Sick City
第二章・内偵調査

 用務員は職員室がある本館一階の、宿直室の隣にある用務員室でテレビのニュースを眺めていた。
 私達を室内に招き入れ、お茶を出してくれた。だけどその目線が時折私の方に注がれると、とても居心地が悪かった。吊り上がった小さな細い眼で、油断無く相手を物色しているかの様な印象。余りにもあからさまなので、それは無視してさっさと話をして帰ろうと考えた。
「実は校内新聞に、用務員さんのインタビューを掲載しようと思ってましてね」
 蓮見が音声録音用に持ってきたボイスレコーダーを卓袱台の上に置いて、尤もらしく説明する。
「ほら、この学校って可愛い子多いでしょ? ここにお連れした崎守御空ちゃん含めて。対談形式って形で校内美少女ランキングを元に、用務員さんの視点からコメントを頂戴しようかと思いまして」
 本当に尤もらしく聞こえるよ!
 よくもまあ、いけしゃあしゃあとでっち上げられるもんだと感心してしまった。そんな説明が用務員にも本当らしく聞こえたのか、ニヤニヤと黄色い歯を向き出しにして、いやらしい笑みを浮かべて喜んだ。
「そりゃあいいねえ。こんなオジサン相手でいいなら、いくらでも聞いちゃってよ」
 いかにも好色そうな顔付きだけど、よくもこんな人を用務員に採用したなと学校側に言ってやりたい。
「それじゃあまずは校内ランキング5位からいきましょう。えっと、5位は3年の神足飛鳥さんです」
「ブーッ!!」
 啜っていた熱いお茶を、勢い良く蓮見の顔に噴いてしまった。
「ギャーーーーーーーーーッ!!」
 いきなり飛び出た知り合いの名前に、図らずも驚いてしまった。
 神足飛鳥ちゃんは零ちゃんと同じクラスで、私とも面識があった。
 一方、顔面神経痛のような引き攣った顔をしてお茶を滴らせていた蓮見が、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしてきた。
「ば、ばかやろう! いきなり噴いてるんじゃねえよ!!」
「あ〜ら、御免遊ばせ。おほほ」
 お上品に笑って誤魔化しつつ、ハンカチで蓮見の顔を拭いてやった。
「うおっ――じゃなくて、どうもお見苦しいところをお見せしちゃいまして、ははは」
 少し焦ってるのか、妙に照れた顔をして用務員に詫びを入れる。
「……楽しそうだねえ」
「まあまあですよ。それより先続けます。え〜、神足飛鳥さんですが、ツンデレキャラが一部のマニアに好評。また、去年の学園祭での洋楽同好会ライブでの美声が音楽好きの得票に結びついたみたいですね」
 ツンはともかく、デレの部分は誰も見た事無いんじゃ。
 用務員は少し首を傾げ、しばらく該当する人物を記憶の中から引っ張り出そうとして考え込んでいた。
「……知らない子だなぁ。そんな子いたっけ?」
 どうやら彼のアンテナには引っ掛かっていなかったらしい。すると蓮見は懐から一枚の写真を撮り出して、テーブルの上に置いた。
「この子ですよ」
 その写真には、バストショットで飛鳥ちゃんがバッチリ写っていた。写真を眺めて用務員はいくらか頷いた。
「ああ、この娘か。何時だったか、蹴りを入れられたから覚えてる」
「……何かしたんですか」
 蓮見が用務員の顔を疑わしげに見る。用務員は手で頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「いや、まあアレだ。掃除してて手元が狂ってな」
「……まあそれ以上は聞かないでおきます。次はランキング4位。これまた3年生の留学生、エリカ・シュタインメッツさんです」
 その名前も知り合いだったが、驚く事は無かった。あの容貌なら、ランキング上位に入ってるのは予想出来たから。
「金髪碧眼は学園唯一の存在。そしてさすが外人、規格外のスタイル。天然ボケ気味ってのもポイント稼いだ材料です。ただ留学してきて日が浅いのと、タッパがあるんで終盤に失速したようです」
 終盤って何だ?
