Sick City
第四章・多刀曲芸

 ロキと崎守伝一郎。
 両者の間合いは約30メートル。
 この距離ならばロキが一方的に攻撃出来る筈だけど、新手の存在に警戒したのか、それともただの様子見なのか、両腕両足の変化を解いて一見無防備ながら口を開く。
「……終わりだと? ふん、どうやら貴様が崎守のマスターのようだな。しかし二刀流か。このロキにそんなものが通じるとでも思っているのか?」
 対する爺ちゃんは、両手にそれぞれ刀を握る二刀流で対峙する。
「まあな。それより、無駄口叩いていていいのかい? 神ってのはどうも人間相手だと、油断が過ぎるようだな」
 二刀をだらりとぶら下げたまま、太々しく笑う爺ちゃん。
 しかし二刀流? 爺ちゃんは二刀流だっただろうか。私が知る爺ちゃんの剣術は、零ちゃんに指導しているのを見た時は、無刀で教えるという独特な指導方法だった。
「どのような力の持ち主なのかは知らんが、このロキはそこらの神とは一味違うぞ? ――このようにな!!」
 ロキのエネルギーが突如膨れ上がり、爺ちゃんの足下から数多のグレイプニルが飛び出した。
 しかし。
「――何ッ!?」
 完全な不意打ちで襲い掛かった筈の多量の鎖が、全く、一本も擦りもしない。
 崎守伝一郎はそこにいる。
 でも何人いるんだろう?
 いや、自分でも何を言っているのか判らなくなってきたけど、グレイプニルが地面から飛び出した一瞬、爺ちゃんが八人くらいに見えた。
「増えたぞおい」
 皆が驚き目を見張る中、蓮見だけが割合い普通に感想を漏らす。
「……まさか、天魔調伏(てんまちょうぶく)の応用?」
 ただの勘だけど、それしか考えられない。時間軸多重認識による過去と未来の存在と予測。以前、爺ちゃんが言っていた『予知能力のようなモノ』とはこれの事だったのだろうか? 少なくとも、意図的に同じ事をやろうと思っても私には出来ないだろう。私の認識はあくまで索敵を主としており、それを攻撃に応用している。
 元々、弓兵は回避を前提とした運用はなされない。近接射術には『弓旋風(ゆみつむじ)』や『四ツ独楽(よつこま)』のような回避しながらの弓術もあるにはあるけど、『技』と『能力』は別だ。
 対して爺ちゃんのソレは、幾多の時間軸を同時に認識して同時に処理し、おそらくは『回避の可能性』のみ選択しているのだと思う。八人という数字はただ単に『八回の回避で全攻撃を回避可能』だからその人数に見えただけであり、その時々によって見える人数は違うのではないだろうか。
「隙だらけだぞ?」
 回避すれば攻撃に転ずるのは常套、しかし四人の崎守伝一郎の姿を眼にし、ロキは慌てて両腕をガトリングガンに変化させて応戦する。
「小癪な! 分身など、要は全てねじ伏せればいいだけだ!!」
 ガトリングガンから放たれる無数の弾丸は、ただ空しく四体の崎守伝一郎を通り過ぎていくのみ。あれは分身などでは無いのだけど、このカラクリを理解したところで、対処はまず不可能だろう。
 ロキの内懐へと入身(にゅうしん)した爺ちゃんの両腕が、交互に振るわれる。それも四体がロキを取り囲んでの、同時攻撃。
「――天仰理念流多刀曲芸(たとうまがりげい)・乱れ八双(はっそう)」
「ぐはあッ!?」
 ズバン!!
