Sick City
第三章・妖鳥乱舞

 オリンポス。
 かつて主神ゼウスを筆頭とした、オリンポス十二神が君臨したと言われる聖なる山。しかしその実体は、かつて栄えた超古代文明によって、山頂から打ち上げられた空間コロニー。ワルハラと同じく、この地球を高次元から管理する巨大な構造物だった。
 エネルギーの割当は、ワルハラが北磁極なら、オリンポスは地中海周辺のレイライン。レイラインとは中国においては『龍脈』などと呼ばれ、風水などで重要視される、力の通り道とされる概念だ。その正体は、地球内部のマグマ対流の活発なラインであり、アカシック・レコードの物理的な伝送経路でもある。
 ちなみにレイライン上においては、霊媒体質の能力者はアカシック・レコードからの情報を受け取り易くなる。
 オリンポスの内部は、円筒形の内側に沿って陸地が造成されており、海もあれば川もあり、緑豊かな楽園であった。
 そんな高次元空間に、俺と飛鳥の霊魂は立っていた。
 背後には、再び閉じた巨大な門がある。
 (……もう訳判んない)
 飛鳥の声は、何か諦めた様なものだった。おそらく、考える事を辞めたのだろう。そこで例の女の声が聞こえてくる。
 (こっちへ来て)
 声が聞こえてきたと思われる方向へと歩き出す。しばらくは何か庭園のような場所を通り過ぎ、橋を渡り、街並みを素通りした。
 (この中に入りなさい)
 声に導かれて辿り着いた先、目の前に拡がるのは木々の緑に囲まれた、石造りの巨大な神殿。そのあまりの巨大な威容は、現代建築の域を遥かに超えているだろう。
「……石じゃないな。セラミック系の素材みたいだ」
 すべすべとした触感を手に感じ、神殿に触れていた手を離す。そこであの女の声が聞こえる。
 (この建物は神殿じゃないのよ……牢獄みたいなものよ)
 (時間が無いんでしょ? さっさと入りなさい)
 言われた通り、俺は神殿の中へと入って行く。
 (あ、待ってよ〜)
 その後ろを、飛鳥の霊魂が生きている時と同じ様に、歩いて付いてくる。死んでいると言うのに、随分と緊張感に欠ける声だな、と思った。
 中に入ると、その近代的な中身に驚く。
 見た目は石造りの柱が連なった、古めかしい様式。だがよく見れば、所々に設置された水晶体が振動しており、絶えず情報のやり取りを相互で行っている。
 柱の回廊を抜けると、大きな穹窿天井の部屋に辿り着く。天井は一部吹き抜けになっており、円筒の向こう側の陸地がうっすらと垣間見える。
 中心には両腕が翼という、高さにして20メートルはあろうかという巨大な女性の彫刻が鎮座していた。
 その数は三体。
 足元に設置の為の基底部があり、三つの台座がある。台座だけでも幅10メートル、高さ3メートルはあるだろう。
 驚くべき事に、女の声はその女性像から聞こえていた。
 (ようこそ、『剣の霊』よ)
 (――そして我が半身よ。やっと帰還出来たわね)
 二つの声が三体の彫像の内、両側から聞こえてきた。そんな声に、飛鳥の方を見る。
 (――)
 しかし、当の本人はただ黙っていた。
 (もう気付いているんでしょう? 死んだ事で、自分の本来の姿を)
 女の言う事が、よく理解出来ない。
 (アスカが存在する事で、私達はずっと消える事無く、今日と言う日を待っていたのよ)
「……どういう事だ?」
 俺は誰に言うでも無く、そう口にした。
 死んだ飛鳥を生き返らせる為に、ここまで来た筈だ。それがどう間違ったのか、何か違う方向へ話が進んでいるのではないか。像からは女の声は聞こえるものの、残留思念の様なものは何一つ感じられないのは、どういう事なのか。
 この場において思念を感じさせるエネルギー体は、飛鳥だけだった。
 (……貴方を騙してご免なさいね。アスカ、貴女が説明した方がいいわね)
 びくっと震える飛鳥。
 だが、何か様子が変わったのか、微妙な違和感を感じる。柔らかな笑みを浮かべた飛鳥が、ゆっくりとこちらを向く。その表情は、まるでそこにある女性像のようであった。
 (……『鶴の恩返し』って話を知ってる?)
 唐突に、日本の民話が出てきて訳が判らなくなる。
 オリンポスで鶴の恩返し。
 あまりのシュールな展開に、何を言いたいのか判らない。
「……何で、そんな話が出てくるんだ?」
 そんな俺の言葉が聞こえているのか、飛鳥はそのまま話を続ける。
 (昔々、ある青年が傷付いた鶴を助けました。それからしばらくして、美しい女が尋ねて来ました。二人は夫婦となり、女は機織りで生計を支えました。女は夫に、機織りしている時は部屋を覗かないようにと言いました)
 ――突然始まる、御伽噺。
 俺は理解が追い付かないながらも、黙って耳を傾ける。
 (しかし、日々痩せ衰えていく女に心配になった若者は、ある日、女が機織りする姿を覗いてしまいました。……女は、あの時に助けた鶴だったのです。女は自分の羽根をむしっては、機織りの生地にしていたのです)
 日本人なら誰でも子供の時に、大人から聞かされた御伽噺だ。
 (女は、知られたからにはもうここにはいれないと言い、夕日に向かって飛び去ってしまいました)
 それが、この話の終わりだった。
 だが飛鳥は、さらにその先を続ける。
 (――実は、夫婦には娘が生まれていました)
「……何?」
 そんな話は知らない。
 こんな話をするからには何か関係があるんだろうが、その先を聞くのは正直躊躇われる。しかし、そんな俺の心情など露知らず、飛鳥は先を続ける。
 (生まれた娘はまるで異人の様な顔立ちをしていましたが、時代はまだ神代の頃で、日本に住んでいた人々は縄文系かアイヌ系だったので、差別的な目で見られる事は無かったようです)
 後日談、なのだろうか。
 次々に語られる内容を、俺は黙って聞いていた。
 (しかし、その家系は呪われた血筋だと噂される様になりました。………実は生まれてくる子供は代々、女だけという奇妙な遺伝があったのです)
 またオカルトチックな話が出てきたものだ。話の展開についていけない。
 (何故ならその血筋は、始めから人間のものでは無かったのです)
 人間じゃあない。
 その言葉に段々と理解が及ぶ。それでは、飛鳥は何だと言うのだろう。
 (……かつて鶴と言われたのは、物の怪でした)
 突然、周囲に膨大なエネルギーが集まる。それは俺が死角にて見出した、飛鳥の霊魂に付随する、もう一つの魂。
「……動物霊ってヤツか?」
 死角に存在をしていた魂を認識した事で、『そいつ』は顕現する。
 女の声が聞こえる。
 (さあ、呼び出しなさい! アスカが生き返るには、それしか無いのだから!!)
