Sick City
第二章・半神半人

 ――ヘリというものに、初めて乗った。
 エリカをバックアップする目的で急遽集められた、その道のプロフェッショナル達で構成された特別チームとやらがあるらしく、彼らの調査能力によって、富士山の麓に『五行会』が活動している場所があるのだと言う事だった。
 その情報を受けて、夜を待たずヘリで富士山へと向かった訳だが。
「フジが赤いねぇ! まるで浮世絵の世界だねぇ!」
 朝のグラウンドで見たヘリのパイロットが、夕焼けに赤く染まった富士山を見て興奮していた。サングラスをかけた30代位の白人男性で、自己紹介された時にアルと名乗った。
「アルは日本好きが高じて、今では日本で仕事をするまでになってしまったんですよ」
 俺と一緒に後部座席に座っていたエリカが、俺を見て嬉しそうに言う。彼女も日本文化が好きだと言う話だったので、同じように日本好きのアルの存在が嬉しいのだろう。
「在日米軍にいた時に、フジの自衛隊演習場に何度も行ったもんさ! でもフジはいつ見てもいいもんだねぇ」
 アルは元米陸軍の攻撃ヘリのパイロットだったそうで、何故か今は日本で民間のヘリパイロットをやってるとの話だった。操縦席のアルの隣に座った黒人の男が、アルの楽しそうな顔を見てむっつりとした顔で口を開く。
「……太陽に向かって飛んでいるんだ。着陸ポイントを間違うなよ」
 こちらの男はかなり大柄な人物で、がっしりとした体形からかなりの強者であると想像が付く。名前は本名では無く、コードネームみたいなものだと思うが、単にフェニックスとしか名乗らなかった。
 キャップの下の髪の毛はおそらく五分刈り、右目には眼帯を付けていた。こちらも在米陸軍の特殊部隊出身だそうで、現在はミクロ・ジーメンス傘下の総合セキュリティソリューションの会社で、チーフアドバイザーという肩書きを持っているらしい。
 どういった経緯でドイツの老舗の総合電機メーカーと、元米軍人に繋がりがあるのかと疑問に思ったものだが、アルはドイツ系移民二世との事で、彼らには彼ら独自のコミュニティーがあるのだと言う。フェニックスの方はそういった人種や民族的なメンタリティとは無関係で、単純に職場環境や待遇面、個人的な友人関係などでミクロ・ジーメンスの子会社に満足しているのだと言う。
 真面目極まりないフェニックスに、アルはやれやれといった感じで答える。
「相変わらずお前さんは堅いねえ。相手はアマチュアなんだから、余裕を持って行こうじゃないか」
 しかし、フェニックスは表情を変えずに下をちら見した。
「そういう事じゃない。我々は日本の警察を通さずに行動している以上、事故は絶対に起こせない。平凡なミスこそが命取りだと言ってるんだ」
 特別チームの責任者であるフェニックスとしては作戦上の問題というよりは、事後処理にかかる手間の方が問題なのだろうか。
「そりゃそうでしょうがね――っと、そろそろだ」
 アルはヘリの高度を落としていき、着陸ポイントに近付いていく。やがて降り立った場所は富士山一合目に近い場所で、枯れ木が立ち並ぶ荒涼とした印象の大地だった。
 俺とエリカ、それにフェニックスがヘリから飛び降りる。
「アルは現場待機だ。5時間経っても戻らなかったらコールしてくれ。後はマニュアル通りでいい」
「ラジャー、って俺すっげえ暇じゃねーか」
 アルの愚痴を華麗にスルーして、フェニックスが俺達に向き直る。
「対象のコミュニティは、この先にある閉鎖された神社を人知れず手を加えて活動拠点にしている。神社の周囲には警戒装置や罠が置かれている可能性があり、それらを発見する為に、私が先頭を務めるがいいかね?」
 俺とエリカは黙って頷いて同意した。あくまでアマチュアな俺達よりは、プロであるフェニックスに任せた方が間違いは少ない。
 俺の『心眼』は対人索敵には最高の能力を持つが、対物に関しては不安が多い。例えば罠が仕掛けられていたとして、物体そのものを感知する事は出来るが、罠の種類などは専門知識が無くては判別が難しい。そういった知識を持っていない以上、罠を罠と見抜けるかどうかは別問題であり、知識のあるフェニックスで無くては意味が無いのだ。
 とは言っても、フェニックスのやる事はきっと今後の為になる。これを機会に勉強させて貰おうと俺は考えていた。
「それでフェニックス。相手の人数とか素性はどの程度判っていますか」