 袈裟斬り、逆袈裟の連続攻撃が四方からロキの身体をエックス状に切り裂き、血飛沫が舞う。しかし『極線の術理』によって切り裂かれた肉体はそのままに、ロキの傷口から無数の鎖が飛び出した。
「ぐッ! な、舐めるなあーッ!!」
 無数のグレイプニルが再度、爺ちゃんを襲う。しかしそれは、またしても八体に分身した爺ちゃんに躱されてしまう。回避の挙動によって10メートル以上の距離を開け、爺ちゃんは左の刀を前に突き出し、右の刀を頭上に掲げる変わった構えを取った。
「これぞ天仰理念流の奥伝が一、多刀曲芸よ。ただの二刀流と侮っていたようだが、ちゃんと事前に忠告しておいた筈だろう。『人間相手だと油断が過ぎる』ってな」
 天仰理念流多刀曲芸(たとうまがりげい)。
 それは天仰理念流弓術の上位に兵法陣立があるように、天仰理念流剣術において上位に存在する極意の一つだ。零ちゃんが使う居合術もまた、天仰理念流剣術の上位に位置する迎撃型の極意である。
「……すげえ」
 今まで黙って戦いを眺めていた佐伯君が、やっとまともな反応をする。
「お前達、こいつは俺一人で何とかする。だから何人かは静のところへ行ってやれ」
 ロキの動きを目線で牽制しつつ、爺ちゃんが私達へと語りかける。それを聞いて、私達は互いに顔を見合わせてしまう。
「えっと、どうしよっか?」
 私の問いに蓮見が名乗りを上げる。
「俺が行くわ。ここに残るのは、ヤツと相性のいいのが残るべきだろうからな」
 蓮見の戦闘スタイルは罠とナイフ、『備前長船長光』での人格変化による『岩流』の剣術だけど、確かに遠距離攻撃主体で物量攻撃を多用するロキとは相性が良いとは思えない。蓮見の進言に対し、スリスが追従する。
「私も行きますわ。逃走したカンナカムイが気になります。もしも静さんを探していたりした場合、私が相手をするのが最も適切でしょう?」
「って事は私も行った方がいいわね〜。静ちゃんの体調も気になるしね」
 さらに叶さんも立候補し、残るは私と皐月さん、仁科さん、佐伯君となりそうだ。
「おっと、龍太郎。お前、さすがに手ぶらじゃ役立たずだから、これ使えよ」
 蓮見が懐から取り出したのは、一丁の拳銃だった。
「……こいつは9mm拳銃か。ありがたいっちゃありがたいんだが、こんな豆鉄砲じゃ戦力としては期待出来ないぞ?」
 9mm拳銃とは自衛隊正式採用拳銃で、スイスの銃器メーカーSIG社のSIGザウエルP220を日本の企業がライセンス生産しているもので、自衛隊では単に『9mm拳銃』とだけ呼んでいる。
「別に戦力になれってんじゃねえよ。せめて自分の身は守れって意味だよ。んじゃな!」
 蓮見達が先を急ぐべく走り出したのを見たロキは、両手を大地に付けて力を解放して阻止しようとする。
「誰一人逃しはせんぞ! 貴様らは全員ここで皆殺しだ! イッヒ・ベゲーレ・エス・ウント・エッセ・エス! ――グレイプニル!!」
 ロキの周囲の大地から無数の鎖が飛び出し、放物線を描いて蓮見達の背へ向けて伸びてゆく。
「残念だが、そうは問屋が卸さねえんだよな――天仰理念流兵法陣立・八百万(やおよろず)」
 無数の鎖が、突如天空より飛来した無数の刀によって悉く貫かれ、破壊される。
 天仰理念流兵法陣立・八百万。
 弓術の上位である兵法陣立だけど、それは弓の特性上、戦術レベルでの運用が想定される事が多い為にそう定義しただけであって、本来は体術、剣術、弓術と全てに対応するのが理想とされる。
 そして爺ちゃんの周囲の大地には、数えるのも馬鹿馬鹿しくなる位に大量の刀が突き立っていた。
「……壮絶な光景ね」
 周囲の惨状を見て、皐月さんが呆気に取られている。
 辺り一面、まるで古戦場跡の光景の如く、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀、刀――全ての刀という刀が、銘のある無しに関係無く例外なく名刀。中には『天下五剣』と称される、日本刀の中でも特に名刀とされる五振りの名物までがあった。
 国宝・童子切(どうじきり)――平安時代の刀工、安綱(やすつな)作で、かの酒呑童子の首を上げたという曰く付きの名刀でその名の由来となっている。現在は東京国立博物館に所蔵されている筈の刀だ。
 御物・鬼丸(おにまる)――鎌倉時代の刀工、国綱(くにつな)の作。かの『太平記』に記述がある刀で、源頼朝の死後、時の執権を掌握した北条時政(ときまさ)が所有していた。その後、時代によって所有者を変え、最終的には皇室の所有物、御物(ぎょぶつ)となった。
