Sick City
第二章・共同戦線

 俺は呆然としていた。
 神足が死んだ。
 左胸を背中から突き破った鎖が、神足の身体をずるずると奥へ引っ張り込んで行く。俺の目の前に立ち塞がっていたミノタウロスは、やっと何事が起きたのか、自分が何をしてしまったのかを理解した。
「……俺は、貴様との約束を破ってしまったのか」
 そして海浜公園の奥から現れるであろう、第三の存在に向かって身体を振り向かせる。そいつは、鎖で引っ張り込んだ神足の頭を鷲掴みにして、目の前に吊り上げた。
「何を引っ掛けたのかと思えば……おかげで奇襲が台無しになってしまったな」
 地面を引き摺られたせいでボロボロになった神足の遺体は、まるでボロ雑巾の如く、横へと放り捨てられた。
 ただ、自分の居場所を求めていただけの寂しい少女は、理不尽な暴力の前に打ち捨てられた。そんな光景を目の前にし、それでも俺は、怒りから飛び出す様な真似はしなかった。
 実際には今まで感じた事の無い程に、暴力的な衝動に我を忘れそうになった。しかし『心眼』の特性として、『個の認識』を維持するには冷静な思考を強制される。膨大な情報を処理している為、怒りや悲しみといった感情を感じるよりも先に、状況把握が済んでいるのだ。
 軽率な行動は命取りになると、既に身の危険を察知していた。
 まず男の外見を見て、この男の唐突な登場の仕方に納得をしていた。
 銀髪で少し長めのウェーブの掛かった髪。ゲルマン系かと思われる風貌に、黄色掛かった大きめのサングラス。以前、ミノタウロスと初めて出会った都心の公園で、ビデオカメラを回していた男。
『心眼』で、男の保有しているエネルギーの大きさを測る。
 おそらく、一億。
 レラカムイによれば、各地域の主神クラスが一億程度なのだと言う。
 以前出会った時は人間だと思っていたが、おそらくはエリカと同じ様に、人間に化ける事が出来るのだろう。
「……貴様が裏で、糸を引いていたのか」
 怒りを押し殺した俺の低い声に、男は嗤う。
「ふふ、ああそうだ。……前に一度出会っているな。レギンレイヴのいないこの時を待っていたよ」
 どうやらエリカを警戒して、今まで接触を控えていたらしい。
「狙いは俺か……それとも、別に理由があるのか?」
 その問いに正直に応じるとは思ってはいなかったが、つい口から出た言葉に、男は意外にすんなりと応じる。
「両方だな。ここでお前を殺せれば良し。例えそれが出来なかったとしても、私の名を知れば、この場にいないレギンレイヴは心底悔しがり、積極的に戦いに参加するようになるだろう」
 気になる物言いだった。
 名を知れば、何が違うと言うんだろうか。
 考えられるのは、たった一つだけ。
「……エリカと、関係があるんだな?」
 俺の問いに、男はニヤリと笑みを浮かべた。
「私は別に、彼女にはそれほど固執してはいない。しかし、彼女は私を放ってはおかんだろう」
「何を勿体つけてやがる……さっさと答えろ」
 俺の苛立ちに、男はあくまで嫌みな笑みを浮かべたまま、その名を口にした。
「我が名はロキ……そうさ。アスガルドを裏切り、ラグナロクの原因となったのが私だよ」
 ロキ。
 その名は俺でも知っている。
 北欧神話における奸智の神であるロキは、アスガルドの次期主神と目されていた光の神バルドルを謀殺し、それが為に自分の子供たちを殺された上で幽閉され、長年の復讐心を神々の全滅という形で実現した、まさに裏切りの神。最終的にはバルドルと同じく光の神で、アスガルドの門番であったヘイムダルと相打ちになったとされているが、こうやって目の前にいるという事は、伝承とは違った結果が現実なのだろう。
 エリカ――レギンレイヴにしても、伝承では生き残ったとはされていないのだから、何ら不思議では無い。
 今まで黙ってロキを睨み付けていたミノタウロスが、鼻息荒く食って掛かる。
「謀っていたのかッ! 貴様に踊らされていたと思うと、虫酸が奔るわッ!!」
 そこで初めてミノタウロスの存在に眼を止めたかと思う位に、実にあっさりとした口調で答える。
「ああ、それは悪かった。ずっと疑問無く、踊り続けさせておいてやるべきだったか」
 そんな人を小馬鹿にするような物言いに、ミノタウロスの我慢が沸点を超える。
「卑怯者めが……俺の戦いを邪魔した報いを、思い知れッ!!」
 ドンッ!!
