Sick City

第二章・砲撃戦術

 リリーンネールの言う『中央』とは『常春の森』のあらゆる機能を集約した行政区域の事で、エルフ社会の行政を担う行政官達が昼夜を問わずに詰めている。行政区域の中枢部は『白亜(はくあ)の塔』と呼ばれる石造建造物で、その周囲にいくつかの色違いのタワーがそびえ立っていた。
「まだ詳細が分からないって、動きが遅いんじゃないの!?」
「そんな事を言われてもな。我々にもまだ情報は降りてきていないんだ」
「ったく、これだからお役所仕事だって言われるのよ」
 行政区の警備をしているらしい軽武装のエルフ兵士に食って掛かるリリーンネール。レミュエールの家からこの行政区に至るまでにおよそ2時間は掛かっているのだが、末端とは言え、未だに警備の兵士が何も知らないと言うのは些かお粗末だと言える。戒厳令が敷かれているのだとしても、それならば「何も問題は無い」などと民衆を安心させるような言葉が出てくるべきだろう。
 時折遠くから響いてくる轟音に、周囲にいるエルフの民衆が騒然となっていた。夜間なのでそれほど多くは無いが、不安になって外に出て来たのだろう。
「あまり危機意識は高く無いみたいだな」
「行政官達は日々の業務に忙殺されてて、こういう突発的な出来事には向いてないってよく言われてるから」
 レイジの感想にレミュエールがそのような説明を加える。二人は兵士に顔を見られると騒ぎになりかねないとして、少し離れた場所に隠れて聞き耳を立てていた。忌み子のハーフエルフと人間の組み合わせでは現状、外の襲撃よりも警戒されてしまうとのリリーンネールの判断だった。
「行政のトップは何をしているんだ? そもそもどういう統治なんだ?」
「行政官はただの文官で、政治は元老院が中心なの。元老院の議員は元行政官とかが多いのかな? その議員達のトップが執政官。執政官と元老院議員達が議会を開いて色々と決めるんだけどね」
「では政治家による共和制か。それは戦時には不利だな。特に奇襲には弱い」
「一応、みんな若い頃に徴兵されてるから軍隊経験もある筈なんだけど。リリーンネールも軍楽隊に所属している軍楽士なんだよ」
 何やら古代ローマを思わせるような政治体制らしく、一応は高度に発達した政治形態と言える。しかしどのような政治体制であろうともいつかは形骸化は免れないもので、おそらくこのエルフ社会も長年の停滞を経験して硬直化の傾向があるようだった。
 やがて兵士との不毛な会話に見切りを付けたリリーンネールが、憮然とした顔でこちらへと引き返して来た。
「全く、相変わらず仕事が遅いわね。そもそも未だに招集が掛かってないってどういう軍隊なのよ……」
「リリーンネールはほら、軍楽隊だから」
「軍楽隊だって士気高揚とか情報伝達とか色々と役割はあるのよ。本当に軍楽隊だって理由だけで招集掛けてないんだったら上は余程の無能よね……」
「ところで、ここの規模はどの程度なんだ? 人口や戦力はどうなっている?」
 レミュエールとリリーンネールのやり取りは門外漢のレイジにとってはよく分からない。言葉の意味合いは分かるが、背景となる情報が圧倒的に足りないので想像で補わなくてはならない部分が多い。
「人口はそうねえ……大体2万人くらいかしらね。兵力は5000人はいるかしら。人間やゴブリンに比べたら少ないけど、戦力比で考えればそれほど劣ってる訳では無いわよ」
 現代日本より来たレイジにとっては少なく感じる数字ではあったが、そもそもこの星の戦闘の規模がどの程度なのか分からないので比較がし辛い。
「このような有事の際の段取りは?」
「まずは現状を把握しないとだから、森林警備隊が偵察を出すんじゃないかしら。それから風の精霊による『音伝達』で中央に報せが届く筈。その後でようやく招集が掛かって軍の編成に乗り出すんじゃないかしら。ああ、自分で言っててイライラしてきたわ」
 どうもこのリリーンネールと言う女性、少々短気な性格をしているようだ。軍楽隊所属だと言うが、果たしてそれは性格的に向いているのだろうかとレイジは考えてしまう。
「先に軍が招集だけ掛けておく訳にはいかないのか?」