 その言葉を聞いて、俺は決断する。
 ここで飛鳥を見殺しにするのか、それとも『化け物』を生み出す手伝いをするのか。だが、どんな存在になろうとも、飛鳥は飛鳥だ。そう信じるからこそ、俺は『それ』を完全に認識した。
「……いいだろう。お前の居場所は、俺が用意してやる!!」
 膨大なエネルギーが実体化する。
 周囲に風を巻き起こし、空へと舞い上がった無数の鳥達。
 その数は、九十九に及ぶ。
 鶴を筆頭に鷹、鷲、梟、烏、燕など、多種多様な鳥達の霊魂が上空にて一つになり、やがて大きな一つの霊魂となる。
 その中に、飛鳥の魂も加わっていた。
 吹き荒れる暴風の中、俺の目の前に、三人の女達が舞い降りていた。
「獣神セイレーン、貴方の呼び出しを確かに聞きました」
 ――セイレーン。
 サイレン、シレーヌなどとも呼ばれる、ギリシャ神話に登場する化け物。
 しかし、オリンポスにアクセスした俺には判る。
 その正体はミノタウロスと同じく、ゼウス政権以前に君臨した第二世代の『獣神』。オリンポスに残る旧世代のシステムと繋がった『九十九鳥(つくもどり)の霊』と同化した、風と音楽の神である。
 俺の目の前の女達は両腕が白い翼、尾てい骨の辺りには尾翼が後ろへと大きく伸びており、赤毛の髪の毛とエメラルドグリーンの瞳を持った美しい存在だった。そして、その身体に纏うのは、露出度の高い戦闘用らしき衣装だった。どうしてそんな服なのか、とも思ったが、よくよく考えれば肩から背中、二の腕に掛けて羽毛に覆われている関係上、着用出来るものが限られているのだろう。
 俺に答えた女の顔は、神足飛鳥そのままであった。
「……飛鳥、なのか?」
 俺は他の二人の顔を見る。
 後の二人も、飛鳥と全く同じ顔をしていたのだ。
 三人が三人共、俺の言葉に頷く。
 しかし、その次に出た言葉は、理解し難いものだった。
「それは正しくもあり、間違ってもいるわね。私は神足飛鳥そのものであり、群体としてのセイレーンでもあるのよ」
「――群体?」
 本人にしてみれば、自分の事なのだから何の事は無いのだろうが、俺にはとても理解し難い内容だ。
 俺の疑問符一杯の顔を見て、もう一人が口を開く。
「こうして三人になってるけど、元々の動物霊が九十九の鳥達で構成されている為に、一人であって群れでもあるの」
「正直に言う。訳判らん」
 俺が認識する中で、確実に飛鳥であると感じる真ん中の飛鳥が、やれやれといった感じで口を開く。
「つまり、神足飛鳥は実は多重人格者、って感じ? ちょっと違うかな。いや、大分違うか」
 本人にも、説明が難しいらしい。
 そこで、左の飛鳥が説明を付け加える。
「無数の動物霊の集合体、と言う事よ。神として君臨していた時代に三人になって、その期間が長かったから個性が別れたのよ。それでも、魂の根っこは一つ。だから私達は、常に意識を共有している」
 今の今まで、どうして他の思念体を感知出来なかったのか、やっと理解出来た。俺を導いた女達の声は、実際は飛鳥自身の声であった訳か。
 さらにもう一人が加わる。
「ゼウス政権下でオリンポスを追放されて、二人は捕えられたけど、残る一人は逃げ延びた。そうして辿り着いたのが、環太平洋の制空権内。環太平洋圏の神々は温厚で、見逃してくれたのよ。それで日本で現地の人間と出会った。その子孫がアスカと私達って事。私達は神格を受け継いでいたからこそ、『九十九鳥の霊』はオリンポスにも残留していた」
 レラカムイならば、そこら辺の事情を知っているのだろうか。
 何せ、あいつは情報の神だ。
 家に帰ったら聞いてみよう。
 それはそれとして、三人の飛鳥は全く同じ外見の為に、誰が本当の意味での神足飛鳥なのか判り辛い訳だが、三人のそれぞれの声が違う事に気付いた。
 真ん中の飛鳥こそが、本来の神足飛鳥の声で喋っており、他の二人は本来の飛鳥よりも、それぞれ低い声と高い声の持ち主であり、それは先刻まで女性像から聞こえてきた声と同じであった。
「このままだと区別が付かないな……他の二人は、名前は無いのか?」
 俺が問い返すと、他の二人が笑みを浮かべて自己紹介を始める。
「私は便宜上、ツバサって呼ばれてる」
「あ、つまり私達の間で、って事ね。んで、私はツグミ」
 声の低い方がツバサで、高い方がツグミらしい。
「本来は一人なんだから、別に気にしないでいいよ。今一人になるし」
「……何?」
 何を言っているのか判らず聞き返すも、こちらが事態を飲み込む前に、またしてもとんでもない事が起こる。他の二人が真ん中の飛鳥の前と後ろへ重なる様に動き、三人の実像が重なり合ったかと思うと一つになる。
「どう? これで混乱しないでしょ」
「……もう、考えるのは止めよう」
 これはおそらく、エリカから散々聞かされていた変質能力とやらの類いだろう。物質の構成を解き、エネルギーの状態にしてから物質の構成情報を自由に変え、再変換。
 まさに、神ならではの力だ。
「旧世代のシステムに、変更が加わっていなかったのが幸いだったかしらね。オリンポスのシステムを通して、ラビュリントスの中も見えるよ」
 そう説明した飛鳥は、眼を閉じて、意識をラビュリントスの内部探査に傾ける。
「……ミノタウロスの旦那、オリンポスから追放さえされてなければ、もっと粘れたんだろうけど」