 国宝・三日月宗近(みかづきむねちか)――平安時代の刀工、三条宗近(むねちか)の作。三日月の名の由来は、三日月状の刃文(はもん)が多く見られる事による。元は足利将軍家の秘蔵品として継承され、後に豊臣秀吉、徳川秀忠の手に渡り、現在は東京国立博物館にて所蔵されている。
 国宝・大典太(だいてんた)――平安時代の刀工、典太光世(てんたみつよ)の作。元はやはり足利将軍家の秘蔵品であったが、後に前田利家の所有となる。以後、前田家家宝となり、現在は前田家の文化財を保存、管理する団体が所蔵している。
 重要文化財・数珠丸(じゅずまる)――平安時代の刀工、青江恒次(あおえつねつぐ)の作。何故か僧侶である筈の日蓮(にちれん)が所持していた刀と言われ、名の由来は日蓮が数珠を柄にかけていた事から付けられたとされる。現在は兵庫県尼崎市の本興寺(ほんこうじ)に収蔵されている。
 さらに一刀流の瓶割(かめわり)、日本刀最高傑作と言われる大包平(おおかねひら)、先端から半分以上が両刃となっている珍しい造りの平家伝来の小烏丸(こがらすまる)、源頼政が鵺(ぬえ)退治に用いたという獅子王(ししおう)、新撰組の近藤勇の愛刀と言われる虎徹(こてつ)等々。
 これ程多くの名刀が、どうして爺ちゃんの認識する『死角』より現れたのか。普通の刀ならまだ判るけど、例えば天下五剣などは博物館や宮内庁が所蔵している美術品であり、持ち出しはほぼ不可能。
 だけどもし、私の『白銀』『黒金』『赤銅』と同じなのだったら? 数多の矢がどうして『死角』に存在しているのか?
 つまるところ、私の認識と爺ちゃんの認識は『矢』と『刀』の違いはあるけれど、殆ど同じという事なのだろう。矢は飛び道具だから、基本的には消耗品である。だから複数必要になるし、より『飛ぶ』為の特性を強くしている。同じく爺ちゃんの刀も消耗品として認識されており、あるいは『多刀』の使い手という自己の性質をより活かす為、より多くの刀が認識されているのだと推測出来る。
 ではあの『天下五剣』の真贋はと言うと、実は本物であり、偽物でもあると言える。あれらはただ、『近似の過去か未来』より呼び寄せたものであり、つまり多次元宇宙論で言うところの『別の平行世界』の存在なのだ。過去と未来を認識出来る、爺ちゃんならではの芸当と言えるだろう。
「……何だこれは。剣だと? これほど大量の剣が降って来ただと? いや、それは別に問題では無い。『そんな事も可能』だと納得は出来る――ふん、成る程。『剣の神』だと? 『仮面の神』め、崎守零二の時に情報を遮断していたな」
 当初は動揺していたロキが、呻き呟いていた途中で突然訳の判らない物言いを始める。
 ――『剣の神』とは何だろう。
『仮面の神』の名が出て来た事から考えれば、同じく外宇宙から来たという邪神の一柱なのだろうけど――。
 当初は動揺していたロキが、呻き呟いていた途中で突然訳の判らない物言いを始める。『そんな事も可能』と納得は出来るなんて、妙な言い方だ。
 あらかじめ、ある程度は知っていたような、しかし仔細までは判らなかった、とでも解釈したらいいんだろうか。
「だがこのロキの真の力の前には、どんな能力だろうと無力よ! エス・ヴィルト・フォン・アイナー・ファンタズィークラッセ・イン・クヴァリテート・ヴェアヴァンデルト――ファフニール!!」
 膨大なエネルギーの変動と共に、ロキの肉体が変質、巨大化していく。恐竜に似た体躯、何本も角が生えた頭部、そして巨大な蝙蝠のような羽根。
「うわ! でっかいトカゲ!!」
「こんな緊迫した時に無理にボケなくてもいいの。それにしても、まさかドラゴンなんてモノをこの眼で見る日が来るとは思わなかったわね」
 私のボケを遮り皐月さんが巨大な影を見上げ、仁科さんと佐伯君も同じく敵の姿を呆然と見上げる。
「……おいおい、何の冗談だよこりゃ」
「人の姿をしていれば、敵がいかに神であろうとそう簡単には動じたりしないが……。竜というのは、原始の恐怖を呼び起こす存在なのかも知れん」
 その見上げんばかりに巨大な体躯は高さ25メートルはあり、その足を一歩踏み出しただけで地響きがする程。圧倒的な質量がもたらす轟音と圧迫感は、神のプレッシャーである『神気』とはまた趣きを異にする。
 自然界において、基本的に『強さ』とは単純に『質量』である。より大きな身体を持つ動物こそが強者であり、例えば百獣の王ライオンと言えど、象に踏みつぶされればたったの一撃で死を迎える。一対一ならば、ライオンより象の方が強いのだ。だからライオンは群れで象に挑み掛かり、それでも無傷では済まない程の相手なのだ。25メートルの巨躯を持つドラゴンに対峙する爺ちゃんの後ろ姿はさながら、チョモランマに挑む登山家のようだ。
