった。リュカリオンの戦災孤児であるメシェイラ達は、特に戦争に対する拒否感は人一倍大きいのだった。
「戦うなんて勘弁願いたいぜ。大体、俺達みたいなチンピラはまともな訓練なんて受けてねえんだ。武器もロクなもん持ってねえしよ」
「戦い方くらいは俺が教える。武器は自力で作るしか無いだろう。それに小競り合いなんだから、相手もそんなに多くないんだろう。無理だと思ったら逃げればいいんだし、難しく考えなくてもいいんじゃないか」
 レイジの言い分にトニーとバリーが顔を見合わせる。
「言われてみりゃ、確かにそうだな」
「とりあえず腹いっぱいメシが喰えれば、オラはそれでええだよ」
 連れの二人がそんな楽観的な事を言うので、メシェイラは慌てて声を荒げる。
「バカかお前ら!傭兵登録なんてされたら、死ぬまで戦わされるんだぞ!!」
 その過剰とも言える反応に、トニーが苦笑いを浮かべる。
「無理なら逃げればいいってアイツも言ってるじゃないか。それに俺達もそろそろ成人の仲間入りだし、どっちにしろ何かの仕事に就かなきゃならない頃合いなんだ。キバナに入れさえすれば、チャンスはいくらでも転がってるんだ。この際、傭兵登録も仕方ないんじゃないか?」
「……ちっ!そうまで言うなら勝手にしろ。俺は傭兵なんて早々に辞めて、他の仕事見付けるからな!」
 トニーの説得に渋々といった体で了承するメシェイラ。
 レイジを先頭に傭兵の列に並び、しばらくして順番が回ってくる。髭面のがっしりとした体格の門番がレイジの顔を見て興味を引かれたのか、物珍しそうに見てくる。
「見た事の無い人種だな。何処の出身だ?」
「大陸から来たんだ」
「ほほう、大陸からか。それにしては随分と身軽な格好だが。それに変わった剣を持っているな」
「宿に泊まったら荷物を盗まれていた。だから仕事がしたくて傭兵になろうと思ってな」
「なるほど。そりゃあ災難だったな。通ってよし!」
 レイジは門番の質問にそつなく答え、実に簡単に通行を許される。次に並んだレミュエールは頭をフードで覆っていた為、さすがに不審がられた。
「おいお前。ちょっと顔を見せろ」
「え? これで構わない?」
 レミュエールは耳を隠したままで顔を覗かせる。フードに隠れていた顔を見て、門番は思わず口笛を吹く。
「ひゅ〜っ!こいつはすげえ美人だな。何でお前さんみたいなのが傭兵志願なのかね? そんだけの美貌があれば他にも仕事はあるぞ」
「いえ、弓が得意だからそれで」
 レミュエールは門番の反応に若干引き気味ではあったが、手にした複合弓を見せて武器の出来をアピールした。
「ほお、なかなかいい弓じゃないか。これなら確かに戦果が期待出来るかも知れんな。よし、通っていいぞ。あと、もし客商売に転向する時は教えてくれよ? はっはっは!」
「……どういう意味なのかしら」
 門番はどうやらレミュエールに色目を使っていたが、当の本人は全くその意味に無自覚であった。
「で、次はお前か。随分と小汚い格好だな」
「うるせえ。格好なんてどうでもいいだろ」
 三人目のメシェイラの番になって、さすがにそのみすぼらしい格好を見咎められる。
「何だその態度は。生意気なガキだ。まさかお前、物乞いじゃあるまいな?」
「これでも一応、傭兵志願だよ!」
「お前がぁ〜?」
 門番の目からはただの浮浪者にしか見えなかったらしく、まるで信用されない。そもそもメシェイラは武器らしい物はナイフ一本しか持っておらず、とても傭兵としてやっていけそうには見えなかった。
 そこへ、先に手形を受け取っていたレイジが戻って来て助け舟を出す。
「申し訳ない。そいつは俺の連れなんだ。見ての通りの跳ねっ返りだが、負けん気が強いから使い物になりそうだと思って拾ってきた。武器や戦い方やらはこれからだが、何とか使い物になるように躾けるから勘弁してやってくれ」