 ミノタウロスの脚が大地を蹴り、ロキとの間合いを一気に詰める。
 しかし。
「――ぬぐッ!?」
 次の瞬間の出来事に、俺は自分の勘が正しかったと知った。
 突如として、地面から飛び出た幾本もの鎖。それがミノタウロスの身体に巻き付き、動きを封じていた。
「錆を拡げよ――グレイプニル!!」
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
 ミノタウロスの全身を拘束した数多の鎖から、何か染みのような色が接触部分から肉体へと浸透していく。
「まずいッ!!」
 アレは言わば、コンピューターウィルスの様なモノだ。
 神の構成要素である情報体を侵食し、機能低下やバグを引き起して、最終的には完全に『殺す』プログラム。エリカのグングニルに備わる滅殺プログラムと、同種の能力。ならばアレこそ、ロキの『滅殺兵器』なのだろう。
 キキンッ!!
 ロキがこちらの動きに反応する暇を与えずに、ミノタウロスの背面から『一徹』を振るう。
「――ブハッ!!」
 狙い違わず数多の鎖を切断し、ミノタウロスを拘束から開放してやった。それを見たロキが、驚きの眼差しで、感心した様な声を上げる。
「……ほお。容易くグレイプニルを断ち切るとは……その力があれば、私もあれ程の生き地獄を強いられる事も無かっただろうにな」
 何を言っているのか俺には判らなかったが、この鎖は通常の攻撃手段では破壊不可能だ。俺の『極線』による剣撃に類される様な、概念的な方法を持ちいらなければならない。一方、苦しみから開放されたミノタウロスは、少し後退して片膝を地面に付けていた。
「……まさかお前に助けられるとは……しかし、一応は感謝しておく」
 俺は一応の礼をされた事よりも、まずはミノタウロスの状態が心配になっていた。
「……身体は動くか?」
 何とか立ち上がったミノタウロスは、俺に起こった不運に関わらず、それでも冷静に対処した俺を見て、何か思う事があった様だ。
 ロキを睨み付けながらも、何か決意した様な間があった。
「……あの娘の身の安全を保証した筈だったが、俺が邪魔しなければ、こんな事にはならなかったかも知れん」
 それは確かにそうだろうが、それを言ったところで今更だ。そもそも、神足と一緒にいた俺にこそ責任がある。いつ戦いになるか判らない筈なのに、日常に甘んじていた俺の結果に過ぎない。神足に危機感が無かったと一度は思ったが、それは俺自身にも言えるのだろう。
「……あいつを巻き込んだ俺の責任だ。アンタは気にしないでくれ……それでも気にするんなら、俺との勝負は、俺の勝ちで終わりにして欲しい」
 その言葉がどんな作用を与えたのか判らないが、ミノタウロスはそれに頷きで返した。
「……いいだろう。ならば、この借りは必ず返す」
 借りを返すとは、一体どういう事なのか。それを聞いていたロキも首を捻る。
「……バトルマニアのお前さんらしくない物言いだな。何をするつもりかは知らんが、私が大人しく許すとでも思うのか?」
 だがミノタウロスは、それを無視して頭上に右手を掲げる。そのポーズは、前にも見た事のあるものだった。
「ラビュリントス――起動ッ!!」
 右手の掌に集まる、無数のブロック。
 瞬時に組み上がって表面の凹凸がそれぞれ右に左に回転をし、周囲の空間が歪む。それを見たロキは高笑いする。
「ははは! そんなものが、私に通用するとでも思っているのか?」
 自分には通用しないという自負から来る余裕なのか、ロキはミノタウロスの行動に干渉しようとはしない。確かにロキ程の力があるならば、ラビュリントスの重力制御を打ち破る事も可能なのかも知れない。
 次の瞬間、俺はあの異次元空間の迷宮の中にいる事を認識した。
