Sick City
第一章・学園編入

 バタバタと風を切る音に、砂煙。
 そして、耳障りなローター音。
 朝の学園風景にしては、現実感が伴わない光景だった。
「おはようございます〜」
 どうして学園の校庭に民間ヘリが着陸しようとしていて、どうしてそこから、ウチの学園の制服を着たエリカが降りてくるのか。
 男子が一般的な学ランなのに対して、女子の制服はかなり凝ったデザインを採用しており、生徒の要望を取り入れた結果、いくつかのバリエーションを持ったものになっている。三年生を示すワインレッドのネクタイにベージュのブレザー、下はやはりダークブラウンのプリーツスカートが基本だが、着用率で一番多いのはミニスカートだ。
 しかし、エリカの着用しているのは膝下まであるロングスカートであり、いくつかシームの入ったプリーツと、オールドスタイルな印象を与える腰の膨らみからして、特注のデザインなのでは無いかと思われる。さらに足元を見ると黒いロングブーツを履いており、春先でまだいくらか肌寒いとは言え、季節外れな気もする。
 始業10分前のこの校庭に、多くの学校関係者と朝の部活動で校庭を使っていたと思わしき運動部の生徒達が、唖然とした顔でエリカを見ていた。
「ば、ばかやろう!!」
 泣きたい。
 そんな気持ちを込めて、エリカの頭を平手ではたいた。
「あいた」
 目を瞑って肩を竦めるエリカ。
「……こんな女だったのか」
 否応なく注目を集める俺達。
 眩暈でもしそうな気分に、思わず指で目元を押さえる。朝の早い時間にいきなり何処かへ出掛けて行き、学園に登校した俺の携帯にメールがあったのがつい先程。
『校庭にてお待ちを』
 何で校庭なのか全く判らず、しかし無性に嫌な予感がして急いで校庭に出たのだった。東の空から何かが飛んでくるのを見た時、今日一日、平穏とは無縁になるな、と妙に冷えた頭で考えていた。そんな俺の気分などお構いなく、エリカは手を振ってヘリのパイロットに合図を送った。
 離陸していくヘリ。
「普通の人間として生きたいんじゃなかったのかよ……」
 俺が頭痛を感じながらも言った一言に、エリカは不思議そうな顔をする。
「何かおかしいですか?」
 ――駄目だ、判ってねえ。
「……そりゃ、とんでもない金持ちなのは判ってるけどな。なんでヘリで学校に来るんだよって思う訳さ」
 しかし、本人はそれが当然のような顔をする。
「いえ、教授の追跡調査を行ってる関係で先程まで都内にいたものですから。少し高いタクシーだったかも」
 経緯は判るが、値段の話なんてしていない。御空はエリカを天然だと言ったが、今なら言える。
「……天然かよ」
 やはり金持ちの類いというのは、常人からかけ離れた思考を持っているらしい。そんな俺達のやり取りが一段落したと判断したのか、眼鏡を掛けて七三分けの髪形の中年の男と、スーツ姿の女性が俺達の元に駆け寄ってきた。
「何なんだ、キミらわあッ!!」
 顔を紅く染めて、怒りと困惑の顔で怒鳴る。しかしその男をなだめるかのように、隣の女性が話しかける。
「教頭センセ、留学生が来るって張り切ってたじゃないですか」
 その言葉に、教頭と呼ばれた中年男性はポカンと口を開けて、しばし無言になった。
「……あーよく見ればウチの制服だな! おはよう!! ――ってそんな事を言ってるんじゃない!」
 一人で納得して、一人で怒っている。
「おはようございます。本日から留学させていただく、エリカ・シュタインメッツです」
 隣のエリカは一応挨拶を返していたが、その言葉は耳に入っていないだろう。
「……忙しい人だなぁ」
 俺は思わずそんな事を言ってしまったが、それが彼の注意を惹いた様だ。
「キミは運動部では無いようだが、何だね。いきなりナンパでもしてるんじゃないだろうね」
 もしもし、思考がぶっ飛んでませんかあなた――などと言える筈も無く、俺はスーツ姿の女性の方を見た。
「おはようございます瀬川先生」
 教頭を無視して軽く手を上げ、その女性に声を掛ける。
「おはよう崎守君。彼女、貴方の家にお世話になってるのよね?」
 俺の挨拶に答えた彼女は俺のクラス担任、英語教師の瀬川里美先生である。
 セミショートの髪形にタイトなスカートのスーツ姿。歳は30手前だろうが、ウチの学園で一番の美人教師として憧れる男子は多い。教頭は、瀬川先生の言葉に頷いた俺とその隣のエリカを交互に見るが、やがて俺に対して何か思い至る所でもあったのか、いきなり笑顔になって捲し立てた。