 真剣な面持ちで、フェニックスに質問をするエリカ。機内で軽くミーティングは済ませてはいたが、相手の情報は何も聞いていないに等しい程に少ないものだった。
「……さて、相手がアマチュアな以上は規模の特定は難しいんだが……少ない情報からそれでも絞り込むとするならば、せいぜい10数人規模、戦闘能力がある者は限られるだろう」
 難しい顔で考えながらもとつとつと語るフェニックスだが、別に不安を感じているような節は感じられない。ヘリを待機させ終えたアルが、こちらに向かって口を開く。
「きっとニンジャがいるぜ」
 思わずずっこけそうになるが、アルの顔は以外に真剣なものだった。
「まさか――とは言い切れないか」
 俺は否定しようと思ったが、途中で曖昧な受け答えになってしまう。そんな俺を、不思議そうな表情でエリカが見詰める。
「……レイジさんのそういう曖昧な反応は、初めて見ますね」
 確かにエリカの言う通りで、俺は普段から曖昧な答弁になりそうな時は、ハナから何も言わないと決めている。
「いや、修験道と忍者は無関係とは言えないんだ」
 それがアルの興味を惹いたのか、今度は嬉しそうな顔で聞き返してくる。
「うほ! やっぱりニンジャいるのか? 俺も行きたくなっちまうじゃねえか」
 俺の言い分に興味がある訳では無いだろうが、アルを無視してフェニックスが口を挟む。
「ニンジャなんていないと思っていたが、いるとするならば相手はセミプロだと考えた方がいいな。ニンジャはサバイバル技術に長けた戦闘集団だったと聞くからな」
「そこが関係しているんだ。山岳信仰の修験道は魔術的な技能はおまけみたいなもんで、本来は自然の中で生き残る術を重視していたらしい。ニンジャにしてもただの戦闘集団では無く、忍術という技術によって様々な状況への対応力を身に付けている」
 実際はどうなのか判らない話だが、両者に共通点が多いのは事実だった。必ずしも同一視は出来ないだろうが、両者に何かしらの接点があったと考えるのが自然だろう。そういった事を踏まえると、現在は事実上滅んだ存在である双方が復活したとして、それが混在していてもおかしくは無いだろう。
「でもこっちにはなんつっても、神様がいるんだからなぁ」
 アルは軽口を叩いてエリカを見る。
 その態度は、神様を相手にしているとはとても思えない気軽なものだったが、この場でそれを気にする様な者は誰一人いないのだから問題では無い。今のアルの言葉から、彼らはエリカの正体を知らされている事が判る。
「お嬢さんの心配はしていないが、教授の心配はしなくてはならないだろう。そして、彼らを殺さずに済ませる手際も心配しなくてはならない。意外に難しいと思った方がいいぞ」
「へいへい。ま、実際動くのはお前さんで、俺は待機だから関係無いし」
 フェニックスの説明口調に、アルは何処までも軽口で返す。それが何とも滑稽に思えて、俺もエリカも互いに顔を見合って苦笑いした。




 アルをヘリの待機ポイントに置いて、俺達は行動を開始した。
 富士の裾野に形成された林の中に入るとフェニックスが先行し、俺とエリカは慎重に後に続く。ハンドガンを腰のホルスターに差し、腰のベルトの背中側にはサバイバルナイフが横向きに装備されている。背中には細長いケースを背負っており、中には分解されたライフルが入っているらしい。
 俺は武器らしきモノは何も装備しておらず、エリカにしても普段のスカート姿からジーンズ姿になっただけで、特別な装備は無い。
 無言で先を行くフェニックスが、突然立ち止まる。俺達はそれに倣ってすぐにその場で停止。フェニックスは無言のまま、左手でサインを出す。
 ――どうやらトラップを発見したらしい。
『心眼』で注意深く探ってみると、確かに前方に罠と思われる仕掛けが確認出来た。木々を縫う様に、地面に張り巡らされた数多のピアノ線。斜めに縦横無尽に張り巡らされたその線は落ち葉を被っており、普通の人間には認識が出来なかっただろう。
 だが、フェニックスはその場にしゃがんでナイフを取り出し、切っ先を使って慎重に落ち葉を取り除く。ピアノ線は極限まで張力を生かしており、足で踏むと端が外れるようになってるらしい。端は全て木の裏側に回されており、その木を辿って、横に伸びる幹の一つに何か機械が取り付けられている。