 気になる一言だった。
 飛鳥の言葉に、ミノタウロスに何があったのかと悪い想像が脳裏に過る。
「……あいつは気に入らないヤツだし、大勢の人の命も奪った。だからと言って、一人で踏ん張ってるあいつを放っておける訳が無い。戻るぞ、飛鳥!!」
 返事も聞かずに、俺は走り出す。
 そんな俺の背中に、飛鳥の呟きが僅かに聞こえた。
「……もう、間に合わないと思うよ」
 それでも俺は、命を張って時間を稼いでくれたミノタウロスに、せめて一声くらいは掛けてやりたい。誰にも看取られずに死ぬのと、誰かに何かを告げて死ぬのとでは大違いだ。
 エリカの兄貴の死と、今の状況が重なる。
 ラビュリントスと繋がる石門の前に到着したが、ここを開けるのは俺では無理だ。門の前で躊躇していると、後ろから翼を拡げて滑空してきた飛鳥が、俺の前に着地する。
「今開けるから待ってて」
 それだけを言うと、すぐに門が開き始める。
 オリンポスのシステムに繋がっているだけの事はある。
 門が開き、目の前に現れた光景に愕然となる。
「――ミノタウロス!!」
 全身が錆色に変化したミノタウロスが、仰向けに倒れていた。
 部屋の中央では、胸元で悠然と両腕を組んだロキが、薄ら笑いを浮かべて立っていた。飛鳥の死体は何処にも無かったが、おそらくは復活と同時に構成を解かれたのだろう。
「まさか戻ってくるとは――こちらとしては、予定が狂わずに済む分ありがたい訳だが」
 そんな事を淡々と告げるロキを無視し、俺は急いでミノタウロスの側に駆け寄った。
「……何か、言う事は無いか?」
 ミノタウロスの意識は僅かだが、まだ残っていた。
 しかし、急速に命の灯火は失われていく。
 側に座り込んだ俺の気配を感じたのか、ミノタウロスの眼がこちらを捉える。
「……リャンに伝えてくれ――強く生きろ、と」
 背後で門の閉まる音が聞こえたが、そんな事は気にも留めず、俺はミノタウロスの言葉に頷いて返した。そしてミノタウロスの視線が、俺の背後に立っていた飛鳥を捉えた。
「やはり貴様か、セイレーン」
 それをどんな気持ちで聞いたのか、飛鳥は意外にも微笑みを浮かべていた。
「大丈夫。ラビュリントスは受け継ぐから。オリンポスも動き始めるから、いつか再び会えるよ」
 俺には飛鳥の言わんとしてる事が判らなかったが、ミノタウロスには充分に伝わったらしい。最早限界なのか、静かに眼を閉じて最後の一言を口にした。
「……ヤツは、必ず倒せ」
 ミノタウロスの肉体が、まるで砂の様に崩壊をして、やがて消え去った。エネルギーも霧散をし、そこに何も無かったかの様に静寂が訪れる。
 俺は立ち上がり、目の前の悪意の塊に向き直る。
 今まで、事の一部始終を薄ら笑いで眺めていたロキが、面倒臭そうな顔で口を開く。
「……臭いねぇ。カビ臭い匂いが、ここまで漂ってきそうだ。それに散々、お前を苦しめた敵なんじゃないのか? 何をそんなに悲しむ?」
「お前には判らない。これは俺の悲しみでは無く、リャンに訪れる悲しみだ」
 俺は刀に手を掛けようとしたが、飛鳥が前に歩み出てそれを制する。
「……さっきはよくも、殺してくれたわね」
 飛鳥の一言に、ロキは怪訝な表情を返す。
「……アトランティスの古い神、か。どうやら余計なおまけがくっついてきたようだな。まあ予定が少し違ってしまったが、お前程度なら特に問題は無いだろう」
 目を細めて、見下した様な態度を取るロキ。
 しかし、それも無理は無い。
 保有エネルギーが一億に達するロキに対し、飛鳥はせいぜい1500万程度。これだけの差を覆すのは、通常では不可能に近い。飛鳥はそんな俺の危惧を察したのか、ロキを見据えたまま俺に語りかけてくる。
「……見てて。あたしにしか出来ない戦い方があるんだから」
 その言葉に何か決意めいたものを感じた俺は、その背中に一声掛けた。
「ヤバくなったら、無理にでも加勢するからな」
 そんなやり取りで、飛鳥一人で戦うつもりだと判ったロキが嗤う。
「はっはっは。何の冗談だ。あらゆる神と互角に戦う『神殺し』なら、私と良い勝負になるだろうに、ここでお前程度が戦う理由が判らんぞ」
 確かに、言っている事は尤もだが、どうして俺が『神殺し』だと知っているのだろう。しかし飛鳥はロキの嘲りの言葉に感情的になる事など無く、あくまで強い視線を保ったまま答える。
「……女には、意地ってのがあるのよ」
 それが戦う理由なのかどうかは判らない。
 きっと、本人にしか判らない理由だろう。
 その言葉に、ロキは笑い顔を止める。
「……意地だと。そんなもので、このロキを止められると――思っているのかあッ!!」
 莫大なエネルギーがロキに集束する。
 突き出した両手から、呪いの鎖グレイプニルが飛び出す。
「――ラビュリントス!!」
 グレイプニルが飛鳥を直撃する寸前、掛け声と共に周囲の空間が歪む。
「ちッ! 空間変動か!?」
 この場全員の位置関係が曖昧になり、歪んだ空間が捻れて混濁する。捻れた空間が正常な状態へと戻ろうと平坦になり、認識が再び戻った時には、夜の海浜公園に俺達は立っていた。
 いや、一人だけ位置が変わっている。
「――ドーデカ・クーシポス!!」
 空中より、突如として飛来した何本もの刃。
 ドスドスドスドスドスドスッ!!
