Sick City
第一章・悪意浸食

 兄の崎守零二がどういう理由なのか、仲間と一緒に海外旅行に行ってしまった。そんな訳で我が崎守家に残ったのは、祖父母と私、崎守御空の三人になってしまった。
 普段サボりまくって幽霊部員と化しつつある洋弓部の朝練に、久しぶりに参加をする為に早起きをして身支度を整える。廊下ですっかり打ち解けた様子の叶さんが、声を掛けてきた。
「御空ちゃんってば朝早いわね〜。若いっていいわね〜、ちくしょう」
 この人はつい最近になって近所に引っ越してきた人で、ウチの爺ちゃんと叶さんのお爺さんが知り合いだと言う事でよく遊びに来る。尤も、殆どはタダ飯を頂戴する為に、半ば強引に押し掛けてきているというのが実態だけど。
 何だか零ちゃんとエリカさんの二人と何かあったらしいのだけど、詳しい事は聞いていない。零ちゃんからは単に「友達になった」としか言われてないので、「はあ?」って言った記憶がある。なんて言うか、普通にありえない組み合わせだし。
「……朝一で私に絡むの、やめて欲しいなぁ」
 叶さんは零ちゃん達と一緒に旅行へ行けず、機嫌が悪いままだ。それに、娘である棗ちゃんの身が心配なのかも知れない。
「いつも早起きなの? なんか以外だわ」
 何が言いたいのか、その表情を見て何となく察した。
 私と叶さんは性格的に結構似ている部分がある。叶さんの印象として一番目に来るのは、何と言っても『大らか』って事。でも悪く言えば『大雑把』『いい加減』『だらしない』とも言える。
 だから私が真面目に、朝練の為に早起きをしているのが以外に感じたのだろう。
 でも実際は違う。
「実は今日だけなんだ。アーチェリーって個人競技だから殆ど自主練習ばっかりだし、普段は朝練なんて出ないんだけど」
 そう答えながらも、私の口調は少なからず面倒臭そうな響きを含んでいた。
 だけど、相手は年上の女性だ。
 その面倒臭そうな響きから何かを察したらしく、急にその目が好奇の色に染まった。
「んっふっふっふ。何だ何だ〜? 男絡みかぁ?」
 そうだったら寧ろ、どんなに気が楽か。さすが年の功、とか言ったらぶん殴られるから言わない。
「ん〜、言葉の意味を考えたら違うけど、男は絡んでるのかな」
 そう受け答えをしたものの、事実はそんな楽しそうなイベントでは無い。だけど勘違いをしたままの叶さんは、私の脇腹を肘で突いてくる。
「このこの、若い内にモテろモテろ。どんな男? いい男?」
「……男って言うか、男臭いって言うか。むしろ臭い男達の園、って言うか」
 いかん、頭痛くなってきた。
 そんな私の様子に、叶さんは何やら同情めいた視線でこちらを見詰めた。
「……若い内からきっつい趣味してんのね」
 私の趣味じゃないんだけど、話に乗ると痛い目に合いそうだから華麗にスルー。
 その後、茶の間で爺ちゃんと叶さんと一緒に、朝ご飯を食べる。お婆ちゃんは着物の着付け教室なんてのを開いていて、市の文化センターとか言う所にお出掛けして不在。
 手元の納豆をぐるぐると引っ掻き回していると、テレビから朝のニュースらしき男性の音声が聞こえてきた。
「――本日未明、イラク・バグダッドで大規模なテロが発生、爆発などにより、死者二万人、負傷者は十万人規模と見られ、現地に駐留するアメリカ軍は死者一万人に上ると見られており、イラク政府は直ちに戒厳令を発令し、事態の収集に努めています」
 皿の上のメザシを口に放り込んでいた叶さんが、テレビのニュースを見て呆気に取られていた。
「……二万? それってテロって言うより、殆ど戦争でしょ」
 さらにニュースは続く。
「アメリカ国防総省の公式発表によれば、バグダッド近郊の油田開発現場に視察に訪れていた、アメリカ保守派のクレイグ上院議員が行方不明と見られており、政権内部ではイラク追加派兵への批判が噴出する事は避けられない情勢です。それでは次のニュースです――」
 朝から随分と、殺伐としたニュースだ。




「お疲れさんです! 姐さんッ!!」
「……お疲れさんです」
 長ラン姿のムサい野郎が二人、私の目の前で斜め30度に頭をピタッと下げて挨拶をしてきた。玄関口から出てきた私を待ち構えていたのは、つい最近になって知り合った応援団の団員だった。
 桐琳学園においては時代錯誤、二十世紀の遺物、生ける伝説もしくは屍、などと散々な事を言われているのが『大学生都市生活模範教練指導委員会』、通称『大都会』と言われる、実質的には応援団として知られる連中だ。
 本来は大学進学を目指すにあたって学力だけで無く、都会の誘惑とやらに負けずに慎ましくも有意義な学生生活を営む為の模範となる人格を養成する為の生徒同士の相互補助組織――だとか何とか。
 三十数年前にそういったスタートを切ったものの、彼らが模範とした対象が大学の応援団だった為に、現在ではほぼ応援団としての活動しかしていないような気もしないでもない。
 その『大都会』の中でも、特に男臭いとして専ら女子に敬遠されているのが目の前にいる二人。
「……あ〜、また今日も来たんだ。団長とテレオ」
 二人の内、極端に背が低いのが団長。
 165センチある私より低い位置に頭があって、多分150センチくらいしか無いんじゃないかと思う。零ちゃんと同じ三年生らしいので私よりも年上になるのに、何故か私を『姐さん』と呼ぶ。
