Sick City
第四章・輪廻転回

 ――――――――暗い。
 深い闇の泉に浸る。
 ――――――漂う。
 浅い空虚の狭間の只中を。
 ――――寒い。
 相反する内面と外面。
 ――熱い。
 私の中は寒いのに、私の周りが熱い。朧げに垣間見えるのは、対流するマグマのうねり。
 もう、眠りについてもいいのかな。きっと私は死んだんだろう。そうでなくては、私の目の前にある現象をどう説明すればいいのか判らない。
 何か巨大で膨大な、エネルギーの塊があった。その中心には、何か細長いものが見えなくもない。
 だってアレは。
 そう、アレこそは――星の中心だから。
「そうだな」
 いきなり背後から声がして、私は振り返った。
 景色が一変した。
 ――草原。
 そよそよと微風に揺れる、足の低い草花が辺り一面拡がっている。
 清涼な空気。
 おおきな青空。
 そんな下で、大きな岩に腰掛けてる男の人がいた。和弓を手にした武者姿の若者が、私をじっと見詰めている。その顔は、私と瓜二つだった。
「……ここは何処?」
 私は声が出せる事に少し驚いた。
 何で私は目の前の若武者が誰なのか、判らないのだろう。
 知っている筈なのに。
 ――そう。
 本当は、よく知っている筈なのに。
 でも彼は、私を抑制している。
「それはお前が再び生きる頃に、忘れてしまうのが決まりなんだ」
「よく判らないよ」
 私の哀しげな声に、若武者は被りを振った。
「では一つだけ、昔の記憶をお前に思い出させてやろう」
 その声と共に、私の中に膨大な量の記憶が甦った。
 それは、昔々のある出来事。時は戦国、群雄割拠の時代。とある地方豪族を起源とする、一つの武家に纏る隠された史実。
 それは、過去の崎守だった。
 誰しもが戦乱に巻き込まれた時代、崎守に二人の兄弟がいた。
 兄の名は、崎守零次。そして弟、崎守空也。
 代々の崎守には周期的に、『零』の名の長男と、『空』の名を持つ次男が誕生する。
 人心は荒み、戦国武将達は互いに争う。そんな中で地方の村を治めていた崎守は、静かに里を護っていた。
 しかし、それを揺るがす事態が起こる。
『鬼神(おにがみ)』と呼ばれる化け物が現れ、里を荒らし回ったのだ。
 世の中が乱れ、人々の苦悶の叫びが満ちる時、『鬼神』は現れる。
 里の人々は、土地の神社で祈祷を捧げた。しかし『鬼神』はさらに暴れ回り、神社の巫女は祈祷を諦めた。その神社の名は『楯山』と言い、巫女の名は代々『静』と呼ばれていた。
 ウチの近所の楯山神社に『楯山静』という幼なじみがいて、零ちゃんと同じクラスである事を思い出した。
 私が五歳の時、両親が亡くなった。その原因は巨大な化け物に襲われたせいで、惨殺された両親を前に、私は零ちゃんに庇われた。私は無傷だったけど、零ちゃんは左胸を大きく切り裂かれて生死の淵を彷徨った。
 最終的には爺ちゃんがその化け物を追い払ったけど、零ちゃんは病院に担ぎ込まれ、半年近く意識不明だった。目覚めた時はそれまでの記憶の大部分を失っていて、楯山静と幼なじみで、一緒によく遊んでいた事も忘れていた。その事件を境に、楯山静と私達は疎遠になってしまった。
 あの楯山静は、巫女の末裔なのだ。
 巫女は予言を賜った。
『零と空、二つの御霊の元に火、矛、竿、隠、杖の五つの技と、犬神を集めよ』
 零二郎と空也の兄弟は巫女の予言に従い、五人の武者と一匹の犬を集めた。
 火縄銃を手に、数々の戦場を渡り歩く鉄砲商人。
『蜻蛉切(とんぼきり)』と呼ばれる大槍を手に、戦場を駆け抜ける戦国武将。
『備前長船長光(びぜんおさふねながみつ)』と称する野太刀を振るい、右手一本を鞭の如くしならせる独特の剣術を扱う旅の剣士。
 伊賀忍者に連なるとされる、戸隠と呼ばれる忍び。
