Sick City
第二章・悪魔乱戦

 俺達は遺跡発掘メンバーとして現地入りしている為、宿泊は発掘現場に併設されているテントを使う事になった。
 昼間はあれだけ暑かったのに、夜は急に気温が下る。
 イラクでの初めての夜、種田氏と現地スタッフによる酒宴が催された。確かイスラム教では酒は禁止されている筈で、現地スタッフの殆どはイラク人なので酒は飲んでいない様だ。夜空の下でのバーベキュー、日本ではあまり馴染の無いマトンという羊の肉だったが、特に飛鳥と棗は大喜びだった。
 どんちゃん騒ぎの中、いつの間にか帰ってきた仁科三郎が俺とフェニックスの目の前で報告をしてきた。
「ムラサメですが、現在の責任者はなんと会長だそうです」
「会長? それはトップ自らが出てきていると言う事なのか?」
 驚くフェニックスに仁科三郎は頷く。
「それと関係あるのか判りませんが、会長の息子の専務が女連れで視察に同行しているとかで、公私混同けしからんという愚痴を聞きました」
 それはいくらなんでも関係無いだろうとは思うが、その情報がどんな形で役に立つかなんて、現状では判断出来ないので黙って聞いておく。これまた何時の間にか戻ってきたアルが、ビールを片手にこちらへと来てフェニックスに報告する。
「こっちは面白いぜ。ロブ・クレイグのヤツだけどな、テロに車列を爆破されて足止め中だってよ」
 こっちはとんでもない展開になっているらしい。それを聞いたフェニックスは、眉をしかめて問い返す。
「軍が護衛しているんじゃなかったのか?」
 アルはぐいっとビールを煽った後で、それに答える。
「ぶはっ、うめぇ。軍は確かに厳重な警備体制で望んだけどな。テログループの方も、ここぞとばかりに人数集めたらしい。ドンパチが三時間続いたってよ」
 それはまた、大規模なテロが発生したものだ。しかし、そうなるとロブ・クレイグはどうなったのだろうか。
「クレイグは五体満足に、只今こちらへ向かって移動中。テロ屋は敗走したってよ」
 それは悔やむべきか、喜ぶべきか。
 相手が明確な敵対関係とは言えないので、何とも言えない。二人の話を聞き終わったフェニックスは料理には手を出さず、何かを考えて黙っている。しばらくして、フェニックスが顔を上げた。
「……双方共に、キーマンが現地入りしている訳だ。たかが一事業に、わざわざ乗り込んでくるとも思えないな」
 俺もその意見には賛成だ。
 会長と社外役員の違いはあるにせよ、双方の実力者が現地に来ているのは何か意味があるのだろう。それこそ社運を掛けた事業なのか、それとも別の思惑があるのか。
 俺は当面の問題を議論すべきと考え、提案をしてみる。
「……ロブ・クレイグは今日中にここに到着するんじゃないのか? だったら思い切って、接触する事は出来ないかな」
 その一言にアルが目を丸くする。
「おいおい。いくら何でも、アポイントメントも無しに会える訳が無いだろ」
 しかしフェニックスは違う意見を持っているらしく、アルの意見をすぐに否定する。
「……そうとも限らん。例えば、相手がミクロ・ジーメンスのCEOの孫娘となると、少しくらいは会って話でもしてみようかと思うかも知れない」
 それはもしかしたら、と思える提案だった。飛鳥達と一緒になって、雑談しながらも羊肉を平らげていたエリカを呼ぶ。
「今日はず〜っと、男性同士で仲良くしてるんですね?」
 どうやら相手にされず不満たらたら、と言ったところか。俺はそれには答えず、用件だけ告げる事にする。
「……ロブ・クレイグがもうすぐ到着するらしい。エリカなら会えるんじゃないか?」
 そんな俺の言葉に、あからさまに頬を膨らませて不機嫌になるエリカ。
 随分と珍しい反応である。
「……そういう時だけ声を掛けるのは、女性のモチベーションを下げますよ?」
 それは尤もな意見ではあったが、しかし、やってもらう必要のある事だ。俺はこめかみを指で抑えつつ、再度説明する。
「判った判った。しかし不満があるなら日本に帰ってからにしてくれ。それよりも、今はやるべき事をきっちりやる時だろ。申し訳無いとは思うけど、何とか頼む」
 どうも異国の違う空気に心境の変化でもあったのか、今日のエリカは割としつこい。しかし、そこまで言われてなお食い下がるつもりも無いらしく、コロッと笑顔に変わっていた。
「はい、なんなりと。とは言っても、どうやって連絡を付けたらいいのかしら」
 首を傾げるエリカに、アルが助け舟を出す。
「それは俺に任せな。軍用無線に割り込んでやる」