 スポーツ刈りの短い髪の毛に、大きなサングラス。低い身長には不釣り合いな、厳めしい顔付き。
 でも一番特徴的なのは、その声だった。
「自分は、本日の決闘の応援に駆けつけた次第であります」
 団長の声は眼をそっと瞑れば、まるで超渋いおじさまがそこにいるかの様だ。
 この声にしてこの身長。
 声だけはちょっといいのに、勿体ない。あ、あと足らないのは相応の年齢か。
 そしてもう一人の方は、と言うと。
「……であります」
 最初の挨拶の時同様、途切れ途切れに団長の後から何とかそう言うと、顔を逸らした。
 こっちの無愛想な男はテレオ。
 団長もそうだけど、本名は知らない。
 少し長めの髪と大きめのサングラス。
 単に『照れ屋だから』と言うだけで、『テレオ』と呼ばれているらしい。特に女の子と面と向かうと、必要以上に照れてしまうらしい。
 でも外見だけを見ると、何か危険な香りのする男っぽいんだけど。
 やはりちょっとの差で、勿体ない。
 だけどこの二人が女子に敬遠されている最大の理由は、『二十世紀っぽい古さ』だ。今時の女の子は応援団とか男臭いとか、全然流行らない。自分もどうしてコイツらと朝っぱらから一緒に学校に行かなくちゃならないのか、はっきり言ってまるで判らない。
 そんな二人に、私は渋面いっぱいといった表情で嫌々話しかけた。
「……あ〜、個人競技だから応援はあまり必要じゃないんだけどなぁ」
 アーチェリーという競技は個人競技な上に的に狙いを定める都合、精神的な要素が多くを占める競技だ。丁度、ゴルフでショットの前にギャラリーがしんと静まり返るのと似ていて、観覧するギャラリーはあまり騒がないのが普通だ。
 はっきり言って、アーチェリーの試合に応援団というのは不釣り合い極まりない。だけど私の控えめな主張を、彼らは判ってくれないのだった。
「大声を出すだけが応援ではありません。心の中で激励を送る事もまた応援であります」
「……応援……であります」
「……あんた達はいるだけでプレッシャーになんのよ」
 とは言っても彼らは純然足る敬意でここにいる訳で、何となく無下に断れない。私は溜め息を付いて歩き出した。
「……はぁ、判った。お願いだからじっとしててよ?」
「……お荷物、お持ちします」
「……します」
 二人は私の手と肩にある、アーチェリー用具の入った二つのケースを見て申し出た。
「え、別にいいってば」
 肩に掛けているソフトケースに入っているのはリカーブと呼ばれる種類の弓で、グリップ部であるハンドルと、その上下にあるリブと呼ばれる木芯とカーボン繊維で造られた『たわみ』部に分割された、競技用の弓だ。
 ソフトケースに三分割に折り畳んで入れてあり、他にも照準器のサイトとか安定装置のスタビライザーだとか、色んなオプションも一緒に入ってる。
 手に握られているのはアローケースと言って、競技用のカーボン製の矢が収められているアルミケースだ。
 どちらも結構な重さがあるのだけど、慣れているので別に苦にはならない。
申し出を断った理由は重さに慣れているというだけで無く、これら一式が20万円以上もする高級品だからだ。
 道具をことさら重要視する訳では無いけど、上達するに併せて色々と買い足したり交換したりしていたら、いつの間にか高い買い物になってしまっていた。今思い起こしても、買い増しの度に家計を預かるお婆ちゃんを説得するのはそれはもう、大変な事だった。
 二人の好意をやんわりと断ってさっさと前を歩いたので、それ以上食い下がるような事は無かった。
 さて、この二人がどうして私に付いてくるのか。
 それは、これから行われる『決闘』に関わるからだ。
 とは言っても、別にこいつらを巡って恋のトラブル、なんてのは有り得ない。
 しばらくして学園に到着してすぐに部室に行き、女子洋弓部のユニフォームに着替える。ユニフォームは青のポロシャツと白地のハーフパンツで、左胸にチェストガードと呼ばれるプロテクターを装着する。左腕には撃ち終わった後に戻ってくる弦から腕を守るアームガード、右手の人差し指と中指の内側に、弦の張力から指を保護する為のタブを嵌める。腰にはベルトで固定して吊り下げてアローを入れる、クイーバーと呼ばれる入れ物を下げる。
 着替え終わると、グラウンドの隅っこにある射場に向かう。
 洋弓部がある学校ってのは珍しいのだけど、桐琳学園は昔からアーチェリーには力を入れているらしい。その為か立派な射場がグラウンドの隅っこにあって、一般のアーチェリー愛好家にも門戸を開いている程の、広いスペースを備えている。
 私が屋内スペースで弓のストリングを張る作業――つまり弦を張る作業であるブルプッシュをしていると、何やら黄色い声がいくつも聞こえてきた。
 両手を後ろに組んで、直立不動の姿勢で突っ立っていた団長とテレオの顔に緊張が奔る。
 射場に入ってきたのは、何やらモデル歩きみたいな仕草で周りに自分の存在を誇示したいという意志がぷんぷんと匂う女と、そんな女に自分の存在をアピールするかのように笑顔で相槌を打つ取り巻き女達だった。
「――あら」
 こちらに気付いたらしい。
 私の顔を見た後、後ろの団長とテレオを忌忌しげに見た。