「……ふむ、ドラゴンな。で、どうするつもりだ?」
 爺ちゃんは、あの巨体を見ても全く怯んではいない。その余裕ある態度が癇に障ったのだろうか、ファフニールというドラゴンになったロキが咆哮の如き怒声を出す。
「その余裕! 全く気に入らんな!! だがこのファフニールの滅殺能力を以てすれば、貴様の能力など無力よ! ザイン・ジー・イン・トロイメン・ウン・ファンタズムス・デュプリミエルト! ――ファンタズィーエン・エアインネルング!!」
 突如、ファフニールの全身の鱗から粒子状の光がきらきらと周囲に拡散し、瞳に映る光景が歪んで見えるようになった。
「何だ!?何か変だぞ?」
 突然目の前が歪んだ為、神相手の実戦に乏しい佐伯君が驚きに目を見張る。
 続けて竜の身体がその巨体を横へと捻り、尻尾が唸りを上げて爺ちゃんへと襲い掛かる。周囲に展開する刀群が尻尾の一振りに巻き込まれ、次々と吹っ飛ばされていく。空間を歪ませてこちらの認識力を低下させ、極太の尻尾による巨大質量攻撃。これなら、爺ちゃんの時間軸多重認識でも回避は不可能だと踏んだのだろう。
 だがしかし。
 一瞬の交差の後、宙へと舞っていたのは奇麗に切断された極太の尻尾の方だった。
「なッ!? ば、莫迦なッ! 貴様の記憶を、その脳を暴走させたのだぞ! 何故何とも無い!!」
 爬虫類の瞳の瞳孔が、驚きで見開かれる。血飛沫を上げる尻尾の切断面はそのままに、ファフニールがたたらを踏む。爺ちゃんがやった事は、ただ単に交差の一瞬に二刀を以て『駆け抜けた』だけだった。時間軸多重認識も、多刀曲芸も使っていない。ただ左の刀で受け流し、浮いたところを右の刀で一刀両断しただけだ――あの巨大な尻尾を。
「だから人間を舐め過ぎだろう。記憶がどうの脳がどうのと、くどくどと屁理屈捏ね繰り回しやがって。お前さんとは、見ているもの感じているものが違うだけの事よ」
 再び先程の構えを取る爺ちゃんに対し、ファフニールは獰猛な唸り声を上げ、しかしその勢いのまま飛び掛かるような真似はせず、一歩後ろへと距離を開けた。
「……そうか。貴様、一度死んでいるんだな? それでアカシック・レコードに情報が保持されている。この手の攻撃は受け付けない輩だったか――では、これはどうだッ! エス・イスト・アイネ・ドレーウング! ムズィークゲーロルハールデ・デア・ヒンメル!!」
 今度はファフニールの鱗が虹色に輝き始め、周囲の光景がいきなり変わった――真っ白い、何も存在しない空間へと。地面だけは変わっていないが、爺ちゃんが呼び寄せた数多の刀は奇麗さっぱり消え去っていた。
「……今度は一体何だ? 白い空間だと?」
 立て続けに起こる摩訶不思議な現象に、さすがの仁科さんも戸惑い気味だ。
「ふふっ、はっはっはっはーッ! これでどうだ? あれだけ多くの剣に何の意味があるのか判らんが、何かしら貴様が有利になるものだった筈だ。そんなものは邪魔なだけ、奇麗さっぱり消させてもらったぞ」
 ドラゴンの顔では表情の違いは判らないけど、おそらく得意満面といった感じの顔をしているのだろう。しかしそれでも、爺ちゃんの顔に焦りの色は見えない。
「何か勘違いしていないか?」
 その一言と共に、消失した数多の刀群が再び天空より降り注ぐ。大地に突き立った膨大な数の刀、しかし今度は先程とは違い、刀一本一本がそれぞれ、かなりの間隔を空けて分散する形で配置されている事。
 再び戦いの場に数多の刀が出現した事で、ファフニールはここまで聞こえるくらいに歯軋りをして悔し気に声を荒げた。
「……幻想の力さえ無効なのか!? ちッ、あの剣の大群に一体何の意味があるんだ?」
 理解不能な現象を前にすれば、誰だろうと動揺する。神であるロキでさえ例外ではない。果たして、『多刀曲芸』とはどんな秘技なのか。それがこれから判る筈だ。
「それはその身体に、直接教えてやるとしよう」
 そう呟いた瞬間、爺ちゃんがファフニールとの間合いを一気に詰める。距離はおよそ50メートル。たった一歩で15メートルの間合いを詰め、それに対してファフニールが肉食獣特有の、鋭い牙の生え揃った口を大きく開ける。
「デア・アテン・デス・ドラッヘンス!!」
 轟、と巨大な顎から火炎が広範囲に放射される。それを今度は11体の残像を伴って回避し、残像と本体全てが両手の二刀をファフニールの頭部目掛けて投擲する!