 だが、以前との違いがある。
 それは、俺とミノタウロスが例の穹窿天井の円形闘技場に出現し、ロキはどうやらトラップだらけの通路に引き離されたらしい、という事だった。
「これで時間が稼げる筈だ」
 隣のミノタウロスはそんな事を言ってから、部屋の中央に歩いて行く。その中央に、神足の遺体が横たわっていた。
 死者まで引き込んで、どうしようと言うのか。ミノタウロスの考えが判らず、俺はその背中に問う。
「どうするつもりなんだ? 神足は死んだ。残留思念は残っているが……」
 そんな俺の問い掛けに、ミノタウロスは神足の遺体を両腕に抱えてから、こちらを振り向いて答えた。
「このラビュリントスは我らの神域、オリンポスへと繋がっている」
「――何だって?」
 ミノタウロスの口から出た言葉に、俺は驚いた。
 それがどういう意味を含んでいるのか判らないが、一体何をしようと言うのだろう。俺の懐疑的な表情を意に介さず、ミノタウロスが説明を続ける。
「俺には死者を生き返らせる様な力は無い……が、オリンポスへ行けば、未だそこに残留しているであろう神々の魂が、我らの呼び掛けに力を貸してくれる可能性はある」
 俄には、信じ難い話であった。
 そもそも、オリンポスと繋がっているというのが判らない。そんな疑問を見透かしたのか、ミノタウロスは僅かに口元を歪める。
「最下層に扉がある。それがオリンポスへと繋がるゲートだ。ワルキューレの能力を引き出したお前ならば、神域へと辿り着けるだろう」
 そう言われて、俺はハッと気が付く。
 以前にこの迷宮に飛ばされた時に、俺は最下層にある巨大な扉の存在を認識していた筈だ。まさか今この時に、あの扉の存在が意味を持とうとは思ってもいなかった。
「そうか……あの扉が、そんな重要なモノだったなんてな」
そ れを聞いたミノタウロスが、再びくるりと背を向ける。
「……ヤツが俺達に追い付くのも時間の問題だ。先を急ぐぞ」
 先を歩き出したミノタウロスに、俺も続く。大部屋を出ると、迷宮本来の入り組んだ通路に入る。だが、道順を熟知しているミノタウロスによって、俺達は障害らしい障害には出会う事無く、最下層の扉の部屋へと辿り着いていた。
 その間もロキの存在を探知していたが、通路に仕掛けられたトラップに阻まれているのか、俺達との距離はさらに引き離されていた。石造りの巨大な扉の前で、ミノタウロスが説明を始める。
「ここから先は、常人では見る事も適わない神の領域だ。よって、この娘を連れて行くには、然るべき手段を講じなくてはならない」
 言っている意味は判る。
 高次元である神域において、低次元の存在である人間は、神域を認識する事が出来ない。神域にいる神は人間を認識するが、人間側は通常の三次元までしか認識出来ず、神域に干渉する事が出来ないのだ。
「どうするんだ?」
 具体的な方法を知らない俺が問い返すと、ミノタウロスは神足の遺体を、床にそっと横たえた。
 「オリンポスのシステムにアクセスをし、この娘の霊魂を活性化する」
 その説明に、俺は疑問を感じる。
「……そんな事が可能なのか?」
「残留思念を形成する情報を、容易に書き換え出来ない様に強化する為のシステムがある。問題は、そんな力は俺には無いという事だ」
 言っている意味がよく判らない。
「……力が無いって、霊魂を活性化するって事が?」
 しかし、ミノタウロスは首を振って否定する。
「違う。全てだ」
 それはどういう事なのか。
 俺の理解が追い付かないのを感じたらしく、ミノタウロスが説明を付け加える。
「戦闘能力に特化した俺には、そういった力は何も無い。だから、お前がやるんだ」
「――は?」