「これはこれは。まさか万年サボり魔の御空さんがこんなに朝早くに、しかもまあ、とてもお似合いのむさ苦しいペットを引き連れてのご出社とはとても驚きました」
 自分が設定した舞台のクセに、なんて白々しい。
 長広舌でイヤミ全開のこの女は、女子洋弓部主将の草間佳織。大会では常に上位の成績を収めており、この学園の理事長が昔からアーチェリー愛好家であるのが幸いして体育会系の部としては大きな予算を勝ち取っているのが原因で増長しており、洋弓部を半ば私物化しているイヤな女だ。
 二年生の草間がどうして主将なのかと言えば、前主将だった三年の先輩をリコールした為だった。部員の殆どを掌握している草間によって、三年の先輩達は悉く退部してしまったのだ。ついでに言えば、大企業の創業家一族のご令嬢なんていうお約束なキャラでもある。
 言わば私にとっては天敵みたいな相手で、正直なところ関わり合いにはなりたくない。とは言ってもそれは個人競技のアーチェリーだから、部活動的には何ら問題では無い。それに私自身、あまり練習には参加しないでサボりまくってるから、彼女のわがままをどうにかしようとかは全く考えていない。
 草間のこれ見よがしのイヤミな態度に、団長は静かな口調で反応した。
「……草間。俺達への中傷ならば何も言わないが、姐さんに対するその物言いは些か度が過ぎるぞ」
「……過ぎるぞ」
 あまり強い言い方では無いにしろ、この二人が草間を敵視しているのが判る。彼らが嫌う理由はそれなりに頷けるもので、草間を中心とする富裕層出身の女子学生達からなるイベントサークルなんてものがあるらしく、連中が最近、大々的な勧誘活動みたいな事をしているのが『大都会』との衝突を生んだらしい。
 元々は女子だけのサークルだった筈が、最近になって取り巻きの男子みたいなのを寄せ集めた下部組織みたいなものを生み出し、まるで下働きか下僕かというくらいにこき使ってるらしい。
 ただそれだけの話なら『大都会』と直接衝突する事は無かったのだけど、そういった男子達の中に、『大都会』に所属する一年生の男の子が含まれていた。お嬢さん連中におだてられて舞い上がっているだけなら、団長達が動くような事態にはならなかったのだろうけど、最近になってその男子学生が苛烈なリンチを受けて、意識不明の重体になってしまった。
「これは彼女と私の間の問題ですから、余計な口出しはご遠慮願いたいですね」
「姐さんは大都会の代理だ。そもそも自分で言い出した対決だろう。姐さんが俺達の代理人である以上、その人格を護るのは俺達の義務だ」
 二人の間に険悪な空気が拡がる。
 真っ向からやり合うのはこれが初めての事では無いのだが、此程噛み合わない二人も珍しい。
「別に彼女を指定した訳ではありません。私はアーチェリーでなら決着を付けますし、その上で完敗したのならば貴方の謝罪要求にも応じると述べたまでですから。私と御空さんの間の不幸な意見の相違は以前からあるものですしね」
 草間は詭弁を喋らせたら天下一品の女で、彼女を論破するのは容易な事では無い。男道一直線の堅物である団長との議論は、何時まで経っても平行線のまま終わる。
「相変わらず賢しい。それが宗教で教わった事なのか。ウチの一年が入院した直接の原因がお前にあるとは考えていないが、怪しい宗教勧誘はさすがに目に余る。お前にはしっかりと謝罪をして貰い、その上でその新興宗教とやらの内部関係者を洗いざらい話して貰うぞ」
 団長の口から出てきた、宗教勧誘と言う言葉。
 草間に関する様々な噂話を聞くに及んでサークル活動の実態に疑惑を抱き、内部事情を知る男子生徒達に団長が言うところの『極めて友好的見地に立って』事情を聞いたところ、サークル活動と同時に何やら新興宗教みたいな活動まで含まれていたと言うのだ。
 実は団長から助っ人を頼まれた時、私は断ろうと思っていた。私が頼まれた理由は、正直に謝罪をするつもりなんて全く無い草間の提案である、アーチェリーによる勝負の為だ。
 団長は空手の有段者だと聞いた事はあるけど、さすがに弓に関しては素人だ。だけどその対決以外では話を聞く事も難しいので、助っ人を探していたのだ。
 団長はどういう訳か、武道を嗜んでいる事を周囲に隠している筈の零ちゃんの腕前を知っているらしく、最初は零ちゃんに助っ人を頼むつもりでいたらしい。弓は私の方が断然上手いけど、零ちゃんは私の動きを模倣する事で、弓道に関しても一般レベルを大きく超える腕前を有している。
 だけど零ちゃんは、目下旅行中。
 ウチの玄関を叩いた団長の応対をした私に白羽の矢が立ったと、まあそんな経緯があったのだ。
「……恨むよ、爺ちゃん」
 断ろうとしていた私に、その場に現れた爺ちゃんが有無を言わせず引き受けるよう命令した。
「あなた方の恨み節はまっぴらです。時間も限られている事ですし、そろそろ始めましょうか」
 既に弓の準備を整えていたらしく、側に控えていた取り巻き女がリカーブを草間に手渡す。他の取り巻きが射場のメンテナンスを行い、競技に使うアローを持ってくる。
「はぁ、やれやれ。零ちゃんが旅行なんて行っちゃうのがいけないんだよ」
ブツブツと愚痴を漏らしながらも、持参した矢をアローケースから引っ張り出す。