 あれは、無線式の警報器の類いだろうか。そんなものが数十基も設置されており、どうやら神社を巡る周辺全域をカバーしているらしかった。
 フェニックスは罠の解除を諦め、慎重に足元を確認しながら前へと進んで行く。ピアノ線のエリアを無事に踏破し、俺達に自分と同じルートを辿る様にとサインを出してくる。喋る訳にもいかないので、無言で頷いて俺が続く。『心眼』があるのでフェニックスの辿った場所を考えなくてもいいのだが、後にエリカが控えているので同じルートで歩いた。
 しばらくして無事に俺が渡り終えたのを見て、エリカがほっとした表情を浮かべる。しかし、エリカは少しばかり精神を集中させたかと思うと、その場で空中浮遊を行った。ピアノ線などに惑わされる事無く、低空で浮遊してこちらに飛んできたエリカを、フェニックスが驚いた様な、呆れた様な顔で見ていた。
「ちょっとずるをしてしまいました」
 そう小声で言って、ペロリと舌を出す。
「……まあ、いいんじゃないか」
 俺も小声でそう返事をしたが、改めて彼女の力を見て少し羨ましくなった。
 しかし――そこで気付いてしまった。
 この先を行けば、何者かが張った『結界』がある事を。不自然な気の流れを感知し、その原因が、所々に地面から突き出た岩にあると看破した。
「あの岩に、札みたいのがあるだろ」
 いきなり俺が発した言葉に、フェニックスの視線が岩に向く。
「あれもトラップなんだろうが、私ではオカルト方面は判らないな」
 エリカに視線を向けると、少し思案した後に言葉を引き継いだ。
「……結界ですね。魔術理論に違いがあるので解析は困難ですが、おそらく、先程の物理的なトラップで敵の力量を測り、呪術を用いたこの結界で、敵が魔術知識があるのかを測る」
 俺達の中で、魔術知識があるのはエリカだけ。それならば、専門家に任せるのがベストだろう。
「どうするべきだと思う?」
 俺の問いにエリカは顔を曇らせる。
「魔術解除は出来ますが、この結界はあくまで警戒の為に張られたものでしょう。解除したところで我々の存在は看破される。結界の範囲外からの遠距離攻撃で、敵陣を破壊するのがセオリーです」
 相変わらず、ぶっ飛んだ発想だ。
 それではまるで、イラク戦争で米軍が巡航ミサイルやレーザー誘導爆弾などを多用した戦術と同じ様なものだ。確かに戦術的にはそれがベストだろうが、教授という人質がいるのを忘れてはいないだろうか。
「冗談言うな。人質がいるんだぞ」
「ふふ、あくまで戦術論としてのセオリー、と言うだけの話です。この先はこっそり近付くのは不可能ですから、陽動を仕掛けるべきか、正面突破するべきか、その差しかないでしょう」
 何だか、今日のエリカに意地の悪さを感じるが、それは今考える事では無い。戦術面を錬るには、フェニックスの意見を聞くべきだ。
「いや、結界は破壊して欲しい」
 俺達の問い掛けを待たずに、フェニックスはそう言った。俺とエリカの訝しげな顔を見て、説明を続ける。
「人質奪還作戦となれば陽動は必要だが、結界がそれを邪魔する。しかし、破壊しておけば二人を先行させて敵の注意を惹き、残る一人が人質奪取に動く事が出来る」
 それを聞いて、フェニックスに問い返す。
「その人質奪取は、誰がやるべきだろう」
 しばし考えるフェニックス。
「……キミ達二人の方が対人戦闘力は高い。それに面も割れている。だとすれば陽動として先行し、敵の注意を惹くには最適だろう。私はここで迂回ルートを取って目的のポイントの裏を確保、状況を見て介入する」
 フェニックスの案を頭の中で分析してみる。一人になったフェニックスに対して、敵が潜伏している可能性は否定出来ない。しかし、警報トラップと結界から考えれば、相手はそういった手段で俺達を初めて察知する訳であり、始めから戦力を分断する様な真似はしない。それならば始めから人質に誰かを貼り付かせるだろうし、俺とエリカでそいつの注意を惹くのが王道だ。
「俺はそれでいいと思う。エリカは?」
「私も異存はありません。結界の破壊は私がやります」
 俺達が同意したのを見てフェニックスは頷き、事前に渡されていた無線機のチューニングを確認する。フェニックスがその場から離れ、木々の彼方へと消えると、エリカが岩の前に立つ。
「……アールト・エクスプレシオン。マルシーレン・ズィー・フォル・エンドゥング」
 岩に貼り付いた札に手をかざし、ぱりぱりと音を立てて放電が起こる。
 ボンッ!!