「そうそうそうだ! 崎守君で思い出したが、さっきのヘリコプターはアレかね。キミのお爺さんのコネかね!?」
 どうも勝手な解釈で、爺さんが防衛庁の上層部の人間だったものだから今さっきのヘリと結びつけたらしい。
 説明面倒くせえからいいか。
「あ〜、そういう事ですから。取り立てて何も問題は無いので、まずは職員室にてご挨拶でも」
 ウチの爺さんは全く関係無いのだが、どうせバレやしないし、バレても問題は無いとも思うし。
 何とか矛先を変える事が出来たので内心ホッとしたが、初日でこれでは先が思いやられると、少しだけげんなりした。




 エリカの非常識ぶりは続く。
 職員室にて教職員全員を前に挨拶を済ませたところ、宅配便が届いたので受け取りに出ていた女性事務員が入ってきた。
「なんか、トラック数台分のベルギー産高級チョコレートなんてものが届いたんですが」
 そう言って教頭に伝票を見せたところ、妙な間が生まれた。
「……え〜とその、何だねエリカ君。そのチョコレートをどうしろって言うんだね」
 言ってる意味がよく判らず、俺は隣のエリカを見た。当のエリカはにっこりと笑みを浮かべて、口に手を当てていたりする。
「これからお世話になる教職員の皆様方や、生徒の方々へのご挨拶代わりとでも申しましょうか、ほんの気持ちですので、どうか全校生徒を含めた全ての方にお配り下さい」
 何という事は無いという態度に、その場の全員が唖然としてしまった。
 やばい。
 スケール違い過ぎる。
 あまりの事に頭が真っ白になってしまったが、次の瞬間には思い切りエリカの頭を手で叩いた。
「あいた」
「非常識もここまでやれば気持ちいいだろうなあオイ表出ろこのヤロウ」
 俺が叩いた理由が判らないのか、エリカは手で頭を抑えて首を傾げていた。
「日本の方はこうして、お近付きの印として菓子折りの中に、心付けを忍ばせてお代官様に献上するとか」
「お前は悪巧みでもしてんのか」
「いえいえ、そんな事は。ただ、郷には入っては郷に従えとも言いますし」
「……その偏った日本の知識を何処から学んだのか、容易に想像が付く」
 あくまで普段通りといった物言いに、さらに不安を感じてしまう。これが人間として、通常のエリカなのだとするならば、平穏な日常など何処にも無くなるのでは、と。




 結局その後、電話で校長と相談してチョコレートの配付を決めたらしく、各クラスの生徒が何人か呼ばれて段ボールを抱えて行った。
 エリカは俺と同じクラスに編入されるらしく、ホームルーム中に紹介されるとの事で、先に俺だけクラスに戻った。早めに登校していた筈の俺がやっと戻ってきたのを見て、訝しんだ友人が近寄ってくる。
「おう、何処行っていたんだ?」
 声を掛けてきたのは俺が所属する洋楽同好会の会長、佐伯龍太郎だった。長めのウェーブヘアーを脱色しており、洒落た感じの丸眼鏡がトレードマークだ。
「お姫さまの支配する不思議の国に」
「何だそりゃ。それより校庭にヘリが降りたとか、さっき運ばれてきた段ボール箱はまさか爆弾かとか、いろいろ物騒な話題で持ち切りだぞ」
 何だか、物凄い誤解が生まれているらしい。
 そんな話をしていると、背後に不穏な気配を感じた。誰が後ろに立っていて何をしようとしているのか、全て『心眼』で判っていたが、日常では普通の人間を装って生きてきたので、敢えて気付かない振りをする。
「不思議の国とか、朝から何をメルヘン気取ってるのよ」
 不機嫌丸出しの女の声に、隣の龍太郎が震え上がる。
「神足か。おはよう」
 背後を振り返ると、膨れっ面をして踏ん反り返った神足飛鳥が立っていた。
「朝練するって決めたのは、アンタだったんじゃなかった?」
 不機嫌極まりない顔で追及してくる神足。
「ああ悪かった。音合わせの約束すっぽかしちまったな」
 俺がいつもより早めに登校したのは、神足と今やっている曲作りを進める為だった。洋楽同好会は所属するメンバー4人がそのままロックバンドであり、今朝は皆で揃っての練習を行う約束だった。もう一人のメンバーはクラスが別なので、大概は放課後にならないと顔を合わせないが。ちなみにもう一人は、ダンスミュージック好きなドラマーにして真正のオカマという、微妙なヤツだったりする。