 ドンドンドンドンドンッ!!
「ぐおおおおおおおおッ!?」
 24本全てがドラゴンの頭に突き刺さり、残像の消えた爺ちゃんはファフニールの左へと疾走しつつ、地面に突き立った二本の刀を即座に手に取る。ファフニールの後方に回り込んだ爺ちゃんが、その巨体の背に飛び乗り、頭部へ向けて一気に駆け上がる!
「小癪なッ! これでも喰らえッ!!」
 ファフニールの背中の鱗が何十枚とめくり上がり、まるで弾丸の如く射出される。それを4体の残像と化して爺ちゃんは回避、さらに背中を蹴ってファフニールの頭上へと逆さになって飛び上がった。煌めく二刀が上下逆さのとんぼ返りの姿勢で回転し、ドラゴンの太い首を斬り飛ばした!
「これぞ天仰理念流多刀曲芸・群れ蜻蛉」
 二刀によって首を切り落とし、24本もの刀による事前の『点殺の術理』によって、ドラゴンの首は地面に落ちる前に霞のように消えてしまった。足を大きく開いたスタンスで着地と同時に何度も横回転する事で、爺ちゃんは着地の衝撃を逃す。
 白い空間も、ファフニールの死と共に元通りになっていた。
 しかし、これで死ぬような相手では無い筈だ。予想通り、ファフニールの巨体がまるで粘土でも捏ねているかのようにぐねぐねと蠢き、次第に小さくなっていく。やがて当初のロキの姿へと戻っていた。
「……まいったな。まさかファフニールの力を物ともせんとはな。かつてファフニールを倒した英雄シグルドでさえ、三日三晩の激闘の末に打ち勝ったのだ。それが一瞬とは。それにその多くの剣も、使い捨てで使用すれば強力な武器となるのか」
 消えた首の後に残された24本の刀を見て、ロキは冷静にそう評した。使い捨てというのは微妙に違うのだけど、刀を複数使って戦う戦闘スタイルは、一本の刀に拘らない事で迅速な戦闘行動を可能にしている。何せ、接近戦に拘る必要性が大幅に低くなるからだ。
 刀は基本的に手で持って振り下ろす為の武器なんだけど、実は投擲する事も意外と多かったそうだ。乱戦においては刀を手放す事は危険な行為だけれど、一対一ならば切り札、ジョーカー的な用途で『ここぞ』という場面において投擲し、脇差しで止めを差す、という手段もあったのだ。
 それが数えきれない程、多くの刀を持っているならどうだろう。一対一でジョーカー的な使い方しか無かった投擲という手段を、臨機応変に様々な場面で使えるという事になる。
 改めて仕切り直すような格好となった両者だったが、先に動いたのは爺ちゃんだった。
「ちッ! こいつなら避けられまい!!」
 ロキの右肩が盛り上がり、何かミサイルランチャーのようなものが現れる。それを見た佐伯君が、即座にその正体を看破する。
「おいおい、あれはミランじゃねえか! 有線誘導対戦車ミサイルだよ!!」
 ミラン歩兵用軽対戦車ミサイル。フランス製の兵器で半自動有線誘導式という誘導ミサイルを用い、照準機を標的に向け続ける事でミサイルに繋がったワイヤーを通して絶えずデータが送信され、高い命中率を誇る兵器だ。これの利点は、電波妨害(ジャミング)に強い事が挙げられる。
 発射煙を吹き上げ、誘導ミサイルがロキの右肩から発射される。どうもロキという神は、現代兵器を使うのがお好みらしい。迫り来るミサイルを前に、爺ちゃんの身体が『前後』に分身した。『前の』爺ちゃんが跳躍、逆さ反転からミサイルのワイヤー部を切断。それを『後ろ』の爺ちゃんが回避し、ミサイルは誘導されずに遥か後方へと飛んでいった。
「なッ!?」
 驚愕する暇も無く、ロキの懐に爺ちゃんが到達する。分身はあくまで時間軸多重認識の内、最良の結果のみを抽出するものなので、残像は全く別の動きをする事もある。この仕組みが判らないロキには対処しようがない。これはさすがに不味いと判断したのか、ロキは何とか爺ちゃんが二刀を振る前に後方へと退避する事が出来た。よく見れば、脚部が例のローラー機構になっていた。再び互いの間合いが広がる。
「どうもこのままでは、相当分が悪いようだ。今度はこいつでどうだッ! ディー・フンデアンデラング・デス・ベルゲス! ――ガルム!!」
 ウォオオオオオオンッ!!