 アーチェリーという競技はお金の掛かるスポーツで、特に普段使用するアローは消耗品なので、本来は部の備品として部費で購入したものを使うのが通例だ。しかし、用意されたアローはお世辞にも高品質なものでは無く、大会で結果を出したいならば自分にしっくりくる道具を揃えたい。
 去年のインターハイで私は優勝したが、自分で選んだ道具はそれなりに結果に影響を与えたと思っている。ちなみに私が出場したのは去年のインターハイが最後で、それ以降は大会には一切出場していない。
 まあ色々と事情があって、大会で競い合う事の意義というものに執着していないから、最近は趣味としてアーチェリーをやっているに過ぎない。
 準備を終えた草間は、シューティングラインに立った私の横顔を睨み付けてくる。
「何故真面目に部に出ないの、あなた」
「……余計なお世話だよ」
 草間の問い掛けに、私は素っ気無い返事をした。
 部に殆ど顔を出さなくなった上に公式大会への出場も辞退している私に、部員達が良からぬ噂を立てているのは知っている。顧問の教師や理事長からも再三に渡って出場要請が出てるけど、それを全て断っている。
「一時期、時の人となって有頂天になってるの?」
 草間の一言に、私の中で嫌悪が沸き上がる。
「……いい加減、その件は忘れなさいよ」
 そうやって、人の事をあれこれ気にするなんて馬鹿馬鹿しいでしょうに。だけど草間にとっては私の存在が疎ましいらしく、今や部の中に私の居場所は無いに等しい。それなのに、部へ出ろと言ってくる草間の論理が理解出来ない。
「前代未聞のパーフェクト達成。マスコミにも取り上げられた天才少女――あなたの出場辞退のおこぼれで大会に出場している私など、誰も取り上げてはくれませんからね」
 パーフェクト達成という言葉。
 それはまさに、前代未聞の出来事だった。
 悉く的のど真ん中に必中する私の腕前に、マイナー競技で競技者人口の減少に悩むアーチェリー協会が目を付けたのも道理なのかも知れない。
 具体的には、マスコミの取材が殺到したのだ。
 よくある話だけど、天才少女だの何だのと持ち上げられ、次期オリンピック金メダル候補だのと報道された。
 だけどそれについては、私は否定的な意見は持っていない。それぞれの立場、それぞれの事情がそういった形になったのだろうし、オリンピックで金メダルの期待が掛かるのも当然だろう。実際、私のような技量を持った人間は、世界広しと言えどもそう簡単には見付からない。
 世界最高記録を、しかも全てパーフェクト達成の可能性。
 自惚れたくは無いけど、事実だからどうしようもない。
 私が競技者への道を進まない事に決めたのは、単純に自分の気持ちの問題だ。問題と言うか、正確に言うなら弓に対する思想、かも知れない。元々は弓道出身者、その合理性と機能性に興味が惹かれて始めたアーチェリーだったけど、誰かと競い合う事には然程興味が無い。
 それに、弓の本質は武器だ。
 いかに効率良く人を殺すか。
 いかに戦略的に戦場で用いるか。
 いかに的確に獲物を狩れるか。
 武器としては既に時代遅れ、銃にその役割を譲ったけど、私にとって弓は戦士の武器だ。戦う為の道具であり、スポーツとしてやるならただの趣味で充分だ。
 マスコミに追い掛けられ、野次馬に囃し立てられ、同年代の男子だけで無くマニア的なカメラ抱えた追っ掛けみたいな人達が出現し、インターネットのブログとかで祭り上げられ、パパラッチ的な卑猥な写真が画像掲示板に貼られたりもしたし、巨大匿名掲示板に私に関するスレッドが出来たりもした。
 アーチェリーを始めた頃は零ちゃんがどうして周りの人達を寄せ付けず、自分の能力を隠して普通の人のフリをするのか理解出来なかった。
 でも、今なら理解出来る。
 普通とは違う自分の能力を、世間に知らしめれば平穏な日常生活を送れなくなる。一線から退いた今でも、周りからの好奇の視線を感じるのだ。さすがに零ちゃんみたいに体育の時間ですら平凡な身体能力に徹する事は出来ないけど、今になって私も零ちゃんと同じようにしてれば良かったと思っている。
「……こんなの、日常生活には何の役にも立たないんだよ。料理が上手とか裁縫が得意とか、そういうのの方がよっぽど自慢になる」
 結局はそういう事だ。
 今の私の興味は料理とかお裁縫の方で、それについてはお婆ちゃんという良き師匠がいる。
 その人間の底力が真価を問われるのは、極限状態に立たされた時。だからこそ、常日頃から料理やお裁縫などの生活技術を学んでおけば、例えば大地震とか山での遭難とか、果ては戦時下においての生存能力を左右するのだ。
 でも草間には、そんな事判らないだろうな。
「余裕ですか? でも部に出ていない今のふ抜けたあなたになら、私にも勝つ見込みは大いにあると思いません?」
 それはそうかも知れない。
 草間は前回のインターハイへの出場は果たせなかったものの、記録だけを見れば、次の大会では優勝を狙える位置にいる。本人はイヤなヤツだけど、その努力は並大抵のものじゃ無い筈だ。ここ最近、全くと言っていい程に弓に触っていない私が、どの程度の能力を維持出来ているのか。
 だけどそこまで考え、何だか色々な事が馬鹿馬鹿しくなってきた。どうせ代理で付き合ってるだけだし、何で私がここまで一方的に非難されなきゃならないの?
 一体、私が何をしたって言うの?