 レイジとレミュエールがメシェイラの元に戻ってきたのを見て、門番は両者を見比べたりしていた。
「こんなガキをよくもまあ、拾って躾けようだなんて思ったもんだな。それにしてもお前さん達、これかい?」
 門番は小指を立てるジェスチャーを交え、そんな事を言ってくる。レイジには意味が分かったが、レミュエールはエルフ社会で育った為によく分からなかった。
「……まあ、そんなようなもんだ。それから後ろの二人も同じく連れだ」
 レイジは面倒なので特に否定せずにその話題をスルーし、トニーとバリーについても言及しておいた。
「何だ、こいつらも汚い格好だな。本当に傭兵が務まるのか怪しいもんだが、お前さん達が面倒見るって事なら通してやらんでもない。やらんでもないが、まあ何だ。このまま通さずにいても、別に俺は困らんのだよなあ……」
 何やら含みのある言い方に、メシェイラは舌打ちをした。どうやらこの門番は、こちらに弱みがあると知って賄賂を要求しているのだ。メシェイラはレイジのすぐ傍に立ち、小声でそれを伝える。
「出たよ、金よこせってな話だよ。どうすんだ?」
「そうだな……金も無い、食い物も無い、酒も無い、無い無いづくしだな」
 レイジはさすがにこの状況に悩むが、門番がレミュエールをちらちらと横目で見ている事に気付いた。どうやらこの門番、女に目が無いらしい。
「……そうだな、もしも今晩時間があるようなら、酒でも飲み交わそうじゃないか。女を二人連れて来るから、酌をさせよう」
「おお、この美人さんを連れて来るってのか? もう一人も楽しみだ!」
「レイジ!」
「ちょ、おま!」
 レイジの突然の提案に、門番は喜色満面の笑みを浮かべ、レミュエールとメシェイラは嫌な予感を覚えた。レミュエールは慌ててレイジに耳打ちする。
「ちょっと、そんな事して平気なの? 私がハーフエルフだってバレちゃうんじゃなくて?」
 さらにメシェイラも、もう片側に立って食い下がって来る。
「女二人ってまさか、俺にやらせようってんじゃないだろうな。冗談じゃねえぞ」
 慌てる二人を他所に、レイジはさらに門番と話を続ける。
「そんな訳で、この三人もいいだろ?」
「まあそれなら別にいいか。それと一応名乗っておこうか。俺は傭兵隊長のキャンベルだ。街に入ればすぐに『白馬亭』っていう酒場があるから、そこに夜になったら来てくれ。来ないと後で傭兵登録を取り消すからな。まあ、そんな事はしないだろうが。はっはっは。もう行っていいぞ」
 どうやら彼は門番では無く、傭兵達を統括している一角の人物であったらしい。傭兵隊長が自らの目で人選していたとするならば、これは意外にも烏合の衆という訳では無いらしい。
 一通りの手続きを済ませて木製の手形を受け取ると、ようやく街の中に入る事を許された。城塞都市キバナの中は石造りの家屋が密集しており、人通りも多くて賑わっている。しかし先程のやり取りに納得していないレミュエールとメシェイラが、街の様子などおかまい無しに再びレイジに詰め寄ってくる。
「で、さっきの話どうするの?」
「本当にどうすんだよ。勝手に話を決めちまいやがって」
 メシェイラはトニーとバリーがいる手前、自分が女であると知られたくない為に曖昧な言い方しか出来ない。
「レミュエールは袖型頭巾を被れば問題無いだろう。白い布さえあれば出来る。それは何だとか言われたら、大陸の風習だとか宗教上の慣習だとか言って外せないからと言えばいい。女を二人用意すると言ったが、もう一人はメシェイラに女装して貰う」
 袖型頭巾とは時代劇に出て来る尼さんが被っている、白い布みたいな頭巾である。マントと一体となっているフードを被るよりは顔が見える為、屋内でもあまり不自然には見えないだろうと考えた結果だった。レイジの説明を聞いてレミュエールは納得したが、メシェイラは慌てた顔で声を上げる。
