Sick City
第四章・荒神暴虐

 空間も時間も捩じ曲げて、一瞬にして違う場所へと転移させてしまう。それを何処にいてもどんな状況でも自在に行えるとするなら、それはまさに全てを超越した存在だと言える。何故ならそれは、時間を操る事が出来ると言う事だからだ。
 私の近くにいた筈の爺ちゃんとカンナカムイの姿がない。ラビエルやルシファーも何処かへ消えてしまった。
 いま私の目の前に広がる光景は、カンナビやエ・テメン・アン・キとは全く異なる。沢山の幾何学模様がそれぞれ独自に回転したり収縮したりして動き、まるで万華鏡の中にでも放り込まれたみたいだった。円筒の壁面に立っているのに、何故か渦に呑まれているような錯覚を起こす。
「ようこそバベルの塔へ」
 中空に一人の女が浮かんでいる。アラブのベリーダンサーみたいな格好をした、青い肌の美女だった。
「……アンタがイシュタル?」
「ええ、そう。このバベルの塔が起動し、各神域とのネットワークが復旧したおかげで『門の神』の力を利用する事が可能になったわ。邪魔者は全て島流し。この地球に現在存在する神は私だけ」
 この女の言っている事がよく分からない。
「ちょっと待ちなさいよ。アヌビスとか門に呑まれてないでしょ?」
「ああ、彼らも後で門に吸い込まれたわよ。彼らが何処へ飛ばされたのか、それは『門の神』次第だから私にも分からないのだけど」
 他の皆が何処かへ飛ばされたとは一体どういう事なのか。地球上の別の場所なのか、別次元にでも飛ばされたのか。
「……で、どうして私だけここにいる訳?」
「それはアナタだけにお話があったから。彼女が暴れていて困ってるのよね」
 ズシン!!
 イシュタルの言葉が途切れるのと同時、遠くから何か凄い音が聞こえてきた。
「アナタのお友達なんでしょう?楯山静さん。彼女が環太平洋の主神だったからカンナビのアクセスコードを奪う為に連れて来たのだけど、カンナカムイに先手を打たれてしまってね。全くの無意味になってしまったわ」
 静ちゃんが暴れているとはどういう事なんだろう。イシュタルの説明はいまいちピンとこない。
「……無意味なら皆と同じように何処かへ飛ばせば良かったんじゃないの?何でわざわざ私に頼むの?」
 私の疑問に対し、イシュタルは嘆息混じりに口を開く。
「ハァ……そう出来たら楽なんだけど。彼女、桁違いなのよ。圧倒的なパワーの持ち主な訳。門の神の転移門を無理矢理引きちぎるのよ?全く、呆れちゃうわね」
 だからと言って、おそらく敵であろうこの神の言いなりになるのは何だか癪に触る。しかし高速で接近してくる高エネルギー反応に対処するのが先だった。
 バキン!!
 無機質な金属製の床が、何かで抉られたように次々とひしゃげていく。足元の床面が破壊され、咄嗟に跳躍して逃れる。
「ッ!――――――静ちゃん!?」
 私の目の前に現れた静ちゃんは、およそ正気を保っているとは思えなかった。目は虚ろで何も見ていないように見える。それだけじゃなく、外見も劇的に変化を遂げていた。
 まず、両手が『大きな両脚』になっている。元の自分の脚があるのに、両手もそのまま地面に付く脚になっているのだ。そして背中より、巫女装束を破って筋骨隆々とした化物の上半身が生えている。鋭い爪を備えた両腕に、まるで鬼のような顔。身長は3メートルを超える。その変貌ぶりに驚いていると、空中のイシュタルがどういう事なのか説明を加える。
「かつての環太平洋の主神、デイダラボッチ。大国主、コタンカルカムイなどとも言われてるそうよ。その正体は宇宙から来訪した寄生生物。彼女自身は厳密には神では無く、あの後ろの化物が神なのよ」
 背中の化物が神?寄生生物?しばらくぶりの超展開に、ただただ言葉が出ない。では日本の神様は宇宙人だったのだろうか?