 それはどうなんだろうとも思ったが、ここは混迷のイラク。規制がどうのなど、あって無いようなものなのかも知れない。テントに無線機材があるとの事で、アルはエリカを連れてテントに入っていった。
「しかしクレイグの意図が判らん以上、油断のならん相手だ。言動には気を付けるべきだろうな」
 フェニックスはそんな事を言ったが、それはエリカに言ってやった方がいい。今度は、棗と一緒に肉に夢中になっている飛鳥の出番だ。
「飛鳥、ちょっといいか?」
 俺の呼び声に、飛鳥が棗に一言何か言ってからこっちへ駆け寄ってきた。
「何? 零二もあっちに行こうよ」
「これからロブ・クレイグが来る。ちょっと空から偵察に出てくれ」
 俺の言葉に飛鳥はそっぽを向いた。
「ヤダ。二人とも肉食べてるから分離したくないって言ってる」
「……このヤロウ」
 思わぬ反対に遭ってしまった。
 しかしフェニックスは、顔色を変えずに口を開いた。
「――まあ、偵察は無くても大丈夫だろう」




 どうやらアポが取れたらしく、一時間程してテント村に防弾仕様らしいSUV車が到着した。中から出てきたのは三名の私服のSPを引き連れた、白人の50代前半くらいの男だった。引き締まった痩せ形の背の高いこの男こそ、おそらくロブ・クレイグその人だろう。
 ロブ・クレイグはエリカと握手を交わした。
「初めまして、シュタインメッツのお嬢さん。不躾かも知れないが、用件とは何だね?」
 どうやら悠長に世間話をするつもりは無いらしく、いきなり用件から入ろうとする。エリカはにっこりと微笑みながらも、油断無く言葉を選んで喋る。
「初めまして、エリカ・シュタインメッツです。夜遅くにお会い頂いて申し訳ありません。実は私、遺跡の発掘を手伝っているんですよ」
「……ほお、それはまたどういった理由で?」
 いかにも興味深そうな眼の輝きで、ロブ・クレイグはエリカを見た。
「後学の為でしょうか、考古学を専攻しようかと考えてます。ただ、実際の発掘現場でお手伝いをさせてもらって気付いたのですが、やはり企業の利益と考古学が軋轢を生んでいるのかと思いました」
 エリカは唐突に、現場の惨状を口にする。
 これはまた思い切った事をと思ったが、口出しする訳にもいかないので黙っていた。そんな話を聞かされたロブ・クレイグがどういう反応を返すか注目したが、あっさりと同意した。
「成程、確かにそういう側面もあるだろうね。私もグローバルエナジーの役員だ。キミの言う問題に取り組んでいるからこその訪問だよ」
 お互い腹の探り合い、それに乗っかってみようと言うのだろうか。あっさりと自分の訪問の理由を口にしたロブ・クレイグに、エリカは質問を返す。
「貴方は政治家でもありますから、不用意な行動も、不必要な言動もお取りにならない方です。これは政治的な問題に発展し兼ねないとお考えですか?」
 なかなか良いジャブかと思ったが、これもあっさりと返される。
「いやいや、アメリカと日本に政治的問題など実は存在しない。これは政治では無く、純粋に経済的な優先順位によるものだよ。実にドライな関係だと言えるだろう」
 こいつはなかなかの狸だ。
 はっきり言えば、話の筋道を全く違う方向へとすっ飛ばしているのだ。エリカは質問を間違えたと考えたのか、話題を変える。
「私はミクロ・ジーメンスには関わっていませんが、中立的な立場の者として言わせて戴きますと、現在の状況によって発掘作業に支障が出ているのが現実です。こちらの問題は政治経済とは別になりますが、学術的かつ国際問題として憂慮すべき事態では無いでしょうか」
 しかしこれも、あっさり覆されるだろう。
「いや、キミは中立とは言えない。少なくともイラク人にとっては。この件の優先順位は何処にあると思うかね?」
 論破された上で、逆に質問を返される。
「……当然、イラク人への配慮でしょう」
 その主張は正しいのかも知れないが、果たしてエリカが言える事なのだろうか。俺の疑問は、ロブ・クレイグによって揚げ足を取る形で示された。
「先進国に住む者が言う事ではあるまいよ。そんな事を言ってはイラク人は怒り狂うだろう。こういう時は、スピードを優先するのだ」
 ロブ・クレイグの意見は、至極正しいものだ。速やかに事態を進行させる事によって、早期の案件終了を図る。
 当たり前の理屈だろう。
 だがこれしきの論破で諦める程、エリカも柔な女では無い。