「それだと皆から不満が出るのよ。若者の殆ど全てが兵士だからね。警備や巡回の要員以外は平時は普通に仕事してるし。だから段階的な招集の仕方をしてたりするのよね。さっき言ったみたいに、軍楽隊は後回しになったり。真っ先に招集されるのはやっぱり森林警備隊よね」
「そもそもどんな種類の兵科があるのか分からないんだが」
「そんなに多くないわよ? 森林警備隊と軍楽隊の他は中央警備隊と国境警備隊、それから戦時徴兵の民兵隊。装備面は殆ど統一されてる。違うのは軍楽隊だけね」
「どう違うんだ?」
「エルフ兵士は皆が精霊使いで弓使いなのよ。だから装備は弓が中心で、あとは接近戦用に剣やナイフを携行してる。軍楽隊は後方支援が役割で、主に呪歌(じゅか)で集団効果を誘発するのよ。装備は楽器で笛だったりリュートだったり太鼓だったり、まあ色々あるわね」
 レイジは軍楽隊などと言うから自衛隊の軍楽隊のような、ブラスバンドやオーケストラみたいなものを想像していた。しかしエルフ達のそれは少々違ったもののようで、呪歌というのもよく分からなかった。
「ともかく、この轟音でただ事じゃないのは明白よね。私は最終的には軍楽隊で招集が掛かる筈だから、部隊に合流しないとならないわ。レミュエールとレイジは何処かに避難してなさい。貴女が徴兵されるとしたらそれは余程手が足らない時だけだから、それまでは大人しくしてなさい。いいわね?」
「うん、分かった」
 リリーンネールはそれだけを告げると、本隊へと合流すべく何処かへと行ってしまった。残された二人は物陰でしばし大人しくしていた。
「こういう時の避難場所は無いのか?」
「ある事はあるんだけど、私もレイジも目立っちゃって騒ぎになりかねないから」
 おそらくレミュエール一人だけなら周りから無視されたり、ちょっとした意地悪をされたりする程度で済む。しかし人間であるレイジがエルフの集団に入ればきっと周りから吊るし上げられ、敵の間者だとか不審者だとか言われて散々な目に合うだろう。
「なら家に戻ったらどうだ?」
「また2時間も掛かるんだけど、それでいいなら別に構わないけど」
「どうせここにいても出来る事など無いし、だったらいざという時の為にも家でぐっすり休んだ方がいいと思うぞ」
「そうなのかな? ぐっすり休めるとは思えないけど……」
 しかし特に反対する理由も無く、さりとてやりたい事も思い付かず、結局は家に戻る事に。
「そういえば精霊としての能力で状況を知ったみたいな事言ってたけど、今どうなってるのか分かる?」
「状況は大して動いていない。しかし被害は確実に増えている。大規模な森林火災は消化に時間が掛かる。侵入者を撃退しても、その後が大変だろうな」
 そこまで説明して、ふとレイジの頭の中で一つの仮説が生まれた。もしかしてこれは、大規模な陽動作戦なのではないだろうか。森林火災の消火作業に人手を取られている間に、別方向から侵攻されたらどうなるだろう。
「……まあ俺が思い付く程度の事、他の連中も当然思い付くか」
「……?」
 この時レイジは現代日本の基準で物事を考えていた。さらに言えばよく知られているファンタジーを題材にした小説や漫画、ゲームなどで登場するエルフは人間よりも頭が良いとされている為、それを多少なりとも知っていたレイジもそういった先入観を持ってしまっていた。
 事実、この星のエルフも人間より知識が豊富で頭が良いとされているが、勉強が出来る事と賢明であるという事は全く別の類いの話である。例えば一国の指導者がルーピーなどと呼ばれたりする事があった事からも分かる通り、例え東京大学を出ていてもクルクルパーだと言われるような人もいる。
 そういった例からも分かる通り、別にエルフは殊更賢い生き物と言う訳では無い。知識が豊富とされているのも単に人間に比べて長命なので、勉強する時間が長いだけの話である。人間よりも賢いと言われているのも単に長命な為に経験が豊富な場合があり、そのようなエルフの長老がいる場合に限り賢いのである。