 ちなみにデイダラボッチとは日本各地に残る伝承に伝わる巨人で、富士山を作ったとか流した涙が浜名湖になっただとか、とにかく色々な逸話を持っている。これらの伝承から国造りの神とも言われ、日本神話の大国主やアイヌのコタンカルカムイなどとの同一説もあったりする。一方で妖怪だとする説もあり、大入道だとか鬼だとか言われたりもする。
「……ブシュルルルル!!」
 牙の生え揃った凶悪な口から蒸気のような息を吐き、鬼の赤い瞳がこちらを睨み付けてくる。
「何だか神様って割には知性を感じないんですけど……」
「当然ね。この神は宿主の知能に寄生している。宿主が正気でないなら当然、この寄生生物も狂ってしまう。今は目に見える動く者を見境無く攻撃している状態なのよ」
 つまり、静ちゃんが正気を失って神をコントロール出来なくなったという事になるのだろうか。
 それにしても桁外れのパワーだ。私が感知出来るエネルギーの総量はおよそ72億。これは世界人口の総数と同等と言える。主神クラスのエネルギーを持つイシュタルでえ、おそらく全く歯が立たない。
「ガアアアッ!!」
 猛り狂ったデイダラボッチが右腕を振り下ろす。
「うわっ!」
 ズゴン!!
 感覚領域に異質なエネルギーの高まりを感知して、咄嗟にその場から飛び退る。私が立っていた場所が大きく抉れ、さらに陥没までしている。いくらか離れていたのに、手の一振りでこれだ。爪が空間を引き裂き、さらに手が重力を操る。
「さて、そいつの相手はアナタに任せるわね。私はこれから、新たなる唯一神となる」
 空中で様子見していたイシュタルが、この場から離れようとする。このイシュタルという神はその活動初期から現在に至るまで、徹頭徹尾『唯一神となる』為に行動していた、たった一人の神だと知れる。そもそも現代に神が蘇り、それぞれが争う事になった発端を作ったのがこのイシュタルだったのだ。
 ズドン!!
「――――――げふっ!?」
 突然、超大な重力が空飛ぶイシュタルに圧し掛かる。空から叩き落とされ、地面にうつ伏せに叩き付けられてしまう。
「ゴアアアアアッ!!」
 怒り狂うデイダラボッチが猛然と突進し、床に伸びているイシュタルの背中目掛けて爪を振るう。
「くッ!アラルー・バーブ!!」
 突然消え去るイシュタル。瞬間移動か何かだろうか、唐突に姿を消した為にデイダラボッチの一撃は陥没した床をさらに壊しただけだった。ネットワーク管理神であるイシュタルは、その身を純粋なエネルギー思念体へと変え、自由に天国と地獄を行ったり来たりする事が出来るようだ。
 中空よりエ・テメン・アン・キと繋がるゲートが開き、紫色の怪しい輝きと共にイシュタルがその身を再構築する。おそらくこの力があるから、今までデイダラボッチの攻撃をやり過ごしてこれたのだろう。
「私を逃すつもりは無いと言う訳ね……。しかし後少し、各神域を調整する時間が稼げればこの私が頂点に立てる。再び来れ!『門の神』よ!!」
 イシュタルの呼び掛けにより、唐突に巨大な門がデイダラボッチの眼前に出現する。開け放たれた扉から次々と何者かが飛び出して来る。
「アロケン!部下達を率いてそいつを食い止めなさい!!」
 飛び出て来たのは悪魔達だった。それも新宿で戦った、あのライオン頭の悪魔だ。
「お任せをッ!者共行くぞおッ!!」
 次々と現れる悪魔達の群れの先頭に立ち、アロケンが気勢を上げる
「ッッッッツ!!――――――ジャマッヲッ!!――――――スルッナッ!!!」
 ゴッ!――――――バァンッ!!