「事態が膠着しているというのにスピードですか? ならばもっと早い解決をして頂きたかったものです。聞けば道中でテロに遭ったと聞きます。貴方のスピードが遅かったとすれば、彼らの怒りが貴方に向けられたのは必然でしょう」
 さすがに自分に落ち度があったとするしか無い内容に、ロブ・クレイグの顔色が一瞬変わる。
 しかし、すぐに表情を戻して頷く。
「良い意見だ。政治家は常に己の責任を意識しなくてはならない。いらぬ諍いに晒されるのも当然の結果だな。しかし、それに負けないのも政治家の務め。こうしてこの場にいる事で許してもらいたいものだな」
 あっさりと己の不明を詫びた事で毒気を削がれたのか、エリカは頭を下げる。
「失礼しました。判って頂けてなによりです。遺跡の発掘作業に携わる方々は皆、純粋な学問の徒です。そういった人々の熱意が無駄になってはなりませんから」
「全くその通りだ。その辺りは、私としても大変憂慮しているよ」
 話が終わり、ロブ・クレイグは車に乗って去って行った。気付けばこの場の全員、現地スタッフも含めて緊張していた。それだけ気の抜けない会話が交わされていたのだ。
「……とんでもないオヤジだったね」
 やっと気が抜けたのか、飛鳥が冷めた肉を突きながら感想を漏らした。しかし、俺はロブ・クレイグの去って行った方角を見やって難しい顔をしていた。
 それに感付いたのか、エリカが心配そうに近寄ってきた。
「……何か感じたんですか?」
「あいつ――人間じゃないぞ」
 俺の一言に、事情通の者は全員息を呑む。
 知らない者にすれば、今の一言はあまりにも違和感の無い例えだとしか思わないだろう。
「どういう事?」
 飛鳥が不安げに尋ねてくる。
「うまく隠しているようだが、地獄からエネルギー供給を受けている者特有の気配を僅かに感じた。つまり、あいつは悪魔だって事だ。これで判らなくなってきた」
 俺の疑問と同様の事を感じたらしいエリカが、先を引き継ぐ。
「……グローバルエナジーが悪魔に操られているのならば、ムラサメは敵対勢力なのでしょうか」
 しかし、その推論を飛鳥が疑問視する。
「でもムラサメって、昔からグローバルエナジーの下で油田開発をしてきたんでしょ。なんで今になって、グローバルエナジーが今まで取り仕切っていた利権を奪おうなんて考えたんだろ?」
 それは尤もな意見だった。
 目に見える範囲での情勢の変化は何も無く、どういった動機で利権を奪おうと考えているのか不透明だった。だが、たった一つだけ、通常の油田開発とは違う部分が存在する。
「……やはり遺跡の発掘だろう」
 それくらいしか考えられる違いは無い。
 そこでアルが、教授の顔を見て違う疑問をぶつける。
「だけどよ、教授はここにいるのに無視だぜ? 教授の顔を知らん訳でも無いだろうし、ヤツは遺跡の発掘には興味無いのかね?」
 その疑問にレラカムイが口を挟む。
「悪魔ともあろう者が、わざわざ出張って来てるんだ。何者かを殺しに来たに決まってるさ」
 神であるレラカムイの指摘だけに、それを否定する材料は俺には無かった。
 フェニックスは俺達の話を黙って聞いていたが、やがて結論に到ったらしく、仁科三郎に声を掛けた。
「……クレイグを徹底マークしてもらいたい」
「判りました」
  仁科三郎は、車の去って行った方向に向かって走って行った。




 バーベキューは終わり、それぞれテントに引っ込んで寝静まった頃。俺は微弱な気配を感じて、眠りから覚めた。テントの中にはフェニックスとアル、教授とレラカムイも寝ていた。さすがにまだ誰も異常を察知していないらしいが、すぐ側の俺が起き上がった為に、教授以外の三人がすぐに起き上がった。
「何だよ、人間レーダー」
 アルが不機嫌極まり無い顔で聞いてくる。
 俺は人差し指を口に当て、皆に黙っていろと促す。
 なるべく音を立てずに服を着る。いきなり外出の準備を整える俺を見て、皆もただ事では無いらしいと感じて同様に準備を始める。
 外に出た俺に続いて、三人も静かに外へと出た。
 突然、俺はその場から飛び退いた。
 ドスッ!!
 地面には、円輪状の武器が突き刺さっていた。
 それを見たフェニックスが口を開く。
「あれは……チャクラムか」
 次の瞬間、闇の中より三つの光が煌めいた。
「避けろッ!!」
 レラカムイの一言にフェニックスとアルが反応し、三人はその場から散開した。三人を狙った三つのチャクラムは標的を見失い、再び円弧を描いて飛んできた方向へと帰っていく。フェニックスとアルはそれぞれ懐からハンドガンを抜き、暗闇に向けて発砲した。
 パパンッ! パパンッ!
