Sick City

第一章・諜報合戦

 静ちゃんが誘拐された翌日。
 捜索班として別行動を取る事となった私と叶さん、蓮見、美雪ちゃんの四名は、まず現時点で判明している情報を頼りに行動を取っていた。静ちゃんをさらった『青い肌の女』とやらは判らないんだけど、カンナカムイである鳴神真悟(なるかみしんご)の所在が判ったのだ。
「鳴神ってヤロウはここら辺の界隈じゃ、ちょっと名が知れてるらしくってな。住所はすぐに判ったんだよ」
 道案内役の蓮見が道中、鳴神について語る。私達は今、東京は新宿、歌舞伎町に来ていた。一晩寝た後、静岡県の小山市で蓮見が調達した73式トラックを受け取り、叶さんの運転で東名高速道路を走り、都内へと入ったのだった。
 都内は普段から主要幹線道路が渋滞する事が多く、車での移動には適していないのだけど、蓮見によればいざという時、自前の移動手段があった方が自由が効くから、車での移動を選択したのだそうだ。他にも自衛隊関係者となれば、警察の検問などもチェックが甘くなるし、荷台に各種武器を積載する事も出来る。
 さらに今回はノートPCが助手席に備え付けられていて、データ通信で情報を公安調査庁のデータセンターとやり取りして、リアルタイムの情報を常に受け取れる状態にあるのも大きな強みになっている。
 助手席でノートPCを操作しながら、蓮見がウインドウに表示される情報を読み上げる。
「探偵事務所、鳴神エージェンシー所長、鳴神真悟。年齢32歳。アマのボクシングでインターハイ優勝三連覇、大学時代もボクシングで活躍。しかしプロには進まず、大学卒業後は様々な職業を経て、探偵業に落ち着いたらしい。どうも元ボディガードで、その時のコネで探偵に鞍替えしたらしい。ヤーさんの組長に雇われてたらしいぜ?」
 その話を聞いて、私は妙な気分を味わった。個人的な事だけど、インターハイという言葉に引っ掛かるものを感じてしまうのだ。
「インターハイ三連覇ねえ……。私でさえメディアに取り上げられたんだから、鳴神も当時は相当取り上げられたんじゃないの?」
「そうらしいな。ただ、ボクシングってのはアマの間ならそれなりにクリーンだが、プロになるとヤクザが絡んだりして、中々面倒臭い世界なんだよな。プロにならなかった男が、何故か暴力団の組長の用心棒をやっていたってのがどうもな。それで公安の情報網の出番って訳なんだが」
 公安調査庁はかつて、共産主義者を監視する為に設立されたという組織だ。それが時代の情勢に合わせて業態を変化させ、例えば地下鉄サリン事件の時はカルト教団を監視していたし、現在では破防法適用後にシノギを変えてしまった、暴力団の実態を探るなんて事もしているらしい。
「で、色々と出て来たのがヤツの銀行口座の記録なんだけどな。どうも毎月、多額の振込と共に、多額の出金もあるんだよな」
 その情報を聞いて、運転中の叶さんが首を傾げる。
「それがどうしたの? 仕事して、生活してりゃそういうもんじゃないの?」
 しかし蓮見は、あくまで否定的な見方を示す。
「俺が言ってるのは、ヤツの個人口座だ。仕事の報酬なら、税金の問題もあるから会社に入るだろ。だが、会社の記録に残らずに個人名義の口座に入るとなると、こりゃ臭い金って線が出て来るのさ。で、入金は全部、自分自身でやってる。つまり、金は現金で受け取ってるって事になる。現ナマの力ってのは凄くってな、暴力団は大抵、アタッシュケースにどーん! って現ナマ見せびらかすのが好きなもんさ」