 各地を旅し、山々に眠る鉱脈を掘り当てる山師の修験者。
 そして山を根城にしていた野良犬達の頭、里の者から『犬神様』と恐れられていた一匹の犬。
 彼ら七人と一匹は巫女のお告げの元、鬼退治に向かった。
 鬼はかつて、神であった。
 縄文の時代よりさらに昔、まだ我々の先祖が別の土地に住んでいた頃に崇められていた、山の神だった。
 圧倒的な、比類無き力。
 山の持つ力を振るい、全てを蹴散らす『鬼神』の前に、次々と死んでいく仲間達。
 それでも零二郎と空也は、『鬼神』を退治した。
 その後、零二郎は巫女の静を娶り、関東を治めたとある戦国武将の配下となった。
「どうだ? 自分が何者であるのか、理解出来たか?」
 その声に、私は敢えて質問で返す。
「空也……もしかして、貴方が崎守空也?」
 しかし若武者は応えない。岩の上で唐突に立ち上がり、私をじっと見詰めてくる。まるで鏡を見ているみたいだった。
「全ては『道』の上にて成り立っている」
 いきなり訳の判らない事を言われ、軽く混乱してしまう。
「……道?」
「脈々と受け継がれる、魂の継承。己を見詰め直し、『個』を認識する。『個』は己を含む同じ道を辿った過去。そして我が魂こそ、お前の『個』の一部。この事象は合せ鏡、お前は己を見ているに過ぎぬ」
 何が何だかさっぱり判らない。私に判る事は、たった一つ。
「……『空』の名を持つ私にも、魂が受け継がれている?」
 若武者は深く頷いた。
「そうだ。しかしその弓では無いぞ」
 それは判っている。
 私は背中の辺りの『死角』を認識し、『それ』を手にした。
「そう、それだ。破魔の力。そしてお前は再び生を受け、『心眼』に目覚めるだろう」
 ――心眼。
 それは一度死を経なくては、目覚める事の無い力だ。心が死に、肉体の束縛から放たれて初めて自己を認識し直す。
「……どうやら、現世でお前を目覚めさせようとしている者がいるようだ」
「へ?」
 その時、私の頬に何かが這い回るような感触が感じられた。
 急速に意識が浮上していく。
 草原から一気に身体が離され、景色が遠くなる。
「ちょ、ちょっと!!」
 まだ聞きたい事が、山ほどあるのに。
 遠のく景色の一部、岩に腰掛ける若武者の姿が小さく見える。
「どうせ目覚めれば忘れるのだから、さっさと起きてしまえ」
 うわ、冷た!!
 今度会ったら文句言ってやる!
 私の意識は覚醒した。




 夜空。
 眼を開けた私の視界は、僅かな星明かりがちらちらと煌めく夜空をいっぱいに映していた。さっきから、頬をペロペロと舐める舌の感触がくすぐったい。
 何事かと思って身体を起こす。
「うわ、何だここ」
 私が倒れていたのは、何だか酷く荒れ果てて汚い場所だった。壊れた冷蔵庫やテレビ、ガスコンロや流し台、風呂桶なんかがゴロゴロしている。そして私の脇に、ちょこんと犬が座っていた。
「……犬?」
 それは教会付近で目撃したシェパードだった。どうやらこの犬が、私の頬を舐め回していたらしい。自分の身体を見てみると、ゴミ捨て場に放置されていた為に制服が汚れてしまっている。
 そりゃそうだ。
 つまりここは、粗大ゴミの廃棄場か何かなんだろう。
「もしかして、キミが助けてくれたのかな?」
 私は、座ってこちらを見詰めているシェパードに話し掛けた。黙ったまま、ヘエヘエと息を吐くシェパード。犬に話し掛けても、答えが返ってくる筈は無い。それでも感謝の気持ちが沸き上がってきて、思わずシェパードに抱き付いた。
「犬〜〜〜〜〜〜ッ!!」
 実は私は、とても犬が好きなのだ。
 いきなり飛び付かれたシェパードが、驚いて転げ回る。私とシェパードは抱き合った状態で、汚いゴミの中でごろごろと転げ回った。ジタバタと暴れ回るシェパードの身体を、私の人生で一番と言ってもいい位に熱く抱擁。
