Sick City
第四章・一騎当千

 ゲッシュ率いる重装歩兵部隊はエルフ達を蹴散らし、僅かな損害で中央へと進軍していた。ホブゴブリンはエルフと比べても戦闘能力は高く、特に人間を凌駕する筋力は重装甲の甲冑を纏う事を可能としている。一対一の戦闘ならばエルフと五分とも言われているのだが、これが集団戦闘となれば話は変わる。
 地球においては槍襖(やりぶすま)を形成する密集陣形を突き崩す為には、それよりもさらに長い槍を装備した騎兵が現れるまでほぼ不可能であった。正面から衝突すればまず蹴散らされるのがオチで、本気でファランクスを破ろうと考えるなら正面では無く横から突き崩すしか無い。
「あのダークエルフの立てた作戦が、ここまで上手くハマるとはな……」
 モルディラの作戦立案能力に舌を巻くしか無いゲッシュであった。そもそも何故、今回の作戦が実行されたのかを改めて考える。
 ゴブリン族は爆弾という新兵器によって数多の戦場で連戦連勝を重ねているが、爆弾は資源を大量に消費するという弊害も生んでいた。地球のように産業革命が起きて生産効率が上がった訳でも無く、有り余るマンパワーで何とか誤摩化しているだけの自転車操業。
 まず爆弾の主成分となるのは地球のダイナマイトと同じく、ニトログリセリンである。これはオリーブ油から発見されたグリセリンというアルコールの一種を、硝酸と硫酸で化合するとニトログリセリンとなる。このニトログリセリン単体では僅かな振動でも爆発してしまう為、珪藻土(けいそうど)と呼ばれるケイ素系の堆積物を土中より採取し、ニトログリセリンを吸収させてダイナマイトとなる。
 このような材料で作られている事からも分かる通り、爆弾を製造する為には大量の油脂と大量の珪藻土が必要になる。焼夷弾で用いられているナフサ自体が原油から精製されている事もあり、油田と採土場の大開発がこの兵器の裏にはある。しかしこれらの開発によって廃液が垂れ流され、環境は悪化の一途を辿っている。
「領土拡大が国是とは言え、いささか急進的過ぎる気もするのだがな。まあ軍人は命令に従うだけなんだが」
 良くも悪くも職業軍人であるゲッシュは、本国の領土拡大政策に反対する立場にはない。本国の指導者層にしても、かつてとある人間の国家に勝ってしまった為にそれ以来、勝てるなら勝ってしまえと戦火を拡大させて来たという経緯がある。
「……勝ち過ぎると言うのも考えものかも知れんな」
 とは言え、勝ててしまうのだからどうしようもない。負ける側が情けないのだと、感情を切り捨てて任務を忠実に実行する。やがて森の木々の狭間から、中央行政区の白亜の塔が見えて来た。
「ゲッシュ隊長!エルフの残存兵を前方に確認しました!!」
「よし、総員集結!密集陣形にて突破を行う!!」
 ゲッシュは部下からの報告を受けて号令を下した。

 
 背後から着実に侵攻してくるホブゴブリン重装歩兵に対し、リリーンネール達エルフ兵は密集陣に対する定石で対応しようと考えた。密集陣形は右手に槍、左手に盾を持った兵で構成される。その為、槍を持つ右半身はそのままでは露出してしまうので、それを右隣の兵士の持つ盾に隠す事で補い合うという特徴がある。
 しかしその特性上、最右翼にいる兵士は露出した右半身をカバーしてくれる相手がおらず、この右翼から切り崩す事が定石であった。とは言え、密集陣を取る側も無策では無く、最右翼の列には選りすぐりの精強兵を配置し、なるべく右翼に回り込まれないように右へ右へと斜めに進軍する形を取る事で対応していた。