 今まで後部座席で黙って話に耳を傾けていた美雪ちゃんが、初めてそこで口を出した。
「つまり、探偵とは別の、後ろ暗い報酬を受け取っていると?」
 美雪ちゃんの指摘に、蓮見がニヤリと笑みを浮かべる。
「ビンゴ! 中身までは依頼主が判らねえと追跡調査は難しいけど、まあ崎守の命を狙うとか、そういう類いなんだろうな。んで、そんな振り込まれた金が、毎月奇麗さっぱり無くなってんだよな」
 何だか話が鳴神個人よりも、いかに汚い仕事をしているのかの話に逸れて来た。
「あのさ、私達の目的はあくまで静ちゃんの捜索でしょ? 鳴神がどんな事してようが、そんなのはそれこそ警察の出番なんじゃないの? もっと違う事考えようよ」
 私の意見に、しかし蓮見はまたしても首を振る。
「捜索するって当てがあんのか? 当ては鳴神だよな? で、真正面から鳴神エージェンシーに乗り込んで、はいそうですって正直に洗いざらい話してくれるのか? 答えは『ノー』だ。また戦いになるだけだぜ。ならば、どうすればいいと思ってる?」
 蓮見にそう問われ、私は考え込んでしまう。そこへ美雪ちゃんが、優しく助け舟を出してくれる。
「まずは情報を収集し、鳴神を丸裸にする事でしょうか。彼の口を割るには、彼の弱みを握らなくてはならない。そうでしょう、卓郎様?」
 これが以心伝心、ってヤツなんだろうか。そんな事を蓮見に言ったら、全力で否定するだろうけど。兎も角、正解だったらしく、蓮見は満足そうに頷いた。
「そうだ。真正面から乗り込んで、戦って勝っても何も得られない。今回は、ヤツに『勝つ』必要は無いんだよ。ヤツの口から、静ちゃんの居所を吐かせるのが目的だ。だからまず、外堀から攻めるって寸法なのさ」
 やっと得心が言ったのか、叶さんが疑問を口にする。
「外堀って一体、何を調べようって言うの?」
 その言葉には答えず、蓮見が手で車を道路の脇へ寄せるように指示を出す。叶さんは慎重に73式を、路上駐車させた。そこは、何かの事務所らしきものが入ったテナントビルの前だった。ビルを見上げ、蓮見が嬉々とした顔で宣言する。
「さて、それじゃあヤクザ屋さんに乗り込もうじゃねえか」


 男子高校生が一人に女が二人、そんな連中が乗り込んで来たところで、彼ら暴力団員は怯んだりしない。しかし蓮見の発する『殺気』は、相当なプレシャーを相手に与えた。ちなみに叶さんは、路駐でお巡りさんにキップ切られるのが嫌なので73式で待機している。
「……最近の公安ってのは、こんな若いモンに仕事やらせてんのかい」
 事務所の奥、割と普通のオフィス用の椅子に座っていた男が、蓮見と向かい合っていた。男は40代くらいだろうか、がっしりとした体系で普通にスーツを着ていてサングラスを掛けている。髪型は短く、口髭と顎髭が薄らと生えている。
「おっと、公安の名はこれ以上出さないで下さいよ。お互い、秘密の情報を共有していきたいでしょう?」
 男の懐疑的な視線を受け流すように、蓮見が事務所の中を見回す。その何とも掴み辛い態度に、男は一先ず応接用のソファに座るように手で促す。私達三人は揃ってソファに座り、その対面に男も腰を降ろす。