 デイダラボッチの周囲に膨大なエネルギーが満ちあふれ、両手を地面に叩き付ける。
「ぐはッ!!」
 地面は金属の床なのに、何故か無数の岩石の杭が飛び出して全ての悪魔達の身体を串刺しにしてしまう。さらに岩石の杭が赤熱化し、高熱の溶岩流となって悪魔達の肉体内部へと流入する。
「ぶぺらっ!?」
 パンッ!!
 先頭のアロケンの身体が風船のように膨張し、内部からの高熱によって破裂して爆散してしまう。他の悪魔達も連鎖反応のように次々と爆散していき、僅かの間で全滅してしまった。
「なッ!?」
 その光景に、さすがのイシュタルも顔面を蒼白にして絶句する他無い。いや、元々顔色悪いんだった。
 それにしてもあの岩石の杭、あれは叶さんがよく使う『金剛穿(こんごうせん)』に似ている。デイダラボッチは日本の神様だから、叶さんはこのデイダラボッチの力を借りているのかも知れない。
「ええい『門の神』よ!もっと強力な存在を呼び出し給え!!」
 あくまで自分で戦うつもりは無いらしく、再び『門の神』に願う。何で力を貸しているのか分からないんだけど、ともかく再び何者かが這い出て来る。
「……うげ、何アレ」
 現れたのは、実に奇怪な異形の生物だった。50メートル程もある『門の神』と同じ位に巨大で、二本の腕と二つの脚を持っていて一応は人型に近い。しかしその頭部は蛸がそのままくっ付いたような奇怪なもので、イカの足みたいなものがヒゲみたいに無数に生えている。背中には蝙蝠みたいな翼を持ち、全身は鱗状のもので覆われていて濡れ光っている。まるで特撮ヒーロー物にでも出て来る宇宙怪獣みたいだ。
「ッ――――――ブッ――――――ツッツ――――――ガ」
 殆ど何を言っているのか聞き取れない、何か未知の異音を発して巨体を蠢かせる。
「くうううッ!!何なのよコレ!?」
 宇宙怪獣の放った強烈なテレパシーが精神を掻き乱し、ストレス反応を誘発して生体を狂わせる。このままの状態でテレパシーを受け続けると、いくら私でも狂死してしまいかねない。
「ならばッ!波定める音の響き、邪気を払いたまえッ!――――――兵法陣立・波定陣(はじょうじん)!!」
 和弓より放たれる白銀が、虚空を飛んだ後に無数の矢となって現れる。次々と床に突き立つ白銀が、宇宙怪獣の放つテレパシーを拡散させる。通常、地上レーダー網として多用していた技の真価は妖気を払い、邪気を払うという側面をも持っていたのだ。
「ジャマッ!スルナッ!!
 対して直接対峙しているデイダラボッチはテレパシーの影響を受けていないのか、片手で何かを振り払うような動作をする。
 ドゴン!!
 発生した超重力が宇宙怪獣の巨体を横方向へ吹っ飛ばし、さらにその後ろの『門の神』まで弾き飛ばされる。さらにもう片方の腕を突き出すと、遠く空飛び逃亡中のイシュタルが動きを止めた。
「ひぐッ!?」
 何か見えない力で全身を鷲掴みにされ、イシュタルはぐいと引き寄せられる。デイダラボッチはさらに片方の腕を振りかぶり、引き寄せられて来たイシュタル目掛けて叩き付ける!
「ウオオオオッ!!」
 ドパン!!
「がはッ!?」
 爪ではなく拳の一撃を受け、イシュタルの身体が豪快に吹っ飛ぶ。
「ッ――――――ブッ――――――ツッ――――――ガッ!!」
 その間に吹っ飛ばされて体勢を崩していた宇宙怪獣が再び立ち上がり、ヒゲのような無数の触腕を伸ばしてデイダラボッチを絡め取ろうとする。50メートル近い宇宙怪獣に比べ、僅か3メートル程度の大きさでは無数の触腕に絡まれると姿が見えなくなってしまう。
「ジャマヲッ!スルナッ!!」
 ズシン!!