「私達の強みを活かした戦い方をするべきだわ。建物の上からの立体的な攻撃で右翼を切り崩すのよ!」
 リリーンネールは正面衝突を避けるべく、残存のエルフ兵の殆どを建物の屋根へと上がらせた。元々、密集陣形は開けた場所で真価を発揮する。中央行政区は数々の建造物が立ち並ぶ市街地であり、重装歩兵は路上しか進軍ルートを取れない。
 少数のエルフ兵を路上で囮役とし、ホブゴブリン兵の槍の届く範囲から離れて攻撃させる。飛んで来た矢や精霊魔法を盾で防ぎ、或いは後方に待機する兵が槍を斜めにする事で反らす。一度攻撃を仕掛けたらすぐに後退を繰り返すエルフ兵に誘き寄せられ、建物が立ち並ぶ一角に侵入した。
「今だ!放てッ!!」
 突如、屋根の上から頭上に矢が飛んで来る。特に防御の甘い右翼に集中し、次々とホブゴブリン兵が倒れていく。それを後方から見ていたゲッシュは、すぐさま対応を変える。
「全軍後退せよ!」
 誘き寄せられた隊は全滅してしまったが、他の部隊は即座に後退した為にそれ以上の被害を抑える事が出来た。
「何も無理をする事は無い。敵を包囲するだけで充分だ。後は東から進軍しているオーガ兵が到着するのを待てばよい」
 ゲッシュの冷静な判断で重装歩兵の進軍が止まる。それを見てリリーンネールは眉をひそめる。
「進軍が止まった? 奴ら、随分と冷静じゃないの」
 こうなってしまうと迂闊には攻められない。そもそも中央はゴブリン兵に占拠されており、数多のゴブリン兵がそこら中を闊歩している。南側がゴブリンの国家『アングレム帝国』と接しているので、おそらくそちら側から侵攻して来た筈だった。レミュエールの安否も気になるし、北から迂回して東側へと抜けた方がいいだろうかとリリーンネールは考える。
「どうするリリーンネール」
 民兵の小隊長の一人が判断を伺いに来る。本来は軍楽隊の隊長が残存兵の中で一番階級が高い筈であったが、どうやら既に彼はこの世にいないらしい。
「他に指揮する人いないのかしら」
「何を言っているんだ。さっきからお前が指揮してたじゃないか」
「……他にいないらしいわね」
 よく考えてみたら民兵は常設の軍隊では無い為、いざと言う時に指揮を取れる者がいないのが難点であった。リリーンネールは軍楽隊所属とは言え、一応は常設の軍人ではあるので組織行動についていくらか理解があった。
「正直、中央の奪還は諦めた方がいいかも知れないわね。戦いに勝つよりも、如何に生き残るかに考え方を変えるべきかも知れないわ」
「何を言う!皆の仇を取らずに逃げるとでも言うのか!」
「冷静になりなさいよ。中央が占拠されて本隊は全滅、これでどう勝てと言うの? 私だって悔しくて気が狂いそうなくらいよ。でもここで残った私達が全滅すれば、それはエルフの絶滅に繋がるのよ」
「……くそっ!」
「落ち延びていつか時が来たら反撃すればいい。私達には長い寿命という武器がある。生きていれば、必ず反撃の機会はやって来るわ」
 リリーンネールの説得に、小隊長は何とか自制をする。
「一旦、北へと向かいましょう。それで残りの戦力をまとめて、東へと抜けましょ」
「……分かった。皆に伝えよう」
 リリーンネールの出した結論に、小隊長は頷いて伝令に走る。そのまま北へと抜けたらどうかとも考えられるが、北は山岳地帯となっており、ドワーフ族の住む領域となっている。ドワーフはゴブリン程では無いが、エルフとはあまり仲が良く無い。これも美醜の問題が関わっていたりするのだが、ドワーフに頼るような真似はしたくは無いと考えてしまう。