 札が発火してひらひらと地面に落ち、不自然な気の流れが正常な状態へ戻った事を感じた。
「これで結界は消えました。相手の術者には判るでしょうから、こちらを目指して敵がやってくるかも知れません」
「出来れば目的地までの距離を稼ぎたい。走るぞ」
 俺の言葉にエリカが頷いたのを確認し、一気に駆け出す。結界の張り方が弧を描いている事を感知していたので、その中心と思われる方角を目指す。林の中を疾走する俺の後ろに、エリカがぴったりと付いてくる。円弧の形状を頭に浮かべ、中心地点との距離を測る。推測するに、およそ300メートルはあるだろうか。
『心眼』の索敵範囲はそれよりももう少し広い範囲をカバーしているが、山林というのは自然界の気が強く、富士山のような火山性の岩石が多い場合はさらに磁場が発生している為、遠方になればなる程、まるで霧に包まれたように感知が阻害されてしまう。それでも目的の神社らしき存在は感じ、その中に八名の人間の存在を感じる。俺は無線機を取り出して、フェニックスに通信を入れる。
「アルファ2からアルファ1へ。蜂の巣を見つけた。蜜蜂は花畑に飛んだ。蜂は半分に山分けだ」
『――アルファ1、了解。こちらも蜂の巣に到達。熊は冬眠に入る。山分けは了解した』
 どうやらフェニックスは、無事に神社の裏手に到着したらしい。今の通信は事前の打ち合わせ通り、隠語を使っての会話だった。とは言ってもあまり難しい隠語では無く、単純に『蜂』は8、山分けとは8の半分の4と言う意味だ。
 俺が通信で言ったように、神社らしき建物から四名がこちらに向かって飛び出てきている。しかし一名はすぐに待機、三方向から三名が、それぞれこちらへ走ってきている。
「……一名待機、三名がこちらに来るぞ」
「判りました。後方から援護します」
 そう言ってエリカは念動力で浮遊し、木の幹に乗って待機、俺は前方へそのまま走る。俺の意志によってエリカの行動に影響を与える事で、連携がスムーズに行える。前方に立ち止まった人影が、甲高い声を張り上げる。
「そこで止まれ!!」
 その場で立ち止まって、人影を観察する。声から女であると判ったが、暗がりから現れたその姿を見て、面喰らってしまった。
 肩口まで伸びた銀色の髪に、蒼い瞳。特徴からして白人だと判るが、着用している衣装は突拍子も無いものだった。
 何故かメイド服。
 それに加えて、両手には二本のサバイバルナイフを逆手に握っており、場違いな格好と相まって一層の異様さを感じさせる。
「特徴から考えると、お前が崎守零二か」
 叶から聞いているのだろうか、そんな事を口にした。俺はそれには応じず、質問に質問で返す。
「五行会ってのは、メイドを雇っているのか」
 メイド女は俺の言葉には答えず、注意深く俺を観察している。殺気からして只者では無いと判るが、どうして修験道に外人が関わっているのか不思議でならない。そんな俺の疑問を他所に、メイド女はナイフを構えてから緊迫した声を発する。
「立ち去るならば追わない。手向かうなら容赦はしない」
 ――張り詰める緊張感。
 姿は見えないが、左右に何者かが潜伏している。相手の足の早さから強行突破は不可能、逃げる選択も無いので覚悟を決める。
「……生憎と、こちらも退く訳にはいかない」
 それを聞いたメイド女は無表情のまま、何も言わずに突然間合いを詰めてきた。両腕をだらりと下げ、前傾姿勢で大きなストライド。下から跳ね上がる左腕。それを右足の足裏でナイフの柄を抑えるように止め、そのまま踏みつけてナイフが地面に突き刺さるように試みる。しかし、右足に対して右のナイフが迫り、それを躱してメイド女の側頭部を狙って、右足でそのまま蹴りを放つ。
「――は」
 奇妙な間を置いたかと思うと、メイド女は後方へと一気に飛び上がって蹴りを躱す。今まで潜伏していた左右の何者かが、それを見て動き出す。現れたその姿は、やはり同じようなメイドの格好をした女達。
 右から距離を詰めてくるのは金属製のトンファーを左右に握った銀髪女で、髪を左右でまとめたツインテールとか呼ばれる髪形だった。左からも、やはり同じような銀髪のメイド女。巨大な金属製のブーメランのような形状の刃の付いた武器を二本、両手にそれぞれ無造作にぶら下げており、やはり銀髪で、背中まで伸びたやたら長い髪をしている。