「ば、バカヤロウ!何言ってんだこいつあははは」
 レイジの際どい発言に、ドキドキしながら何とかはぐらかそうとする。しかしトニーとバリーは合点がいったらしく、明るい調子で話に乗ってくる。
「そりゃいいや。メシェイラなら女だって言っても通用するな」
「なるほどなー。オラ、全然思い付かなかっただよ」
 呑気な二人の言い分に思わずムカッとしてしまうが、さすがにそれを言う訳にもいかずにメシェイラは黙って我慢するしかなかった。
「だけど、どうやって女物の服を用意するんだ?」
 トニーの疑問にメシェイラがいち早く反応する。
「そ、そうだよ。買う金なんてねえし、別に女一人でも問題無いだろ。はははは」
 しかしレイジは首を横に振ってそれを否定し、説明を加える。
「レミュエールは人間に慣れていない。もし人間社会の話になったら途端にボロが出る。レミュエールは飾りで、会話を盛り上げる本命はお前だよメシェイラ」
「ふざけんな!なんで俺がそこまでしなきゃなんねえんだよ!!」
「言わなくても分かってくれると思っていたんだが」
「うぐ」
 レイジの遠回しな脅しに何も言えなくなってしまうが、問題はまだ残っていた。
「そ、そうだ。服はどうすんだよ。服が無いなら無理だよな。はははっ」
「別に高価な服を用意しなきゃならない訳じゃないし、持ち物の中で売れそうな物を質屋にでも売り払って安い服を買えばいいだろう。買えるかどうかはまだ分からないが、とりあえず質屋を探してみよう」
 レイジの提案で質屋を探す事になり、道行く人々に尋ねる。程なく聞き出した街の一角に、大きな館が立っていた。地球の中世ヨーロッパでは金貸しや質屋というものは忌み嫌われていた側面を持っていたのだが、ここではどういう扱いなのかよく分からない。堂々と大通りに面した立地に大きな館を立てているのだから、もしかしたらそれなりに社会的地位を築き上げているのかも知れなかった。
 そんな事を考えながら、レイジは皆を引き連れて中に入る。質屋の中は相応に広く、いくつもの窓口に人々が行列を作っていた。
「……何だか随分と繁盛しているみたいだな」
「そりゃそうだ。普通の金貸しと違って、質屋は現物取引だから利子は発生しねえからな。庶民の間じゃあ、結構利用されてるって話だぜ」
 レイジの抱いた感想にメシェイラが説明する。メシェイラとしてもそれほど詳しい訳では無かったが、この界隈の一般常識くらいは知っていた。
「さて、とりあえずメシェイラとトニーとバリー。お前達の武器を出せ」
 レイジのいきなりの命令口調に三人が反発する。
「何でだよ!」
「冗談だろ?」
「何でオラ達なんだ?」
 そんな不満顔の三人に対し、レイジはあくまで冷静に説明を続ける。
「いいか、傭兵になるに当たって武器は新調する必要がある。今持ってる武器はあまり役に立たない。だからここで処分してしまえ」
 レイジとしては、彼らにはちゃんとした武器を用意しなくてはならないと考えていた。しかし盗賊家業で今まで生きてきた彼らにしてみれば、自分の所有物をそう易々と差し出せる筈も無かった。
「冗談じゃねえ。新しい武器を用意するってのは賛成するけど、だからと言って俺達の持ってる武器を取り上げる理由にゃなってねえ」
「その通りだ」
「んだ」
 三人共頑なな態度を取り、そっぽを向いてしまう。しかしレイジはまだ話を続ける。
「では、他の何かを売らないとならないな。服を買うんだから服を売るのがいいか。まずメシェイラ、お前の服を売ろうか。脱げ」
「ふざけんな!お前の服を売れよ!!」
「俺はこれを売るつもりだから、出来れば服は最後の手段にしたいもんだな」
 そう言ってレイジが懐から取り出した物を見て、メシェイラは訝し気な顔をする。
「何だそりゃあ? 見た事無いシロモノだな……」