「はぁ――何かどうでもいいって言うか。さっさと始めようじゃないの」
 一方、草間は私の開き直った態度に闘争心を掻き立てられ、前を見据えて弓と矢を手に準備態勢を取った。
 70メートル先には直径122センチの的がある。的は中心から黄、赤、青、黒、白に色分けされていて、中心の大きさは12センチ。私も弓と矢を持ち、使い慣れた道具の感触を楽しむ。
「ではあまり時間もありませんし、1エンド勝負でいきましょうか」
 草間の提案に、私は頷きを返す。
 団長とテレオが少し離れた所から見守る中、手旗を持った審判役の取り巻き女がシューティングライン横に立つ。四分以内に六本の矢を射るのを1エンドと言い、ターゲットアーチェリーの基本サイクルになる。
 周囲の景色は意識から追い出され、私の目の前には拡大された的の中心だけがある。認識力を最大まで肥大化、弓に番えた矢の先端と、的の中心その一点とを結びつけて弓を引き絞る。
 風力測定、角度調整、慣性予測、軌道修正、弓構え、射出――一拍、残心。
 お互いの第一射が放たれた。
 双方共に、真ん中に命中。
 だけどそんな事は、当たり前過ぎてなんか楽しくない。私は心の奥底にあった苛立ちに突き動かされ、突拍子もない行動に出た。
 再び矢を番え――速射、速射、速射、速射、速射。
 草間の顔が凍り付く。
 有り得ない挙動で次々放たれる矢が、最初の一射目に的に突き刺さった矢の尻を叩き、跳ね返って地面に落ちる。
 矢を放った後の挙動は弓を持ったままの弓道と違い、左手首と弓をボウスリングと呼ばれる紐で繋いであって、発射の後は弓から手を放すのがセオリーだ。だけど速射する為にはグリップを握り続けなくてはならず、そうすると発射の反動で弓が手から飛んで行ってしまう場合もある。それを防ぐ為にボウスリングがあるんだけど、私はスリングは使わない。
 単純に握力任せ。
 アーチェリーの試合は長丁場なので、そんな方法を続けたら押し手の握力がすぐに無くなってしまう。
 だからという訳では無いけど、私は握力だけは異常に鍛え上げている。どの程度かと言うと、指一本のみで、三時間は逆立ちが出来る。
 握力を鍛えているのは何も弓だけの為では無く、天仰理念流の体術を修練した結果と言える。
 弓道八節と呼ばれる弓の基本体にしても、速射を可能とする為には一つ一つの所作を短縮化する。
 体勢がまだ充分に整っていないのに射る事を、弓道では『早気』と呼ぶ。速射は『早気』と紙一重、通常の手段で弓を引くと、速射は出来ない。それを可能とする為にどうするかと言うと、例えば弓を引くのと呼吸を整えるのを、同時に終わらせてしまうのだ。
 弓を引き終わったと同時に、『射』の体勢が完了する。
 一射目で的に刺さった矢の尻に、二射目の矢が寸分の狂いも無く当って前へと押し出して後ろへ突き抜け、三射目以降は的に空いた穴を通り抜けて的の裏側から後ろへと飛んでいった。これがアーチェリーでも弓道でも無い、崎守に伝わる天仰理念流射術の妙技だ。
 弓によるピンホールショット、とでも言おうか。
 これぞ天仰理念流長遠射術・襖通し(ふすまどおし)。
 ちなみに『長遠射術』とは、主に戦場において超遠距離での射撃技術を体系化したものを指す。『襖通し』は文字通り、襖と襖の僅かな隙間を狙うかの如く、例えば林の中の木々の間に敵の姿を捉えた時に使われた技だと言われている。
 戦場で磨き抜かれた技術。
 それを実際に行うのは初めてだったけど、終わった時に物凄く爽快感を感じた。
「――ふう」
 私の速射に反応出来た者は、この場には一人もいなかった。団長や草間、他の全ての者がぽかんと口を開けて呆気に取られる中、私はシューティングラインから離れて射場から立ち去り間際、一言だけ草間に告げた。
「時間が少ないって言うから、手間省いてあげたから」




 勿体無い事をした。
 大枚叩いて特注したアローはいくつか使い物にならなくなり、私は教室の自分の机に突っ伏した。
「あ〜、特注品のアローを……いくら損したんだろ」
 正直、考えたくない。
 あの後、団長は草間を問い詰めたんだろうか?まあ私の役割は充分に果たしたと思うし、何より連続速射の後の爽快感は何よりも得難い感覚だった。それを思うと、今でも心が躍る。
 そんな事を考え、一人ほくそ笑んでいたら背後から声を掛けられた。
「今日は朝から何をそんなにニヤついてんのさ、崎守」
「あ、ほんとだ〜。キモいよ御空」
 後ろを振り返ってみると、わざと頬を膨らませ、不貞腐れてみせる。
「うるさい大巨人。今の私は、新たなバイト先を模索中なのだ」
 実際はバイトなんて考えていないけど、新しい矢を買おうとすれば当分の間、お小遣いは減らされるのだ。よって、買い食いも控えなくちゃならなくなる。
 二人の友人は私の不景気になった顔を見て、何かを悟ったらしい。そびえ立つ摩天楼、目の前に大きく踏ん反り返ってこちらを見下す大巨人、轟富士子が邪な笑みを浮かべる。
「聞いたぞ崎守。草間がおしっこチビって、召使いが保健室でおしめ取り換えてるとか」
 190センチの巨体から繰り出される悪意の咆哮に、周囲の小鳥達が怯えやしないかと辺りを気にしてみる。
「……教室内では小鳥は飛んでないぞ」
「えへっ」
「凄かったらしいね。御空が久しぶりに弓を持ったって、写真部の男子がうろついてるんだよ」
 巨人の斜め後ろに控えめに咲く可憐な一花、それはまるで高層ビル群の喧騒に紛れてひっそりと咲き誇る云々。
「だからビルでも無いって」
「じゃあマウントフジって事でひとつ」
「しばくぞコラ」
 フジヤマ女の脇にいるのはちょっとおっとりマイペース、手芸部の児島沙由里。
「……手芸と言っても、一人遊びでは無いのであしからず」
「さっきから独り言多いね〜。私はツッコミ専門だけど、ノリツッコミじゃないからね」
「これは手厳しい」
 洋弓部に顔を出さなくなってからの私は専ら、沙由里のお供で手芸部にお邪魔していたりする。お婆ちゃんから裁縫を教わってるので、手芸部はいい暇潰しになってる。――あそこには、お菓子がいろいろ揃ってるのが最大の理由なんだけど。