「風月堂のクリーム餡蜜」
「――は?」
 唐突に出された単語が理解出来ず、思わず聞き返してしまう。風月堂とは駅前の甘味処で、この学園の女子生徒には人気のスポットだ。神足は洋楽同好会のメンバーで紅一点であり、音楽の趣味はある程度一致してはいても、普段の寄り道などは別になる。だからその単語一つで何をさせようとしているのか、見当も付かなかった。
「この唐変木。驕れ、っつてんの!」
「判った。いくらだ?」
 俺は財布を手にして中身を確認する。
「いくらだったっけ……そうそう確か550円、ってアホかーッ!!」
「ノリツッコミかよ」
 冷静な龍太郎のツッコミをスルーした神足は、俺の手を勢いよく叩いてから、俺のこめかみを両側から拳骨でぐりぐりと挟み込んだ。
「いっしょに〜・いかなきゃあ〜・いみ〜・な〜い〜・でしょお〜!!」
「いてててて」
「……例えるなら、湾岸戦争で金だけ出して文句言われた日本の立場みたいなもんか」
 龍太郎が微妙な例えでフォローを入れる。
「……そうか、軍事力か」
「……馬鹿?」
 俺と龍太郎の受け答えが微妙にズレていたからか、神足は手を放すとこちらを睨んだまま、不貞腐れた様な顔で呟く。
「今日は練習する気になんない。って言うか、ず〜っと練習する気無くなった」
 そんな事を言って、こちらを恨みがましくジト目で睨んでいる。
 神足は去年の学園祭前から洋楽同好会に入ったのだが、時々何かの理由で機嫌を悪くしては、しばらく顔を出さなくなる事が多い。何故か俺以外の人間が説得しても聞き入れず、そうなった時には必ず俺が、何処かに付き合わされる事になる。この前のクラブも機嫌の悪くなった神足が、無理矢理に俺を付き合わせたのだった。
「……はあ、またか。俺を困らせて楽しんで無いか?」
 実は神足が入部してから、既に十数回はご機嫌取りをやらされている。俺が苦い表情をしたのが気になったのか、憮然としていた神足の顔に一瞬だけ焦りが滲み出る。
「――だから。放課後付き合ってくれるんなら、今後はやる気出ると思うんだけど」
 段々と弱々しくなった口調から察するに、悪乗りが過ぎたと思ったのだろう。元々この女は気難しいところがあり、入部する以前はクラスの中心グループのリーダー格であったという、少々付き合い辛い存在であった。
 端的に言えば、『荒れていた』と言ってもいい。
 そんな神足がグループを抜け、こうして俺達と一緒にバンド活動をするようになったのだが、今でも少々ささくれ立ったところが目立つ。
 神足が荒れていた原因を俺は知らないが、俺達と行動する様になって性格的に丸くなってきたと感じているので、たまに起こるわがままにも都合が付けば付き合っても特に問題にはならない。
「……仕方ないな。その代わり、明日から練習だぞ」
 諦めたような俺の一言を聞いて神足の顔が一瞬緩むが、すぐに憮然としたものに変わる。
「判ってるよ。練習はちゃんとやるから。約束破ったり、無視したりしなきゃね」
 そこで話は終わりとばかりに、神足は自分の席に座った。俺の席は窓側の一番後ろにあり、その右隣が神足の席だった。そろそろホームルームが始まる時間に差し掛かったので、俺も自分の席に座る。
「んじゃ今日は練習休みか。それなら彼女連れて遊びに行くわ」
 龍太郎が自分の席に向かう擦れ違い様に、そんな事を言った。龍太郎とは中学時代からの付き合いなので、本人の交友関係もある程度知っているのだが、中学の頃に同じクラスだった女と付き合っている。彼女の方は別の学校に進んだので近況は知らないが、今でもちゃんと付き合っている様だ。
 一分も経たない内に教室の前の引き戸がガラガラと音を立てて開き、出席簿と学級日誌を手にした瀬川先生が入室してきた。今日の日直らしい女子の声で全員が席を立ち、朝の挨拶をする。挨拶を返した瀬川先生が、皆を見回してから口を開く。
「今日は、予てよりお知らせしていた留学生がやって来ました」
 その一言で、クラス中が騒然となる。
 留学生が来ると言う話自体は皆知っていたが、それが何時になるのかは知らされていなかったのだ。
 先生は扉を開けて、廊下に待機していたエリカに声を掛ける。教壇へと戻ってきた先生の後ろに従う金髪碧眼の制服姿に、クラス中からどよめきが沸き起こる。先生に促され、エリカが口を開く。