「ごふッ!?」
 身体を十二本の剣に貫かれて血飛沫を上げたロキが、苦しげに目線を上空へと向ける。
 見上げれば、月光を背にした飛鳥が空に舞っていた。いつの間にか消えていた風切り羽が、瞬時に再生する。どうやら、両翼十二枚の風切り羽を変質能力で鋼の刃へと変え、それを空中から射出したらしい。
「……油断するのは勝手だけど――こっちはどんどん行くわよッ!!」
 飛鳥がラビュリントスをわざわざ解除したのは、自分の特性を最大限生かせる、空を味方にする為だったようだ。それを今更理解したロキが、身体に突き刺さった刃を弾き飛ばし、傷口を再生させながら舌打ちする。
「……ちいッ! 空とは厄介な!!」
「――メタモルフォー・グラウクス・オープス!!」
 飛鳥の瞳の色が、エメラルドグリーンからオレンジ色に変わったのが遠目でも判る。
 グラウクスとは、古代ギリシャ語でフクロウの意味を持つ。
 夜行性のフクロウは、鳥としては珍しく夜目が効く。
 どうやら変質能力によって自分の眼を状況に応じて、最適な鳥の眼へと変質させる事が出来るらしい。
 空からの一方的な攻撃を警戒し、ロキは横へと走る。
 しかし、抜群の視力を得た今の飛鳥には、そんなロキの動きがよく視えている筈だ。
「――エウラキロン!!」
 飛鳥が右翼を突き出すと、突風が発生する。
「シュネレ・エントヴィックルング!!」
 対するロキは足を止め、左腕を掲げる。
 エリカがよく口にした言葉と共に、左腕からエリカと同じ楯が生えてきたように現れて光の紋様が浮かぶ。
 バシン!!
 突風によって発生したカマイタチが、光の防御壁と衝突し、周囲に風圧が拡がって防がれた。役目を終えた楯が、左腕に吸い込まれるように消え失せ、ロキが右腕を空中の飛鳥へと向ける。
「今度は、こちらの番よ!」
 突如として、右腕が鋼鉄の塊へと変化する。
 どうやらロキにも変質能力が備わっているらしく、鋼鉄の塊が重低音を響かせて回転する。
 ブゥン……ドドドドドドドドドドッ!!
 ガドリングガンが三連砲身を回転させて、無数の弾丸を発射する。一斉掃射を、空中でひらりひらりと躱し続ける飛鳥。
「面倒ね! ……ラビュリントス!!」
 飛鳥の掛け声と共に、再び空間歪曲現象が発生する。再び迷宮の中へ引き込まれた俺達だったが、今度は、以前にエリカを襲ったあの現象がロキを襲っていた。
「……何だとおッ!?」
 ロキを中心とした重力。
 部屋の中央の空間に浮いたまま、固定されて身動きの取れないロキと、それを部屋の隅っこで見上げる俺。そして正四角形の部屋のあらゆる壁面に、いくつもの通路が口を開けていた。突如としてロキの背後の通路の奥から、飛鳥の声が響き渡った。
「――ヘマ・アエル・プテロン!!」
 通路の奥より飛来する、数多の羽根。
 突風と共に射出された羽根は、付け根が針のように尖っており、ロキの背中に次々と突き刺さる。
「ぐおッ!?」
 突き刺さった羽根の付け根が、ロキの肉体から血を吸収している。見る見る内に白い羽根は紅く染まり、やがて真っ赤な羽根から、蒸発した血が霧状になって辺りに発散される。
「油断が過ぎるよッ! 今度はこっち!!」
 今度はロキの右脇斜め下の通路から飛鳥の声がしたかと思うと、またもや無数の羽根が飛んでくる。
「くそッ!!」
 重力に縛られて身動きが出来ないロキの右側面に、大量の羽根が突き刺さっていく。血を奪われて少しずつ消耗するロキだったが、莫大なエネルギーによって瞬時に再生される為か、肉体的には血が無くなる事は無いらしい。
 そうやって位置を変えては羽根を発射し、ロキの身体は無数の羽根によって埋め尽くされて、元の姿を判別するのが難しい位に羽根まみれになってしまった。
 周囲に撒き散らされた血煙によって、ロキの姿が視えない。しかし、『心眼』で感知出来るそのエネルギーはまだまだ健在である。やがて底冷えのする様なロキの声が聞こえてきた。
「……いい気になるなあッ!!」
 バシン!!
 無数の羽根が、四方八方に飛び散る。
 莫大なエネルギーを使って力任せに羽根を弾き飛ばしたロキが、肉体を完全再生させた上でさらに力を溜める。
「……フェアシュヴィンデンツ・プログラム・アン・ラオフ!!」
 その言葉と共に、ロキの身体中から、いきなり数多の鎖が四方八方に飛び出る。それはいくつもの通路の先へと吸い込まれるように飛んでいき、やがてラビュリントス全体に振動が走る。
 鎖に膨大なエネルギーが流れ込み、突如としてうねる。じゃらじゃらと音を立てたかと思うと、急に周囲の光景が歪む。
「……まさか、力ずくで空間を!?」
 何処からか、飛鳥の驚く声が聞こえる。
 そして、そのまさかの現象が起こった。
 ぱっと視界が変わり、まるで霧が晴れたかのように周囲の光景が目前に表れて、俺達は元の夜の海浜公園に立っていた。
 夜空を見上げれば、そこに空を舞う飛鳥の姿。
 その顔は、驚きに眼を見開いていた。
 深く息を吐き、ロキが鎖を身体の中へと戻す。
「……ラビュリントス破れたり」
 しかし今の行動によって、かなりエネルギーを浪費したのが判る。
 それでもエネルギー格差は大きいのだが。
 ただ、序盤の展開を有利に進めたおかげで、飛鳥とロキの差は少しは縮まった筈だ。
「……ふん、特殊能力の塊みたいなヤツよ。私が油断をしていたと言うのもあろうが、お前が陽動撹乱戦のエキスパートと言える能力に、特化している所為もあるだろうよ」
 ロキの言う通り、飛鳥の戦い方は正攻法と言える部分がまるで無い。
 奇襲に奇策の、連続である。
 常に正面突破のエリカとは対照的、まるで両者の性格をそのまま反映しているかのような戦い方だった。
 しかし、それを言うならばロキも同じようなものだ。