「ちなみに、隣の世界遺産候補は何故だか料理部に在籍している」
「誰が世界遺産候補だ私を指差すな」
 また独り言を言ってしまったらしい。
 手芸部に顔を出していない時はもっぱら料理部、というのがお決まりのコースになっている。バレー部やバスケ部からの熱烈な勧誘を断って、どうして料理部なのか。なんでも六場道三郎とかいう料理の達人に憧れており、卒業したら弟子入りしようと思ってるらしい。
「んで? 料理の達人ならぬ『料理の巨人』は、パパラッチ共の餌食になるのを見物しに来たって訳じゃないんでしょ」
「お前が妙なあだ名を付けるもんだから、とうとう定着しちまったじゃないか」
「パクリいくない」
 沙由里のダメ出しに、再び机に突っ伏す。
「ほれ、この無駄に長い黒髪を、こうしてこうすると……来るッ! やっと来るッ!」
「怖いよ御空〜」
 私の髪を弄くり回す大女の横で、沙由里が便乗する。
「おっ、霊峰富士は絵の題材に最適だぞ」
 それならこっちは、両の指を四角に形作ってパースを測ってみる。
「なんとなく、頭頂部が霞んで見えなくもない」
「朝っぱらから恐怖を撒き散らしておいて、何言ってんだ」
「いやいや、あんたの威風堂々足る佇まいには遠く及びませんよ」
「お二人共、全然話が進まないんですけど〜」
 沙由里の呆れたような指摘に我を鑑み、制服の襟を掴んでわざとらしく整える。
「ほら、廊下に団長が来てるんだよ」
 そう言って大巨人の顔が向いた先、開けっ放しの入り口付近に、団長とテレオが立っているのが見えた。
「その結論に行き着くまでに、これほど時間を掛けなくちゃいけない私達はいったい何なんだ?」
「朝から冴えてるじゃないか。劇団独り言」
「あたしゃ何処かのお笑い芸人かい」
「芸能界デビューは目前だな。ホラービデオ女」
「お互い様だよ世界丸見え女」
 お互い友好的な罵詈雑言を叩き合った後、私は廊下に出た。廊下を歩く何人かの男子生徒の好奇の視線に嫌気を感じながらも、対照的に男道一直線な実直極まる視線で私の眼を見る団長のその表情が、いつもより若干暗い印象なので少しだけ気になった。
「草間から話は聞けたの?」
 団長の表情が何やら重々しいのは、草間から聞き出せた筈の話の内容に関わるのではないか。
「姐さんには今回の件で力添えを頂けただけで充分、これから話す内容の事を思うと報せるべきでは無いのではと、自分は思っとるんであります」
「そういうのって、ちょっと水臭いんじゃないの? 確かに嫌々だったけどさあ」
 それほど不吉な報せなんだろうか。でも私に気遣いをさせたのが心苦しくなったのか、やがて搾り出すようにして団長は語る。
「……『光栄幸福教会』というのを知っておりますか」
「ああ、うん。新興宗教団体だったよね?」
 名前くらいは聞いた事がある。
 最近、学生をターゲットに勧誘活動を繰り広げていると噂される、キリスト教系と自称する新興宗教団体だ。学生受けを狙っているのか、主にネット上での活動をしているらしい。
「草間は具体的な事は何一つ言いませんでしたが、一つだけ気になる事を口にしたのであります。巨大匿名掲示板に専門のスレッドがあるんだ、と」
「なるほど。それでその宗教団体と結び付けて考えた、と」
 真偽はともかく、それが事実だったらこれほど厄介な事は無い。
「……しかし、まさかあの草間が宗教とはねえ」
 渋い顔でそんな感想を漏らした私の表情をどう捉えたのか、気遣わし気に少し声のトーンを落として団長は先を続ける。
「姐さんがどう考えるのかは判りませんが、自分としては校内での勧誘とリンチという、暴力による支配に危険な匂いを感じるのであります。他校の応援団にも確認を取ってみたところ、同じような事件がいくつか発覚しております」
「……そんなにいっぱい応援団ってあるの?」
 思わず別の方向に興味が向いてしまった。ここら辺は女の会話の悪いクセとして、華麗にスルーしてもらいたい。しかし実直な団長はご丁寧にもしっかりと反応した。
「応援団は不滅であります!!」
「いや、訳判んないし」
 そもそも、建前上は応援団じゃあ無い筈なのに、自分で認めちゃってるし。
 それよりも、これ以上の話を聞いて厄介事に巻き込まれてもいいのかと思う。
「……警察は、すぐには動いてくれそうも無いだろうしね〜」
「正直、我々では手に負えないかも知れない。しかし不器用極まりない我々では不可能であっても、女性の身で豪傑である姐さんならば、剛柔両面で対処出来ると期待してしまうのであります」
「誰が豪傑だ失礼な。これでも料理上手だぞコラ」
 まあ言わんとする事は判らなくも無い。
 現に団長だけでは、草間から話を聞き出す事も出来無かった訳だし。
「……まあ暇人だし、出来る事はやってみるけど。あまり期待はしないように」
 私が請け負った事で、団長とテレオがピタリ30度にお辞儀をした。
「よろしくお願いします、姐さん!!」
「……姐さん」
「……テレオってわざと言葉端折ってない?」




 請け負うと言っても、具体的にどうしたらいいのかと授業そっちのけで考えていた。要するに怪しい宗教団体と学生達の関係を切らないと、根本的な解決にはならないと思う。となると、刑事物のドラマを参考にするならば、ここは潜入捜査が鉄板だろう。
「ヤバイ、何だか結構ワクテカかも私」
 放課後になっても家に帰らず、学食兼カフェの一角で一人呟いた。普通に考えれば何の得にもならない事なのに、何故か面白がってる自分がいる。よくよく考えてみればあの兄にしてこの妹、みたいなもので、ここ最近になって自分以外の事で何かに取り組んでいる零ちゃんを傍目で見ていて、少しだけ羨ましく思っていたのだ。
 それに生粋のアーチャーは、同時にハンターであり、レンジャーでもある。
 隠密行動やストーキング、陽動、索敵なども必須のスキルだ。そういった意味では捜査スキルに必要な下地を、私は既に備えていると言える。まるで自分にとってはこれが一番向いていると、何処かの誰かに言われているような不思議な感覚だった。