 一方、東の向こうは草原地帯が広がっており、こちらは一応は人間の領域となっている。一応と言うのはその草原地帯は牧草地として少数の遊牧民が移動を繰り返しているだけで、人間国家の領土としては明確には規定されていないからだ。牧草地を抜ければさすがに人間の領土に入る事になるが、一時的な避難をするだけなら問題にはならないだろう。
「……森から出たエルフは生きていけるのかしらね」
 リリーンネールの独り言が、辺りに虚しく響いた。


 木々の上を移動して北進する残存エルフ兵に対し、ゲッシュはそのまま待機するように命じていた。重装歩兵は機動力が無い為、追撃には向いていない。そもそも重装歩兵で森に侵攻する事自体、あまり想定されていない。通常、密集陣形では100人前後の人数でひとつの集団を構成する事が多く、その場合は横10列×縦10列で密集陣を組む事になっていた。
 しかし森の中では木という障害物がある為、あまり大規模な軍団を編成する事が出来ない。とは言え、エルフの住む常春の森は普通の森林とは違い、巨木が多くて木々の間隔が広いので鬱蒼と茂った熱帯雨林などとは大違いなのだが。巨木同士の間隔は20メートルは取られていて、今回の進軍に当たっては編成をもっと小さくする事で対応を可能にした。
 森林内部での戦闘に限り、横5列、縦5列の25人編成という小集団に分かれる事で木々の障害に対応し、中央行政区へと到達した途端、元の100人編成へと再構成したのだった。行政区の街路は、10人の重装歩兵が横に並んでも充分な広さがある。
 これら重装歩兵の特性を見抜いていたからこそ、リリーンネールは逃げるという選択をした。普通に考えれば当然の判断なのだが、当然だからこそ逆に相手も同じ事を考える事が出来る。モルディラの用意した最後の一手はまさに、この局面を読んでのものであった。
「ぎゃあッ!!」
 突然の悲鳴に思わずそちらに振り向く。
「なッ!? 何なのアレは!!」
 リリーンネールの視線の先には、巨大なゴブリンがいた。高さはおよそ15メートルはあるだろうか。本当にゴブリンなのかどうか怪しいところだが、そんな巨大なモンスターが片手でエルフ兵の一人を鷲掴みにしていた。
「うえっへっへ!さぁ〜すが、げっしゅさまだぁ〜!こんなでかぶつのオラでもかくれんぼできるんだよぉおおお」
 何を言っているのか、巨大な口から大きな声が轟く。
「は、放せ!化物ッ!!」
 捕らえられたエルフ兵は何とか巨人の手から逃れようと、必死に身体をよじる。しかし巨大な掌で全身を包み込まれ、全く抜け出せる様子が無い。
「おめえ、うるせえなぁ〜」
 ごきり。
「ぐえッ!?」
 嫌な音と共に、エルフ兵が白目を剥いて絶命する。僅かに力を入れただけで、エルフ兵の身体は握りつぶされてしまった。巨大なゴブリンはそれで興味を失ったのか、死んだエルフ兵を投げ捨てた。
「さぁ〜て、えるふがりのはじまりだぁ〜」
 もう片方の手に握られていた巨大な鈍器を振り回し、辺りの木々ごとエルフ兵をなぎ倒す。あまりの圧倒的なパワーを前に、エルフ達に動揺が走る。
「どこから現れたんだアイツは!?」
「あんなの相手に出来るか!!」
「射て射て!とにかく射て!!」
 混乱してどうしたらいいのか分からない者、恐れおののき逃げ出す者、慌てて弓矢で応戦する者など、とにかく統率を欠いて皆がバラバラの行動を取る。
「慌てないで!的が大きい分、狙いも付けやすい筈よ!散開して頭部に矢を集中させて!体勢を立て直したら順次撤退を開始して!!」