 また、とんでもない事を言うものだ。
 しかしミノタウロスは、自分の理屈が何も間違っていないと確信しているらしい。
「お前なら出来ると俺は踏んでいる。何せ、あのワルキューレを通して神域にアクセスした人間だ。ならば当然、オリンポスですら俺を通してハッキング出来る筈だ」
 俺は絶句した。
 どうやら前回の戦いにおける俺が果たした役割を、ミノタウロスは感付いていた様だ。
 ミノタウロスの言い分は、確かに理屈としては合っている。
 合ってはいるが、事は言う程簡単じゃあない。
 何の契約関係も無い俺とミノタウロスが意志疎通をし、それを踏み台にしてオリンポスのシステムを探知し、アクセス権限が無い状態から侵入を果たし、外部からリモートコントロールして神の力を稼働させろ、と言うのだ。
 それはつまり、俺が神と同等の事を実行するのと同義だ。
「……出来ないとは言わせないぞ。それをやらなければ、この娘は生き返らん」
 そこまで言われては、躊躇している訳にもいかない。
「……やるしか無いか。自信なんて、これっぽっちも無いぞ?」
「別にそれでも構わん。この娘が生き返らないとしても、俺が困る訳じゃあ無い」
 随分と突き放されたものだが、別にミノタウロスを恨んだりはしない。
「じゃあまずは、アンタの意識と同調する」
「ヤツが迫って来ている。失敗は出来ないぞ」
 言われてみれば、ロキは確実にこちらへと向かって来ている。まだ余裕があるが、俺達の試みがどれだけの時間を喰うか判らない。俺は眼を閉じ、すぐ近くのミノタウロスの存在を改めて認識、思考の共有を行う。
 ミノタウロスのエネルギーに含まれる構成要素の中から、オリンポスとの接続が機能しているプログラムを検索する。エリカであればエネルギー供給がワルハラから行われているので辿り易かったが、どうもミノタウロスに関しては当て嵌まらないらしい。
 それと言うのも、ミノタウロスのエネルギー供給は、このラビュリントスから行われているからだ。そこで気付いたのが、ラビュリントスとオリンポスも繋がっていると言う事実。ならばミノタウロスからラビュリントスを経由し、そこからオリンポスへアクセス出来ないか、という事。
 ラビュリントスへと認識を移行すると、重力制御に使われている中枢の駆動部分が、オリンポスのシステムに連動している事を発見する。ここから先は俺ではアクセス権限が無いので、そのままでは侵入出来ない。アクセス権を偽装する為には、ミノタウロスのアクセス権を装うしか方法は無いが、それにはミノタウロスの神格を知る必要がある。
 それは獣神として骨子となった部分、『水牛の霊』がオリンポスに登録されているので、それを利用するべきだ。何故ならば、『水牛の霊』とは元は地球のコアの情報集合体であるアカシック・レコードと繋がる存在であり、同じくアカシック・レコードに繋がる俺なら『水牛の霊』と同格の存在をこの身に憑依させる事が出来るからだ。
 それは今まで知らなかった事実だが、レラカムイの言葉を思い出す事で導き出された。崎守とは大昔に巫女の力によって、神殺しの刀『一徹』を憑依させたと言える存在。『一徹』もまた、自然界の高位霊である『動物霊』と同格の存在なのだ。
 ならば。
 俺は『一徹』を通して、オリンポスへとアクセスする。『剣の霊』と認識された『一徹』はゲスト扱いながら、オリンポスのシステムに接続された。
 そこから、システムの機能を検索する。データベースの様な閲覧機能から、人間を神域に招く為に使えるプログラムを探す。
 そんな時。
 唐突に俺の意識に、女の呼び掛けの声が響いた。
 (―――――こんにちわ)
 あまりの唐突さに、一瞬だが唖然としてしまう。
 (……何者だ?)