 それぞれ二発、チャクラムの軌道の中心へと狙いを付けて勘で判断したらしい。しかし手応えは無く、今度はレラカムイが空中へと飛び上がって竜巻を拳に纏わせて何かと激突した。
「――ちいッ!!」
 これも手応えが無かったらしく、レラカムイは下を向いて舌打ちをした。僅かな気配を察知した俺は、相手が暗闇に乗じて逃げたと知った。その時、別のテントから銃声で目が覚めたらしいエリカと飛鳥が、薄着のまま飛び出てきた。
「どうしたのよ!?」
「レイジさん!!」
 説明している暇など無いと考え、俺はテント脇のオフロードバイクに跨がった。スターターをかけてキック、エンジンを始動させて何度かスロットルを回して吹かす。
「こらッ! 説明しろおッ!!」
 何も言わない俺に、苛付いた飛鳥が捲し立てるが、俺は皆をそのままにバイクを走らせた。敷地の外へと逃げようとしている、見えない敵の正体だけでも突き止めたい。
 気配でエリカと飛鳥が空を飛んで、俺を追い掛けて来ているのを感じる。
 飛鳥は音速で飛行が出来る筈だが、どうやら飛行速度の遅いエリカに合わせているらしく、時速200キロ前後で飛んでいるようだ。
 レラカムイは教授の護衛に残ったらしい。
 検問所が見えたが、ゲートは開放されていてイラク軍兵士が手で『行け』と合図を送って来ていた。
 おそらく、フェニックスが急いで手配したのだろう。
 一気に検問所を抜け、敷地外へと飛び出る。
 何者かの気配との距離は、どんどん引き離されてしまう。
 相手の速度は200キロ以上は出ている。
 バイクのスピードはせいぜい120キロくらいしか出ないのだが、フェニックスが取り付けた秘密兵器があった。
 俺はグリップ横に取り付けられているボタンを押した。
 バシュッ!!
 何かの噴出音が聞こえ、僅かの間を開けて、いきなり爆発的な加速が得られる。燃料タンクの下に増設されたニトロターボにより、一気に最高速250キロに達した。
 あまりの速度に車体のフロントが浮き上がり、一時的にウィリーしてしまいそうになる。必死に両手でグリップを押さえ付けて車体を安定させ、腰を浮かせて前傾姿勢を取って追跡をする。
 ニトロ混合液のポンプは三つあり、一本で一分程度の加速が可能だ。ターボ三回分を使い切って追い付くと、見えない敵は街道の脇の砂漠地帯へと逃げ込んだ。
 砂漠の中で、こちらを待ち構えているのを感じる。突然、俺の周りにエネルギーが集まって空気が震えるのを感じた。
「ちいッ!?」
 俺はバイクを捨て、その場から跳躍する。次の瞬間、大気が圧縮されてバイクが押し潰され、燃料タンクが爆発した。
 炎上するバイクから離れて、一気に砂漠の中へと入る。気配が迫り、鋭利な爪みたいなものを躱して足払いを仕掛けた。突然足を払われた敵は砂漠の上で転がり、体重で砂に跡が付いた。
 一瞬煌めく残光が、敵の網膜には映った事だろう。俺は死角から引き出した『一徹』を抜き放ち、砂の上で空へ飛び上がろうとしていた敵の胴体を、横から真一文字に両断した。
「――ウゲッ!?」
 力の源泉たる地獄との繋がりすら断ち切られ、正体不明の敵がその姿を現す。
 そこにいたのは、黒い表皮に覆われた悪魔であった。背中には蝙蝠のような翼を持ち、両手は鋭利な爪を備えている。
 俺は刀を鞘に収め、相手に問う。
「消滅する前に、お前の名前くらいは聞いてやる」
 悪魔は口元から鮮血を滴らせながらも、呻く様にして声を振り絞った。
「……我が名はフォラス――貴様はまんまと罠に嵌まったのだ」
 次の瞬間、周囲にいくつもの膨大なエネルギーが現出する。胴体を両断されたフォラスの上半身が後ろへと倒れ、消滅した。