 しかし見る見る内にデイダラボッチの身体が巨大化し、50メートルの宇宙怪獣よりさらに巨大になってしまった。
「うわわっ!!」
 巻き添えを喰ったらたまったもんじゃないと考え、私は慌ててその場から離れる。
 60メートル近い大きさになったデイダラボッチは、宇宙怪獣を抱え上げて逆さにして頭から床へと叩き付けた!
 ズゴン!!
 単純ながら豪快なパワーボムを喰らい、宇宙怪獣が頭を抱えてのたうち回る。ちなみにデイダラボッチの巨大化で静ちゃん自身の身体は見えなくなっている。
 デイダラボッチはさらに宇宙怪獣の両脚を両脇に抱え込み、何とジャイアントスイングで遠くへ放り投げる。
「ッ――――――ブッ――――――ツッ――――――ガッ!!」
 しかし宇宙怪獣もやられっぱなしでいる訳も無く、背中の翼を使ってそのまま空へと飛翔する。巨大な身体で飛ぶものだから、強烈な突風が周囲で巻き起こる。
「えっ?」
 宇宙怪獣の目の前に偶然飛んでいたイシュタル。隙を付いて逃げようとしていた所に、たまたま宇宙怪獣が飛ばされて来た。目の前の異形に呆然としている。
「ッ――――――ブッ――――――ツッツ――――――ガ」
「うッ!?」
 何と宇宙怪獣は何を思ったのか、イシュタルに向けてテレパシーを放った。至近でマトモに精神波を浴び、イシュタルの動きが止まる。本来の力を発揮出来ていれば、或いは油断さえしていなければ防げたかも知れない。しかしイシュタルよりも強力な力を持つ宇宙怪獣にとって、目の前の女はただのごちそうにしか見えなかったようだ。
「うぎいいいいいッ!!」
 触腕に呑み込まれたイシュタルの断末魔の叫び声が、虚しく中空に響き渡る。自らが呼び出した存在に、自身が喰われてしまった。
「……哀れな」
 最初から最後まで暗躍した黒幕の呆気ない最後に、私の胸に去来するのはただ虚しさのみ。
 一方、イシュタルを文字通り『喰った』宇宙怪獣は今度は何を思ったのか、後ろを向いて『門の神』の吹き飛んだ方向へ飛ぶ。どうやら極上の食事を終えた事で満足してしまったらしく、目の前の強敵とわざわざ戦う理由も思い付かない為、さっさと退散しようとしているらしい。
「――――――ニゲルナ」
 バキン!!
 しかしそれで相手を許すデイダラボッチでは無かった。いつの間にか元の大きさに戻っていたけど、片手を逃げる宇宙怪獣に向けてかざす。
「ッ――――――ブッ――――――ツッ――――――ガッ!?」
 突然、空中で静止する宇宙怪獣。じたばたと両手両脚を動かし、背中の翼を羽ばたかせて見えない力から逃れようと必死に抵抗する。しかしデイダラボッチの生み出した超重力は互いを引き離そうとする斥力を生み、宇宙怪獣の周りを場となって包み込む。
 メキッ!!
 その時、今まで自我を失っていた静ちゃんの眼に意思の光が戻った。
「験力・雲母坂(げんりき・きららざか)!!」
「ッ――――――ブッ!?」
 ゴシャッ!!
 超重力が宇宙怪獣の全身を圧縮し、嫌な音を立てて肉塊へと変えていく。あれだけ巨大だった身体はどんどん圧縮され、気付けば握り拳大にまで小さくなっていた。さらに圧縮時に発生した摩擦熱を最後に解放する。
 キュバッ!!
 眩い光を放ち、宇宙怪獣だった肉塊は跡形も無く消滅した。


第十二話・荒神復活
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