 内部に潜入するとは言っても、まだ件の新興宗教団体が関係していると確証がある訳では無い。それならば、まずは裏を取る必要が出てくる。
「そうなると、事情通なヤツを見つけなくっちゃ」
 思い浮かぶのは一人くらいしかいない。
 今まで考え事に耽っていて、手を付けていなかった大好物のあんパンとパックの牛乳を腹に納め、目的地を目指す。
 桐琳学園の校舎は二つに分かれており、一つは生徒が普段の授業を受ける一般教室や職員室などがある一般教科棟、もう一つは視聴覚室や音楽室などの特別教室が集まってる特別教科棟だ。
 普段から人の往来が少ない特別教科棟だけど、放課後ともなれば人影は殆ど見られず、僅かに文科系の部活をしている人がたまにトイレに出てくるくらいだ。そんな特別教科棟の最上階は、昼でも薄暗くて誰も近寄らないので人外魔境などと呼ばれている。
「……さすが人外魔境。ここはアマゾンの奥地か?」
 だって天井を見上げると、コウモリがウジャウジャいるんだもん。
 廊下を歩いた突き当たりに、かつてアマチュア無線全盛期の時代に存在した『無線部』の部室だった場所がある。いつ頃の先輩によるものか、引き戸の上には発光ダイオードによる電飾ボックスが取り付けられ、光ればきっと『ムセン』という文字が暗がりに映えるのだろう。だけど無線部が廃部となった現在、電飾ボックスはアクリル板が割られ、その代わりに扉に『文化人類学行動研究会』と書いた張り紙が貼ってあった。
 私は扉の前に立ち、ノックをしようと手を上げてやっぱりやめた。
 この扉、いつも鍵が掛かってるのだ。
 さらに付け加えると、無用な筈の電飾ボックスがそのままになっているのには理由がある。
 割れたアクリルの外装の中に、小さなレンズが見える。
 監視カメラに映った私の姿を見て、中にいるヤツは既に心の準備をしているだろう。以前にもこの部屋に来た事があり、この扉にも仕掛けがあるのを知っている。監視カメラで来客の姿を確認し、中に招く場合は電子ロック式の錠前を解除するという仕組みになっている。
 私は改めてノックした。
 すぐに自動ロックの外れる音がしたので、引き戸を開けて中に足を踏み入れた。
「邪魔するよ」
 中に入ると雑然とした部屋の片隅に、PCのモニターに釘付けとなっている男子生徒の背中が視界に入った。四隅を囲むステンレスの棚には録画機材とか無線機材とかがびっしりと並んでおり、暗がりの中で各種のスイッチ類やランプが点滅している。
 男子学生が椅子をくるりと回して、こちらに振り返った。
「――随分と珍しい客が来たもんだ」
「何してんの?」
 実は何をしているのかは判っているのだけど、もっと中身をよく見てみたいと思って男子生徒の横合いからモニターを覗いてみる。そこに映っているのは、学園中の到る所に仕掛けられたと思われるカメラの映像だった。
 教室や廊下、体育館や特別教室。
 驚く事に部室棟や理事長室、果ては男子トイレに女子トイレ、教職員用トイレまで。さすがに、個室の中には仕掛けてはいないらしいので安心した。
「人の秘密を知るならば、プライベートを知る事が重要なのさ」
 したり顔で偉そうな事を言う。
「部屋に人を入れるんだから、こんな怪しい映像は切っておいた方がいいんじゃないの?」
「アンタは俺が何をしてきたか、大体の事は知ってるじゃないか。今更隠しても意味無いからな。それよりも一体何の用だい。今日はまだアンタを撮ったりしてないぜ」
 学ランをだらしなく着こなし、遊び人風でパッと見イケメン風だけど、何処かしら小狡そうな顔立ち。盗撮マニアにして我が宿敵、最悪のパパラッチとして悪名高いのがこの男、蓮見卓郎だった。
「……まだ?」
「あ、いや。何でもない」
 慌てて言い直したけど、今朝の騒動でコイツも動いたに違いない。
「蓮見、あんたまだ懲りずに盗撮なんてやってんだ。今度は小指の骨一本だけじゃ済まさないよ」
 かつてマスコミに追い掛けられていた頃、私の盗撮写真なんてものをマニア向け盗撮専門誌なんてものに売って小銭を稼いでいた事があり、ちょっとの間だけカメラを持ち歩くのを『自粛』して貰ったのだ。ちなみに盗撮されたと言っても部活中に少しきわどい姿勢を取ったりしたところを取られたくらいで、致命的に恥ずかしい写真は撮られていない。
 蓮見は真っ青な顔色で、慌てて言い繕う。
「あんたにはもう手を出さないって。これでも本来は諜報専門なんだ。だからこそ、大嫌いな筈の俺に会いに来たんじゃないのか?」
 どうやら頭の回転はそこそこ早いらしい。談笑するような相手では無いので、なるべく早く話をしてしまいたい。
「判ってるなら早速。アンタなら『光栄幸福教会』について何か知ってる事があるんじゃないかと思って」
 その名を口にした瞬間、蓮見の眼が好奇に光った。
「それで俺のところか。まあ一番情報を持ってるのが俺だろうしな。誰が誰に会っていたのかって事を中心に録画してあるんだ」
 見れば壁の棚には、ぎっしりとミニDVテープが詰まっていた。
「また指の骨をヘシ折られたら堪ったもんじゃないからな。何が見たいかさっさと言ってくれ」
「それじゃ応援団の一年がリンチされた日の草間の映像、全部見せて」
「へいへい」
 蓮見は棚に近付き、その中から何本かのテープを取り出してみせた。
「何でテープに保存してんの? 確かそこら中に動画サーバ確保してなかったっけ?」
 盗撮の件で追及した時、写真だけで無くPCに保存してあった私の動画を見つけた事で、学園中のPCのいくつかに動画ファイルを分散して隠しているのを見付け、動画サーバの存在まで行き着いた経緯があった。
「取り溜めた映像は膨大な量になるんだ。ハードディスクに納まる量じゃ無いし、テープメディアの方が保存には向いている」
 どうやら特定人物を撮った映像を編集し、一つのテープにまとめてあるらしい。数あるテープの中から『実録シリーズ・お嬢様交友録No.7』と書かれたラベルの貼ってあるものを手に取り、ビデオに入れて再生ボタンを押した。
「……どれどれ」
 ノイズだらけのモニター画面には、部室で着替え中らしい草間の姿が映っていた。
 スパーン!!