「まずは自己紹介といこうかい。俺は三枝組(さえぐさぐみ)若頭、横山健一だ。もっとも、この事務所はただの人材派遣会社でね。俺の役職は一応、社長って事になってるが、なあに、ただの組の使いっ走りに過ぎんのよ。だからな、お前さんの期待する情報が提供出来るかって言うと、ソレは俺の一存じゃ決められんのよ」
 横山と名乗った男はそこまで言うと、口に煙草をくわえた。それを蓮見が手で制する。
「おっと、こちとら未成年なんでね。すんませんが、煙草は控えて貰って構わないでしょうかね?」
 他所様の事務所に乗り込んだ挙げ句、そこまで言える神経はさすがと言える。しかし、こちらにはか弱い女子が二人もいるのだし、ここは控えていただければありがたい。横山は特に気にした風も無く、あっさりと煙草を仕舞う。
「はは、いけねえいけねえ。お嬢さん達の前じゃ、ヤニはやらねえ方がいいよな。って、おい! お客さんにお茶だ!」
 横山の一喝が飛び、脇に控えていた子分らしき若い男が慌てて隣の部屋へと駆け込む。別にお茶なんて出されても飲もうとは思わないんだけど、蓮見はまたしても太々しく注文する。
「ああ、俺はコーヒーで。インスタントで構いませんよ。それから、こちらの二人には紅茶がいいかな」
 ここまで図々しいと、さすがに横山の背後にいる子分の何人かが顔色を変える。でも横山自身はやはり気にしてはいないらしく、笑顔を浮かべてその注文を隣の部屋へと告げる。そこで頃合いかと判断したのか、蓮見が本題を切り出す。
「それで早速なんで恐縮ですが、おたくの方で、鳴神エージェンシーっていう探偵事務所を時々利用されてるようですね。ああ、別に犯罪捜査という訳じゃないのでご安心を」
 鳴神の名を聞いた横山は、しかしこれまた何でも無い事の様に頷く。
「まあね。とは言っても、ウチはあくまで人材派遣業がシノギでね。鳴神さんとの付き合いは別に、何か探偵として依頼してるって訳じゃねえのさ。簡単に言ゃあ、ウチが鳴神さんに仕事を斡旋してる、って感じかねえ。だけどな、別にそういうのはウチだけじゃねえ。当然ながら、他所様との付き合いもあるだろうさ」
 あくまでただの仲介業者である、と主張する横山に、蓮見は何を思ったか懐から一枚の封筒を取り出し、応接セットのローテーブルの上に置いた。顎をしゃくって暗に開けてみろと、横山に促すと、封筒を無言で開けて中に入っていた一枚の書類を眺め、少し驚いた顔を一瞬だけ浮かべた。
「おたくの会社の、取引銀行の出入金記録ですよ。振込先に鳴神の名があるんですが、個人名なんですよ。それに同時期に必ず、同じ額の入金があります。入金しているのは『カネハラトヨカズ』と言う名の人物。実はね、この人物には心当たりがあるんですよ。おそらくは、この人物が鳴神氏の本当のクライアントでは無いんですか?」
 カネハラトヨカズ。この名前を聞いて、私は目を丸くして驚いてしまった。それはもしかして、バロールと戦った時に学校で用務員をしていた、あの金原豊和では無いだろうか?確かあの時、私の放った『推衝拳(すいしょうけん)』を顔面に受け、向こう三ヶ月は寝たきり生活を余儀なくされている筈である。
「……随分と、意外な名前が出て来たわねえ」
 思わず呟いた一言に、意外にも横山が反応をした。
「ありゃあただのチンピラなんだがね。でもな、ああいう手合いを舐めちゃあいけねえ。なまじ中途半端に悪さをするヤツってのは、往生際が悪いって相場が決まってんのさ。俺にはよく判らんが、どうもあのヤロウは入院中に鳴神さんと知り合ったらしいな」
 入院中に知り合った?