 リリーンネールの声で皆が徐々に冷静さを取り戻していき、まずは弓矢で頭部へと集中攻撃をかける。
「いてえ、いてえよぉ〜」
 巨大ゴブリンは片手で鈍器を振り回しながら、空いているもう片方の手で顔を庇う。ぷすぷすと矢が手に刺さるのだが、これだけ巨大な身体だと大してダメージにはならないらしい。それでも多少の時間稼ぎは出来たようで、何とか体勢を立て直した者達は樹上を飛び移って矢を放ちつつも撤退を始める。
「うぎゃあッ!!」
「げほッ!!」
「ひぎいッ!!」
 別方向から響く悲鳴。何事かと思ってそちらを見れば、何やら大きな緑色の布をはためかせたもう一匹の巨大ゴブリンがエルフ兵達を吹き飛ばしていた。
「もう一匹いたの!?」
 驚きに目を見開くリリーンネール。どうやら緑色の大きな布で全身を隠し、身を潜めていたらしい。
「にがさねぇ〜ぞお〜!」
「うへえ、あにきぃ〜!」
 どうやら新手のもう一匹は兄らしく、まったく同じような外見をしている事から双子らしい。上半身裸で腰布一枚だけという格好なので防御は弱いと思われるが、あまりの巨体の為にエルフの武器では効果的なダメージにならない。
「くッ!風の精霊よ!!」
 リリーンネールが苦し紛れに放った風の刃は、巨大ゴブリン兄の首筋を切り裂いた。しかし太い首の薄皮を僅かに切り裂いただけに止まり、却って相手の注意を引いてしまう。
「おめえ、いてえじゃねぇえ〜かよぉおおお!!」
 顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべた兄ゴブリンが、リリーンネール目掛けて鈍器を振り回す。慌てて樹上から退避しようとしたものの、横薙ぎの一撃は身軽なエルフでも躱しきる事が出来なかった。
「うあッ!?」
 粉砕された巨木の幹に巻き込まれる形で吹き飛ばされ、地面に落下してしまう。柔らかい腐葉土のおかげで目立った外傷は負わずに済んだが、それでも背中を叩き付けられて呼吸困難に陥ってしまった。
「かはッ!」
 地面に四つん這いになってむせていると、巨大ゴブリン兄の影が迫る。
「いたかったぞおおお!こんちくしょおおおおお!!」
 轟く怒声に顔を上げれば、そこには巨大な鬼の振りかぶった巨大鈍器が視界に映る。リリーンネールは死を覚悟したが、何処からか飛んできた一本の矢が彼女の命を救った。
「うぎゃああ!いってえええええ!!」
 巨大ゴブリンが突然、右目を片手で抑えて痛みに悶える。そして突然走り込んで来た何者かが、リリーンネールの身体を抱き抱えて巨木の陰へと連れ込んだ。
「大丈夫か」
「ごほっ!……レイジ!!」
 救援に現れたレイジの顔を見て驚くが、そこへ樹上からレミュエールが降りて来る。
「間に合って良かった。立てる? リリーンネール」
「え、ええ」
 レミュエールが肩を貸して何とか立たせる。まだ足元がおぼつかないが、呼吸が安定すれば問題なさそうだった。
「ここは俺が何とかしよう。二人は他のエルフをまとめて退路を確保してくれ」
「気を付けてねレイジ」
 レイジはそれだけを告げると、痛みに悶える巨大ゴブリンへと歩いて近寄って行く。まるで無防備なその挙動に、リリーンネールは呆気に取られつつも声を上げる。
「……ちょっ!」
 ちょっと待ってと言おうとしたところで、レイジの姿が消える。そこへ振り下ろされる巨大鈍器。
 ズシン!
「おろ? いねえぞお〜? 何処へ行ったぁあああ?」
「こっちだうすのろ」
 巨大ゴブリンの背後へといつの間にか回り込んでいたレイジの手から、一筋の輝きが放たれる。
 ビシュッ!!