 ――その時。
「……やめろ! ええい離さんか、うざったい!!」
 私はシェパードの両の前脚を両手で掴み、そのまま立ち上がった。無理矢理直立した犬を見詰める。
「……?」
 まさか。
 シェパードは口を開けっ放しだった。
 だけど、何故か声が聞こえてくる。
「犬が喋るのが驚きのようだ」
「――犬が喋ってる!!」
 仰天した私はシェパードの前脚を放し、その場から一気に後ろへ飛んで離れた。着地したシェパードは後ろ足で耳の裏を掻きながら、口を動かさずに喋った。
「犬は発声器官が人間のそれとは違うから、大気を震わせて声にしている。しかし仮死状態からよく生還出来たな」
 何が何やら訳が判らないけど、自分の身に起こった事は思い出せた。確か神父の義眼を見て、私は死んでしまった筈だった。
 ふと、私は自分の感覚が膨大な情報量を処理している事に気付いた。自分の一挙手一投足に伴う運動エネルギーと、原子の働き。小さな塵と周回する塵、空間を満たす満遍ない暗闇。自然界に生ずる全ての原理が、感覚領域下において見通せる。そして目の前に佇む犬が、何か特殊なエネルギーの運用をしていると判る。
「……犬に見えるけど、キミは犬じゃ無いでしょう? 一体何者なの?」
 シェパードは両耳をひくひくと震わせていた。
「そういうお前こそ、ただの人間じゃ無いだろう? バロールの魔眼を喰らって仮死状態で済むなど、本来有り得ない事だ」
「……バロール?」
 犬の発したその単語に、私は首を傾げた。
 バロールって何だろう。
 シェパードは揃えた前脚に顎を乗せて伏せた。
「あの神父の正体は、ケルト神話に登場するフォモール神族の王バロール。滅びた存在の筈だが、何故だか現世に復活を遂げたらしい」
 私には訳が判らないけど、あの神父の正体は神だという事なのだろうか。
「よく判んないけど神様だって言いたいの? じゃあキミも神様って事になるんじゃないの?」
 あの神父の存在感は普通じゃなかったけど、シェパードから感じるエネルギーの波長は何処かおかしい。まるで別の次元から、エネルギーを供給されているかのようだ。
 シェパードは伏せたままの状態で、退屈そうに欠伸をした。
「まあ昔はそんな時代もあったな。それよりも、お前がどうしてこんなところで寝ていたのか、説明しよう」
 どうやら、あまり触れられたく無い話題のようだった。色々と聞きたかったけど、犬好きの私はこのシェパードの気分を害するような事はしたくは無いと思った。
「教会から数人の男達が出てきて、お前を抱えて車に乗せてこの廃棄物の埋め立て地に運んできた。埋めようとしていたので私が追い払ったのだが、お前は死の淵から戻れそうだった。それで私が手助けをしたのだ」
 どうやら神父に殺された私を追い掛けてきてくれたらしい。
「ずっと監視してたんだ?」
「お前が教会に来る前からな。どうして東洋の島国に、あのような者が現れたのか気になったのだ」
 それを言ったらこの犬っコロがいるのだって気になるけど、それは言わない方がいいか。シェパードはいきなり立ち上がったかと思うと、私の背後へと回った。
「お前の荷物はここに持ってきたぞ」
 シェパードの足元を見ると、リカーブボウとクイーバーに入った三本の矢が地面に置いてあった。
「わあ、ありがと。でも矢はいらないんだけどね」
 私は弓だけ手に持って、弦の調子を確かめた。
「うん、大丈夫。何処もイカレて無い」
 矢は兎も角、弓だけは従来通りに現物を用いなくてはならない。
「さて、あまり長居はしない方がいい。追い払われた手下が今頃はバロールに報せているだろうからな」
 シェパードは私の前に出て振り向いた。