 では鳴神も入院していたのだろうか。そういえば、鳴神と初めて戦った時に足を負傷させた覚えがある。しかしだからと言って、金原と鳴神が協力なんてするだろうか?例え接触したところで、鳴神という男の性格上、金原の陰気な性質とは合わない気がするんだけど。
 そんな事を考えている間にも、蓮見は次の説明へと移る。
「どうやら隠す気は無いようなので、安心しましたよ。金原という男、こちらの調べでは市民団体、人権団体など各団体や、三枝組以外の組にも出入りしているみたいですね。それどころか、海外マフィアとも繋がりを持っている。つい最近、メキシカンマフィアの入国に際し、空港の監視カメラに金原らしき人物の姿がありましてね。接触しているところも、確認済みです」
 確かあのケツアルコアトルの人間の時が、メキシカンマフィアのボスだった筈だ。その手引きを金原がしたという話に、何か釈然としないものを感じてしまう。
 そもそも、三ヶ月寝たきりの重傷だった筈の男が、どうしてそこまでアクティブに動き回れるのだろうか。そしてもしも私に対する逆恨みだったとして、ただのチンピラと呼ばれる男がどうして『神』を三名も動かせるんだろうか。尽きない疑問に、得体の知れない不気味さを感じて思わず身震いしてしまう。あの粘着質な、嫌らしい視線を思い出してしまったからだ。
 そんな疑問に対する解答のつもりでは無いだろうけど、横山は部下に何か指示を出して机の引き出しから、何か写真らしきものを持って来させた。
「お前さん達の知りたい事の答えになるかどうかは知らんが、こんな写真がある。ヤツがたった数日で退院してきたのが不自然だったんで、子分の一人がヤツを張ってな。どうやら一緒に写ってるコイツが、何か関係してるんじゃねえかな」
 横山に提示された写真はえらく解像度が低く、おそらく古いケータイで撮影されたものだ。それでも金原と、もう一人の姿がバッチリ確認出来た。
「――これはロキ!?」
 写真を覗いた美雪ちゃんが、驚きと憤りを滲ませて血相を変える。アルビノ特有の真っ白い肌が、少し紅潮して見える程だった。そう、写真に写っていたのはロキ。既に倒した相手ではあっても、あの戦いはつい昨日の話なのだ。
「成る程ねえ……。ロキが金原の怪我を治療して、自分の手足として使いっ走りさせてたって事か」
 やっと得心がいったのはいいけど、ロキの事や『神』など知らない横山は、何が何やらさっぱりといった感じだ。
「……まあソイツが何かしらやったんだろうが、ウチの組じゃあ把握出来てねえな。もう一つ、鳴神さんの病院通いの方ならちゃんとした説明が出来るが、聞くかい?」
 横山の問いに、私達は揃って当然の如く頷く。
「鳴神さんにはな、病気の妹さんがいるのさ。それもただの病気じゃあねえ。何て言ったっけなあ……。脊髄何とか症とか言う病名だったと思うが、不治の病なんだそうだ。その妹さんの治療の為に、金がどうしても必要なのさ」
 鳴神の事情を聞いて多少の同情は感じるものの、だからと言って違法な仕事で報酬を貰うという行為自体は到底容認出来るものではない。実際に殺しのターゲットになっている私としては、どうにかして鳴神を思いとどまらせたい。一方でその話を聞いた美雪ちゃんが、何か心当たりでもあるのか難しい顔をしている。
「……脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)、ではないでしょうか?」
 その病名を聞いて、今度は蓮見が苦い表情をした。
「ああ、そいつは確かに不治の病だな。確か実際にその病気になって亡くなった女性の体験記みたいな小説が出てて、結構話題になった事が過去にあった筈だ。俺は医者じゃないから詳しくは無いが、確か小脳から脊髄の神経細胞が徐々に破壊、消失していくという病気ですぐに死ぬ訳じゃあないが、10年20年程度で全身動けなくなって死ぬという病気だった筈だ」
 不治の病を抱える妹がいる、その為に治療費を稼ぐ必要がある。そういう話に、しかし違和感も感じる。
「でもさあ、ちゃんと保険効くんじゃないの? 人殺しまで請け負う程、大金が必要なものなのかなあ?」
 そんな私の疑問に対し、横山が僅かに首を振る。
「いや、確かに保険は効くんだが、それはただ普通の医療を受けられるというだけで、病気を治す事は出来ないんだそうだ。きっと海外の偉いお医者さん先生に看て貰って、それで金が余計に掛かるんだろうさ」
 よく難病を患った人が、海外で治療を受けるという話を聞く事がある。大概は寄付を募って米国などに渡るのだけど、鳴神は自力で高額な医療費を負担しているようだ。