 残念ながら現在のエルフ族は衰退の過程にあり、そのような優秀で経験豊富な賢いエルフの長老や指導者層がいない。逆を言えば、そういった経験豊富なエルフや賢くて優秀なエルフが少ないからこそ衰退していると言ってもいい。


 その後、2時間掛かってレミュエールの家に到着するとさすがに夜中になってしまっていた。さらに食事を取らずに家を出た為、さすがに空腹感が襲ってきた。
「もう遅いけど食事にする? それとももう寝ちゃう?」
「食べれる時に食べた方がいいし、寝れる時には寝た方がいい」
「……えっと、よく分かんないんだけど、両方って事かな?」
 レイジの言い分がよく分からず、レミュエールは先に食事を取るのだと解釈して準備を始める。実はレイジという男は若干天然の気があるのだが、レミュエールにとっては初めて接する若い人間の男なので、変わった人だなという程度の認識しかない。
 やがて台所より出て来たレミュエールが食卓に並べたのは、野菜のスティックやらナッツの類いやら何らかの果実やら、あまり料理とは呼べないベジタリアン風の食事だった。一応主食なのか、麦の粥が皿によそられている。
「お口に合うか分からないけど、どうぞ食べて」
「悪いな。ご馳走になる」
 レイジが両手を併せて「いただきます」などと言うので若干混乱したが、それはレミュエールにとっては「頭にのせる」というような意味合いで聞こえたので意味が全く分からなかったからである。
 麦の粥はごく僅かに塩で味付けしてあるだけの簡素なもので、これは西洋のポリッジと呼ばれる粥に似ている。中に少量のレーズンが入っていてアクセントとなってはいるが、現代日本の豊富な食文化に慣れてしまっているレイジにとってはあまり美味しい食べ物では無かった。
 それでも朝食に質素な伝統的な日本食を毎日食べているのが幸いしているのか、レイジは文句一つ言わずに黙々と食べる。レミュエールはそれを見て自分の料理に問題が無い事を知り、若干嬉しさを感じつつ自分も向かいの席で食事を取る。
 そこでふと、何故自分は知り合ったばかりの人間の男にここまで心を許しているのかと考える。これが自分だけならまだ分かるのだが、あの人間嫌いのリリーンネールからして随分とあっさり打ち解けていたように思う。やはり普通の人間では無く、同時に精霊として認識しているからだろうと己を納得させた。


 未だ招集の掛かっていない軍楽隊に合流したリリーンネールは、前線よりもたらされた情報に戸惑いを感じていた。
「森の外側から火の玉が飛んで来るって、一体どういう事?」
「ゴブリン達の新兵器らしいぞ」
 同僚のエルフ青年がそんな事を言う。
 現在、軍楽隊は中央より少し離れた場所にある軍の訓練場に集結していた。とは言っても招集が掛かっていない為に総数の100名には到底及ばず、僅か10名程の集まりにしかなっていない。
「新兵器? 例の爆弾とか言うのじゃなくて?」
「偵察の見たところ、遠距離から爆弾が飛んで来るらしい。今までは見える距離から手で投げたりしてきてたのが、今回は相手が見えない位の距離から飛んで来るって話だ」
 ゴブリンの新兵器は要するに榴弾砲(りゅうだんほう)と呼ばれる現代兵器に近いのだが、当然この星ではまだ知られていない。大砲の一種であり、通常の砲弾を使用する長砲身のカノン砲と違い、砲弾内部に火薬を詰めた榴弾を用いる短砲身の火砲である。この星においてはカノン砲自体が開発されていないのだが、これは単に地球の開発史とは違う経過を得ている為だと考えられる。
 今回のゴブリン達の榴弾砲の運用法は丘陵地帯の稜線の向こう側から曲射による砲撃を行い、構築した陣地にいるゴブリン兵の姿を悟らせずに一方的に攻撃が可能という戦術を取っている。また、用いられる榴弾も爆発力よりはむしろ燃焼性を重視した作りになっており、これは現代地球においては焼夷弾(しょういだん)と呼ばれている。
 このゴブリン製の焼夷弾は俗にナパーム弾と呼ばれるものに近く、原油から蒸留されて作られるナフサと呼ばれるガソリンの一種が用いられている。日本ではあまり聞き覚えが無い名称だが、よくコンビニなどで売っているオイルライター用の詰め替え用のオイルがナフサに相当する。