 空こそ飛べないものの、変質能力によって変則的な戦い方が主であるのはロキにも言える。
 お互いが変則的な結果、両者の戦いは相性最悪とも言える。どちらが有利とかそういう問題では無く、お互いがハイリスク・ハイリターンな関係。飛鳥が一方的有利な時もあれば、ロキにその天秤が傾く事もあるだろう。
「ならば、こちらも少しは本気を出さねばならんな……力の差を見せてやる!!」
 言うや否や、両手を地面に付けてエネルギーを開放するロキ。激震が近隣一帯を襲い、地面から数多の鉄骨が天に向かって突き出ていく。
「これは……ッ!!」
 上空の飛鳥から見れば、この海浜公園一帯に、何百何千という鉄骨が地面より飛び出してきているのが判るだろう。鉄骨は変形の結果、高圧線の鉄塔へと変貌を遂げて、それぞれが何本もの高圧線で繋がれていた。
 どうやら、既存の高圧線と接続されているらしい。
 あまりの大規模な変質能力の発現に、俺も飛鳥も声が出ない。しかも、何を意図してこんな構造物を出現させたのか、全く判らない。
「久しぶりに大きな力を使ったぞ……せいぜい楽しませてくれよ!!」
 右手を空へ向けて突き出すと、掌より鎖が飛び出て鉄塔に巻き付く。鎖を身体に引き戻す事で空へと飛び上がり、ロキは鉄塔の尖塔に立った。
「――テュフォーニコス・アネモス!!」
 飛鳥はさらに上空へと舞い上がり、両翼をロキ目掛けて突き出す。すると両翼の間に風が発生し、強烈な回転力を生み出して竜巻となった。襲い掛かる竜巻を前に、ロキは右手を頭上へと振り上げた。
「なッ!?」
 突然、鉄骨が縦横に突き出て鉄のバリケードとなり、竜巻の進路を塞いで完全に防御する。ロキはすぐさま横を走る高圧線の上を器用に駆け抜け、エネルギーを集束させる。
「ふんッ!!」
 突然、地面から巨大な物体がいくつも現れる。
 巨大な鉄骨によって構成された足場を持つ、高層ビル建設用の巨大クレーンだった。クレーンが吊り下げるワイヤーの先は、ビル破壊用の巨大な鉄球。ごんごんと機械音を響かせ、作動したクレーンが異常なスピードで台座の上で横回転したかと思うと、鉄球を飛鳥へ向けて振るう。
「のろいわよッ!!」
 しかし、空を自在に飛ぶ飛鳥にすれば大したスピードでも無く、楽々と躱す。いくつものクレーンが回転をして、次々と鉄球が襲い掛かるが、飛鳥のスピードなら当る事は無いと思った、その時。
「――がッ!?」
 鉄球の一つからいきなり鉄骨が飛び出て、飛鳥の背中へとブチ当った。
「油断はお互い様だなあ! はっはっは!!」
 目紛しく位置を変え、飛鳥の攻撃の的を絞らせないでいたロキが嬉々として叫ぶ。
「うるさいッ! ドーデカ・クーシポス!!」
 飛鳥の両翼から十二本の刃が射出されるが、ロキは右手を突き出す。
「その技は既に見たわッ!!」
 キンキンキンキンキンッ!!
 右手の手首から先が巨大なプロペラに変化し、回転して十二本のブレードを弾き飛ばす。
「ならばッ! ヘマ・アエル・プテロン!!」
 飛鳥は再び両翼を大きくのけ反らせ、一気に前へと突き出す。今度は無数の羽根が射出され、ロキ目掛けて襲いかかる。
「馬鹿め! それも既に見せただろうが!!」
 今度は右手の回転するプロペラをそのまま切り離し、前方へと射出する。無数の羽根の内、ロキの身体に当るべきものは、全て飛び出したプロペラに阻まれた。
 しかし。
「――何いッ!?」
 ロキが驚愕に眼を見開くと、無数の羽根をかき分けるかのように、ロキの目前に飛鳥が飛び込んで来ていた。
「喰らえッ! メタモルフォー・ヒエラクス・プース!!」
 ロキ目掛けて突き出した両足が、変化を遂げる。ブーツに包まれていた脚は猛菌類の鉤爪へと変貌し、ロキの両肩を鷲掴みにした。
「ぐああああああッ!?」
 めきめきと、両肩を砕く音が聞こえる。強力な握力を発揮した鉤爪が両肩に食い込み、大量の出血が見られる。
 そして、いきなり両者を包む暴風。
「――ライラプス・アネモス!!」
 飛鳥は自身を中心として、竜巻を発生させた。
「うおッ!?」
 竜巻に巻き込まれる両者。
 ぐるぐると上空へ回転しながら猛スピードで上昇し、高度にしておよそ一万メートル地点で反転。
 竜巻を纏いながら、錐揉み急降下。
 遥か天空より、音速を以て地上目掛けてダイブ。
 まるで、自爆覚悟の大技だ。
 地上ぎりぎりまで降下した瞬間、飛鳥はロキから鉤爪を放して離脱した。
 ズドン!!
 強烈な轟音が地面を揺らし、土煙が辺りに舞う。
 視界が土煙に遮られてロキの姿が見えないが、どうやら地面に叩き付けられて大きなクレーターを作ったらしい。
 膨大なエネルギーの存在が感じられるが、動きは無い。
 俺の側に降り立った飛鳥が、得意げに口を開く。
「セイレーン流イズナ落とし、とでも命名しよっかな」
「……能天気なヤツだな。ロキはまだ健在だぞ」
 俺の声のすぐ後で、クレーターから影が飛び出す。土煙が晴れて視線の先には、バラバラになった筈の身体を修復中のロキが立っていた。
「……なかなか大胆な事をするじゃあないか」
 瞬く間に肉体の再生を終わらせたロキを睨み付けながら、飛鳥が羽先をロキに向けて突き付ける。
「アンタは戦い方が、いちいちセコいのよ。もしかしてケチの神? 米百俵の精神、とか言うんじゃないでしょうね」
「何処の元総理だよ」
 思わずツッコんでしまった。
 そんないつも通りに、口の悪さを発揮した飛鳥の言葉に挑発されたロキだったが、怒りを顔に出したのも一瞬で、すぐに笑い顔に変わる。
「はっはっは。それはトリックスターとでも言いたいのか? ……むしろ、褒め言葉にしかならんなあッ!!」
 突然、両腕を目の前に突き出した。その両腕が先程と同じくガトリングガンに変化し、砲身が回転する。
 ガガガガガガガガガガッ!!