 驚いたのは三人が三人共、全く同じ顔をしており、身長から体重、身体のラインまでパッと見判る範囲なら全ての外見的特徴が一致しているという事だ。
 だが驚いている場合では無く、右のメイド女のトンファーが次々と繰り出され、それを的確に捌きつつ背後を取る。トンファー女が即座に頭を下げたところにブーメランが飛んできて、俺も頭を下げてそれを躱す。
 そこへトンファー女の足が跳ね上がり、俺の顔面目掛けて襲い掛かってくる。地を這うように足を大きく拡げつつ、相手の蹴りを左手で捌き、もう一方の足を右手ではね上げて、女を巻き上げるように身体を錐揉み回転させて吹っ飛ばす。林の中にも関わらず、木々の合間を擦り抜けるように、ブーメランが弧を描いてこちらへ戻ってくる。しかし、それはいきなり何かに弾かれたかのように、甲高い金属音を鳴らして叩き落とされた。
「――なに?」
 突然の不可解な現象を目の当たりにし、当のブーメラン女は困惑しつつも、もう一方のブーメランを手に俺へと肉迫。その間にも、トンファー女は地面を転がって即座に立ち上がり、さらに俺の背後からナイフ女が襲い掛かってくる。
 背後から迫るナイフを反転しつつ躱し、女の左側面を取る。もう一方のナイフが俺の首筋を狙ってくるが、そこでナイフ女の動きが止まる。
「うぐッ!?」
 どうやらエリカが、念動力を用いて全身を見えない力で拘束しているらしい。先程のブーメランを叩き落としたのもエリカだろう。
 事前の話になるが、今まで連戦してきた為にエネルギーの消耗が激しく、今のエリカは、当初に比べて十分の一程度のエネルギーしか保有していない。エリカには休息が必要な事は明白だが、今回の救出作戦が終わるまではそんな事も言ってられない。
 ただ今回は、人間相手なのでワルキューレになる必要は無いと思われるし、それなら俺やフェニックスが前面に出て戦えば、少しは消耗を抑えられるだろうと言う事で話が付いている。
 動きを止められたナイフ女の脇腹に、掌を接触させて衝撃を浸透させて気絶させると、今度はトンファー女が迫る。トンファー女の連撃の最中、下から振り上げられた左腕を軸をずらしつつ左掌で受け流し、それと同時に相手の腕を引き込んで重心を崩し、下から潜り込ませた右の拳を女の下顎に接触させる。
 とん、と軽く拳が当る、ただそれだけの、児戯にも等しい軽い打撃。拍子抜けしたかの様な顔で、女は俺の眼を呆然と見る。俺に再び襲い掛かろうとしていたブーメラン女は、その不可解な反応に一瞬、動きが止まる。
「――?」
 疑問を感じつつも俺の右脇からブーメランの一撃を放つが、俺は摺り足のまま後方へと退く。未だ呆然としたまま動きを止めているトンファー女に業を煮やしたのか、ブーメラン女は肩に手を置いて声を掛けようとした。
 どしゃっ!!
 トンファー女が前のめりに地面に倒れ、ブーメラン女は何が起こったのか判らず僅かに困惑する。しかしトンファー女が無表情のまま、眼を半開きにして意識を失っている事がようやく理解出来たらしい。
「……これは寸勁か」
 寸勁、と言うのはよく判らないが、俺が仕掛けた技による結果を指しての言葉だろうか。
 これぞ天仰理念流絶技・虚空拳(こくうけん)。
 虚ろに空しい拳は、全ての生命を停止させる。
 数ある絶技の中でも秘中の秘、まさに一撃必殺のこの技だが、さすがに殺すつもりは無いので威力を抑えて使ったのだ。同胞が倒された事で警戒感が強まったのか、ブーメラン女は上下に両手を交差させて、残り一本となったブーメランを構える。
 その奇妙な構えに、俺の中で危険信号が激しく鳴り響く。
 木の上でこちらの様子を伺うエリカも、何かを感じて援護をしようかどうか迷っているようだ。だが援護をするにしてもエネルギーは消耗するので、俺はエリカに援護は待つべきという判断の方向性を与えた。
 相手は一人、それを退けられないようでは俺もこの先を行くのは難しい。ここは、己の力でなんとかする場面だろう。次の瞬間、女の身体に不可解な変化が表れる。
「――術式開放」
 首筋に浮かぶ環状の光。
 エリカの楯が力を発揮する時と同じ様な光の紋様が浮かび上がり、ぱっと弾け飛ぶ。
 上昇する体温に、淡い光を放つブーメラン。
 こいつは人間なのか?