 一方、砂の中より姿を現したのは五体の悪魔であった。
 俺は油断無く半身の姿勢で構えたまま、周りを取り囲んだ悪魔達に問う。
「……狙いは俺か。名乗れ」
 俺の背後を取った悪魔は頭から二枚の長い羽が伸び、全身は青黒い表皮に覆われていた。
「――俺の名はアモン」
 次に名乗りを上げたのは左後方、黒い馬に乗って漆黒の鎧を身に纏い、ランスとか言う騎兵槍を手にした悪魔。
「騎士公エリゴル、推参」
 倣って右後方、二対の白い翼を持った、他はまるで普通の人間の外見をした天使みたいなヤツが口を開く。
「私はアスモデウスと言う」
 次いで左前方、ニワトリの鶏冠のような突起物の付いた奇妙な頭部に、全身暗緑色の鱗に覆われた身体、右手に楯、左手にトゲが無数に付いた金属製のムチを手にした悪魔が口を開く。
「……アブラクサス」
 そして右前方、ライオンの頭に黄金の鎧、所々に垣間見える肌は赤く、右手のオレンジ色の刀身の剣を、こちらに突き付けた悪魔が名乗りを上げる。
「我が名は戦士公アロケン。我らが主の命により、貴様を葬ってくれる」
 それぞれの保有エネルギーは500万程度、メフィストフェレスやバラムと同等の悪魔、聞いた話では中級悪魔とかいう連中らしい。ただしアロケンと名乗ったヤツだけは800万近いので、この中ではリーダー格なのだろう。
 突如、足元に地獄から引き出された膨大なエネルギーが現出する。連中が何をしようとしているのかは判らないが、そのままにしておいていい筈は無い。
 砂漠の上に立つ以上は通常、足を砂に取られて普段よりは動きが鈍る。しかし、それは普通の人間が普通の動きをすればの話であり、俺は悪魔達の予想を遥かに超える動きを実行した。
「……あ?」
 一瞬の出来事に反応出来ず、アロケンと名乗ったリーダー格の悪魔が呻いた。
 砂の上で反転し、絶妙な体重移動の技術による連続回転運動によって一瞬で間合いを詰め、擦違いざまに抜刀したのだ。アロケンが気付いた頃には鞘に刀を収めており、五体の悪魔の間で実行されていた魔方陣が消滅した。
 何をしようとしていたのかは、最早どうでも良かった。
 首を『極線』に斬られたアロケンは僅かの間の後、ライオン頭が地面に落ち、たちまち消滅した。それを唖然と見ていた残る四体の悪魔達だったが、やっと何が起こったのかを理解した。
「――なんと」
「……ば、莫迦な……ッ!!」
「あのアロケン殿が一撃だとおッ!?」
「……人間如きに、たった一撃とは信じられん!!」
 しかし、驚く暇など与えない。
 続いて連続回転運動による砂上での高速の動きで、右後方のアスモデウスと名乗る悪魔との間合いを一気に詰めた。
「なッ!?」
 空中へと飛び上がって逃げようとするアスモデウス。
「――遅い!!」
 一瞬、膝を曲げて体重を落としたのが致命的だった。
 砂によって足元が僅かに沈み、それによって空へと飛び立とうと拡げた翼が、風を捉まえるのが一瞬遅れたのだ。
 アスモデウスの横を、擦違い様に居合斬り。それを見て他の三体の悪魔達は、反射的に空中へと飛び上がった。さすがに追撃は出来ず、俺は鞘に刀を収めて空中を見上げた。
 斬られたアスモデウスはたいした反応も許されず、そのままの姿勢で消滅した。空中の三体の悪魔達がそれぞれエネルギーを集束させ、反撃を開始する。
「喰らえッ!!」
「むん!!」
「はあッ!!」
 悪魔達から放たれたのは、高熱の火球。
 それを躱すと地面に着弾し、爆発を起こす。空中から次々に放たれる火球を、連続反転運動で悉く躱し続ける。
 ドンドンドンッ!!