 用務員もさすがにエリカさんの事は知っていたらしく、蓮見が取り出したエリカさんの写った写真を眺めながら下品な笑みを浮かべた。
「外見だけ見たら大人にしか見えないよな。しかしこの留学生、転校初日に一騒動あったらしいじゃないか」
「ああ、校庭にヘリで降りてきたって話でしょう。あと全校生徒にベルギー産高級チョコレート配ったり」
 あの時貰ったチョコは、零ちゃんの分まで私がおいしく戴きました。
「それじゃ次はランキング3位。チアリーディング部期待の星、1年生の半田真琴ちゃん」
 その半田なんとかちゃんの事はよく知らないけど、男子の間ではメチャメチャ可愛いって話題になってる。
「少しオッチョコチョイで茶目っ気たっぷりなところがポイント高し。ロリキャラ好きには堪らんらしいです。ただ支持層が革新派が中心で、保守派はまだ懐疑的なようです」
 革新派とか保守派とか訳判らんし。
 用務員は写真を見せられてますます下品な笑みを増長させていった。
「初々しいねえ。しかしパンチラ写真とはキミも抑え所がいい」
「いやいや、どうもどうも」
 訳の判らない謙遜の仕方だった。
 だけど蓮見の瞳には狡猾そうな光が宿っているように感じる。もしかすると相手の食い付きが良さそうな写真を提示する事で、この対談の信憑性を疑わないように誘導しているのかも知れない。もしそうだとするならば、蓮見というヤツの狡猾さは相当なものだ。
「ではランキング2位、我らが学園が誇る天才アーチャー、崎守御空嬢であります。やはりマスコミへの露出が得票に繋がったみたいです。ここに本人もいますんで早速感想などをひとつ」
 別に嬉しくも何とも無いけど、ここは用務員の手前、少しは話を合わせた方が得策だ。
「どうも〜。え〜、次点という事で政権交代こそ成りませんでしたが、わたくしは日本を諦めない。責任を取って辞任致します」
「諦めないって言った側から辞任してどうする」
 ちょっとウケ狙ってみたのに、蓮見が冷静にツッコミを入れた。
「かくなる上は、脱ダム宣言を致します。今思ったんだけど、もしかしてポツダム宣言に引っ掛けてるのかな? どうなの知事」
「……元知事、だよ」
 用務員にまで突っ込まれて私はテーブルに突っ伏した。
「それでは最後、とうとうランキング1位の発表です。圧倒的な得票で見事、栄冠に輝きましたのは洋弓部を率いる才媛、草間佳織嬢です」
 その名を聞いて用務員の片眉がピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。
「やはり彼女には固定ファンの組織票が大きく作用したみたいです。どうも彼女の私的なサークル活動が関係あるみたいですね。ところで用務員さん、そのサークル活動について何か聞いた事は?」
 成程、蓮見の狙いはこれだったのか。
 ランキング1位の草間に関する用務員の感想という形で、少しずつ誘導尋問に持って行こうとしているのだ。一方、質問された用務員の顔には明らかな迷いの色が伺えた。
「……聞いた話じゃあお嬢さん向けに礼儀作法とか一般教養だとかを身に付ける為の、お勉強会みたいな事を中心にやってるとか」
 それは表向きの話だ。
 その実体は合コンのセッティングだとかクラブパーティーだとかを主催している、一種のイベントサークルだ。昨今のお嬢様連中は、夜遊びに夢中ってのが昨今の風潮らしい。
 零ちゃんは音楽が趣味なのでクラブ遊びもしていて、バンドメンバーのオカマさんとはクラブで知り合ったとか聞いた事がある。
 当然の事だけど、生粋のアーチャーである私はそんなもんはまるで興味が無い。アウトドア派の私の遊びは、崎守の持ち山を丸々一つ借り切ってのサバイバル生活とか、爺ちゃんと一緒に海釣りとか渓流釣りとか山菜取りとかキノコ狩りとか、お婆ちゃんと一緒にお料理やお裁縫の練習とか、そんなものだったりする。
 なんか生活に役立つ技術の習得ばっかりで、一般的な女子高生の健全な趣味とは言い難いのが悲しい。ちなみにこの日本では弓矢によるハンティングは禁止されているので、サバイバル活動では専ら罠設置が専門である。とは言っても、ハンティングの資格がある訳では無いので、猟の許可を持ってる爺ちゃんに便乗してる形だけど。実は湖畔や河川で魚に対しては、密かに弓矢で狩りをする事もある。
 蓮見は用務員の当たり障りの無い回答を気にした風も無く、あっさりとその言葉に頷く。