「ぎゃああああああッ!!」
 鞘から抜き放たれた剣の一閃が、巨大ゴブリンのアキレス腱を断っていた。激しい血飛沫を上げながら、巨体がバランスを崩して片膝を付く。そこへ続けてもう片方の足の腱も断つべく、返しの刃が閃く。
「いでえええええ!!」
 両脚の腱を切られた事により、巨大ゴブリンは尻餅を付いてしまう。それを見た巨大ゴブリン弟が慌てて兄に近寄ろうとする。
「あにきぃ〜、だいじょおぶかぁあああ?」
「いでえぇえ!ちくしょおお!!」
 丸太のような足に刻まれた深い切り口に、リリーンネールは驚きに声を上げる。
「何て切れ味なの、あの剣は!」
 この世界で一般に知られている剣は地球の西洋で中世に用いられていたものと酷似しているが、これほどの切れ味を持つ剣は聞いた事が無かった。西洋の剣、所謂ロングソードと呼ばれる剣も別に切れ味が悪いという訳では無い。むしろ切れ味自体はそれほど大きく劣っている訳では無く、日本刀とロングソードの形状の違いが大きな要因となっている。
 反りを持つ片刃の日本刀は、その反りに沿う太刀筋で滑らせるように斬る事で、より多くの接触時間を得る事が出来る。これによって力のモーメントを損なう率を極端に軽減し、手首に掛かる圧力負荷を減らす事によってより精細な流動的動きを可能としている。
 西洋のロングソードが切れ味で劣るように見えるのは、形状が直線的な為に叩き圧して押し付ける斬り方となってしまい、肉の反発力で手首に負荷が掛かる為に一定の動きを保つ事が難しい事が理由として大きい。材質や鍛え方などの製法に関わる部分も関係はしているが、要するに一番の決め手は使い方の違いによるところが大きいと言える。
「よくもあにきをやってくれたなぁああああ!!」
 巨大ゴブリンの弟がレイジに襲い掛かる。横薙ぎに払われた巨大鈍器の一振りに対し、さらに踏み込んで懐へと入る事で躱す。一瞬で間合いを詰められ、すぐ足元にいるレイジに対して片足を上げて踏み潰そうとする。それを引き付けて反転する事で躱し、巧妙に立ち位置を入れ替えるようにして背後へと回り込む。
「ぎゃああああッ!?」
 煌めく刃がアキレス腱を断絶する。弟も兄の二の舞となり、両脚の腱を断たれて地面に尻餅を付く。そして一気に空中へと飛び上がるレイジの身体。
「ごほっ!?」
 飛び上がった身体が空中で逆さとなり、錐揉み回転しながら鞘から抜き放たれた剣が巨大ゴブリンの野太い首を斬る。ばっくりと斬られた喉から血飛沫が上がり、レイジは着地と同時に地を滑るように横回転して勢いを殺す。
「がふっ!がっ!あ、あにぎぃいいいい!!」
 もがき苦しむ弟だったが、やがて力を失って力尽きる。地響きを立てて仰向けに倒れた弟を見て、兄が嘆きと怒りの声を上げる。
「うぉおおおおっ!おとうとおおおお!よぐもやっでぐれたなあああああ!!」
 両膝立ちで片手を付き、レイジに向けて巨大鈍器を振るう。
 ドゴン!!
 大地を揺るがす程の強烈な一撃は、しかしレイジの身体を捉える事は無い。ついっ、と横に少し移動しただけでその一撃を躱し、巨大鈍器の上に乗る。まるでその上が道であるかの如く鈍器から腕を駆け上がり、巨人の肩へと瞬時に到達する。
「終わりだ」
 ビシュッ!!
 再び鞘に納められた刃が放たれ、丸太の如き首筋を斬る。一度の斬撃で首の半分を切り裂き、即座にその場から飛び退る。大地に着地をしたと同時、野太い首筋から血飛沫が上がった。
「ぎゃああああああッ!!」
 断末魔の悲鳴と共に、巨体がうつ伏せに倒れる。しばらくはびくびくと身体を震わせていたが、やがて絶命した。リリーンネール達残りのエルフ達は、退避する事も忘れてただ見入っていた。
「……あんな化物を、いともあっさり倒すなんて」
「そうだね。私も驚いてる」
 レミュエールも一言呟くが、あまり驚いているようには見えなかった。先にオーガ兵を圧倒した手並みを見ていたし、何よりレイジと『繋がっている』為にそのポテンシャルを理解しているからであった。
「何だ、逃げなかったのか。それよりも連中は中央で全軍が合流を果たしたようだぞ。完全に占拠されたようだな」