 しかしその声は、俺の問い掛けを躱すかの様に別の話題を投げ掛けてくる。
 (このオリンポスに人間のままで接続してくる人間がいるなんて、驚いているのよ)
 そしてさらにもう一つ、また別の女の声がする。
 (そうそう。でも残念。もう神は残っていないわよ)
 何だかよく判らないが、俺の不正アクセスを咎めている、と言う訳でも無さそうだった。
 (神がいない? アンタ達は何だって言うんだよ)
 その問いに、二人の女の声はしばし沈黙する。どうやら、自分たちの事を話すつもりは無いらしい。
 (なら、別の質問だ。一人の人間を生き返らせたい。その為に神域へと連れて行きたいが、霊魂を活性化する必要があるらしい。アンタ達の正体は知らないが、アンタ達は可能なのか?)
 その質問ならば答える気になったのか、女の一人が声を発する。
 (……難しいわねえ。その娘、死んでるんじゃ、こちらから認識するのは難しいし)
 その女の言葉に、俺は疑問を感じた。
 ――娘などとは、一言も言っていない。
 (……何で、女だと判ったんだ?)
 沈黙が訪れる。
 どうやら気まずいらしい。
 今度は、こちらが沈黙を守ってやる。
 さすがに黙ったままでは埒が明かず、別の女が答える。
 (――なかなかいい感じね、貴方。それに免じて、別の方法を教えてあげる)
 (別の方法だと? ……何だか、担がれている気もしないでも無いが)
 どうも俺は、女達の事を信用出来ない。
 何か、隠している様な気がするのだ。
 (気にしないで。こちらの事情だから。それよりも、貴方の『共有』をその娘に使った方が、手っ取り早いんじゃない?)
『共有』を使えとの指摘に、さらに疑念が膨らむ。
 (……何故、俺の力を知っている?)
 俺は自分の力について、エリカ以外の者に漏らした事は一切無い。ましてや、たった今知り合ったばかりの声だけの存在に、どうしてこちらの持つ力が判ると言うのか。
 しかし女の声は、さして驚きも焦りも無い。
 (そんな事を気にしている場合じゃないでしょ? 話を戻すわね。つまり、『共有』で貴方の方でその娘と認識を共有すれば、貴方の視ているモノが、その娘にも視えるって事でしょ? 違う?)
 (……大方は当たりだとは思う。ただ、人間相手にやった事が無いから本当にそうなるのかは俺も判らない)
 (大丈夫だと思うわよ。死んでるんだから、既にエネルギーと情報だけの存在なんだし)
 エリカ相手に『共有』を行った時は、俺の『心眼』による感知能力の恩恵をエリカも受ける形になった。しかし、それはエリカが神であるから何の不思議も無いだろうと受け入れられたのであり、人間の霊魂が同じ結果を得られるかどうかは定かではない。それに仮にそれが可能であるとして、それを行う前に、もう一つのハードルをクリアする必要がある。
 まずは、霊魂を明確に認識出来るまでに増強しなくてはならない。残留思念を増幅するとなると、エネルギーを扱う能力が必要だ。当然ながら、俺にはそんな力は無い。
 (エネルギー供給が出来ないって言うんでしょ? 平気平気。そこのデカブツなら、そのくらいは出来るでしょ)
 デカブツと言うと、隣のミノタウロスの事だろうか。俺はこちらの様子を、怪訝そうに見ているミノタウロスに声を掛けた。
「何だか知らないが、女の声がアンタに、神足の霊魂にエネルギーを注入しろって言ってる」
 今まで眼を閉じていた俺がいきなりそんな事を言ったものだから、ミノタウロスは仰天した顔でこちらを見る。
「何だそれは――まあ、やれと言われれば出来る。待ってろ」
 そう言って、神足の遺体に両手を置く。
「――ふッ!!」
 それは、内功の気を用いた気功であった。
 気功とは呼気に筋肉の収縮を同調させ、下腹から全身へと、筋肉の膨張と排気によるバイブレーションを発生させる事で大きなインパクトを生み出し、螺旋運動に力を乗せて掌へと導き、遠赤外線に似た波長を発生させる技法である。
 これが何故、健康に良いのかと疑問に思うのは当然だが、例えば電波通信に用いるマイクロ波が脳に直撃すれば害となる。しかし、これが出力の弱いものとなると、遠赤外線が人体に与える効果と同じように、人体の温度を僅かに上昇させて、新陳代謝を刺激する結果と成り得る。気功の技法とは、本来はそのまま打撃に使用すると発勁となり、触れずに使えばただの波長となるのだ。
 ミノタウロスは肉体に触れて使ったので発勁では無いのかと疑問に思うだろうが、威力を抑えて巨大な掌の接触面積を効果的に使ったので、生み出された微弱な衝撃は、全身に隈無く発散される形となった。
 一時的にエネルギーを与えられ、神足の残留思念が拠り所にしていた肉体の温度を通じて、霊魂が活性化する。しかしそれだけではすぐに肉体は冷え、霊魂も霧散してしまう。
 (今よ! 『共有』を始めて!!)