 機銃の一斉掃射が俺達を襲う。飛鳥は飛び上がって回避し、俺は一気に右へと反転して躱す。
「――メタモルフォー・トレイス・スキゾー!!」
 飛翔した飛鳥が突然、三人に増える。
 ガトリングガンの照準を合わそうとしていたロキは、的が突然増えた事に戸惑いを見せる。
「何いッ!? 増えただとおッ!!」
 飛鳥はさらに上空へと飛び上がり、他の二人が左右に大きく回り込む。三方向から囲まれたロキは、ガトリングガンを左右に拡げて一斉掃射を行うも、容易く躱されてしまう。
「ちいッ!!」
 左右の飛鳥が斜め後方の死角へと入った為に、そのままでは機銃が当らず、ロキは体勢を変えて、今度は前方と左後方の飛鳥を狙い打つ。
 ガガガガガガガガガガッ!!
 二人の飛鳥はそれを躱し、残りの一人が、ロキの背中目掛けて両翼を突き出す。
「甘いッ! ドーデカ・クーシポス!!」
 飛び出した十二本のブレードが、ロキの身体を背後から貫く。
「ごふッ!?」
 ロキの口から、盛大に血が吹き出す。
 しかしそれでもロキの動きは止まらず、ガトリングガンを二人の飛鳥に発射し、その隙に残り一人の飛鳥がブレードを放つ、という攻防が何度か繰り返される。
「ええいッ! 小賢しいわッ!!」
 このままでは埒が明かないと判断したロキの右腕がたちまち元に戻り、その手から上空へ向けて鎖が放たれる。上空に張られた高圧線に鎖が絡みつき、ロキの身体が一気に中空へと持ち上がる。空へと引っ張られながら身体を横回転させ、左腕の機銃で360度乱射する。
「うわわ!?」
 三人全員に無数の弾丸が放たれ、三人の飛鳥はそれぞれ紙一重で回避した。
 くるりと身体を回転させて高圧線の上に立ったロキが、再び右腕をガトリングガンに変えてそのまま走り出す。
 それを追い掛ける様に、三人の飛鳥が飛び上がる。高圧線の先に立つ鉄塔の内側へと入ったロキを取り囲むようにして、旋回を始める三人の飛鳥。いつの間にか鉄塔を形作る鉄骨が、バリケードの如く縦横に張り巡らされていた。
 思わぬ防御壁を前に、飛鳥は攻撃を躊躇している。
「……お前の欠点は、非力だと言う事だよ」
 余裕を見せるロキの一言が図星なのか、飛鳥の顔が歪む。
 確かに今までの飛鳥の攻撃手段を考えると、鉄骨などの物質として硬く重い物体を破壊出来る程の力は無かった。
 十二本のブレード、吸血羽根、竜巻、鷹の爪、それにカマイタチ。
 それら技の数々を改めて思い返すと、実はセイレーンとは、あまり戦いには向いていないのでは無いかと思える。
 しかし、飛鳥の顔が再び自信に満ちる。見れば三人の内、確かツバサと名乗った一体が、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「……私達の力は、本来は戦いの為のものでは無いのは事実……しかし、これが全てでは無いわッ!!」
 三人の飛鳥は、鉄塔を囲んで両翼を大きく拡げる。そのままの状態でも空中に静止出来るらしく、『心眼』では、風を自ら起こして姿勢の制御をしていると判る。その行動の意味を理解し兼ね、ロキは不審を顔に表していた。
「……何をするつもりだ?」
『心眼』を持つ俺には判る。
 飛鳥達の両翼が微細な振動を起こし始め、低周波による大気振動が感じられる。三人の飛鳥が口を大きく開け、一番声の高い、確かツグミと名乗った一体が甲高い声を発した。
「……声無き歌を聴くといいわ!メリスマ・アエイデ――プシヒー・ヘレイン!!」
 その途端、耳の奥にキン、と音が響く。
 翼から発生する低周波と、口から放たれる高周波。それらの干渉によって、ロキを取り囲む鉄骨が、軋むような音を断続的に発生させている。中央にいたロキは見えない力のど真ん中にいた為か、突然、苦悶の表情を浮かべた。
「……ぐ、むお……ッ!!!!」
 一人一人の力では、せいぜいガラスのコップを破壊する程度の力しか無いだろう。だが、三人がある一点に向けて力を集中させる事により、ハウリングによる共振現象が力を増幅させ、その一点において強力な破壊力を生み出す。
「……振動兵器とか言うヤツか?」
 バスンッ!!
 やがて振動を吸収しきれなくなったロキの身体があちこち弾け、全身が爆弾でも爆発したかの様に、血と肉が飛び散る。
「ぐおおおおおおおおおおッ!!」
 バスン、バスン、バスンッ!!
 破裂音が連続して鳴り響く。
 おそらくは沸騰した血液によって血管が破裂し、その効果が全身の筋肉を破壊しているのだろう。それでもロキの身体は破裂部分をすぐに修復し、破壊と再生を繰り返している。
 だがそんな状態は、一瞬にして途切れる。
「……ならば貴様にもこの痛み、感じさせてやろう!!」
 ロキは肉体の破壊に晒されながらも、両手を大きく拡げ、鎖を鉄骨に向けて射出する。鉄骨に吸い込まれた鎖を通して鉄塔全体、それどころか海浜公園一帯全ての鉄塔に、膨大なエネルギーが流れ込む。
「……何をするつもりだ?」
 俺の疑問はすぐに解消される。
 力を得た数多の鉄塔から、三人の飛鳥目掛けて無数の鎖が飛び出したのだ。
 ドンドンドンドンッ!!