 それは手の平サイズの、長方形の薄っぺらい板のような物だった。ガラスがはめ込まれているのか、表面は滑らかで光を反射している。レイジは特に説明をせずにすぐに懐にしまい込んでしまったので話はそこで終わったが、『これはスマートフォンだ』などと言ってもメシェイラには理解が出来ないので仕方の無い事であった。
「とにかく一人ひとつずつ、何かを売ろうじゃないか。レミュエールも何か売りに出してくれ」
「最初からそう言えばいいのに。私はどうしようかな。これがいいかな」
 レミュエールは尤もな事を言って、腰の物入れから小さな小瓶を取り出した。
「何だよそれ」
「これは傷薬。薬草から抽出した有効成分と、ミツバチの巣から取り出した蜜蝋(みつろう)を混ぜ合わせた軟膏剤(なんこうざい)なんだけど」
「へぇ〜」
 レミュエールの説明にメシェイラは感心したように聞き入る。現代の地球では一般的に使われているが、この世界ではまだ軟膏剤は殆ど流通していない。これはエルフ独特の薬草知識によって作られたものであり、人間社会では一部で高額で取引されている。
「何だよ、お前ら金目のもん持ってるんじゃないか。その薬を売れば問題解決じゃないか」
「だからお前達は何も売らなくていいとでも言いたいのか?」
「……分かったよ。売ればいいんだろ」
 さすがにここまで言われてしまうと、何も反論出来なくなってしまった。尤も、レミュエールの軟膏が一番の説得力になったのだが。レイジは異人でレミュエールはハーフエルフである為、メシェイラが一人で行列に並んだ。やがてメシェイラの番になり、窓口の向こう側に座っている老女がニタリと薄気味悪い笑みを浮かべる。
「随分と小汚いお嬢ちゃんだねえ。ちゃんと売り物持ってるんだろうねえ?」
 老女の目利きが一瞬でメシェイラの性別を看破する。幸い行列で混雑している中なので、隅っこで待機しているトニーとバリーには聞こえない。
「うるせえクソババア。ちゃんとあるよ。ほら」
 メシェイラは憎まれ口を叩きつつも、レイジ達から託された品物を窓口のカウンターに並べていく。それを見た老婆はいくつかの商品に興味を持ったらしく、目を輝かせて品定めに入る。
「……ふむ、ふむ。こいつはエルフの傷薬だねえ。貴重な薬だよこれは。よくもまあ、アンタみたいな小汚い小娘が手に入れたもんだ。さては盗んだね?」
「うるせえな。どうだっていいだろそんな事。それより早く値段付けてくれよ」
「まあ盗品だろうが何だろうが、あたしゃあ構いやしないよ。そうだねえ。これなら金貨25枚ってところかね」
「金貨25枚!?」
 その値段を聞き、メシェイラが驚きに目を見開く。
「何だい、不服かい? でも残念だね。これ以上は付けらんないよ」
「……いや、別にそれでいいや」
 メシェイラはあまりの高額に驚いただけなのだが、それを悟られるのも何だが悔しいのでそれ以上は口を出さずに済ませた。ちなみに金貨一枚の価値は現代の日本円にすれば10万円程度の価値があるのだが、物価が違うので一概に比較出来るものでも無い。
「お次は……何だいこりゃ。何かの細工物かい?」
「……それは俺にもよくわかんねえ」
 老婆が次に手にしたのは、レイジのスマートフォンだった。メシェイラからすればガラス板の細工物としか見えなかったが、老婆は小さなボタンや裏面の意匠、側面のスイッチなどを見て精巧な造りに感心していた。
「……これは何ともまあ、あたしにゃ手に余るかも知れないねえ。こんな物は見た事も無いよ。それでも値段を付けるとするなら、金貨10枚ってところかいね。価値は認めるけど、誰が買ってくれるか見当も付かないからね」
 老婆の出した値段を聞いて、メシェイラは少々戸惑う。メシェイラにも価値がよく分からないシロモノであったし、老婆の目利きに文句を付けられるだけの知識も持ち合わせていないからだった。
「……まあ、それでいいよ」