 タイミングを計っていたのか、女の声が的確な指示を俺に与えてくる。俺は先程の女の声とのやり取りの通り、『群の認識』によって、飛鳥の霊魂と思考の共有を開始する。相手が俺と似た様な価値観を持っており、普段から意志の疎通が充分に出来ているならば、『共有』はすんなりと確立される。
 これは例えるならば、野犬の群れに相当する。
 野生の犬は必ず群れで行動し、群れを統率するリーダーの意志は、黙っていても群れ全体に反映される。彼らが無意識的に行っているアナログ的な能力であるが、それをより高度に、より意図的に、デジタルに行っているのが俺の『共有』だと言える。
 情報を強化され、実体化した神足の魂が声を発した。
 (――あれ? 何であたし、寝てるの?)
 その声はミノタウロスにも聞こえたらしく、立ち上がってそれに答える。
「お前は死んだ。今から生き返らせるのだ」
 しかし目の前にいるのは、神足にしてみれば化け物。驚愕の表情でその場から飛びすさる。
 (うわ! 牛男!!)
 自分が死んだ事よりも、ミノタウロスの圧倒的な威圧感に驚いたらしい。
 そこで、例の女の声がする。
 (それでいいわ。じゃあ、ミノタウロスの旦那に門を開けてもらって)
「門を開けろって言ってる」
 俺の言葉に、ミノタウロスが妙な顔をする。
「……どこのどいつか判らんが、案外、俺が知っているヤツかも知れんな」
 (……うはっ)
 ミノタウロスの推測が当ったのか、もう一人の女が呻く。どうやら、こちらの状況を見ているらしい。
 しかし、そんな時だった。
 俺の感覚域に、巨大なエネルギーの接近が感じられた。
「……まずい。時間を掛け過ぎたのか」
 どうやらトラップを抜けたロキが、猛スピードでこちらへと向かって来ていたらしい。俺の言葉を聞いたミノタウロスが、前へと出る。
「……ここは俺に任せろ」
 有り難い申し出ではあったが、俺は不吉な予感を感じてミノタウロスに声を掛ける。
「……ヤツの保有エネルギーは1億、アンタは500万を切っている。いくら何でも力の差が大きい。ヤバイと思ったらオリンポスに逃げてくれ」
 それを、どんな気持ちで聞いたのかは判らない。ミノタウロスは不敵に嗤うと、構えを取った。
「ふん。いらん世話だ。力の差がある敵と戦えるからこそ、面白い」
 そして、門が独りでに開き始める。
「さあ、行けッ!!」
 その声を受けて、俺は神足の霊魂に語りかける。
「飛鳥、俺に付いて来い」
 門の中へと飛び込んだ俺に、神足は理解が及ばないながらも声を発して後に続く。
 (こらッ! 説明しなさいよッ!!)
 死んでいるのに、相変わらずであった。


第五話・妖鳥乱舞
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