「本日付けでお世話になります、エリカ・シュタインメッツです。これから卒業までの1年間、皆さんよろしくお願いします」
 挨拶を終えてお辞儀をするエリカだったが、顔を上げた目線が俺を捉え、にっこりと微笑んだ。




 ホームルームが終わってエリカに用意された席は、身長を考慮した結果、神足の後ろになった。本来は、男女交互で身長を加味して決められた席順だったが、一人の為に今までの席順を崩せる筈も無いのと、エリカの身長が女子としては高いという事で、エリカより背の低い、神足の後ろの最後尾の席になったのだった。
 授業開始前の10分も無い時間帯にも関わらず、エリカは大勢の生徒に囲まれて質問攻めに遭っていた。俺は教室の後ろに避難していたが、自然と神足と龍太郎が寄ってきていた。
「まあ、あの外見じゃあ人が寄ってくるわな」
 以外に興味無さそうな龍太郎が、冷ややかな一言を口にした。さすがに彼女持ちの身では手放しに喜ぶ訳にもいかないのだろうし、そもそも龍太郎の彼女は可愛らしい感じなので、単に趣味では無いのかも知れない。
「なんだか社交的な感じだね。ドイツ人って、もっと気難しい感じだと思ってた」
 神足の感想は、俺も感じていた事だった。
 多くの日本人がドイツ人に抱くイメージと言えば、偏見かも知れないが、頑固で融通が利かず、生真面目な国民性を思い描く者が多い。表面的に見ればエリカは人当たりが良く、協調性があるように見える。しかし、一貫して丁寧な言葉遣いを意識的に選んでるような節を感じるし、その通りだとすれば、頑固さや生真面目さの一端が垣間見えるというものだ。
 教室の後ろに引いた俺達を他所に、話し好きな一人の女子が新たな質問をしていた。
「ホームステイしてるんだ。何処に住んでるの?」
 その質問に正直に答えられると、色々と困る。
「――それはまあ、秘密という事で」
 だがエリカもそれは理解しているらしく、言明を避けていた。今度は猥談好きで、女子からはよく白い目で見られている男子生徒が目を輝かして質問に入る。あいつは確か、神足のいた中心グループにいるヤツだ。
「まだこの街の事よく知らねえだろ? 放課後になったら俺らが遊べるスポット案内してやるよ」
 よく見るとその男子生徒の周りには何人か、以前にとあるクラスメイトを苛めていた連中がいた。
 男は3人、女が2人。
 神足が抜けた後はイジメは自然消滅したらしいが、クラスの半分は彼らに気を使っている節がある。それというのも彼らが狡猾で、教師受けは良いし表立って悪意を見せる事など滅多に無いので、目を付けられるような目立つ行動をしないようにと、皆が気を使っているのだ。
 だが俺や龍太郎の様に、始めから周囲に対して距離を置いている存在を疎ましく感じているらしく、連中は俺達とは滅多に話をしない。既にお互いの暗黙のルールがあり、両者共に自分の領域を侵す事さえ無ければいいので余計なちょっかいを出さない、という感じの距離の置き方になっている。
 だが、そんな事をエリカが知っている筈も無い。一方的な誘いにどう対処するのかと思って見ていると、にっこりと笑顔で返答した。
「いえ、遊べる場所には興味がありませんので、校内の案内などをお願いしたいのですが」
 明確な拒絶と、それに代わる対案。
 やはり、エリカは自己主張が弱い訳では無い。それを聞いた男は一瞬顔を引き攣らせたものの、すぐに笑みを顔に貼り付かせて応じた。
「おっけおっけ。じゃあ昼飯一緒に喰って、それから案内してやるよ」
 さすがに素直に諦める事は無く、ちゃっかりと昼飯の約束を織り交ぜている。エリカもさすがに、これ以上の拒絶はいらぬ軋轢を生むと判断したのだろう。崩れぬ笑顔で了解していた。
 それを見ていた龍太郎が、あちらに聞こえないように小声で話しかけてくる。
「あちゃ〜。奴らに目を付けられちまったか。連中、なんでも『俺ルール』を適用したがるからな」
 言いえて妙、とはこの事だろう。
 俺達とは反りが合わないのも、連中の価値観にこちらが合わせないのが一番の要因であるだろうし、そういう意味ではエリカの外見的な部分が連中の目を曇らせているとも言える。
 基本的にエリカという女はさすが『神』を名乗るだけあり、人間を遥かに超越した自己を確立している。そんな存在が、連中の価値観と出会えるのだろうか?