 爆発による熱風と、舞い上がる砂煙が周囲の視界を塞ぐ。俺はエネルギー感知によって熱風すら避けるが、追撃の手が緩む気配は無い。
「空からの一方的な攻撃、地を這うだけの貴様には反撃の手段は無い!!」
 アモンとか名乗った悪魔が、自身の圧倒的優位を感じて余裕を見せる。確かに空から一方的に攻撃をされ続ければ、人の身である自分はいつか疲労から動けなくなる。
 そんな事は、前から判っている。
 飛び上がったところで、人間の身ではせいぜい2メートルも跳べればいいところだろう。悪魔達はおよそ15メートルの高さを維持しており、どう足掻いても届く距離では無い。近場に建物でもあれば、それを足場に距離を稼ぎ出す事も不可能では無いだろうが、いかんせんこんな砂漠のど真ん中では望める足場は何も存在しない。砂漠に誘き出された事自体が、罠だったと言えるだろう。
 調子付いた悪魔達が、さらに攻撃を続けながら吠える。
「うはははははッ! 所詮は人間よ! そらそらそらッ!!」
 ならばどうするか。
 俺を追い掛けて来ている筈の、エリカと飛鳥の到着を待つべきか。しかし、その期待はしばらくは無理そうだった。飛鳥が『メタモルフォー・グラウクス・オープス(フクロウの眼)』でバイクのタイヤ跡を手掛かりに追跡していたのだが、突如現れた何百という下級悪魔達に阻まれていたのだ。
 この一帯は、あらかじめ悪魔達によって包囲されていたらしい。
 下級悪魔などはエリカ達の敵では無いが、いかんせん数が多すぎる。これでは、こちらに到着するのを待つなどという消極策は取れない。己の力のみで対処するしか無いのであれば、一体どんな手段があるだろうか。
 そこで俺は、ある可能性を考えた。
 悪魔達が何故、15メートルの高さを維持しているのか。それはその距離が俺の攻撃が届かないというだけで無く、全体を視認しつつ火球を撃つのに最適な距離だからだ。もし5メートル程度の高さからの攻撃だったとしても、俺は攻撃出来ないだろう。しかし、その距離では避けられた後の追撃に際し、こちらの動きを追うのが難しい。
 だから15メートルを維持しているのだ。
 俺の方は、これが地上なら、一歩で詰める事が可能な距離だっただろう。
 日本の武術ではまず前提として、現代人とは違った歩き方をベースにして成り立っているという事実がある。それは『ナンバ歩き』などと呼ばれ、近年では再び注目されている事で、名前くらいは聞いた事があるという人も多いだろう。現在の日本人の歩き方は、右手が前に出る時は左足が前に、左手では右足と、手足が逆になる訳だが、これは本来は西洋人の歩き方である。
 古来より日本人が持っていた歩き方は、手と足が同時に前へと出る形だったのだ。だから今の日本人が古流柔術や合気道を習うと、まず始めにその歩法に戸惑ってしまう。
 『ナンバ歩き』をベースにした歩法に共通する利点は、一歩の踏み込みの距離が大きく取れる事が一番に上げられる。実際に西洋の歩き方と比較してみれば判りやすいが、必ず前進時に半身の体勢となる上に、重心移動をも伴う事になるのでスピードも得られる。この歩法を突き詰めると、最終的には一歩で15メートルから20メートルの距離を一瞬で詰める事すら可能となる。
 つまり、俺の一歩は最大で20メートルだ。
 それは俺の最短時間でのワンアクションであり、その時間内であればある可能性を現実のものとする事が出来る。
 レラカムイ戦で滅殺兵器『オムケカムイ』によって時空の彼方へと飛ばされた時、俺は『心眼』による死角の認識によって、俺だけが存在する空間へと避難した。つまり、相手から俺の存在が認識出来ない状態になった場合に限り、俺はこの世界の死角へと跳躍する事が出来る。そしてそのプロセスは間合いを詰めるのと同じく、現実世界においては一呼吸内の移動である。
 爆風と砂煙によって、既に連中は俺の姿を認識出来ずにいる。ならば、いつまでも奴らのペースに付き合う必要は無い。
 次の瞬間、ニワトリ頭のアブラクサスは背後の空間より突如として飛来した俺の居合によって、胴体を真っ二つにされていた。
「――ぐッ!?」
 砂煙舞う大地へ着地した俺の姿が再び見えなくなり、悪魔達は全く気付いていない。しかし、攻撃の手を止めたアブラクサスの挙動が見られない事で、アモンとエリゴルは火球を放ちながらも仲間の顔を見て声を掛ける。
「……どうしたアブラクサス」
「ははは、いくらヤツが何も出来ないとは言え、手を休めるのは感心せんな」
 しかしまたも次の瞬間、今度はアモンが手を止めた。さすがに異常事態と感じた残るエリゴルが、俺の姿が見えない事に疑問を抱く。
「……一旦攻撃を停止して、ヤツの生死を確認した方がよさそうだ」