 まるで天を食らいつくさんとする無数の蛇の如く、何百何千という鎖が空を埋め尽くす。
「ッ!?」
 攻撃中の飛鳥達は、いきなりの反撃を前に攻撃を即座に中断し、一気に空へと上昇する。保有エネルギーに決定的な差がある両者が、互いに打ち合いになってしまえば飛鳥は負ける。少しばかり優位に立っているとしても、すぐに攻撃を止めて逃げたのは良い判断だ。
 さすがに全力の飛鳥の飛翔スピードには追い付けず、鎖は目標を失って、鉄塔へと吸い込まれて元に戻る。遥か高みへと避難した飛鳥を視線の先に捉え、ロキは肉体を完全再生させていた。
「……これが我がフィールドだ。制空権は、低空ならばこちらにある」
 鉄塔と高圧線による足場はそのまま罠になっている、と言う事か。
 こうなってしまうと、飛鳥も容易には近寄れない。ロキも空を飛べない為に、遥か上空の飛鳥に手出しが出来ない。距離が開けば開く程、遠距離攻撃の命中率は落ちる。
 これでは、互いに決定打は打てないだろう。
 上空を旋回し続ける三人の飛鳥を見上げ、ロキは不敵な笑みを浮かべる。
「……私が飛べないと思って、油断するのはどうかと思うぞ」
 そんな事を呟いたかと思うと、唐突に、鉄骨の上でクラウチングスタートのような低姿勢を取る。
「現代兵器の性能を思い知れッ!!」
 ロキの背中が盛り上がったかと思うと、そこに現れたのはロキの身体の二倍はありそうな、箱の様なものだった。
「……あれは、ミサイルランチャーか!?」
 どうもロキには、現代兵器を使いたがる傾向でもあるらしい。
「――ファイアッ!!」
 ロキの前方を塞いでいた鉄骨が、道を開けるかの様に支柱へと引っ込み、六連装のランチャーから、立て続けに六本の地対空ミサイルが発射された。
「うそおッ!?」
 紫煙を巻き上げながら迫ってくるミサイルをフクロウの眼の内に捉え、飛鳥達が一斉に散開する。しかし一人に対し、それぞれ二本ずつ別れて追い掛けてくるミサイル。
「ホーミングミサイルか!!」
 俺の声が聞こえたのか、三人の内の本来の飛鳥が声を上げる。
「追い掛けてくるよ!?」
 女の身であれば、現代兵器の知識など疎くて当然だろう。
 単純に逃げる飛鳥だが、地対空ミサイルの運動性能の高さを知識として知っている俺にしてみれば、逃げるのは無意味だと判る。本来は音速で飛ぶジェット戦闘機に対抗して開発されたのだから、同じく音速で飛ぶ飛鳥に対しては効果絶大。あれは、飛んで躱せる類いのものでは無いのだ。
「飛鳥ッ! ブレードで撃ち落とせッ!!」
 躱すのでは無く、同じく質量を持った物体で迎撃する。ミサイルに対抗するには同じくミサイル、というのが現代戦のセオリーだ。誘導ミサイルに対しては迎撃ミサイルか、誘導装置を騙す為のダミーか、その二通りがある。ダミーの一例としては、赤外線誘導装置に対して熱源体を発射する、IRフレアというものが有名だ。
 間違っても、機銃で撃ち落とそうなどという戦闘機乗りはいないだろう。
 俺の言葉の真意に気付いた飛鳥が、大きな声で応える。
「そっか判った! ……そこッ! ドーデカ・クーシポス!!」
 三人の飛鳥はそれぞれ反転し、ミサイルを引きつけてから寸前で回避し、ミサイルの横腹目掛けて十二本のブレードを放つ。ブレードに推進部を打ち抜かれたミサイルが失速し、地表へと墜落する。
 ズドン!!
 俺のアドバイスによって飛鳥が危機を脱した事を見て、ロキがこちらを見て舌打ちする。
「ちいッ! 余計な事を!!」
 一方の飛鳥にしてみれば、現代兵器の方がリアルな恐怖を感じるらしく、脅威から脱した事で冷汗を翼で拭っていた。
「ふぅ。鳥にミサイル使うヤツがいるかよ、っての」
 安堵している飛鳥を見上げ、ロキは背中から新たな箱を生み出す。しかし、今度のは二十連装の、さらに大きなミサイルランチャーだった。
「まだまだ!!」
 ドシュドシュドシュドシュッ!!
 再び放たれるミサイル群。
「二度も通用しないわよッ!!」
 三人の飛鳥がそれぞれ十二本のブレードを放ち、驚異的な命中精度で十二本のミサイルを撃ち落とす。しかし、残りの八本を躱し、通り過ぎて遥か上空へと駆け登るミサイルを迎撃しようと向き直ったところで、飛鳥の顔に恐怖が表れる。
「……えええええええッ!?」
 今度のミサイルは、誘導装置付きでは無かった。
 その代わり、地対地のクラスター爆弾みたいなものだった。ミサイルの先端がぱかっと割れ、無数の小型爆弾がバラ捲かれる。ヒュ〜っと間抜けな音を伴って落下してくる小型爆弾の数々を、飛鳥達は易々と躱す。
 しかし。
 ズドンズドンズドンッ!!
「きゃッ!?」
 飛鳥達の周囲を、無数の爆発が襲う。破壊力よりも火炎の拡がりを重視した設計なのか、小型爆弾は爆発と共に、大規模な爆炎を周囲に巻き起こしたのだ。
「きゃあああああああああッ!?」
「ぐうッ!!」
「熱い熱い熱いッ!!」
 三人の飛鳥は爆炎に包まれ、全身を焼かれる感覚に絶叫を上げる。
「どんどん行くぞおッ!!」
 ロキは調子に乗ってミサイルランチャーから再びミサイルを発射し、今度は爆炎に巻き込まれて大規模な誘爆を起こす。
「そらそらそらあッ!!」
 次々に発射されるミサイル。
 上空の爆発はさらに大きくなり、飛鳥の姿が視認出来ない。総数にしておよそ二百発は打ったか、ロキは一旦攻撃を止めた。
「……さて、焼き鳥の焼き加減はどんなものかな」
 しかし途端に上空に竜巻が発生し、爆炎を巻き上げて上空で反転する。炎の竜巻が三つ、ロキ目掛けて襲いかかる。
「馬鹿めッ!!」
 両腕を再び、ガトリングガンに変化させて一斉掃射。
 ガガガガガガガガガガッ!!
 炎の竜巻の中の飛鳥は無数の銃弾を浴び、それでもロキに突撃する。
「うおおおおおおおおおおおおッ!?」
 三方向の内の二つに銃弾を浴びせていたものの、鉄塔の鉄骨すらひしゃげさせて全く怯まず突撃され、逃げる暇も無くロキは三つの竜巻の直撃を受けた。
 炎の竜巻からロキの身体へと爆発力が放出され、たちまちロキの肉体が赤熱する。
「……ぶッ!!」
 ズドンッ!!