「俺達も、あいつらとは色々あったからなぁ……」
 俺も神足も複雑な面持ちで黙っていると、龍太郎は感慨深げにそんな事を漏らした。グループから抜けた神足が、すんなりと俺達と仲良くなったなどという事がある筈は無く、今に到るまでに色々とトラブルがあったのは当然の成り行きだった。今でも思う所がある神足にしてみれば、今の一言はそれなりに効いたようだ。
「――色々と、悪いとは思ってるわよ」




 滞り無く授業は終わり、その間にエリカと話をする事は無かった。エリカはずっと興味本位で近寄ってくる連中の相手をさせられていたし、俺は本を読んだり、携帯音楽プレイヤーで音楽を聞いたり、或いは龍太郎と神足の話相手になったりといった感じだったのだ。
 ただそれが良く無かったのか、エリカが強烈なストレスを腹に溜めていた事は感じ取っていた。とは言っても『神』なのだから、その程度でどうにかなるような女では無いだろうと高を括っていたのも事実。
 放課後になって、神足が俺の腕を引っ掴んで、半ば無理矢理引き立てられようとしていた時だった。
「――ん?何よ」
 俺を引き連れようとしていた神足の前に、エリカが笑顔で立っていた。確か先程まで、例のグループから遊びに誘われていた筈だったが、エリカの背後で連中が帰り支度をしているのを見ると、どうやら誘いを断ったらしいと判る。
「帰りましょうか、レイジさん」
 エリカの放った一言は、クラス中の視線を集めるのに申し分の無い威力を発揮した。あんぐりと口を開けて、驚愕の表情を浮かべた神足がエリカと俺を見比べる。
「……あ〜、あれ? あんた達って今日、会話したっけ?」
 それは当然の疑問だろう。
 今日一日、何も接触が無かった両者だ。
 それが口振りからして、以前からの知り合いらしいと容易に想像が付くのだから、混乱してもおかしくは無い。こういう時は二人を振り切って龍太郎と帰るに限る、などと思ってはみたが、既に龍太郎の姿は無かった。
「……兎に角、外に出よう」
 俺は二人の顔も見ずに廊下へ出ると、二人とも微妙な表情で大人しく付いてきた。擦違う生徒達がエリカを物珍しそうに振り返る中で、神足が俺の横に並んで口を開いた。
「風月堂、行くんだよね?」
 しかし、神足の反対側から俺の横に並んだエリカが口を挟んでくる。
「情報が集まってきましたので、今後の方針などについて話し合いたいのですが」
 どうやらエリカは野次馬連中の相手をしていただけで無く、情報収集の方もしっかりとやっていたらしい。優先順位から言えばエリカの件なのだが、約束した手前、神足の誘いを無下に断る訳にもいかない。どうせ変な勘繰りをされてしまうのなら、エリカとの相談に神足が同席した方が色々と手間が省ける。
「風月堂って言う甘い物の店があってな。一緒に来ないか?」
 俺がそう言うと神足は明らかに不満げな顔をし、エリカはそんな神足を見た後で僅かに首を傾げた。
「いいんですか?」
 おそらくは、邪魔になるのではと言う気遣いをしたのでは無く、話を聞かれていいのかと問うてるのだ。
「大丈夫だ。信用していい」
 神足は口は悪いし、イジメをしていた時期があるくらいだから過剰な加虐性もあって、決して誰からも好かれる様な人間では無いが、自己を反省する素直さもあるし、何よりそんな自分を恥じており、信じた人間に対して裏切る様な真似は絶対にしない。
 俺や龍太郎と仲良くなったのも信用から来るものであり、俺とエリカの話を聞いて、それを誰かに言いふらす事は無いだろう。対して神足の方は納得がいかない様で、訝しげな顔だった。
「……む、別にいいけど」
 考えてみれば神足とエリカは、まだまともに口を聞いた事が無い。どんな人間なのかお互い判らないからか、距離を取って牽制し合ってる気がする。