「そうらしいですね。しかし校内新聞に載せるには少しネタ的に弱いんでね。何かこう、センセーショナルな話題は無いものかと思って、実は用務員さんの幅広い情報網に期待をしている訳でして」
 そう言って蓮見は、男相手なのにウインクをしてみせる。まるで今から一緒に悪戯でもしようかと、暗に提案をしているかのようだ。それを目敏く気付いた様子の用務員が、ニヤッと笑ってみせる。
「……これはまあ読者の皆さんがどう受け取るもんか判らんが、草間のお嬢さんはそこの天才少女にご執心のようだ」
「……そりゃそうでしょうね」
 蓮見は思わせぶりに間を空けて同意する。
 心なしか、小声になっていた。その反応に促される形で用務員は話を続ける。
「まあそれが原因での、無軌道っぷりなんだろうけどなあ」
 判りにくい言い回しだった。
 無軌道、とはどういう事だろう。冷静さを欠いた行動が目立つとか、そういった事だろうか。蓮見もよく判らないらしく、眼を細めて聞き返す。
「……無軌道、とは?」
「いやね、開き直りと言うか、自分より強いものを欲しがってるみたいな。じゃなきゃま、俺みたいなおっさんにゃ縁の無い子だわな」
 ――ボロを出した。
 それは遠回しだったけど、自分と関わりがあると言っているのと同じ意味だ。蓮見もそれに気付いているらしく、眼の奥に勝利の光が煌めいたように見えた。
「用務員さんは確かに強そうですね」
「よせやい、おだてたって埃しか出て来ないぜ」
 さらにボロを出す。
 埃が出るとは、叩けば埃が出る身分だと言ってるようなものだから。
「成程、だいたい判りました。紙面には天才少女との確執、って書けば話題になります」
「いい記事になりそうかい?」
 自分の話した内容に何も問題が無さそうだと蓮見の言葉から判断したのか、用務員はすっかり気心の知れた者同士のような態度で聞き返した。蓮見はよっと声を上げながら立ち上がり、ニヤッと笑ってみせた。
「そりゃあもう。新聞が上がったら、用務員さんにも持ってきますよ」
 私達は用務員に礼を言って、用務員室を退出した。
 文化人類学行動研究会のこぢんまりとした部屋に引き返し、中に入ると早速、私は蓮見と会話内容の分析を始めた。
「草間の動機の根っこは判った気がするけどさ。これじゃあまだまだだね」
だけど蓮見は、私の顔を呆れたような表情で見返した。
「あのなあ……お前さんは何を聞いてたんだよ。草間から用務員にアプローチしたんだぜ? なら教会と繋がってるのは用務員じゃね? いくら草間がクラブ遊びしようと、それだけで宗教には結びつかない。それなら、今までとは全く違う接点、つまりイレギュラーな存在が関わってると考えられる訳さ」
 つまり蓮見が言いたいのは、用務員こそイレギュラーな存在だという事だ。
「でもさっきの話だけじゃ、何の根拠にもならないんじゃない?」
「なるさ。草間は無軌道な行動の結果、用務員と接触したんだ。俺の読みだと実は逆で、用務員の方から草間が『接触してくる』ように仕向けたと思う。宗教にハマるヤツってのは十中八九、心が脆くなってるヤツさ。そう考えりゃ草間はただ利用されているだけで、実質的には用務員が教会とのパイプ役なんだろうよ」
 蓮見の分析に私は少し考え込む。
 物的証拠は何も無い。
 今の話にしても、単なる状況証拠と証言に基づいた憶測に過ぎない。
「……それじゃあ用務員がパイプ役だとして、結局教会ってのは何をしたいんだろ」
 延々と議論をしていても始まらないから、私は当面は蓮見の推測に従う事にした。ただ、それによって生じる疑問点は少なくない。
「さあね。普通に考えりゃ単なる勧誘活動だと見えなくも無いけど、だったらわざわざ学園に潜入して、一人ひとり声を掛けるなんて割に合わないと思うんだよな」
 さすがに蓮見でもこれ以上は判らないらしい。だけど蓮見は少し考え込んでから、おもむろに口を開いた。
「……あるとするなら」
「ん?」
「これはただの勘だが、もしかしたら何かを探しているとか、調査か何かをしているんじゃねえかな」
 蓮見の言っている事は酷くあやふやで、どう考えたらいいのか判り辛いものだった。要点のはっきりしない言い回しに、私は怪訝な顔で聞き返す。
「何か何かって、もっとはっきり出来ないの?」
 それでも蓮見は自分の中で引っ掛かっている事柄を反芻しているらしく、随分と時間を掛けてから慎重に答えた。