「後はお前一人で何とかなるだろう。ではな」
「あ、ちょっと!」
 私は犬の後ろ姿に声を掛けたけど、さっさと走って去ってしまった。
「……名前、聞いてないのに」
 とは言え、彼には感謝だ。どうやらあの犬が、私を現世に呼び戻してくれたようだし。
 シェパードは隠密行動に慣れているのか、全く足音を立てずに移動している。私の『心眼』による探知能力はかなり高い筈だけど、それでも犬一匹を追跡し続けるのは難しい。『鳴弦』による音紋索敵を併用すれば精度を上げられるけど、そこまでする必要は無さそう。
 私は弓を手に、再び教会を目指す。
 直線距離にして4kmは離れているけど、走れば10分も掛からない。
 私は『心眼』を最大限に働かせ、周辺状況を確認する。
 まずこの埋め立て地は半島の森の脇にあり、県道沿いに岬へと出れば、幹線道路へと繋がる。その幹線道路を一直線に、4km程走れば教会へ辿り着く。しかし弓を手にしたまま道路を走るなんて目立つだけだし、人目に付かないルートを使う必要がある。500メートル先の森の中へ入り、山に登ってから教会方向へと降りれば、ちょうど教会の裏手へと出る。そのルートで行けば、誰かに出会う事は無いだろう。
 私は森に足を踏み入れ、木々の間を走る。いくつか動物の生体反応を感知するけど、そんなものに気を取られている場合では無い。
 森を500メートル程度走ると、登り斜面に差し掛かった。腐葉土によって足場が緩いけど、私は足を八の字に拡げて爪先に力を入れ、一気に駆け上がった。左右斜め移動を繰り返して、飛び跳ねるように走る。革のローファー靴は山に不向きだけど、そんな事を気にしている場合じゃない。
 斜面を登り切ると山の頂上、高さ62メートルの頂きに到達。木々が鬱蒼と茂っているので見通しは悪い。教会の位置と、そこにいるバロールのエネルギーを再確認。ここから300メートル程の斜面を降り、住宅地を抜けて霊園墓地を超えれば教会に到着する。
 感知領域内で一番巨大なエネルギーを持つバロールの保有エネルギー量は、人間一人を1とすると1億もある。
 ついでにシェパードの現在位置を確認。
「あれ、あの子ったら教会のすぐ近くにいるじゃない」
 再びバロールの監視に戻ったんだろうか。何だか判らないけど、そう考えておく。
 教会には4人の男の気配を感知したけど、あの三名のメイド女達の気配は感じなかった。深手を負っていたから、病院にでも担ぎ込まれたのかも知れない。
 用務員の気配も感じない。きっと病院行きだろう。
 さて、ここからは一気に下りだ。私の足なら10分もあれば到着するだろう。
 全力疾走で一気に駆け降りる。森での移動には慣れているので、跳ねるような足運びで疲れも最低限で抑えられる。それなりに呼吸は荒くなるけど、それで動けなくなるような私では無い。
 やがて教会の裏手の雑木林に到達、気配を殺して鉄柵を跳び越える。
 足音一つ立てずに着地。はらはらと流れ落ちる髪の毛が、少しうざったい。
 バロールはやはり礼拝堂にいて、4人の男から報告を受けている最中の様子だ。
 私は一気に建物の間を駆け抜け、礼拝堂の裏へと回り込んだ。礼拝堂の裏手、屋根の下にステンドグラスがある。
 すぐ隣には宿舎らしき木造の古びた三階建ての建物が隣接していて、私は木造の壁を蹴って礼拝堂の壁2メートル付近にまで跳び上がった。さらに礼拝堂の壁を蹴り、今度は木造の建物の壁に飛ぶ。そして再び木造の壁を蹴った反動で、礼拝堂の壁面へと跳躍。
 目の前に迫ったステンドグラス。
 私は背中の裏に『死角』を認識し、一本の矢を具現化した。
 矢の名前は『白銀(しろがね)』と言う、ありきたりの名前だ。