 レイジが以前と同じように、遠くの出来事をまるで見て来たかのように話す。
「……そう。こちらの残りはどの程度か分かる?」
「100名程度しか残っていないようだな。しかし中央で逃げ遅れている子供を加えれば、あと20名は増えるだろうが」
「……何ですって?」
「逃げ遅れている子供が20名程いる」
 レイジの告げた事実にエルフ達が騒然となる。見ず知らずの人間の、しかも本当かどうかも分からない言葉を信じていいのかどうか。しかしリリーンネールはその言葉を疑う事無く受け入れる。
「出来れば助け出したいわね。どうすれば助けられるかしら」
「ちょっと待て!そんな奴の言う事を信じるのか!?」
 一人のエルフ兵が懐疑的な声を上げるが、リリーンネールは即座に否定する。
「何言ってるのよ。彼の力は見たでしょ。それにその剣をよく感じてみなさい。彼は精霊よ」
 とても信じ難い説明に、しかしエルフ兵はとりあえずその剣をよく観察してみる。しばらくうんうんと唸っていたが、やがて何とも複雑そうな顔で頷いた。
「……信じられないが、しかしそう感じてしまうのだからどうしようもない。信じざるを得ないらしい」
 他のエルフ達も似たような反応をしており、信じられないだの本当だのと口にしている。
「そういう事でいいわね。それで助け出す手立ては何かないかしら」
 とにかく時間が惜しいと考え、話を先に進めようとするリリーンネール。しかし妙案がそう簡単に生まれる筈も無く、誰も何も言わない。
「……しょうがないわね。レイジとレミュエールはどう?」
「囮役が敵を引き付け、その隙に別働隊で救助するのはどうだ?」
「具体的には?」
「囮は俺がやろう。一人なら身軽だし、エルフでは無いから敵を混乱させる事も出来るかも知れない。場所はレミュエールが分かるから別働隊にはレミュエールを入れるといいだろう」
 レイジの説明にレミュエールが困惑して小声で囁く。
「えっと、場所分からないんだけど、とか言ったら駄目なんだよね」
「話を合わせろよ。俺の『共有』でその時になれば勝手に知る事になる」
「そ、そうなんだ」
 レイジの持つ能力が色々と便利なのは理解しているが、まだ細かく把握している訳では無い。とりあえずレイジが出来ると言うならそうなんだろうと、何となく頷く。
「じゃあレイジにお願いするわ。別働隊も少数の方がいいわね。私とレミュエール、それにそっちの国境警備隊の貴方達も」
 リリーンネールが声を掛けたのは、レミュエールと共に撤退して来た11名の国境警備隊の残存兵だった。リリーンネールと同じく職業軍人である彼らなら錬度が高く、こういった作戦には向いていると判断したのだった。


 救出作戦はまず、レイジが先行して中央行政区へと侵入する事で開始された。エルフでさえ舌を巻く程の足の早さを活かし、物陰に隠れながらも奥深くへと短時間で潜入を果たす。誰にも説明はしていなかったが、レイジの狙いは敵軍の指揮官であった。
 中央行政区の中心にそびえ立つ白亜の塔。その塔の最上階にゲッシュはいた。
「全く、エルフ共はつまらん種族だ。金銀財宝とまでは言わないが、金目の物が殆ど見当たらん。これでは兵達の士気が上がらんわ」
 ゲッシュは最上階の執政官執務室で部屋の中を見渡していた。隣にはモルディラが控えていた。
「ゲッシュ隊長。エルフ達は目の付く場所に宝を置いたりしませんよ。あるとするならば、おそらくは地下」
「ふむ、この地下は既に見ているが何も無かったぞ」
「建物は彼らのフェイクですよ。エルフの大事な物は木です。一番大きな木があれば、そこが一番怪しい」
「なるほど」
 この白亜の塔を中心に、四つの色違いの塔が立っている。実はそれらの塔こそが常春の森最大の巨木であり、白亜の塔を投影した幻影で巧妙に隠蔽されていた。この四つの内の一つに宝物庫があり、そしてもう一つに子供達が隠れている地下室があった。
 ゲッシュはモルディラと伴って部屋を出ようとしたが、そこにレイジが現れた。
「……人間? 何でこんな所に人間がいる?」
「お前は!?」
「知っているのかモルディラ少佐」
 いまいち状況を呑み込めていないゲッシュが息を呑むモルディラに問う。