 先程のようにロキの肉体が変化を起こし、巨大化する。全身が茶色い毛に覆われたその姿は、全長20メートルもある巨大な犬だった。夜空の月に向かって雄叫びを上げるその姿は、あのアヌビスと似ている。違いがあるとすれば、それは『眼が四つ』ある事だった。
「ふははははッ! これが『山犬の霊』ガルムよ! エーリューズニルの番犬の猛威をとくと味わえ!!」
『山犬の霊』ガルム。
 かつて北欧神話において、死者の国ヘルへイムを治めるロキの娘、ヘルの館『エーリューズニル』の番犬であったとされる。それが神々の黄昏ラグナロクにおいて解き放たれ、軍神テュールと相打ちになったと伝えられている。
 しかし巨大な犬になろうが、ファフニールの時と同じ結果になるのではないだろうか。巨体は単純に『強さ』ではあるけど、その差を逆転させる方法はいくらでもあるのだ。ガルムの獰猛な口元から、唸りと共に気勢が発せられる。
 グルルルルル! ウォーンッ!!
「ヘルプスト・イン・ディー・ホーレ・デス・トーデス! ――グニパヘリル!!」
 山犬の咆哮が鼓膜を震わせ、その反響する音の洪水に慌てて耳を塞ぐ。
「――くッ! 何という鳴き声だ!!」
「鼓膜が破けちまうよ!」
「うっ!? これはハウリングボイス?」
 他の三人もそれぞれ耳を塞ぐけど、それでこの音が完全に遮断出来る訳も無く、むしろ気休め程度にしかならない。それでも鼓膜が破けないのは、音が集中しているのが爺ちゃんのいる辺りだからだろう。
「爺ちゃん!」
 丁度爺ちゃんの足下に、突如として黒々とした『穴』が開いた。それを時間軸多重認識によって、あらかじめ予測出来ていた爺ちゃんが跳躍して回避する。しかしガルムは獰猛な顔付きでその行動を嗤う。
「くっはっははははッ! 愚かなり崎守伝一郎! グニパヘリルはあらゆる者を死へと誘う冥府の穴よ! ブルドガングのプファイラー・デス・ヒンメルが神域へとエネルギーを自然へと還すのと逆に、このグニパヘリルはエネルギーを丸ごと頂くのだッ! そおれ、冥府の穴が貴様を吸い込むぞ!?」
 ブルドガングだのプファイラー何とかだのとよく判らない単語が出て来るけど、そんな事よりも目の前で起きている現象に皆の視線が釘付けになっていた。おそらくだけど、これは人間が識別出来ない超低周波音によって空振を起こし、衝撃波となって空気中を伝播して特定の空間を囲い込み、反響させて振動を増幅させる事で空間を捩じ曲げているのだと思われる。
 跳躍して回避した筈の爺ちゃんの身体が、黒い穴へと吸い込まれていく。穴が掃除機みたいに空気を吸引していて、その為に爺ちゃんは穴へと吸い込まれてしまった。黒い穴はその役目を終え、瞬時に塞がる。
「はははッ! どうだ! 随分と手こずったものだが、冥府の穴からは脱出など出来ん。次は貴様達の番だ」
 爺ちゃんを仕留めたと確信したガルムは、こちらをギロリと睨む。
「ちくしょう! 伝一郎さんでも駄目かよ!」
 佐伯君が悔し気にしながら、9mm拳銃を構える。
「撹乱は私に任せてくれ」
 仁科さんが瞬時に移動し、その気配が掻き消える。
「接近戦は任せてちょうだい」
 皐月さんが蜻蛉切を構え、ガルムとの間合いをじりじりと詰める。しかしその時、塞がった筈のグニパヘリルの穴があった場所から数多の刀が飛び出し、地中から爺ちゃんが飛び出した。
「なッ! 何だとお!?」
 中空へ舞う爺ちゃんは、そのまま右の刀をガルムの眉間へと投擲した。
「ぐおッ!?」
 能力を使った為か、避ける事も出来ずに眉間に刀が突き刺さる。『点殺の術理』により眉間の『径穴』を貫かれ、ガルムの巨体は叫ぶ暇も無く崩れていく。しかし、崩れた肉体の殻を破るかのように中からロキが元の姿で現れ、中空へと舞い上がる。