 何やら不穏な気配すら漂う両者に挟まれたまま、俺は昇降口へと向かった。




 学園から少し歩くと古風な造りの店構えがあり、俺達は揃ってそこに入った。道を見れば学園の生徒達が歩いているのが見えるので、席は道から死角になっている奥の方を選んだ。
 俺と対面する形で神足が座り、その隣にエリカが並んで座る。注文を取りにきた和装の店員に注文を告げ終わると、エリカが横に座っている神足を見詰めて手を差し出した。
「貴女の名前を知りませんので、まずは自己紹介から」
 神足は差し出された手を見て少し躊躇ったが、それを断る訳にもいかず、手を握り返して口を開いた。
「神足飛鳥。零二と同じ洋楽同好会で、一緒に活動してる」
 初めての挨拶としてはどうかとも思うが、多少の照れがあるのだろう。エリカも特に気になってる訳では無いようで、握手をして話を続ける。
「私の名前は既に知っていると思いますから、貴女の疑問を解消しましょう。実はレイジさんのお宅にホームステイしてまして、お互いの祖父同士が知り合いでもあります」
 まあ無難な説明だと思うが、神足にしてみれば、ちょっとした驚きだった様だ。
「――え? じゃあ、あのでっかい武家屋敷に住んでるんだ」
「驚くポイントがずれてないか」
 俺が思わずツッコミを入れると、神足はこちらを純粋な興味の目で見た。
「だってさ、零二の家って前から思ってたけど、凄く立派だから。羨ましいなって」
 どうやら今まで不審を抱いていたのが、違う興味によって一番話題にしたい事が変わってしまった様だ。
「と言う事は、御空ちゃんとも面識があるんだ。あの子、面白いでしょ」
 妹の御空とは当然の事ながら学年が違う訳だが、神足と御空は馬が合うらしく、たまに一緒に遊んだりする。多分だが、神足にとって同性で一番仲の良い友達は御空なのだと思う。エリカとの共通の話題に成り得るから出てきたのだろうか。
「裏表が無くて話しやすい子ですからね。おかげでお家の方でも退屈しないで済みそうです」
 そんな事を話していると、注文していた物が運ばれてきた。神足とエリカはクリーム餡蜜、俺はどら焼きが二つだった。俺のどら焼きを見た神足が、ぼそりと呟く。
「相変わらず渋いねぇ」
 それぞれが注文した品を口に入れ始める。しかし、そんな話の流れとは無関係の事を言った為か、本来聞きたかった事を思い出したようだ。はっとした表情の後、俺を真剣な顔で見詰めて口を開く。
「まあ疑問は解消したけどさ。なんか、昨日今日の間柄って感じじゃないような気がするんだけど」
 おそらく俺とエリカの短いやり取りが、むしろお互い事情が判り合っているから言葉が少ないのではないか、と感じたのだろう。俺はどら焼きを一つ食べ終え、湯呑みの中の熱いお茶を啜ってから返答した。
「それはエリカの用件を聞けば判る」
 そう言って、エリカの眼を見て話すように促す。
 当のエリカは、丁度クリーム餡蜜に入っていたサクランボを口に入れていたところで、種を紙ナプキンに吐き出すと話を始めた。
「まず遺跡発掘の件ですが、教授が行方不明の為に実質作業が中断しているとの事なので、そちらに関しては大きな動きはありません」
 教授は現場責任者だろうから、この話は当然の事だと判る。神足を見ると、何とも複雑そうな顔をしていた。
「……いったい何の話をしてんの、あんた達は」
 俺とエリカはそれには答えず、そのまま話を進める。
「修験道のウェッブコミュニティがいくつか特定出来まして、その一つの『五行会』と名乗る組織の幹部に、叶さんらしき人物の記述がありました」
 どうも神足は自分に全く関係の無い話をされて、機嫌が悪くなっているようだ。無視されたくないと言った神足の事を考えて、少し話を向けてやった方がいいか。