「済まないねえ。で、次は……何だいこりゃ。随分と落差が激しいね」
「う、うるせえな!いいだろ別に!!」
 次に手を伸ばそうとして、老婆は思わず手を止めてしまった。そこにあるのはナイフ一本と手斧、それから不格好な棍棒。メシェイラもさすがに老婆の反応を見て、恥ずかしさを覚えてしまう。
「……ウチは何でも買い取るって訳じゃあないんだけどねえ。ナイフと手斧、こいつにはそれぞれ銅貨で5枚ずつだね。この木はどうしろってんだい……燃し付けにでも使うしかないかねえ。銅貨1枚しか出せないよ」
 老婆の出した結論に、メシェイラも渋々納得するしか無い。ナイフも手斧もロクに手入れされておらず、刃こぼれが酷かったし、棍棒に至ってはそこら辺に転がっていた木の根っこだ。こんな物に値段を付けてくれただけ、まだ良心的だと言えるだろう。ちなみに銅貨は金貨に比べてかなり価値が下がり、日本円に例えるならば10円程度の価値でしかない。
「合計で金貨35枚に銅貨11枚。それでいいかい?」
「ああ、それでいいよ」
 老婆はメシェイラに金貨の入った小さな袋を手渡してくれた。メシェイラにとっては初めて手にした大金であったから、多少気分が浮かれていた。そんな態度を見透かされたのか、横で行列に並んでいた一人の男がいきなりぶつかってきた。
「いてっ!気をつけろよ!!」
 文句を付けるメシェイラを無視して男は質屋を出て行く。メシェイラが手にしていた小袋が無くなっている事に気付いた時には、既に男は外に出ていた。
「くそっ!あいつ、店の中で堂々とスリやがった!!」
 急いで外へと出るメシェイラの様子に、他の者達も後に続く。
「あのヤロウ、何処に行きやがった!?」
 慌てて周囲を見回すが、既に男の姿は見えなくなっていた。
「こっちだ。付いて来い」
 しかしレイジは特に慌てた様子もなく、一人で脇道へと入っていく。何も言わずにレミュエールも後に続き、メシェイラ達は顔を見合わせる。
「いいからレイジに任せてみて」
 レミュエールが戸惑うメシェイラ達にそう言い含め、後に続くように促す。
「……何だがよく分かんねえけど、どうせお前らの金だしな」
 思わぬ高額に浮かれて忘れていたが、よく考えてみればあの金は自分の金では無い。自分のナイフの代金も一応は入ってるが、そんなものは微々たるものだ。そう考えればあの金の所有権はレミュエールかレイジにある訳で、その二人が付いて来いと言うのだから大人しく付いて行くしか無いと考え直す。
 建物同士の隙間に合わせて細い路地が続き、迷路のように入り組んでいた。建物が日差しを遮り、薄暗くじめじめとしている。そんな路地裏には浮浪者らしき者達が多くたむろしており、ズカズカと大手を振るって歩くレイジ達を舐め回すようにして見る者もいる。
「あのスリ、もしかしてキバナの裏社会のヤツなのか」
 メシェイラの気になる一言に、レミュエールが首を傾げる。
「裏社会?」
「俺達みたいな社会のあぶれ者の事だよ。リュカリオンに俺達がいるように、キバナにもその日暮らしの犯罪者共の集団がいるってこった。俺達みたいなガキの集団と違って、こっちは大人の集団だからもっと質が悪いかも知れねえけどな」
 そんな二人のやり取りには構わず、レイジは先へと進む。一体何処を目指しているのか見当も付かなかったが、レイジには目的地が分かっているようだった。
「この中だ」
 やがてレイジが立ち止まった先には、歪な形をした大きな建物があった。元々は石造りの一階建ての平屋の建物だったらしいが、その屋根の上に木材で増築に増築を重ね、ついには10階建ての高さにまで積み上がってしまっていた。周りの建物もお世辞にも立派とは言えず、所謂バラックと呼ばれる祖末な建物ばかりだった。
「こりゃあ多分、貧民街だな」