「いてえ!!」
 下着姿の草間の姿を、つまらなそうに眺めていた蓮見の頭を平手で叩いた。
「……あのね、アンタやっぱり懲りてないんでしょ?」
「いや、懲りてるから。これはあれだ、ただニーズに応えてるだけであって」
 何のニーズなんだか。
 私の冷ややかな眼差しに震え上がって、蓮見はすぐに早送りのボタンを押した。早送りでモニターの中の映像は次々と場面を移し、例えばカフェで取り巻き達と談笑する姿や、女子トイレで下級生の女子を取り囲んで何やら小突いている姿もあった。やがて夕焼けの紅に染まる廊下にて、年配の男性と一緒の姿が映った。
「止めて」
 私の合図で、蓮見が一時停止のボタンを押した。
 そこに映る草間は年配の作業着らしき服装の男性に、何か茶封筒のようなものを手渡していた。
「……何をしているんだろう」
 その私の言葉に、蓮見は椅子の背もたれをぎしぎしと鳴らして天井へと顔を上げて、何やら考え込んだ。
「……これは噂話なんだけどさ」
「うん?」
 勿体ぶった前置きの後、蓮見は頭の後ろに両手を組んで再びモニターに眼を向けた。
「こいつは用務員のおっさんだ。今年から働いているらしいんだが、実は前科者だって噂があるのさ」
「へえ?」
「性犯罪者は、市役所や警察がその所在を常に把握している」
 つまり、この用務員のおじさんは性犯罪の前科があるという事だろうか。
「そんな訳でこちらのファイルだ」
 蓮見はPCのフォルダから文書ファイルを選択して開いてみせた。そこには個人情報がびっしりと記されていた。
「……何これ」
「ファイル共有ソフトで流れている、市役所から流出した性犯罪者リストだ」
 氏名から始まり、逮捕歴、犯罪の年度、服役していた刑務所と服役していた期間、出所時期とか出所後の住所、その後の転居歴。
 蓮見はその中で、一人の人物の名前を指差した。
「金原豊和53歳。このオヤジさ」
 そう言って、モニター画面の用務員の姿をコツコツと叩く。
「ま、噂話ってのも裏を取ればこんなもんなのさ。一致しているのは名前くらいなんだけど、この地域の不動産関係あらかたハッキングしたら駅前の不動産チェーンのデータベースにこいつの名前があった。ちゃんと前の住所が記録されてて、こっちのリストと合致してる」
 その不動産チェーンからくすねたと思われるファイルも開いてみせ、確かにそこに用務員の名前があった。
「……この用務員と草間は、どんな関係なんだろ」
 蓮見は一時停止ボタンを再び押し、映像が再生される。草間と用務員は何か話を交した様子は無く、そのまま擦違った。
 それで映像は終わりだった。
 蓮見は巻き戻しのボタンを押してから、こちらに身体の向きを変えた。
「封筒の中身が判らない以上、どんな内容のやり取りをしているのかは想像するしか無いな。中身は金か、それとも何らかの文書、或いは報告書とか。それによってどちらが『主』で、どちらが『従』なのかが変わってくる」
 蓮見の指摘は主観を排除し、なるべく客観的に考えようという姿勢が感じられる。
「……どっちも従なんでしょ。『光栄幸福教会』が主で」
 黒幕は最初から判っている。
 ただその目的とか内容とかが判らず、方針が見えなかっただけの話だ。
「用務員にカマ掛けてみる」
 私の言葉に蓮見がぎょっとする。
「待て待て。いくら何でも急ぎすぎだろ。こう言っちゃ何だが、このおっさんが性犯罪の常習犯である以上、接触するなら危険を伴う相手だと考えた方がいい。まずは危険の少ない草間から接触した方が安全だぞ」
 それは一般論を言えば、確かにそうだろう。
 私が女で相手は性犯罪の前科持ち、しかも性犯罪は再犯率が非常に高い。でも私としては、草間が正直に話してくれる相手では無いという事を嫌って程知っている訳で、単純に話を聞き出すだけなら、寧ろ女の私が男の用務員から何らかの情報を得る確率は高いと思う。
 それに、いざとなった時に自分の身を守る術は心得ている。
「草間の事はとりあえず後回しにして、今は用務員と接触してみる」
 そう言って私は部屋を出ようとした。
 すると蓮見は、椅子から立ち上がってカメラを手にした。
「俺も行くわ」
「……なんで?」
 いきなりの申し出に、私は困惑の声を上げた。蓮見はそんな私の顔を面白そうに見ながら、カメラを持ち上げてみせた。
「どうやって話を切り出そうってんだ? 俺が一緒にいりゃあ校内新聞の取材って事でいけるじゃんか」
 文化人類学行動研究会の主な活動は、一応は校内新聞の発行という活動実績がある。
「いや、だから何の得にもならないのに、どうしてって聞いてんの」
 疑わしげに尋ねる私に、蓮見は意地悪そうな表情を浮かべて答えた。
「面白そうだから」


 登場人物紹介
団長
テレオ
草間 佳織
轟 富士子
児島 佐由里
第七話・巨神幻惑
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