 通常有り得ない現象だったが、考えてみればエリカと出会っていくつかの異形と戦い、それと比べれば何も驚く事では無い。ただ明らかに人間の域から出ない筈の相手が、超常の力を発露させる場面はいくら何でも初めての経験であった。
 ブーメラン女の体温が上昇したのは、おそらく身体能力の飛躍的な上昇によるエネルギー消費の上昇を意味している。そんな事をすれば過大な負荷が肉体に掛かり、僅か数分で動けなくなってしまう。だがそれは、内的要因のみを考えた場合の話であり、もし外部的な要素で得た力なのだとしたら、そういった限界も考慮して何かしらの対策が施されている可能性もある。
 現に、『心眼』で外部から流入するエネルギーを感じるのだ。
「……おいおい」
 俺は思わず呆れ返ってしまった。こんな能力まで使って敵対し、教授を拉致してまで何をやろうとしているのか。目的の為に、手段は選ばずとは。
「――覚悟」
 感情を抑えた様な声を出し、女はブーメランを持った右手を大きく後方へ伸ばして、左足を前へと踏み出す。まるで力を蓄えて引き絞るかの様な構えに、こちらも半身の姿勢で構えを取らされる。ブーメランを投擲する予備動作かと思ったが、そのままの姿勢でその姿が掻き消えた。
「!?」
 俺の反応速度を以てしても、捉え切れない動き。
 低い姿勢で一気に間合いを詰められ、いつの間にか逆向きにされたブーメランの一撃が、フックの様に左側面の死角から襲い掛かってくる。何とか反応出来たのは、日頃叩き込まれた修練の賜物だろう。
 無意識の内にその一撃を首を振って回避し、これまた無意識の内にブーメラン女の首目掛けて貫き手を放つ。絶対の自信を以て繰り出した一撃が躱された揚げ句に反撃までされ、女は悔しげな顔を見せるも、超スピードで俺の背後へと回り込んで貫き手を躱す。
 スピードだけを見れば、今まで出会った敵の中で最速。
 いや、直線のトップスピードならエリカやミノタウロスが上だろうが、この女の動きの早さは動作の反応だ。エリカは突進する為に脚に力を溜める予備動作があるが、ブーメラン女はその予備動作が殆ど存在しない。
 まるで、居合のような動きだった。
 ショートレンジの動きで言うならば、まさしく神速の動き。同じ条件下では俺も似たような動きなので早いと思うが、この女の方が一段上なのだ。
 背後に回った敵に、俺の身体は意識とは無関係に反応し、反転しつつ回り込んで対面する。お互いに対面したまま流れるように体捌きをし続け、お互いが回り込めずに円を描きつつ、高速で打撃を応酬し合う。始めこそ意識が追い付かなかったが、数回の攻撃でこのスピードに慣れて、互角のやり取りが続く。
 何せ居合なら、こちらが本家だ。
 コツさえ掴めば何とかなるものだ、などと場の緊張感からはかけ離れた思考が生じる。しかし、単純なスピードならやはり女の方が上なのは覆らない訳で、それで互角に渡り合えるのは細かい技術の差だ。
 例えばブーメラン女が横へ動く時、脚を1メートル踏込んで、もう片方の脚を引きつける。それに対して俺が脚を50センチ動かし、もう片方の脚を引きつけつつ、爪先と踵で軸を巧みに変えて1メートル移動し、最初の50センチ動かした脚は伸ばしたまま滑らせる。動きが多い分、こちらの方が不利だと考えるのが通常だが、所作を短縮した動きは二を一にして、相手の一の動きに対抗出来るのだ。
「――化け物め」
 ブーメラン女が攻撃の応酬の合間に、そんな事を呟く。それはこちらの台詞だと思ったが、相手からすれば生身のままこの動きが出来るだけでも規格外だと思うのだろう。
 目紛しくお互いの立ち位置が入れ替わり、どちらが優勢かはっきり言えない状態がしばらく続く。もしもブーメランが二本あったなら、俺はすぐに敗れていたかも知れない。
 だが、ブーメランは一本なのだ。
 再び左の横合いから死角を狙って打ち込まれる一撃に、立ち位置を変えて後ろ向きになりつつ、右の掌でブーメランの側面を打つ。女の視界は俺の背中で遮られ、そこから右足を踏込んで女との間合いを一歩だけ拡げる。俺の左側面が女の正面に向き、そこから再び間合いを詰める。