 メシェイラは周囲の無秩序ぶりに顔をしかめたが、自分達も似たような立場であるのを思い出して何とも嫌な気分にさせられた。実際、いくつかのバラックの中から薄汚れた顔の子供達がこちらを伺っており、まるで自分達を見ているような気分だった。
「そこで止まれ」
 中に入るとすぐに階段になっており、その先に一人の男が立ち塞がっていた。こちらを見下ろすその男は立派な体格をしており、薄汚い格好とは不釣り合いな程に鍛えられた肉体の持ち主のようだった。鋭い眼光に射抜かれ、メシェイラ達は冷や汗を浮かべて身動きを封じられる。
「俺達はスリに盗まれた金を取り戻しに来た。この上にそのスリがいる。悪いが通してくれないか」
 しかしそんな男の威圧感など意に介さず、レイジは淡々と目的を告げた。その思いがけない冷静な反応に、男は感心したような表情を浮かべる。
「ほう、この俺が怖くないのか。たいしたヤツだな。しかしスリに金を取られたのなら、それは既にお前の負けだ。この世は弱肉強食、弱いヤツが泣きを見る。このまま大人しく立ち去るのが、賢い生き方だぞ」
 男が何者なのかは分からないが、まるで詐欺師に騙されるヤツが悪い的な理論で返される。それに対してレイジは特に感情を見せる事はなく、淡々と口を開く。
「お前の理屈でいいなら、俺がお前をぶちのめせば何をしても構わないという事になるな。それでいい。俺も面倒臭いのは苦手だ。こちらから行くぞ」
 何をするのかとメシェイラが思った瞬間、レイジは跳躍していた。
「ぬうっ!?」
 男は咄嗟に両腕で顔を庇うが、そこへレイジの蹴りが炸裂する。
 ドゴン!!
「え?」
 メシェイラにはただの横蹴りに見えたのだが、その蹴りの一撃で男の右腕が陥没してしまった。歪に折れ曲がってしまった右腕の激痛に、男は脂汗を額に浮かべてその場にうずくまる。
「ぐっ、ぐうううううッ!? お、お前、何者だ!?」
 たったの一撃で戦意を喪失し、男は咄嗟にそう口にしていた。特に深い意味は無いのだが、名前も知らない男にあっさり負けたのでは格好が付かないと考えたのかも知れなかった。
「ただの傭兵だ。それより通してもらうぞ」
 レイジは男を脇に退け、さっさと階段を登って行く。
「お、おい待てよ」
「うわあ、蹴りであんなになるもんなんだな」
「まるで馬に蹴られた時みたいだよ」
 黙って後に続くレミュエールの後ろから、慌ててメシェイラ達も続く。実はレイジの蹴りを一応防ぐだけ男はかなり腕が立つのだが、それに気付く者は少なかった。レイジは防がれる事を前提としていたのでともかく、レミュエールはレイジの蹴りがオーガ兵すら一撃で殺す威力を持っている事を知っていた為、多少驚いていた。
 階段を登って二階に上がると、比較的広い空間になっていた。石造りの屋根の上に木材で増築された為、まともに設計などされずに適当に木材を組み合わせているらしい。仕切りとなる壁は一切無く、まるで高床式住居のようになっている。そんな吹きさらしの壁一つない空間に、数十人の男女がたむろしていた。
「おや、あのマドガンが余所者を通すなんて珍しいね」
 中央でがらくたに囲まれ、太った中年女がレイジ達を見る。中年女の前にいた男がその声に振り返ると、ぎょっとした顔で驚く。それを見たメシェイラが怒りを露にする。
「あっ!あのヤロウだ!テメエ、金返せ!!」
「ひ、ひいっ!? 何でここが分かったんだ!?」
 スリはメシェイラの声に怯え、慌てて中年女の後ろへと隠れる。何事かと訝しんでいた中年女だったが、何かに気付いたのか合点がいったと両手を打ち合わせる。
「ああ、お前さっきの金どうやって用意したのかと思ってたら、どうやらあの子達から盗んできたのかい。まああれだけの大金、お前に用意出来る訳が無いしねえ。そうかいそうかい」
 中年女にそう指摘され、スリの男は顔色を青くしている。