「まだ情報が足らねえんだ。だから穴の開いた現時点の情報で判断する限り、どうしたって勘でミッシングリンクを補う形になっちまう。俺が言いたいのはさ、勧誘目的じゃあ無いけど一人ひとりを調べる必要がある、って事だ」
「一人ひとり? 何でそうなるのよ」
 何だか霞が掛かってるような気持ち悪さを感じ、私はイライラして聞き返した。蓮見は遠い景色でも見るような目付きで呟く。
「言ったろ。必要があるって。どんな行動にも必然があるんだ。その必然ってのが現時点でのミッシングリンクさ。理由も目的も俺達には判らないが、連中には必然があって、ここいら一帯の全ての学校の生徒を一人ひとり調べている。何故かと言えば、教育現場に目ぼしいモノがある訳が無い。あるのは人間だけだからだ」
 私は蓮見の導き出した推論に、素直に驚いた。
 確か団長から聞いた話では、他の周辺の高校のいくつかの応援団に問い合わせたら、何処でも桐琳学園と同じような状況だって言っていた。私は今の今まで、その話をすっかり忘れていた。
「ちょっと感心した。さすが悪党。悪党は悪党を知るって事か」
 悔しいけど、蓮見には私よりも広い見方で総合的に判断する能力がある。聞いたところではジャーナリスト志望だそうだけど、本当に向いている職業は探偵とか刑事とかなんじゃないかと思う。だけど蓮見は別段何事も感じていないのか、素っ気無い口調だった。
「それ、褒めてんのか貶してんのか……ただ俺としてはかなり核心に近いと思ってる。裏付けが欲しいところだが、こればかりは直接行動しなきゃならないだろうな」
 つまり、これからは潜入捜査が必要だと言う事だ。
「ここからは別行動だ。俺は用務員が何を調べているのか、生徒を調べているなら誰を探しているのかを調べる。アンタは用務員になんとか取り入って、教会に潜入するんだ」
 蓮見に方針を決められるのは何とも面白く無いけど、元々そうするつもりだったのだから素直に従う。
「判った。かなり不快な事になりそうだけどね。それよりアンタ、調べるってどうするの」
 今までその尻尾さえなかなか掴ませなかったのだから、調べると言ってもそう簡単な話では無さそうだ。だけど蓮見は、またあの不思議な表情を浮かべていた。
「……あの用務員はその内、俺に接触をしてくると思う」
「どうして判るのよ」
 どうもこういう表情をする時の蓮見は、何を考えているのか読み辛い。
 蓮見は途端に、不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「だから勘だよ」
 そう言われてしまうと何も返す言葉が無い。
 私も勘に頼るタイプなので、蓮見の言い分は理解出来る。
「それよりも」
「……いきなり何だよ」
 私が唐突に話題を変えようとしている事を悟って、蓮見が怪訝な顔をする。
「ああいうランキングって、アンタが集計してんの?」
「何でそんな事を知りたいんだ?」
 別に美少女ランキングなんてものには興味は無いけど、少し疑問を感じていたのだ。
「草間が一位ってのがどうも信じられないんだよね」
 その私の言葉で言いたい事を理解したらしく、蓮見は意地悪そうに口元を吊り上げた。
「あ〜、そういう事ね。安心しな。あれは草間を除いて俺の脳内ランキングだから」
「……は?」
「だから、でっち上げだっての。判ってたんだろ?」
 思わず唖然としてしまった。
 別にでっち上げだという事実に驚いたのでは無く、草間を除いたランキングって事は、蓮見の中では私が一位って事に驚いたのだ。と言うか、むしろ呆れてしまったのだけど。
「……そのでっち上げ、そのまんまで記事にしちゃう訳?」
「別に問題ねーだろ。順位はともかく、大方は当ってると思うしな。それにヤロウ共には売れるだろうし」
「……スパニチ並に胡散臭い新聞だなあ」
 ちなみにスパニチとは『スパニッシュ・ニッポン』とか言うスポーツ紙の事だ。
 在スペイン人記者の視点で日本を斬る、みたいな特色を持ったスポーツ新聞らしいんだけど、何でスパニッシュ風味なのか訳判んない。
 だけどちゃっかりしていると言うか、情報収集ついでに稼ぎに繋げるとは。
 文化人類学行動研究会による校内新聞はゲラ版の印刷代に少し利鞘を上乗せしただけなので安く、一応は同好会として活動を認められているので、学校側から渋々ながらも出版に関しても認められている。
 勘なんてあやふやなものに頼っているかと思えば、一方では超現実主義。