 要するに今回のゴブリン族の攻撃はガソリンで火を付けているようなもので、これではいくら森の木々が水分を有していて簡単には燃えないとしても限度がある。例えばアメリカ軍がベトナム戦争で密林地帯に潜むゲリラを叩く為、空中よりナパーム弾で爆撃をして森を燃やした事は有名である。この時はアメリカ軍は枯れ葉剤を併用する事で威力を上げたのだが、ナパーム単体でも充分恐ろしい火力を持っている。
 また、ナパーム弾は周辺の酸素を一気に奪う性質を持っている為、近くにいれば酸欠で死ぬ事もある。その為、大量殺戮兵器という側面もあって現代地球においては条約で使用が禁止されている程だった。尤も、アメリカ軍はナパーム弾の『類似品』を開発してそちらを使用しているのだが。
「森の外側か……それは厄介ね。国境警備隊は応戦してないの?」
「敵陣に接近しようとしたところを伏兵に襲われて全滅だそうだ。現在、第二陣を編成している最中らしい」
「……完全に後手に回ってしまっているわね」
 対するエルフ族は常に国境警備隊が森と外界との境界を警備しているのだが、この新しい戦術に全く対応出来ていない状況だった。今までは森に侵入してくる者がいても樹上や木々の合間から一方的に弓矢などで追い払う事が出来ていたのが、今回の遠距離からの砲撃という手段に対しては全く裏目に出てしまっていた。
 それどころかエルフの森は結界によって守られており、侵入者は方向感覚を失って決して外へと出る事が出来なくなるという抑止力さえあったのだが、これも砲撃に対しては全く意味を成さない。
 まさか自分達よりもさらに射程の長い武器で、一方的に攻撃されるなどとは全く考えていなかった。これは地球における戦史では度々起きてきた事で、新たな兵器や新たな戦術が生み出され、対策が取られるまでは一方的に蹂躙するケースが多い。古代マケドニアのファランクス然り、日露戦争でバルチック艦隊を沈めた東郷ターン然り。尤も、東郷ターンはそれ以来通用しなくなった一度限りの戦術だとされているが。
「森の消火作業はどうなってるの?」
「そちらは森林警備隊の方で当たってるみたいだが、まだ攻撃が続いてるからな。連中を叩かない限り火の勢いは止まらないだろう。むしろこちらの方が問題だな。消火作業の為にエルフ総出で、って事もあり得るかも知れん」
 常春の森の森林面積はおよそ30平方キロメートル程もあり、これは丁度、東京の山手線の内側と同等の広さである。これだけの広さの森林を燃やし尽くそうとするなら相当量の焼夷弾が必要になるだろうが、一度燃やされてしまえば森林の回復には時間が掛かる為、エルフにとっては死活問題に繋がる。そもそも森林=領地である為、失われた分だけ領地も減る。
「お前達早いな。よく集まってくれた」
 声のした方向を見ると、ようやく軍楽隊の隊長が訓練場に入って来たところだった。500年は生きている壮年のエルフ男性であったが、普段は音楽家として生活している為にあまり軍人らしくない。そもそも軍楽隊の楽士達は普段は殆どが吟遊詩人や楽士として活動している為、他の兵士に比べるとどうしても見劣りしてしまう。そもそも武器らしい物は何一つとして持っていないのだから当然である。
「隊長、上からの命令は何と?」
 ようやく隊長が来た事で事態に変化が訪れる事を期待して、リリーンネールは間髪入れずに問う。それに対して隊長は些か困惑したような表情で片手を上げる。
「いやいや、我々にはまだ何も命令は降りていない。軍楽隊の役割は戦場における士気高揚、後方支援、情報伝達、敵軍撹乱にある。現状では我々に与えられる作戦は存在しない」
 軍楽隊はあくまで本隊が存在して初めて効果を発揮する部隊であり、主力となる民兵隊が組織されずに単独で運用される事は無い。
「しかし、事態は刻一刻と変化しています。現状で動ける者だけで先行してもいいのではないですか?」
「それは組織に属する一員として問題発言だぞ。統率を欠いた軍ほど脆いものは無い。だからこそ、軍楽隊の呪歌で士気高揚させる意味があるんだぞ。自ら存在意義を否定してどうする」
「ですが!」