 しかし問題の本質はそんな事では無くて、いかにこれらの情報を活用して鳴神から静ちゃんの居所を突き止めるかだ。それが判っているのだろう、蓮見はしばらく何事が考え込んだ後、おもむろに横山に目を合わせて笑みを浮かべた。
「それで、その妹さんというのは何処の病院に入院しているんですか?」
 横山もそう問われると何となく判っていたのか、さして驚く風も無く淡々と答えた。
「……大久保の病院、って言やあ判るかい」


「ふーん、成る程ねえ。それで病院かあ」
 私達は横山と別れ、叶さんの運転する73式トラックで大久保にある病院を訪れていた。道中、事情を知らない叶さんに事の経緯を説明し、終わる頃には病院の駐車場に到着していた。
 大久保の病院は総合病院らしく、中々の大きさだった。敷地は広いし、設備は整っていて救急もやっているようだ。駐車場に車を停めると、車に乗ったままで方針を決めるべく相談を始める。
「さて、ここまで来て今更だが今後の行動を説明しようと思う」
 蓮見がそう切り出し、叶さんに何やら小包を差し出す。
「ん? これ何よ」
「伝一郎さんからの贈り物さ。いいから開けてみなよ」
 爺ちゃんからの贈り物、と言われて叶さんが小包の包装を開く。すると、中から出て来たのは二本の『独鈷杵(どっこしょ)』だった。両端が尖った短い棒状の密教で用いる法具であり、まさか本物の黄金では無いだろうけど、全身が金色に輝いていた。
「へえ、これはまた中々の業物ねえ。ありがたく頂戴するけど、何でまた?」
 独鈷杵を受け取っていささかご満悦気味の叶さんは、しかし説明をすると言っていきなりこんなものを寄越してきた真意が判らずに問い掛ける。
「叶さんの力が上がっているのはもう判っている事だが、今のままじゃあ到底、あの雷神を従えるなんてのは無理だからな。この法具は熊野でずっと鍛え上げられた、伝説級のシロモノだ。きっと役に立つ」
「従える? 何を言い出すかと思えば、あの鳴神を? どうして?」
 蓮見の信じられない言葉に、私は訳が判らず思わず聞き返してしまう。しかし、それを遮って叶さんが何か知っているのか、こくりと頷いた。
「そうね。私の娘が風神と契約したのだから、今度は私の出番って訳よね。静ちゃんの為にも、きっと雷神の力は必要になるから」
 静ちゃんの為に、鳴神の力が必要になる?
 持って回った言い回しに、益々訳が判らない。それは美雪ちゃんも同様のようで、少し不満気な顔で蓮見に問い質す。
「卓郎様、一体何の事なのですか? そもそも敵対している雷神と、そう易々と契約出来るとは思えないのですが」
 静ちゃんを探すのが目的な筈なのに、何故か話が鳴神と叶さんが契約を結ぶ、という話になってしまっている。どうしてそんな必要があるのか全く読めず、私も首を傾げて尋ねる。
「そうだよ、本来の目的とズレてない? 契約する意味が判らない事には、とても認められる話じゃないよ」
 私と美雪ちゃんの二人掛かりの追求に、慌てて両手で制する蓮見。
「まあまあ、落ち着けって。まず、妹さんに合ってどうする? どうにもならんだろう? だが、鳴神から情報は引き出したい。ならば、こちらの陣営へと引き込むのが最善だ。しかしどういうカラクリか、ヤツは契約者無しの状態で、『神域』とのアクセスも無しで神になっている。コイツはかなりイレギュラーな事態なんだよな。美雪なら判るだろう」
 蓮見の説明を聞き、美雪ちゃんは何か思い至ったのか目を丸くする。
「……確かにおかしいですわね。『神』とは総じて、他者による認識を必要とします。そしてエネルギーの供給は、己の属する『神域』から受けねばなりません。このルールは絶対、しかし雷神はそうでは無い。となると、考えつくのは例の『器の神』でしょうか」
 美雪ちゃんの推測に対し、蓮見が我が意を得たりといった感じで笑みを浮かべる。
「そうだろうな。アレの本質が何なのかは判らないが、ロキに力を与えたのを見る限り、どうやらアレは他者に力を与える事が出来るみたいだな。ならばアレが、鳴神を『神』にした元凶と考えられないか?」
 そうまで言われて、やっと私にも話が飲み込めた。ロキを強化したあの『器の神』の能力、アレがあれば『神域』とか他者の認識とか関係無く、『神』をこの世に顕現させる事が可能なのかも知れない。しかし、別の疑問も新たに浮かんで来る。既に力を得ている雷神を、まるで横からかすめ取るように横入りして契約出来るものなのだろうか?