 竜巻が晴れ、三人の飛鳥が脚を鉤爪へと変化させた蹴りをロキに直撃させ、竜巻に乗って爆炎がロキの体内温度を上昇させて、内部から爆発を起こしたのだ。脚で反動を付けて、離脱する三人の飛鳥。
「あ〜、痛かった。銃弾って毒になるから、余計な回復力を強いられるんだよね」
 無残に鉄骨を破壊された鉄塔の中央のロキは、上半身を吹き飛ばされて下半身だけになっていた。びゅーびゅーと血を盛大に吹き出すその光景に、飛鳥がやっと気付いて口元を翼で抑えた。
「うえッ! グロいなぁ」
 それを耳にしたツグミが、飛鳥を見て苦笑いを浮かべる。
「だったら、見なければいいじゃないの〜」
 ツバサは構えを取って、警戒したまま声を出す。
「……まだよ。相手は主神クラス。これくらいでは、まだ擦り傷程度にしかならないわ」
 個性は別れていると聞いたが、ある意味当人同士の会話なので独り言と言えなくも無い。
 三人の飛鳥が見詰める中、中央のロキの下半身に、膨大なエネルギーが集まる。みるみる内に傷口が塞がり、肉が盛り上がって形を作る。ほんの数秒で完全に肉体を再生させたロキが、意識を取り戻して口を開いた。
「……隙を見せたな、ニワトリ共ッ!!」
「――え?」
「いけないッ!!」
「しまった〜!!」
 今までで、一番近い距離。
 それがこの低空地点でどんな意味を持っているのかを、飛鳥達は気付かなかったのだ。鉄骨や高圧線から突然飛び出した鎖に全身を拘束され、三人のセイレーンは苦悶の表情を浮かべる。
「ははは! お互い、油断は出来んなあッ!!」
 その声と共に、高圧線を通して高圧電流が鎖に流れ込んだ。
「きゃあああああああああッ!!」
 バリバリと耳障りな音が鳴り、セイレーン達の身体が感電する。
「これで動きは封じた……仕上げといこうか!!」
 鎖に搦め捕られていると言う事は、グレイプニルの滅殺能力が使える状態だという事。
「マズい!!」
 俺は咄嗟に飛び上がって鉄塔の鉄骨を蹴り上げ、反動を付けて鉄塔を駆け上がる。しかし、セイレーン達に膨大なエネルギーが集まっているのを感知し、俺は鉄塔の中腹で動きを止めた。
「……何かやるつもりか?」
 次の瞬間、三人のセイレーンの姿が光と共に掻き消えた。
「――何ッ!?」
 目標を失ったグレイプニルは、紫電を撒き散らしながらこうべを垂れ、じゃらじゃらと音を立てて落ちていく。辺りを飛び交う無数の鳥達の羽音に、ロキは戸惑ったまま周囲を見回した。
 これは、『九十九鳥の霊』本来の具現化。セイレーンが表の顔ならば、その内に憑依した、根源としての裏の存在に主導権を渡したという事か。
 上空にて鳥達が集まり、やがて再び三人のセイレーンへと戻る。殆ど消耗せずに肉体を再構築した飛鳥が、ロキを見下して口を開く。
「……グレイプニル破れたり、なんてね」
 ラビュリントスを破られた事へのお返しとでも言うのか、先程のロキの台詞を真似た飛鳥の声に、当の本人は口元を歪めていた。
「……ふん。ただの小兵に過ぎないと侮っていたが、戦闘機で言えば軽戦仕様みたいなものか。こちらの攻撃を悉く躱される……捕らえ所の無い相手よ」
 ロキの例えで言うならば、飛鳥が戦闘機ならロキはさながら、強力な火力を持った浮沈艦とでも例えるべきか。しかし、かつて大艦巨砲主義が航空機の前に敗れた事を考えれば、飛鳥がその身軽さでロキを翻弄して勝つ事も有り得るだろう。
 正面突破のエリカがロキに勝つのは難しいだろうが、少なくとも相性で言えば、飛鳥の方が分があるのかも知れない。しかし、互いに滅殺兵器を破られたのでは決定的な一撃は望めそうも無く、このままでは長期戦は必至。
 それは飛鳥もロキもこの時点で思い至ったのか、両者共に相手の出方を伺っている。やがて痺れを切らしたロキが、軽く笑みを浮かべて身体の力を抜いた。
「……?」
 何をしようと言うのか、ロキの雰囲気が微妙に変わった。まるで何かを悟ったような異様さを放つロキが、上空の飛鳥を見上げて口を開く。
「……ならば、こちらも次の手を見せねばなるまい」
 それを受けて、飛鳥がせせら笑う。
「ふふん、何よソレ。まるで、ポーカーで切り札を隠し持っていたみたいな余裕――馬鹿にしてるわね」
 笑いとは裏腹に、その言葉には険がたっぷりと含まれていた。しかし、そんな挑発を無言で受け流したロキは、突如として膨大なエネルギーを己が内に発生させる。
「……何だ?」
 今までとは違う行動に、俺は警戒感を強める。
 まるでノーガード戦法のような隙だらけの姿勢だったが、それは明らかに罠であると感じる。それは飛鳥も理解しているらしく、軽率に飛び込んだりはせずに、上空を旋回し続けている。
「……そちらが来ないのならば、こちらから出迎えてやろう!!」
 ロキが吠える。
 いきなり飛び出した声はまるで獣の遠吠えの様であり、見る見る内にロキの身体が大きく膨らんでいく。
「何をしようと言うの!?」
 ツバサが動きを止めて警戒する。
 物凄い速度で巨大化したロキの肉体が灰色の剛毛に覆われ、増大した自重を鉄塔が支え切れずにひしゃげてしまう。
 巨体が大地に降り立ち、地響きを起こす。
 大地を踏みしめた、強靱な四肢。
 ――ウォオオオオオオオオオオオオオオン!!
 周囲に轟く獣の遠吠えが大気を震わせ、強大なプレッシャーで下腹が重くなる。そこに現れたのは、巨大タンカー程もありそうな巨体を持った狼だった。


第五話・妖鳥乱舞
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