「――な!?」
 即座に反応した女は、一気に後方へと退こうと間合いを大きく離すが、既に遅い。女の動きは確かに俺よりも早いが、それは前への動きだ。後ろへと退く時は重心移動の分だけ動作が増え、俺の前進スピードに若干遅れる。
 左掌に右掌を合わせ、女の鳩尾に添える。
 ズシン。
 浸透する衝撃が内蔵に伝播し、猛烈な微震動によって船酔い効果を生む。
 これぞ天仰理念流絶技・滑り合掌。
「――がふッ」
 前のめりに倒れるブーメラン女。
 本来なら一撃必殺、しかし威力を抑えて放ったので気絶で済むだろう。とは言っても内蔵に受けたダメージは大きく、おそらく三ヶ月程度は病院で寝たきり生活を余儀なくされる筈。決着が付いた事を確認したエリカが姿を現す。
「……私が止めを刺しましょうか?」
 女達の倒れた身体を見下して、そんな恐ろしい事を平然と呟く。
「何故、そんな事を言う?」
 人間相手の戦闘は初めてだったから、そんな事を今までは言った事が無かった。俺とエリカに意見の食い違いはたまにあるが、今程、冷徹さを感じた事は無い。
「彼女達は、普通の人間では無いからです」
「普通の人間じゃない?」
 俺は改めて女達を見る。
 先程見せた動きと、それを可能にした何かしらの力。確かに人を遥かに超えた動きだったとは思うが、異形に感じる複雑な思考のメソッドは女達からは感じられなかった。しかし、エリカは僅かに首を縦に振って頷く。
「――『半神』という存在があります。まだ神が人と共存していた神代の頃に神と交わり、部分的に神の力を受け継いだ血族が存在しました」
 俄に信じられない話だった。しかし、目の前のエリカからして本物の神なのだから、そういった者がいて当然なのかも知れない。
「それがこいつらなのか」
 俺はそうは言ってみたものの、内心は複雑な心境だった。そんな連中と互角以上に戦える自分は、今でも人間だと言えるのかと。思考の方向性を共有するエリカはそれを敏感に感じ取ったらしく、僅かばかり苦笑いを浮かべて口を開く。
「レイジさんは彼女達とは違いますよ。ただ、磨き上げられた魂は輪廻の色を感じますが」
 思わずぎょっとしてしまう。
「……輪廻? 前世がどうのとか、そういうのか?」
「はっきりとは判りませんが、そういった連環の繰り返しによる一部の情報の遺伝はあるかと。そうでなくては、レイジさんの若さでその習熟度は有り得ません。神族とは全く別の理屈が働いているのでしょう」
 今この場で論じる話題では無いのかも知れないが、エリカの説明は気になる。
「なんだか回りくどい言い方だな。別の理屈って何だよ」
 そんな言い方しか出来ないが、エリカの説明の仕方がどうにも歯切れが悪く感じて気持ち悪い。
「神は人が魂の殻を破って力を得た者ですが、その理屈は神にしか当てはまらない訳ではありません。例えば神とは違う理屈で仏という存在もありますし、自然界の理屈による霊という存在もあります。私の見立てでは、崎守の一族は自然界の理屈に寄った、霊的な継承を実現しているかと感じてます」
 難しい話で理解に窮するが、何やら俺の一族は得体の知れないものらしい。
「どこまでを継承しているのかまでは判りません。そのような理屈はネイティヴ・アメリカンが詳しい事でしょう」
 さすが西欧人、自然信仰で言えば真っ先に思い浮かぶのはネイティヴ・アメリカンか。
「ぞっとしない話だ。しかし、特別妙な儀式とかウチには無いんだけどな」
 崎守は代々、剣術を中心とした技術を継承してはいるが、シャーマンみたいな呪術的な技術は何も無い。恐山のイタコならばともかく、ウチはいたってまともな武家の家系だ。
「それは違います。人が選ぶのでは無い理屈です」
 また訳の判らない事を言う。俺の眼は、何かインチキめいた物を見るような感じに見えた事だろう。
「ネイティヴ・アメリカンの言い方で言えば、『世界に選ばれる』と言うそうです。因果とも呼べますが、ある程度の事象の一部に組み込まれてしまった、地球という星の一部となった存在」
「いや、訳わからん」
 正直、さらに話が難しくなってしまった。エリカはそれでも話を続ける。