 砂煙が晴れ、そこに俺が息も切らさずに立っているのを見て、エリゴルは驚きの声を上げる。
「――なんと、あれだけの攻撃の中を避け続けたのか!!」
 だがそんな驚きも次の瞬間、沈黙へと変わる。
 アブラクサスとアモンが消滅していたからだ。残ったエリゴルは何が起きたのか判らず、呆然としていた。
 俺はエリゴルを見上げて言い放つ。
「……敵を侮るのは感心しないな。残るはお前だけだぞ」
 その言葉でエリゴルはやっと我に返った。
「な――貴様、一体何をした?」
 そう聞かれて答えるのは簡単だが、俺は悪魔共が情報を共有している可能性を疑って、正直に話すのは避けた方が賢明だろうと考えた。
「……さて、どうだったかな。一つ言える事は、遠距離攻撃は無意味だって事だ」
 実際には、俺が瞬間移動出来る距離は20メートル内なので、それより高い高度から攻撃されれば死角からの強襲は出来なくなるのだが、それならそれで回避し易くなって相手のエネルギー切れまで躱し続ける自信がある。しかし、そんな面倒臭い事をわざわざ選択する気にはなれず、ここでは明言を避ける事で相手を騙す方が効率的だ。
 仲間を不可解な倒され方で失い、エリゴルは空中にいるのが危険を招いたと悟ったらしい。
 無言で馬に乗ったまま、地上に降り立つ。右手のランスを構え、接近戦の覚悟を決めたようだ。
「……我らの把握していた貴様の情報は、どうやら古いものだったようだ。考えてみれば、その剣も情報には無かった」
 やはり、何らかの手段で俺の事を知っていたらしい。
 悪魔と最後に戦ったのはアスタロス戦。その時はまだ『一徹』を手にはしておらず、素手で戦っていた。そう考えると悪魔達は、アスタロス戦までの俺の情報を元にしていたのだろう。
「……素直に答えるとは思えないが、一応聞いておく。お前達はアスタロスの部下か?」
 倒してしまう前に、こちらも出来る限り情報が欲しい。そう考えて駄目元で聞いてみたのだが、エリゴルは警戒しつつ明確な返答を避けた。
「……教える必要は無い」
 構えたランスに膨大なエネルギーが集束していく。しかし、集まるエネルギーは地獄の亡者を変換したものであり、濃密な負の感情をブーストして呪いの力を付与されているのだ。
「――行くぞッ!!」
 エリゴルの騎乗する馬が嘶きと共に前脚を上げ、一気に走り出す。爆発でもしたのかと勘違いしそうになる程の砂煙を背後に、超スピードでこちらへ迫る。
 しかしこの状況は、ミノタウロス戦の二戦目と同じ形だ。
 俺の身体は条件反射的に自然に動き、一気に飛び上がって空中で逆さまになりつつエリゴルと擦違った。
 逆さまで横回転しながらの居合。
 天仰理念流居合術・切り蜻蛉。
 高速回転したまま姿勢を戻し、砂を巻き上げながら着地、勢いを殺す為に何度か反転して砂の円が描かれる。
 一方のエリゴルは首を落とされ、馬はゆっくりと立ち止まった。
 その時、空の彼方からこちらへ猛スピードで飛来するエネルギーを感知した。
 刀を鞘に収めつつ、空を見る。
 エネルギーの質からして、どうやら飛鳥が何十何百という下級悪魔を蹴散らしながら、猛スピードでこちらへと飛んできているらしい。やがて頭上に現れた飛鳥が、こちらを見下してホッとしたような顔をした。
「……ようやく見つけたわ。爆発の光が見えたから急いで飛んできたけど、決着付いたみたいね」
 普段の飛鳥と少し違う物言いに、俺はやっと気付く。
「ツバサか? いい加減、何か見分けの付く方法は無いのかよ」
 俺の不満げな声に、ツバサはにっこりと笑みを浮かべる。どうも普段の飛鳥より穏やかな反応なので、戸惑いを感じてしまう。
「あら、まだ拘ってたのね。それならこういうのはどうかしら?」
 すると後ろでアップに纏めていた髪の付け根の部分が独りでに解け、バサリと拡がって髪形がロングヘアに変わった。
「今度から、敵を撹乱する時以外は髪形で判別付くようにするわね。それよりそこの馬、まだいるのね」
 言われて気付いたが、エリゴルは消滅したのに馬だけが消えずにこちらを見ていた。そしてその馬の保有エネルギーが、馬にしては有り得ない程の大きなものだと感じ、俺はその正体を看破する。
「……それが正体か、エリゴル」
 俺の声に、ビクッと身体を震わせる馬。しかし次の瞬間、身体を反転させて一気に空へと跳び上がった。
 どうやら、逃げを決め込む事にしたらしい。
 エリゴルの判断は正しい。
 空に飛んで逃げれば俺には追撃する手段は無く、敵わないとなれば逃げるのは、実に理に適った判断と言える。だが、空を飛んで逃げようとするエリゴルの背を見て、ツバサが翼を拡げて声を荒げた。
「逃がさないわ――ラビュリントス!!」