「問題があるとすれば、それは叶さんが『器の神』を超える事が出来るか、って事だが……。まあ、普通に無理だろうな」
 そんな蓮見の言葉に、思わずズッコケそうになってしまう。それじゃあ意味が無いじゃないか、と言おうとしたところで、さらに蓮見が言葉を続ける。
「ま、でも世の中何が起きるか判らないもんさ。だからこそ、妹さんに合いに行く必要があるのさ」
 蓮見の真意は判らないけど、何やら自信のありそうな表情に思わず二の句が次げなかったのだった。


 病院内の一般病棟のとある個室に、その少女はいた。不治の病と聞いていたけど、それほど具合が悪そうには見えなかった。ベッドの上で上半身だけ起こして、パジャマ姿のままで私達は対面していた。
「兄のお知り合いの方達、ですか。こんな身なりですみません」
 少女は僅かに恥ずかしそうにしつつ、深々と頭を下げる。歳の頃はおそらく同年代、病気のせいか発育はあまりよくは無いみたいだけど、その顔立ちは整っていてかなり可愛い。
「鳴神翔子(しょうこ)さん、でいいのよね。初めまして、私は桐内叶。で、こちらが蓮見卓郎、浦部美雪、崎守御空。お兄さんには何度かお会いさせて頂いているのだけど、まずはお兄さんについてお話させてね」
 今回は蓮見では無く、叶さんに任せる事になっている。初対面の相手なので警戒心を和らげる意味では、四人の中で一番話しやすい相手だろうとの判断と、雷神の契約者になるならと、叶さん自ら買って出たのもあって任せる事になった。
「兄について、ですか? 一体どんな話なんでしょう?」
「お兄さんが探偵のお仕事をしているのはご存知よね?そのお仕事でトラブルを抱えてね、かなり危ない橋を渡った為に、命を狙われているのよ」
 即座にそんな話を切り出され、翔子さんは驚きを隠せない。
「命を狙われている? どうしてそんな事に! 兄は仕事の事は私には、一切話してはくれないんです。教えて下さい。兄は今、どうしているんですか? 最近は、滅多に顔を出してくれなくなっているんです」
 半ば泣き顔になりつつも、必死で叶さんに迫る翔子さん。命を狙われている、というのは作り話ではあったけど、まんざら的外れな話では無いと思っている。鳴神はあの戦いで、途中離脱をしている。同じく逃亡しようとしたモーリアンがロキに抹殺されてしまったのだから、彼らの協調関係は既に破綻していると見ていい。
 そして『器の神』から得たエネルギーが尽きてしまえば、雷神としての力も失う事になり、鳴神という存在も消滅してしまうだろう。だからこそ、叶さんが契約をする余地がある。
 とは言え、今の鳴神が持つエネルギー量はまだまだ余裕があり、すぐに消滅してしまうという訳では無い。どうにかして鳴神のエネルギーを減らし、生存の危機を煽る事が出来なければ契約は出来ないとの読みだった。
「お兄さんは無事よ。ただ、いつまでも逃げられるものでも無いの。それに貴女の命だって狙われているの。私達は貴女を保護してから、お兄さんを助けに行くつもり」
 叶さんの説明を聞いて、翔子さんは顔面蒼白になりつつも気丈に振る舞っている。
「そうですか……。何だかとても信じられない話ですけど、兄が何か危ない事をしていないかと、常々心配ではあったんです。でも申し訳ないんですけど、私はここから動けません。あなた方とはまだ出会ったばかりですし、兄からも話を聞いてみたいですし、それに病院側が許可してくれるとも思えません」