「ファフニールに続き、ガルムまで滅せられてしまうとはな! だが俺の引き出しはまだ尽きてはおらんぞおッ! アイン・メーアスシュランゲン・アンデラング! ――ヨルムンガンド!!」
 ロキの肉体が再び膨張し、みるみる内に全長100メートル近い細長い巨大な物体へと変化していく。その太く長い身体を波打たせながら、空中からの落下を利用して巨大な顎を開き、牙の生え揃った大きな口で爺ちゃんの真上から挑み掛かる。
 それは、巨大な海蛇であった。かつて北欧神話の時代、ロキの子として生まれたヨルムンガンドは将来、神々の脅威となるだろうと主神オーディーンによって海へと捨てられたが、海で成長を遂げて結局はラグナロクにおいて雷神トールと相打ちとなったと伝承にはある。
 その巨大な顎の噛み付き、丸呑み攻撃をたった二体に分身しただけで躱し、さらに地響きを上げて着地したヨルムンガンドの両側へ分身と本体が位置取り、二刀による高速の連続突きを放った!
 「これぞ天仰理念流多刀曲芸・密之二双(みつのにそう)」
 まさに双剣、密なる如し。
 『点殺の術理』による一点集中の『情報殺し』の突きを、間断無く繰り出し続ける。傍目から見れば、常人には何百の刀が眼に映る事だろう。
 いや、実際に爺ちゃんの手には『何百』という刀が握られている。一刀一刀、手にしている刀が違うのだ。これは時間軸多重認識の能力を刀のみに使用しており、一撃一撃が最も的確な部位へと命中している上に、突きの特性上、『引き抜く』という動作が隙を生む為、その隙を省く為に貫いた瞬間に手を刀より放し、重さを軽減してから構えと同時に再び新たな刀を召還するという離れ業だった。そしてその手の動きがあまりに早業の為、この場では私にしか認識出来ないので『死角』は維持出来ているという好条件もある。
 ギシャアアアアアアアアアアッ!!
 物凄い短時間で無数の刀を突き刺され、まるで針の巣のようになってしまったヨルムンガンド。『径穴』には突きを受けていないものの、『情報殺し』の術理は確実にダメージを蓄積していく。爺ちゃんは神速の突きを繰り出しつつも、絶えず立ち位置を変え、ヨルムンガンドの後方へじりじりと移動している。これによって針の巣状態の範囲を拡げているのだ。
「ええいッ! この巨体では小兵相手には身動きが取り辛いわ! 一気に滅殺能力でケリを付けてくれるッ! ディー・ギフトシュトレーウング! ――エーリヴァーガル!!」
 蛇の特性を生かし、細長い身体を捩じ曲げて大きな口を爺ちゃんに向けるヨルムンガンド。その口から何やら白い霧状の毒素が噴射され、その放射線状に存在する全ての物体が、たちまち腐敗していく。
 だが既に、そこに爺ちゃんの姿は無かった。
「これぞ天仰理念流多刀曲芸・隠れ剣(かくれけん)。既に勝敗は決した。『隠れた剣』が、お前さんを既に斬っているんでな」
「……何だと? ――がはッ!?」
 ヨルムンガンドの頭部に、何事も無かったかのように爺ちゃんが立っていた。そして誰にも見えない『死角』において、既に残像がヨルムンガンドの首を切り落としていた。時間差で地面に落ちた首が、たちまち消滅する。頭部に乗っていた爺ちゃんも当然、そのまま地面に着地する。
 ヨルムンガンドまで滅せられ、元の姿に戻ったロキの顔に、僅かだけどとうとう焦りの色が見え始める。
「くッ! まさかヨルムンガンドまであっさりと敗れるとは……。だがしかし! 次は絶対に回避は出来んぞ! このロキ最大の能力で葬ってくれるわ! エス・ヴィルト・フォン・アイネム・グラウエン・ヴォルフ・ヴェアヴァンデルト! ――フェンリル!!」
 ウォオオオオオオオオオン!!