「焦る気持ちは分かる。しかし我々は常に後方において支援する存在だ。一番最後に命令が下されるのが常だ。まずは国境警備隊、それから森林警備隊。それでも対応出来なければ民兵の登場だ。それからようやく軍楽隊にお声が掛かる。今ようやく森林警備隊の第二陣が招集されたところだ。それが済めば消火作業の為に民兵隊が招集される」
 隊長の説明を聞き、それでは遅いと怒鳴りたくなるが何とか堪える。敵は新たな戦術で攻め込んで来ているのだ。こちらの対応を研究して臨んでいるに違いない。しかし組織というものは常に硬直化の問題を抱えているものであり、規律正しくあろうとすればそれだけ即応性を犠牲にしてしまう。ましてや長い寿命によって長年の経験を妄信している節さえあるエルフ族にとって、臨機応変という言葉が非常に遠い。
 過去の経験で言えば、かつて森の木々を切り倒されたという経験があった。しかしその時は直接、斧などを用いた伐採であったので相手の姿はよく見えた。その為、その切り倒している相手を直接叩けば済んだ話であり、今回のような曲射砲撃などはまるで勝手が違う。
「とにかく我々はいざと言う時に備えておく事が肝要だ。まずは軍楽隊全員の招集を行う。手分けして伝令してくれ」
 リリーンネールは長い夜になりそうだと思いつつ伝令に出た。


 レミュエールの住む家は国境近くにある為、割と近場に国境警備隊の詰め所がある。詰め所と言っても普通の建物では無く、巨木の樹上に周囲にとけ込むようにして設けられており、草原地帯を一望出来るようになっていた。しかし逆を言えばその巨木は草原から見ても目立つ存在であり、ダークエルフの士官が真っ先に攻撃対象に指定したのは偶然では無かった。
「レミュエール、起きろ」
「う? ううん……」
 食事を終えてしばし互いについて語り、夜も遅いからとレミュエールは自室のベッドで寝ていた。レイジは居間のソファで横になっていたのだが、突然目を覚ましてレミュエールを起こしに来た。一時間くらいは寝たのだろうが、こんな中途半端な起き方をした事が無いレミュエールはまだ寝ぼけ眼であった。
「どうしたの? やっぱりベッドの方がいいの?」
「違う。そうじゃない」
 レミュエールは寝る前にレイジにベッドを使わせようと気を使ったのだが、さすがに若い娘が普段から使っているベッドに寝る訳にはいかないと断られていた。それなら一緒にベッドで寝てもいいとさえレミュエールは言ってくれたが、レイジはそれをスルーしてさっさとソファに横たわってしまった。
「敵が近付いている。おそらく100名はいるだろう」
 寝ぼけた頭でレイジの言葉を聞き、レミュエールはさすがに驚いて意識を覚醒させた。
「……えっ!? 侵入者って西じゃなかったの?」
「おそらく西は揺動で、こちらを手薄にする為だったんだろう。もしくはさらにこちらも揺動で、再び別方向から攻めるという搦め手も考えられる」
 後者はあくまでレイジの想像に過ぎないが、西から攻めているゴブリン工兵部隊50名と輜重隊50名、東から新たに攻めて来る100名で総数2000名の兵力の僅か一割しか投入されていない。レイジは全体像を知っている訳では無いが、彼の想像は充分にあり得るものだ。
「どうしよう? 国境警備隊がいるから何とかなるかも知れないけど」
「人数的には厳しいかも知れないな。詰め所にいるのは僅か20名だ。それに若干エネルギー値で相手の方が上のようだ」
「エネル……何?」
「気にしないでくれ」
 聞き慣れない言葉に思わず聞き返すが、説明が長くなるのでレイジは説明しなかった。
「とにかく分が悪い。逃げるか?」
「ううん。多分結界があるから大丈夫だと思う」
「結界? 人払いの効果でもあるのか?」
「ちょっと違うかな。森に入ったら迷って方向が分からなくなるの。一生外には出られないくらいよ」
 レミュエールの言葉を聞き、レイジは少し考え込む。だが何かに気付いたのか、怪訝な表情で問い返す。
「詰め所のある巨大な木があるだろ。ああいう目立つものがあるのに迷うのか?」
「……えっと、詰め所自体は見付かっちゃうかも」