 叶さんの申し出に対し、案の定難色を示す。しかしこれは当然の反応だと思うし、もしも説得出来たとしても病院側は絶対に外には出してはくれないだろう。そんな当然とも言える翔子さんの返答に対し、叶さんはため息を付くと蓮見に視線を向ける。それを受けて、蓮見が前へと出て話を引き継ぐ。
「じゃあその話は後回しにして、もう一つの話をさせてもらおうかな。この写真を見てくれ。誰だか知らないかい?」
 蓮見が懐から取り出した写真を見て、翔子さんが頷く。
「ええ、この方なら知っています。最近、兄に代わって色々と面倒を見て下さっている金原さんですね」
 金原の名前が出て来た事で、蓮見の眼が鋭くなる。
「やはりな。悪いが翔子さん、あんた騙されてるぜ」
「……え?」
 蓮見の物騒な物言いに、翔子さんは何を言われたのか判らなかったのか、眼を白黒させている。
「金原豊和。こいつは相当のチンピラでな。ヤクザ屋さんにも確認して貰った事だ」
 そう言って懐から取り出したのは、かつて学校新聞の取材と称して用務員だった金原に取材をした時にも使っていたボイスレコーダーだった。スイッチを入れると先程の、三枝組若頭の横山との一連のやり取りを録音した音声が流れる。その内容を聞き、さすがに驚きを隠せない翔子さん。
「……では兄は、金原さんに危ない仕事を斡旋して貰っている、と?」
「そういう事だ。金原があんたの面倒を見てるってのも、おそらくは人質としての意味合いもあるんだろうぜ」
 容赦ない蓮見の言葉に、翔子さんが僅かに唇を噛み締める。どうやら今まで騙されていた事を知り、悔しさが込み上げているんだろう。そこで蓮見が後ろへと下がり、叶さんが再び口を開く。
「今すぐに信用して欲しい、とは言わないわ。でもお兄さんだけで無く、貴女自身にも危険が迫っている事は理解して欲しい。病院の方は説得出来るわ。だから私達と一緒に、安全な場所に移って欲しいの」
 叶さんの説得が効いたのかは判らないけど、翔子さんは今度こそ、首を縦に振った。
「わかりました。少なくとも金原さんを信用してはいけないと判った事で、この場所は安全では無いですよね。ご迷惑おかけしますが、どうかよろしくお願いします」
「勿論よ。安心して任せてちょうだい」
 説得は成った。これで第一目標は達成、翔子さんの移送の準備へと取り掛かる。蓮見が公安の職権を利用して病院側の説得へと向かい、私達は身の回りの荷物の整理などを担当する。
 そんな時、病院内が何やら異様な気配に満たされていくのを感知した。生きとし生けるもの全てが、何やら禍々しいエネルギーを持つ『異様な』存在へと変わっていくのを感じる。そしてこの力の気配は、あの『器の神』がロキへと落とした黒い液状の物体に感じたものと似ている。
「……どうやら、このまま黙って行かせてはくれないみたいよ」
 ソフトケースからリカーブボウを取り出し始めた私を見て、美雪ちゃんと叶さんもそれぞれ戦闘態勢を取った。


第十一話・雷神招来
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