「別に金の出所が何処だろうと、こっちとしちゃあどうでもいい事なんだけどねえ。けどまあ、盗られた本人が乗り込んできたとあっちゃあそうも言ってられないかねえ。お前さん達、マドガンはどうしたんだい?」
 中年女の問い掛けにレイジが素っ気なく答える。
「階段にいた男か? それなら下で腕の骨を折られてうずくまっていたな」
「あのマドガンの腕をへし折ったってのかい? こりゃあ驚いたね。マドガンはギルドから紹介された腕利きだってのにね。首折りマドガンって言えば、キバナじゃそれなりに知られた名前なんだけどねえ」
 その話を聞いて意外にもトニーが反応した。
「首折りマドガンって、あの素手で首を捻って折るとか言うあのマドガンかよ。キバナの盗賊ギルドで一番強いって聞いた事があるよ」
「へえ、詳しいなトニー」
「メシェイラだって聞いた事あると思うんだけどな」
 感心したようにトニーを見るメシェイラの反応に、トニーは苦笑いを浮かべる。
「マドガンが敵わなかったのが相手とあっちゃあ、力づくってのは分が悪いかねえ。だけど金を返せって言われて、はいそうですかと言う訳にもいかないね。何せ盗んだのはあたしじゃあ無い。あたしはただ単に、貸した金をそこの男から返して貰っただけだからね」
「そんな事は知らん。出さないなら無理矢理貰っていくぞ」
「おや、おっかない。しかしだね、易々と盗られたアンタ達にも問題があるんじゃないのかい?」
「騙されたヤツが悪いと開き直る詐欺師の言い分だな。騙された者が悪いのでは無く、騙すヤツが悪いに決まっているだろう。それと同じだ。盗まれた者が悪いのでは無い。盗んだ者が悪いに決まってるだろう」
 中年女の言い分に対し、レイジは即座に反論する。しかし例えるならば、警察の側の理屈と盗人の理屈では噛み合ないのと同じであった。未開の地に警察が来た場合、どうなるだろうか。現地人は治安が良くなったと喜ぶ一方で、元々悪人であった者は悪事がやりにくくなったと文句を言うだろう。
「随分と奇麗事を語るお兄さんだね。世の中そんなヤツだけならいいけど、残念ながらそうじゃないからねえ。アンタが信用に足る男だと、あたしゃどこで判断したらいいってんだい?」
「ふむ、要するに悪い世の中信じられるのは家族だけ、みたいな考え方か。ならばアンタの頼みを一つ聞いてやる。俺達は今夜、傭兵隊長キャンベルと会う約束をしている。キャンベルに話を通せばいい」
 中年女はレイジの提案にしばし考え込む。傍にいた一人の女に何事か呟くと、改めてレイジに向き直った。
「キャンベルの名前は知っているよ。だけど、あたしの頼みと金を返してもらう事が釣り合うかどうかなんて分からないだろう?」
「そういう事じゃない。俺達はキャンベルと傭兵の契約をする。ならばこの街で生活の基盤を作る必要がある。俺達がキャンベルの元で仕事をしているとアンタは知る。そうなれば必然的に、俺達の居場所や仕事の中身まで把握しやすくなる。アンタは俺達が頼みを聞いたかどうか、それを実行したかどうかいつでも確認出来るんだ」
 レイジの理屈を聞いて若干顔をしかめるが、やがて中年女はため息を付いて頷いた。
「はぁ、まあアンタの言いたい事はよく分かったよ。確かにアンタ達が傭兵として仕事をするなら、キャンベルに義理立てしなくちゃならないのは道理だね。マドガンをぶっ倒したからには、腕は確かなんだろうしね」
 どうやら中年女はレイジの言い分に一応は納得したらしい。何とか話が丸く収まりそうな雰囲気に、レミュエール達は安堵した。
「ああ良かった。一時はどうなるかと心配しちゃった」
「本当だぜ。全く無茶しやがる」
「元はと言えばお前が金すられたからだけどな」
「う、悪かったな!」
 安心したレミュエールに釣られたメシェイラに、レイジのツッコミが入る。そんな様子に構わず中年女は話を続ける。