 普通の矢とは違って、全て金属製。矢尻は針の様な形状をしていて、クロスボウ用の矢を長くしたような全体像だ。羽根も金属で、根元が握れるように羽根の位置がずれている。どんな金属で出来ているのかまるで謎だけど、この矢は決して破壊される事が無い。私だけが認識するこの世あらゆる者からの『死角』にて顕現する、『点』の概念を体現する最強の武器だ。
 弓に白銀を番え、空中にてステンドグラスを打ち抜く。さらに身体を錐揉み回転させ、『心眼』で運動エネルギーを予測しつつ、完璧な空中姿勢制御を行う。私の身体は回転しながら穴の開いたステンドグラスから、礼拝堂の内部へと突入した。
「――何事だ!?」
 薄闇にいくつかの灯火が見える中、バロールの声が真下から聞こえる。私は錐揉み回転を続けながら、同時に新たに白銀を『死角』から呼び出し、弓を引き絞る。空中から落下しつつ、真下にいるバロールに狙いを定めた。
「上か!?」
 だけどこちらが狙いを付けるのと同時、バロールはその場から一気に前へと飛び出した。この体勢から再び狙いを付け直すのは無理と判断し、私はそのままくるりと回転して着地を果たす。
 奇襲作戦失敗。
 ステンドグラスの破片と共に着地した私の姿を見て、バロールは驚愕に目を見張った。
「莫迦な! この私の魔眼をまともに喰らって、生きているだと!? 神をも殺す、滅殺兵器だぞ!!」
 立ち上がった私は、バロールの視線をまともに受け止める。
 今度は大丈夫だ。
 またあの義眼に睨まれても、少なくとも死ぬ事は無いだろう。
 バロールの周りには4人の若者がいたけど、私とバロールのやり取りを呆然と見ていた。私は矢の狙いを男達の一人に定め、警告を与える。
「さっさとここから逃げないと、撃つよ?」
 しかし、全く動じた様子は無い。バロールが男達に命じる。
「その娘を殺せ!!」
 男達はその命令に、無言で動く。猛然と突進してくる男達の眼は、何処か虚ろに見える。
「……もしかして」
 私は引き絞った弦を元に戻し、矢を弦の上で奔らせた。『鳴弦』による高周波は精神を侵す暗示を解除し、正常な働きを呼び戻す。特にこの白銀であれば、他者へと効果が及ぶだろう。未知の金属から生み出される音色は、どんな暗示だろうと打ち消すのだという確信がある。そしてその効果は、狙い通りに男達を正気に戻した。
「……あれ?」
「……なんで俺達、素直に神父の言いなりになってたんだ」
 次々に正常な思考を取り戻していく男達を見て、バロールが舌打ちする。
「ちいッ! 神の与える制約すら破るのか!!」
 慌てふためく男達に、私は殺気を剥き出しにして再び警告を与える。
「……死にたくなければ、すぐにこの場から離れなさい」
 男達は悲鳴を上げて逃げて行った。バロールは一部始終を見て、悔しげながらも納得したような感じだった。
「……成程。エクソシストの能力を持った戦士だったという訳か。しかし神の支配を打ち消す程とは」
 エクソシストとは教会の神父の中でも、悪魔払いとか除霊とかする人達の事だっけ。そういった事が出来るのかどうかは判らないけど、もし出来るならオカルトマニア揃いの『社会学研究同好会』の連中が大喜びだろうな、とか思ってしまった。
「私を殺してくれた礼をしてあげる」
 再び矢を番えて弓を引き絞る。バロールは腰を落として、邪な笑みを浮かべた。
「ほざけ。たかだが人間の分際で、王たるこのバロールに挑むと言うのか。ただ殺すだけでは飽き足らん……打ちのめした後は徹底的に辱め、永遠に支配してやろう」
 私はあからさまな欲望を前にして、嫌悪に身震いした。バロールの全身から膨大な神気が溢れ出し、プレッシャーとなって私を圧倒する。私はゆっくりと長息し、下腹に力を溜める。
「――ふッ!!」
 重圧を跳ね除ける呼気。