 三体分離状態の飛鳥は保有エネルギー500万程度だが、ラビュリントスは滅殺兵器としてはエネルギー消費量が低く済むので気軽に使えるという利点がある。
 突然周囲の景観が一変し、石造りの部屋の真ん中の空間に固定されたエリゴルは混乱していた。
「なッ、なんだこれは!?」
 数多の通路の一つから無数の羽毛が吐き出され、たちまちエリゴルを包む。
 きらきらと輝きを放ちながら、羽毛はエネルギーを中和していく。
 これはフェンリル戦で見せた、『エレオス・ポース・プテロン(慈悲の光翼)』という滅殺能力だ。
 ちなみにミノタウロスがラビュリントスと『クリサス・ケラタ(黄金の角)』を併用出来なかったのは、単純に『クリサス・ケラタ』のエネルギー消費が『エレオス・ポース・プテロン』よりも大きいという理由だったのだろう。
 単純な攻撃力なら、『クリサス・ケラタ』の方が圧倒的に上なのだ。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 己を構成するエネルギーをみるみる内に中和され、エリゴルの断末魔の叫びが辺りに響き渡る。エリゴルは何も反撃の手を打てないまま、完全に消滅した。
 やがて空間が元に戻り、夜中の砂漠には俺とツバサの二人だけが立っていた。俺のすぐ横に降り立ったツバサが、笑みを浮かべてこちらを見た。
「アスカもエリカも、そろそろ来る頃じゃないかしら」
 その言葉通り、ほんの十秒程で無数の悪魔達を蹴散らしつつ、こちらへと急接近するエリカ達の姿が空に確認出来た。
 俺の目の前に降り立った、エリカと二人の飛鳥。飛鳥達はすぐに元の一人へと戻り、エリカは少し安心したような表情でこちらを見た。
「ご無事で安心しました。悪魔達を退けるのに時間が掛かりました。ところで敵は、やはりレイジさんを狙って?」
「ああ。連中は明確に俺に狙いを絞ってきた。今までとは違う思惑が動いているのかも知れないな」
 今回の悪魔達の動きは、腑に落ちない部分がある。
 まず最初の接触、メフィストフェレスがアスタロスに命じられてエリカを復活させ、そのアスタロスはグングニルなどの秘宝が中枢システムの起動に必要だと言った。
 俺を最優先で倒すメリットなど、何処にあるのか。
 しかし、そんな事を考えている暇など無さそうだ。エリカ達を追ってきた無数の下級悪魔達が空から地上に降り立ち、俺達を完全に包囲した。
「しつこい! これじゃあキリが無いよ!!」
 これまで何百という悪魔達を蹴散らしてきた飛鳥は、いい加減うんざりしているのか、明らかに苛付いたような顔をして声を荒げた。対してエリカは、周りの下級悪魔達の動きを牽制しながら説明をする。
「教授達が心配ですが、あちらにはレラカムイがいますから、何とかしてくれる筈。それよりも、悪魔達を統率する者が何処かに潜んでいる筈です。その者を倒せば、下級悪魔は現界出来なくなるでしょう」
 その説明に、俺は一つの可能性を見出していた。
「エリゴルはあちらの方角へ逃げようとしていた……あちらには何があるんだ?」
 イラクの地理には詳しく無い為、方角は判っても何があるのかまでは俺には判らない。俺の問いに、エリカはその方角を見て呟く。
「そちらは確か、バグダッド市内だったかと思いますけど……人気の多い市内に潜伏しているとなると、少々厄介かも知れませんね」
 エリカの説明に俺は頷く。
 これだけ大勢の悪魔達を現界させているとなれば、地獄の門を開け続けなくてはならず、周辺では様々な怪奇現象が起こっている筈だ。しかも突然現れる大量の悪魔達を前にした人間は、強烈なプレッシャーを受けて吐き気を催したり、或いは気絶してしまったりする。人気の多いバグダッド市内でそんな現象が多発すれば、それは大変な騒ぎを巻き起こす結果となるのだ。
 普通ならばそんな目立つ行動は控えるだろうが、わざわざ人気の多い市内に拘る必要でもあるのだろうか。
 そんな事を考えていると、何やら轟音が遠くから聞こえてくる。無数の下級悪魔が暴風に吹き飛ばされ、やがて二台のハマーがこちらへと猛スピードで突っ込んできた。
「やっと見つけたぜ!そこいら中に悪魔共がわんさかいやがって、一体どうなってるんだか」
 先頭のハマーの屋根の上、膝立ちの姿勢を維持したままのレラカムイが興奮気味にそう話す。
「話は後だ! バグダッド市内に乗り込むぞ!!」
 俺はそう告げると、二台目のアルの運転するハマーに乗り込もうとして悪魔に阻まれる。
「――邪魔だ!」
 居合で斬り捨て、さらに襲ってくる悪魔を斬り伏せてやっとハマーに乗り込んだ。


第六話・魔神騒乱
フォラス
アロケン
アモン
エリゴル
アスモデウス
アブラクサス
inserted by FC2 system