「さて、それじゃあ頼み事といこうかね。傭兵として戦場に出るからには、十中八九リュカリオンへ侵攻する遠征隊だろうね。そこでアンタ達には、リュカリオン王家に伝わる『紅玉の鍵』を探して持ってきて欲しい」
 リュカリオンという言葉を聞いてメシェイラが顔をしかめる。
「……よりによってリュカリオンかよ」
「あたしも傭兵じゃないから詳しい事は知らないけど、傭兵が駆り出される戦場って言ったらリュカリオンくらいしか思い付かないからね。隣のハーシェルやボーンナムもきな臭いけど、今んところは傭兵まで雇って戦争する段階じゃないと思うからね」
「その『紅玉の鍵』と言うのは文字通り、ルビーでもはまっているのか?」
「あたしもよくは知らないよ。多分そうなんじゃないかねえ」
 レイジの質問に対し、中年女は随分と他人事のような言い方をする。
「それと、あたしの名前はワーキッシュだよ。もし無事に手に入れたら、ここじゃなくてギルドに行ってその名前を呼んでおくれ」
「……ワーキッシュって確か、金貸しじゃないか」
「知ってるのかトニー」
 ワーキッシュの名を聞いたトニーが何か知ってそうな事を言った為、気になったメシェイラが問う。
「知ってるって言うか、さっきの質屋だってワーキッシュの店の一つだった筈だぞ。金貸しワーキッシュって言えば、ギルドの重鎮の一人だよ。別名『片付けられない女』ワーキッシュ。がらくたばかり集めてるって噂されてるが、そんながらくたの中から思いがけないお宝を見つけ出す天才なんだとさ」
 この女が何故がらくたに囲まれているのか、トニーの説明の通りなのだろうか。
「おやまあ、この金はウチで換金したのかい。何とも妙に因縁があるみたいだね」
「そんな因縁は勘弁願いたいけどな」
 ワーキッシュの一言にレイジは憮然として答えた。


 その後、何とか金を回収した一同はメシェイラの服を買う為に仕立屋へと入った。自分が女である事を知られたくないメシェイラはトニーとバリーを外に立たせ、レミュエールだけ連れて中に入ろうとした。しかしそれだと男だけを排除しているように見えなくも無い為、レイジも同伴する事になった。しばらくして店から出てきたメシェイラを見て、トニーとバリーは呆気に取られていた。
「……メシェイラ、お前、なんか女みたいだぞ」
「……す、すてきだ」
「だ、だまれバカ!こっちみんな!!」
 二人の反応にメシェイラは顔を真っ赤にして怒鳴る。よくいる街娘が着ているような長い丈のスカート姿であったが、真っ白いブラウスから覗く肌がまぶしい。若干日焼けの痕が目立つが、汚れを落とした肌は意外にも滑らかで奇麗に見えた。それに意外にも胸の辺りのボリュームがかなりあるように見え、なおさら女にしか見えなかった。
「メシェイラ、お前、何で胸が膨らんでるんだよ……」
「ば、バカ。これはアレだ。女に見せる為に詰め物してるに決まってるじゃねえかよ。ははは」
「でも、どうして谷間があるだ?」
「バリーお前、ジッと見詰めてんじゃねえよ!これはアレだ。コルセット巻いて脇腹の贅肉を寄せてるんだよ。ホンモノにしか見えないだろ? ははは」
 トニーとバリーの追求に、苦しい言い訳をするメシェイラ。横で見ていたレイジとレミュエールはいい加減バレるだろうとは思っていたが、別にバレてもいいんじゃないかと思っている為、黙って見ていた。
「大体、俺が女な訳ねえだろ。お前ら今までどうして気付かなかったんだよ、って話になっちまうわな。ははは」
「そ、そうだな。メシェイラが女な訳ないよな」
「オラ別にどっちでも構わねえだよ」
 最後のバリーの言葉の意味が若干怪しい気もしたが、とりあえず誤摩化せたようでメシェイラはほっとした。
「それじゃあ『白馬亭』に行こうか」
 レイジの声で本来の目的を思い出し、慌てて後ろに続いた。


第十四話・死者蹂躙
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