「聞いても判る通り、行方不明だとか組織だとか、不穏な単語が出てくるだろう? あまり表立って話の出来る内容じゃないんだよ」
 俺が神足に話題を振った事で、エリカも話を中断する。難しい顔をしていた神足は、スプーンを掲げてぷらぷらとさせながらも、真剣な顔で聞いてくる。
「結局、二人はどういう関係な訳? 二人で何してんのよ」
 俺は少し考えてエリカの顔を見る。するとエリカは、首を傾げてぽそっと呟いた。
「敢えて言うならば、運命共同体というのが一番近いかも知れません」
 それがどんな意味なのか図り兼ねるのか、神足はなおも聞き返してくる。
「何なのよ、それは。まさか付き合ってるって事?」
 その言葉に、エリカはちらと俺を見る。
「そうならそうと、はっきり言うさ。エリカとは、同じ目的と価値観を共有する間柄だな。一緒にやらなきゃならん事があるんだよ」
 それでも神足は納得がいかないのか、一度エリカを見やってから、すぐに俺を見て口を開いた。
「そのやらなきゃならない事って何なのよ」
 結局は、その疑問が最後まで残ってしまう。俺は神足の眼を真剣に見詰めて答えた。
「口で言っても信じられない話だ。命の危険もある。だから詳しくは教えられない」
 こんな言い分で素直に退いてくれるとは思えないが、まさか神足を巻き込む訳にはいかないし、その理由も無い。神足は難しい顔で俺から眼を逸らし、何やら考え込む。
「……前々から世間離れしたところがあるって思ってたけど、今回のはちょっと話に付いていけないよ」
 ようやく口にした言葉は、渋々といった感じで搾り出したものだろう。常識的に考えて、ただの学生がやれ命の危険だ何だと言っても、容易に信じられる内容では無い。
「だろうな。命のやり取りをしてますと言われて、はいそうですかとなる訳が無い。俺が言いたいのは関わったら危険だ、って事だ。俺とエリカの事は追及しないで欲しい」
 俺の話を吟味するように聞いていた神足だったが、最後の追及しないで欲しいという言葉を聞いた時、何故だか物凄く哀しげな顔をした様に見えた。しかしそれも一瞬の事で、今度は怒りを抑えているかの様な顔でこちらを睨んだ。
「……何で、そんな話をあたしにしたのよ」
 神足の言ってる意味がよく判らない。今度はこちらが戸惑う番になってしまったが、俺は思っている事を正直に口にした。
「龍太郎は俺が何をしているかとか聞かない性分だが、神足は知ろうとするだろう? いつまでも誤魔化せるとは思えないし、危ない目に合わない内に釘を刺しておくべきだと判断した」
 だが何がいけなかったのか、神足は静かな口調ながら反論を返す。
「そういう事を言ってるんじゃないよ」
 少し間を置き、エリカの顔を見て呟く。
「……騙すんだったら、もっとマシな嘘を付いたら?」
 どうやら、俺達が茶番を仕掛けてるとでも思ったらしい。しかし、それを否定したところで到底信じてもらえるとも思えず、俺は無感情に答える。
「そういう反応もやむを得ないか」
 判って貰おうと考えた、俺が浅はかだった。出来れば自分の日常だけは守りたいと思っていたが、そろそろ覚悟を決めておいた方がいいのかも知れない。
 俺は諦めの心境で、神足の顔を見た。
 そんな俺の顔を神足は冷静に見詰め、いくらか押し殺したような声を出した。
「……もういいから。あたし帰る」
 それだけを何とか口にして、神足は足早に店を出て行った。今まで成り行きを黙って見ていたエリカが、こちらを申し訳無さそうに見ていた。


第四話・風神伝承
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