 身体から程よく力が抜け、私は強大なプレッシャーを前にあくまで冷静さを保っていた。
 突如、バロールの肉体が膨張した。
 神父の様相を演出していた黒の長衣がたちまち破け、赤みを帯びた裸体が巨大化していく。太鼓腹のくせに隆々とした筋肉を露呈し、両肩から胸元に掛けて青色の刺青が浮き上がった。
「ぶは〜ッ! フォモール神族の王の力、思い知らせてやろう!!」
 優に3メートルを超える巨体を揺らし、バロールが吠える。
「うわ、でかっ!」
 腕を伸ばせばすぐに私の身体に届く程であり、この距離では弓の利点は無いに等しい。
「ふんッ!!」
 バロールが右の剛腕を振るう。爆発的な運動エネルギーで音速の拳が放たれ、拳を中心に衝撃波が発生する。
 既に私は後方へと反転しており、マリア像の裏面に回り込んでいた。そこへ衝撃波が殺到し、像を木っ端みじんにしてしまう。
 さらに反転運動のままバロールを迂回する私の後方で、マリア像どころかその後ろの壁までが粉々に砕ける音がした。迂回する途中、何脚かのベンチが横たわっていたので、一気に側転宙返りで跳び上がった。
 着地した後、バロールの背面へと回り込みつつ矢を放つ。私の眼に映るバロールの背中に、鬼の顔の様な蒼い刺青が見えた。
 矢は一直線に、その背中へと飛んでいく。
 突如、背中の刺青が蒼い炎となった。
「うわッ!?」
 いきなり目の前を覆い尽くす程の蒼い火炎に、私は大きく後ろへと飛んで回避する。礼拝堂の外へと飛んだおかげで、火炎の効果範囲から脱する事が出来た。私が放った矢は、どうやら蒼い炎と同時に発生した爆風によって、吹き飛ばされてしまったらしい。
 炎に包まれる礼拝堂の中から、蒼い炎を全身に纏わり付かせたバロールが、悠然とした足取りで歩み出てくる。
「ほう、たかが人間の身で未だ無傷とは。やはり殺すよりは支配し、我が僕とする方が良いか」
「ハゲでデブでオヤジなんて三重苦背負ったヤツに支配されるなんて、お断りよ」
 私は背中から引き出した白銀を弓に番え、横へとダッシュ。先程の立ち合いでバロールがどれだけのエネルギーを消耗したか、『心眼』で測る。殆ど減っていない事を知り、このまま間合いが離れたままでは長期戦は必至と判断する。
 あの刺青から吹き出る炎によって白銀が吹き飛ばされてしまい、遠距離戦ではこちらの攻撃は届かない。バロールにはそれが判っているらしく、猛ダッシュで距離を離す私を歩きで追ってくる。
「……随分と余裕かましてるじゃない」
 どうやらメイド女達と戦った時に私が見せた接近戦から、近接射術で矢を射るか、もしくは蹴り技くらいしか無いと判断しているのだろう。
 世の中には、大番狂わせってもんがあるんだって教えてやる。
 それには私が絶対的有利となる地形が必要だ。
 どんな条件が必要か、必死に思考する。
 ――考えろ。
 バロールの身体が丁度入るくらいの広さの、一直線に伸びる道がいい。両側は背の高い、頑丈な建物が建っているとなおいい。さらに30メートル程の長さを持ち、袋小路になっていると完璧だ。
『心眼』で周囲の地形を探知する。
 私が考える、全ての条件を満たすような地形は無さそう。しかし礼拝堂から中央の中庭を抜け、そのまま一直線に正門まで至る中道が一番条件に近い。
 両側の建物は木造二階建てだから貧弱だし、正門を通じて道路に面しているので袋小路でも無い。一直線の道という一点だけしか合致しないけど、最低限の条件には当て嵌まってるから良しとするしか無い。
 私は礼拝堂の裏へと抜け、バロールを撹乱しながら縦横無尽に駆け回って追い掛けっこを装った。常に相手の位置を掴んでいる私と違って、バロールは私を時々見失っては楽しげな笑い声を周囲に轟かせた。