 今後、蓮見はいろいろな場面で役に立ってくれるだろうな、などと頭の奥底では考えていた。




 次の日、私は放課後になるのを待って、早速あの嫌悪感を抱かずにはいられない用務員を探した。散々探し回った揚げ句、女子更衣室と女子用のシャワールームが併設されている部室棟の別棟付近で用務員を見付けた。
「昨日はどうも、用務員さん」
 そう声を掛けた私を見て、用務員は相変わらず好色そうな笑みを浮かべた。
「おお、昨日のお嬢さんかい。アンタ確か、洋弓部じゃなかったか?部活には出ないのかい?」
 私の肩にはリカーブボウの入ったソフトケース、手にはアローケースが握られているのに、制服姿のままなので疑問に思ったらしい。
「いえ、最近は部活には出ていないんです。用務員さんも噂は知ってるかも。私、草間と仲が悪いんですよ」
 本当は草間の方が一方的に私の事を嫌っているのだけど、今はお互い様って事を強調する必要があった。昨日の対談で用務員自身が言った事もあり、すぐに思い出したらしい。
「ああ、そういやそんな話だったな。なんだ、あっちのお嬢ちゃんといいアンタといい、色々と大変なんだねえ」
 そんな事は露とも思っていないだろう事は、表情で伺い知れる。それでも私は、その話を膨らませる必要がある。
「ホントそうなんです。こんな話をしてもいいものか判らないけど、それが目下の悩みなんです」
 心の脆さは、宗教が付け入る隙になる。今の私はこの用務員の前では、弱い女にならなくては。
 ただの演技とは言えそれなりに真実味を帯びていたらしく、用務員はわざとらしい同情を顔に滲ませながら、おもむろに私の肩に手を置いた。
 一瞬にして鳥肌が立つ。
 でも私はなんとか我慢して、用務員の好きにさせた。用務員はそれを好感触と受け取ったのか、私の右側に回り込んで顔を寄せて話し掛けてくる。
「女の子がそんな顔をしちゃいけないよ。良かったら、おじさんに話してみなさい」
 おそらく、今までの性犯罪でもこんな感じで女の子に接触してきたのだろう。
 妙に手慣れた感じがして、私は怖気に震えた。
 それをさも悩みに押し潰されそうな印象を与える演技へと転化し、私は震える声で訴えかける。
「……私、本当は啀み合ったりするのは嫌いなんです。どうやったら彼女と仲直りできるんでしょうか?」
 別に私を嫌いって人間と仲良くなりたいとは思わないけど、演技をしていると少しだけそれもいいかな、とか思ってしまう。そのお蔭なのか、用務員は疑問に感じる事無く深刻そうな顔で頷いた。
「うんうん、優しい子なんだね。でも優しいだけじゃあ判り合えないものさ」
「そんな……じゃあどうしたらいいんですか? このまま部活にも出れないなんて辛いんです」
 そこまで打ち明けてから、私は顔を両手で覆う。ただの泣き真似で涙なんて出ていないけど、用務員からは私の顔は伺えない筈だ。
 用務員は勿体付けるかのように間を空け、私の背中を触りながら諭すように口を開いた。
「……おお、泣くんじゃないよ。このままでは心が押し潰されてしまうよ」
「……でも」
 私も勿体付けてやった。
 ここからは慎重な受け答えが要求される。
 用務員のごつごつした手が、私の長い髪に触れる。
「キミには、心を癒して導いてくれる人が必要なんだ」
 ――掛かった。
 その言葉を引き出したかったから、私は心の中でほくそ笑んだ。
「そんな人、知り合いには……」
 誰も私なんて助けてくれない、そんな感情を込めてみる。用務員の行為は益々エスカレートして、私の髪を撫でながら努めて優しそうな口調で宥めてくる。
「ああ、可哀想に。きっと俺と出会ったのも何かの導きだったんだ。キミの悩みを聞き届け、これからどうするべきかを教えてくれる良い人を紹介してあげるよ」
「……ほんとう?」
 私はここで思いっきり、甘えた口調と上目遣いで落としに掛かった。用務員は私の手を取って両手で包み込み、擦りながら私の眼を見た。
「本当さ。教会の神父様だよ。きっとキミの懺悔を聞いて、力になって下さる」
 ――教会。
 どうやら潜入の足掛かりを掴む事に成功した様だ。
 私は用務員に半ば抱かれるような格好で、学園の外に連れ出された。


 登場人物紹介
団長
テレオ
草間 佳織
轟 富士子
児島 佐由里
用務員
第七話・巨神幻惑
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