 ここにもエルフ族の抱える停滞の影響が見て取れた。長い間、森の中から出た事が殆ど無い為に攻める側の視点に欠いており、警備体制にいくらかの問題点を抱えたままになっていたのだった。実際は詰め所は見付かってしまうとしても侵入者が迷うのは変わらず、森の深奥へと侵攻するのは事実上不可能ではあった。
「……しかし、一人だけ気になる動きをしているヤツがいるんだよな」
 レイジの付け加えた一言がレミュエールの不安を煽る。
「どういう事?」
「いくつかの木の枝を切り落として歩いている。どんな意味があるのか分からないが」
「えっ!?」
 その行為がどんな意味を持つのかレイジにはよく分からなかったが、それを聞いてレミュエールは酷く驚いた。実は森の結界にはいくつかの樹齢の長い古木が利用されており、その古木の枝が他の古木の枝とリンクして結界を維持している。もしもこのシステムを理解する者がいて古木の枝を切り落としているのだとすれば、それは結界の崩壊を意味している。
「古木の枝を落として結界を破壊しているのかも……でもエルフ以外でそんな事が出来るなんて……」
 実際はダークエルフの士官によるものであったが、まさかかつて自分達が追い出した侮蔑の対象がこんな復讐をしてくるなど考えた事も無かったのだ。例えるなら、イジメを行う者は自分が仕返しされるとは考えてはいないのと同じ事である。ハーフエルフのレミュエールにしても、さすがにそこまでは想像が付かなかった。
「つまり結界を破られ、詰め所は破壊され、国境警備隊は早々に敗れる公算が大きいと言う事だな?」
 レイジの出した結論に反論が思い浮かばず、レミュエールは何も答えられない。レイジもこの状況でどう行動したらいいのか、しばし考える。
 まず目的を見失ってはいけない。
 自分はいつか必ず地球へと帰還するのだから、ここで死ぬ訳にはいかない。ではレミュエールについてはどうだろうか。彼女を守るのか見捨てるのか。これは契約という約束事をした以上、守らなくてはならない。しかし、レミュエールはこの状況で判断を下せそうにない。ならば最善を尽くすしかない。
「ここは逃げた方が賢明だ。この家にいてもおそらく見付かってしまうだろうし、詰め所に報告しに行くとしても巻き添えになる可能性が大きい。中央から増援を呼ぶなりすればいい」
 しかしレミュエールはレイジの言葉に首を横に振って拒否の意思を示す。
「……私がこんな端っこに住んでいるのには理由があるの」
「……どんな理由だ?」
「いざと言う時には国境を守護する事。これが忌み子のハーフエルフがこの森に住まわせてもらう為の条件。敵前逃亡は極刑に値すると言われたわ」
 それは何とも酷い話だとレイジは思う。現代地球においても東西問わず何処にでも差別は存在するが、何のバックアップも無しに戦えと強制されるのは戦略的に無意味だ。すなわち自分達の手を汚してまで積極的に迫害したくは無いが、赤の他人に殺されるなら自分達の名誉を傷つけずに済むという打算が働いている。
「そんなくだらない理由でここに縛られるのか?」
「これは私を庇ってくれているリリーンネールの為でもあるの。私が逃げるなら彼女の立場が悪くなる。元々、ここに住めるように交渉してくれたのも彼女なの。だから逃げられない。残って戦うしか私には選択肢が無い」
 正直に言えば戦うなど恐ろしくて全身に震えが奔るが、それでもここに住む事になってからいつかは戦う事になると覚悟はしていたのだ。
 レミュエールはベッドの脇の本棚から何やら書物を取り出し、続いて戸棚に立てかけてあった弓を手に取る。まるで一人で戦いに赴くかのような悲壮な決意を感じ、レイジは憮然としながらも口を開く。
「……さすがに一人で行かせる訳にはいかない。俺も共に行こう」
「いいの?」
「まさか契約しておいて俺だけ逃げる訳にもいかないだろう。だが、レミュエールを守る以外の余計な事はしないぞ」
「ありがとうレイジ」
 こうしてレミュエールはレイジと共に初陣に臨む事となった。


第十三話・妖精舞踏
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