「例えば、私が所有するグングニルはあらゆる可能性を同時に選ぶ。レイジさんは逆に、あらゆる可能性を選択出来得る。半ば概念化していると言ってもいいでしょう。通常、それは死後の魂の有り方な訳ですが」
「……何だか何かをしろと、脅迫されてるような気分になってきた」
 俺は普通に生活したいだけだと言うのに、何か知らないモノに選ばれるというのは、有り難迷惑とでも言おうか。
「今の状況からしても、既に一定の役割を受け持っているのではないでしょうか。そうでなくては、私という神を目覚めさせた道理が通りませんから」
 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。考えてみれば、俺はどうしてこんな事をしているのか。とりあえず、目の前の仕事を片付けるべきか。
「……こいつらが普通の人間じゃないからと言って、殺すだけの理由にはならない。仮に目覚めたところで、まともに戦うだけの力は残ってないさ」
 話題が本来のものに戻った事で、改めてエリカは女達を見る。
「そうですか。賛成はし兼ねますが、リスクを減らす努力は私が代わりにしましょう」
 それだけを言うと、エリカは懐から、何か石のようなものを何個か取り出した。
「――何をするつもりだ?」
 俺の質問には答えず、女達の倒れた身体の周りを囲むように、地面に石を置いていく。
「……エス・ゼッツ・ズィヒ・イン・フェアビンドゥング。ウント・エス・フェアズィーゲルント・エス・ヴェック」
 何やらぶつぶつと呪文のような言葉を吐き、かざした手を横へ滑らせていく。やがて作業が終わったらしく、一息吐いてこちらに向き直った。
「終わりです。もし目覚めて動こうとしても、丸一日は身動きが取れないと思います」
 俺はそれを聞いて、僅かに眉をしかめる。
「別に無駄だとは言わないが、あまりエネルギーを消耗するなよ」
 しかしエリカは肩を竦め、問題無いとでも言うようなジェスチャーをした。
「この一件が終わったら、ゆっくり休養を取らせて頂きますからご安心を」
 これも事前の話になるが、ヒルデブラントという戦力が得られた事で、エリカが不在になっても緊急時の対応が取れる体勢になり、今回の件が片づいたらエネルギー伝送の遅延を解消する為に、ワルハラへと帰還する事になっている。戦う事さえ無ければ、このままの状態でもだいたい一週間程度で完全回復するらしいのだが、さすがにそれだけの間、戦わなくて済むとは思えない。
 システムの更新で登録情報の修正を行い、『心眼』による意識の共有によって新たに開花した能力である、『タオゼントヤーレ・シュぺーア(千年槍)』の常時使用申請登録も行う。
 ただ更新には欠点もあって、一時的に全機能の停止を伴う為に、俺とエリカの間にある『契約』が停止されてしまうのだと言う。今まで契約内容がどんなものか知らなかったが、どうやらワルキューレという存在は、『勇者』という存在に認識される事によって、現世で定義されるらしい。
 つまり『勇者』の認識から得られるフィードバックが多ければ多い程、『契約』に伴う条件が緩くなっていく。『勇者』というカテゴリーの中でも特に破格の条件を持った相手と『契約』を交した場合、寧ろワルキューレ側の方に拘束力が生じる。俺との契約によって生じた拘束力はエリカの生死をも左右するらしく、もしも契約破棄などという事態が起こった場合、エリカは消滅してしまうのだと言う。
 システムの更新によって、契約は一時的に無効となるが、それでもワルハラとのアクセス権が無くなる訳では無いので、再契約とかはいらないらしい。代わりに、ヒルデブラントを呼び出す権限を一時的に委譲してくれるらしいので、もしその空白の間に戦う事になったら、ヒルデブラントを呼び出すのも選択肢の一つとなる。
「あと一人がこの先に待ち構えている。急ぐぞ」
 俺はそう告げて走り出す。遅れて駆け出したエリカは、複雑な表情で俺の背中を見据え続けていた。


第四話・風神伝承
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