 私の位置を無理矢理知ろうと、周囲の建物を破壊するバロール。
「どうやら良い感じに焦れてきたみたい」
 地の利を活かし、相手の心理も利用する。
 生粋のアーチャーは同時にスナイパーでもあるから、見方によっては卑怯な戦い方に頼る時もある。
 ――戦いに卑怯もクソもあるもんか。
 そろそろ頃合いだと判断し、中庭を目指して疾走する。その際、わざと建物と建物の合間からバロールの視界を過る様にする。
「見付けたぞ!!」
 破壊の拳が建物と建物の間で炸裂し、衝撃波が背後で爆発を巻き起こした。
 さらに蒼い火炎が、バロールのいた辺りで火柱となって天に向かって立ち上っている。
 中庭から正門へと到達し、礼拝堂へ身体を向けて立ち止まる。誰もこの場を認識する者は存在せず、私は片膝立ちの体勢で弓を水平に構え、『死角』を認識する。
 バロールが3メートルの巨体で地響きを起こしながら、中庭へと入ってきた。正門で屈み込んでいる私を見て、ぎょっとする。
「……何処からそれ程の、大量の矢を用意したのだ?」
 片膝立ちの私の周囲に、おびただしい程大量の白銀が、地面に突き刺さっていた。
 私は眼を瞑ったまま、静かに口を開く。
「この世あらゆる死角より、現れ出でる矢は魔を破らん――銘は『白銀』也」
 意識せずに口にした言葉、それは『かつての崎守』の言葉だ。
 大量の白銀も今の台詞も心理作戦、要するにブラフに過ぎない。
 バロールとの距離は34メートル。私の用意した450本もの矢を、全て撃ち尽くせる距離な訳が無い。実際に撃てるのは、おそらく三回程度。
 だけどこの光景を見た瞬間に驚愕し、少し考えてから冷静な頭で意味など無いと判断する。それが切っ掛けとなり、今まで散々追い掛けっこで焦らされた怒りから、私目掛けて突撃してくる。
 その場から動かずに衝撃波を放ってくる可能性もあるだろうけど、バロールは私を殺さないと言った。ならば接近するまでは蒼い炎で矢を吹き飛ばし、手が届く距離になって私を拘束しようとする筈。
「……些か驚きはしたが、よくよく考えれば我が炎の前には通用せん。待っていろ、今捕まえてやるからな」
 ここで私の予想を超える行動をバロールは取った。
 左の義眼が、くるりと裏返しになった。
 白目に炎が灯る。
 途端、私の全身を駆け巡る神経に、形容し難い程の痛みが奔った。
「ぐうッ!?」
 即死こそ免れたものの、どうやら中途半端ながらも死の視線による効果が全身に及んでいるらしい。バロールは私に与えた効果に満足したようで、喜色を満面に浮かべていた。
「ははは、莫迦め。我が魔眼の力を完全に退ける事など出来んのだ」
 今ので私が死んだらどうするんだろう、とか思ってしまった。それならそれで、気にしないかもしれない。
「覚悟はよいか? ――行くぞッ!!」
 ズドン、と爆発音を轟かせて、バロールの大きな足が大地を蹴った。
「くうッ」
 私は全身に奔る痛みに耐え、片膝立ちのままで水平に構えた弓に矢を番えて速射。
「甘いッ!!」
 バロールの身体を蒼い炎が包み込み、吹き上がる火炎によって白銀が巻き込まれてしまう。ただちに地面から次の白銀を手にし、続けて二射目。
 バロールは猛スピードで接近しながら、炎を纏った左手を振るって白銀を弾き飛ばす。
 全身の神経を痛めつけながらも、次の矢を地面から抜く。私はバロールの意表を突く事をしようと考え、足元目掛けて白銀を放った。
「なんのッ!!」
 全身の炎を右手に集めて地面に叩き付けると爆風が発生し、炎の竜巻が地面で回転する。足元で巻き起こる火炎が白銀を巻き込み、バロールは構わず突っ切る。
「貰ったぞ!!」
 バロールの口から歓喜の声。
 横合いから左腕が伸びてくる。既に全身からは、炎は消えている。
 ――今だ!!