「先程報告したオーガ兵を圧倒した人間です!」
「ほう、こいつが。まさか単身乗り込んで来るとは、まさに英傑と言えるな」
 レイジの危険性はしっかりと報告した筈なのに、ゲッシュは特に慌てた様子が無い。怪訝な顔をするモルディラをゲッシュは一歩前に出て庇うような形を取る。
「モルディラ少佐はただちに本国へと戻れ。ここは俺に預けろ」
「ゲッシュ隊長、危険な相手です」
「分かっている。こいつは相当出来る。だが俺も武人なのでな。一人で現れた者を前にして退く訳にもいかん」
 二人のやり取りを黙って見ていたレイジだったが、ここで初めて口を開いた。
「驚いたな。策を弄するセコい相手かと思ったが、以外とちゃんとした武人がいるんだな」
 まるで挑発的なその言葉を聞いて、しかしゲッシュはただ笑うだけだった。
「うはは、性根も座っているらしいな」
 レイジとしては本来は結界を破壊したモルディラを警戒してここまで潜り込んだのだが、二人のやり取りを聞いてこちらのホブゴブリンの方が指揮官だと判断する。腰から剣を抜いてレイジと対峙するゲッシュ。睨み合う両者を見届けて、モルディラは窓に手を掛ける。
「ではお言葉に甘えて先に本国へと戻ります」
 それだけを告げるとモルディラは窓から身を投げた。相当な高さを持つ塔の筈だが、モルディラは風の精霊の力によって落下速度を軽減し、途中突き出しているバルコニーに降り立った。すぐに中へと入り、大声を上げる。
「敵が侵入したぞ!ゲッシュ隊長を守れ!!」
 その声で塔の内部は騒然となり、最上階目指して多くのゴブリン兵が階段を駆け上がって行く。それを確認する事無く、モルディラは本国へと帰還するべく階下へと降りて行った。
「ふん、モルディラめ。余計な事を」
 ゲッシュとしては一対一での立ち会いのつもりであった為、部屋に駆け込んで来たゴブリン兵達を一喝した。
「者共!これは一対一の勝負である!邪魔する者は先に命を無くすものと知れいッ!!」
 執務室はかなり広い部屋ではあったが、それでもゴブリン兵が10名も入れば狭く感じてしまう。ゲッシュは目の前にいる男のような、一騎当千の強者に多勢で攻めても無駄に被害が大きくなるだけだと知っている。ならばこちらも同じく一騎当千の強者で対処するのがベストであり、それはやはり自分しかいないと自負があった。
 レイジは日本刀を鞘に納めた居合い抜きの構えのまま、摺り足で極僅かに間合いを詰めて行く。本当に僅かな動きである為に素人目には動いているとは見えず、ゲッシュに至っては少しずつ近寄って来るその姿が、徐々に圧迫感を増して迫って来ているような錯覚を覚えた。
 そもそも刀身が鞘に納められている為、レイジの間合いを正確に読む事が出来ない。見た事も聞いた事も無い構え方に戸惑いを感じるが、どちらにせよ自分の持つ剣の方が間合いが広い筈だと思い直す。
「そこだッ!!」
 迫るレイジに対し、自分の剣の間合いに入ったと踏んだゲッシュが剣を振るう。ロングソードよりもさらに長い刀身がレイジ目掛けて横から振るわれる。
「シッ!!」
 キンッ!!
「何いッ!?」
 目の前を舞う折れた刀身を見て、ゲッシュの動きが止まる。レイジの放った一撃はゲッシュの剣を奇麗に断ち切り、その刀身は真ん中から真っ二つに切断されてしまった。そのまま懐へと踏み込んで鞘を握ったままの左拳が、ゲッシュの顎へと接触する。
「ガッ!?」
 レイジの放った拳の一撃は、ただ軽く触っただけのように見えた。しかし練り上げられた衝撃力は接触と同時に瞬時にゲッシュの頭部へと伝播し、大脳を頭蓋骨に無数に叩き付ける結果となった。虚空拳(こくうけん)と呼ばれる秘技であったが、そんな技の名を知る事無くゲッシュは絶命した。
 そのまま白目を向いて床に倒れ伏すゲッシュを見て、周りを取り囲んでいたゴブリン兵がざわつく。
「隊長が死んだ!」
「あいつを殺せ!」
「生きて返すな!!」
 次々と襲い掛かって来る痩身のゴブリン兵を前に、レイジは巧みな体術で捌きつつ対応していった。


第十三話・妖精舞踏
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