 私は地面に突き刺さった白銀の根元を右手の人差し指と中指の間で挟み込んで握り、一気に地面から引き抜く。水平に構えた弓に矢を番え、握った右手の甲を顎下へと引き付ける。
「遅いッ!!」
 おそらく、撃とうとすれば弓を引き絞ったと同時にバロールの接近を許してしまうだろう。
 しかし。
 私は弦を引いてはいなかった。弦を引き絞れば弓のリブはたわみ、力を必要とする為の時間が必要となる。でもその力を必要とせず、脇に右手を引き付けただけであるならば、動作は一瞬早く完了する。
 つまり、私のフェイクにバロールは引っ掛かったのだ。
 右手を引き付けたと同時、屈み込んでいた体勢から一気に前方へと飛び出す。大地を左足が蹴り、全身を伸び上げるようにして、バロール目掛けて右の白銀を突き出す。突き出す右腕は外への螺旋運動を伴い、回転力によって貫通力が強化される。
 交差する私の白銀と、バロールの左腕。
「これでも喰らえッ!!」
 バロールの腕をかい潜って跳躍しつつ、突進しながら手に握ったままの白銀を、パンチダガーのように突き出した。
「ぎゃあああああああああああああああッ!!」
 バロールの左の義眼のど真ん中に、白銀の一撃が穴を穿って裏側へと貫通していた。
 これぞ天仰理念流近接射術・貫き推衝(つらぬきすいしょう)。
 体術絶技・推衝拳を射術へと応用した、これぞ奥の手。矢を撃つと思わせておきながら、意表をついて相手の懐へと飛び込む捨て身の一撃。
『点殺の術理』により、力の源となる義眼の核を破壊。人間で言えば、『経穴』と言われているものに相当する。エネルギーの出所こそ、神を構成する情報体の中心。
 正直、躱されたら後が無かった。
「があああああああああッ!!」
 バロールの義眼から、蒼い炎が拭き出す。
 私は後ろへと退避して、力を失いつつあるバロールを眺めた。3メートルの巨体がみるみる縮んで、膨大なエネルギーが周辺へと拡散していく。
 やがて元の大きさに戻った身体が、その構成を解いていく。消滅しつつある中で、バロールの口から苦しみ悶えて掠れた声が、喉奥から搾り出された。
「……まさか、こんなところで退場とは……まあいい。面白い相手であったし、何より、お前はなかなか美しい」
 消えゆく左手で、私の頬に触れる。僅かな感触を残し、バロールは完全にこの世から消え去った。




「はあ〜っ、勝ったぞ〜っ!」
 私は大きく息を吐いて地面にへたり込んだ。全身を襲っていた苦痛は、すっかり消えていた。
「……いるんでしょ?」
 教会の正門に面した道路に座り込んだまま、顔を横に向ける。道路の端から、あのシェパードが顔を出した。足音一つ立てないで、私の目の前で立ち止まった。
「たいした娘だ。いくらバロールがお前を殺そうとしていなかったとは言え、相手は主神クラスだぞ」
「主審? とかボケようかと思ったけど、通じなそうだから止めとく」
「これで精神支配を受けていた者達も、普通の生活へ還っていくだろう」
 シェパードは思いっきりスルーした。
「さて、まだ一仕事残ってるからこれでお別れだね」
 私は立ち上がって背伸びをした。シェパードはこちらを見上げて、身体をぶるんぶるんと振った。
「一つ、お前に教えておこう」
「あら、ご丁寧にありがたいことですわね。おほほ」
 わざとらしく丁寧に応じるが、少しだけ皮肉を込めてやった。
「……死せる神々はこれからも現れる。この地に巫女がいる限り」
 私は自分の耳を疑った。巫女と言う単語に、ある人物の姿が思い浮かぶ。
 楯山静。
 神社の神主の娘で、巫女さんの見習いみたいな事をやっている。零ちゃんは忘れてるけど、私は彼女の事を覚えている。お父さんとお母さんが死んだあの時、寸前まで一緒に現場にいたんだから。その後、何故か私達を避けるようになって疎遠になったけど、ずっと気に掛けていた私はたまに楯山神社にお参りに行っては、それとなく様子を伺っていた。
「心当たりがあるらしいな。巫女から目を離すな」
 一体この犬っコロは、何が言いたいんだろう。でもこのまま言われっ放しで別れるのも癪に触るので、私はシェパードの首を抱き締めた。
「ふかふか〜」
 思わずまったりとしてしまう。
 シェパードは首を振って、無理矢理脱け出す。
「……そこいらのペットと一緒にするんじゃない。ではな」
 あっさりとした態度で去ってしまった。
「……また名前聞くの忘れちった」


 登場人物紹介
神父
用務員
第七話・巨神幻惑
シェパード
inserted by FC2 system