 ロキの身体がまたもや巨大化し、今度は全長にしておよそ300mという、とんでもない巨体の灰色のオオカミへと変身した。その巨大化の余波により、爺ちゃんも私達も巨大オオカミから急いで離脱する必要に迫られた。
「ちくしょう! あのヤロウ、とんでもねえもんに化けやがって!!」
「急げ! とにかく逃げる事だけ考えろ!」
「こんな時程、先読みがあって良かったと思うわね」
 不格好ながら一生懸命に走って逃走する佐伯君、身軽さを活かして障害物を飛び跳ねて躱しながら先行する仁科さん、先読みの力で一番始めに離脱する事が出来た皐月さん、皆何とか無事にフェンリルから距離を取る。私も仁科さんに倣って退避し、爺ちゃんはフェンリルから僅か20メートルの距離で停止する。
 魔獣フェンリル。
 かつてラグナロクの引き金となった、破壊の化身。あの北欧神話の主神であるオーディーンを殺した程の化け物だ。
「こりゃあまた、随分と大きくなったもんだ。さすがにたまげたぞ? で、核爆発でも起こす気かよ?」
 爺ちゃんの何気ない言葉に、フェンリルが僅かに震える。何か気になる事でも言ったのだろうか。やがてフェンリルが大きな口を開けて笑い始める。
「はははははッ! いかにもその通り! まさかフェンリルの滅殺能力を当てずっぽうとは言え、言い当ててみせるとは恐れ入ったわ! さすが、ここまでこのロキを追い詰めた男よ!!」
 それを聞いて、佐伯君達の顔色が変わる。
「おいおい、ちょっと待て。か、核だと? んなもん使われたら終わりじゃねえかよ」
「まあ、生きてはおれんな」
「先読みも無意味ね」
 激しく動揺する佐伯君に対し、仁科さんと皐月さんはある程度冷静に受け止めていた。私はと言うと、爺ちゃんを信じるしか無いという気持ちだった。あの爺ちゃんが、当てずっぽうであんな事を言う筈が無い。間違いなく、確信を持って言った一言だった。そして、核の脅威に何ら怯んでいないという事も判る。
「みんな、爺ちゃんに任せようよ。何か自信あるみたいだよ?」
 私の一言に、他の皆が一様に爺ちゃんを見て押し黙る。次に何が起こるのか、そして次が間違いなく、この戦いの最後なのだと直感的に感じたのだろう。さらによく観察して見ると、爺ちゃんは私達を巻き込まないように、フェンリルと対峙する立ち位置を私達のいる線上から大分ずらしてくれていた。
「さあ、これで本当に終わりだ! とくと味わうがいいッ! ディー・レッツテ・フランメ・トーテット・ゴット・ウント・ローシャット・ディー・ヴェルト・アオス! ――ヴァナルガンド!!」
 大きく開いた顎、その奥に膨大なエネルギーが収束する。熱融合反応によって数百万度に達する超高熱が発生し、その影響が周囲に拡散しようとしたその時。
「――がッ!?」
 遥か天空より飛来してきた数十本の刀が、巨大過ぎるフェンリルの上顎に深々と突き刺さって口を閉じさせてしまう。さらに左右からも何十という刀が飛来し、フェンリルの頬に突き刺さる。それによって顎の筋肉が切断され、顎に力が入らなくなってしまう。そして駄目押しに、斜め横から飛んで来た刀の何本かはくるくると回転しながら歪曲した軌道を描いて飛び、下顎へと潜り込んで上に向かって顎を貫いた。
「……これぞ天仰理念流多刀曲芸・曲り羅刹(まがりらせつ)だ。俺の刀はな、曲がるんだよ。だから『きょくげい』じゃなく、『まがりげい』なんだよ」
 膨張したエネルギーを解放する筈だった口を封じられ、フェンリルは激しく身もだえしながら何とか核融合反応を抑え込んで暴発を止めようとする。しかし、一旦反応してしまった核力を元に戻すなんて事は出来ない。
「御空! 天魔調伏だ!!」
 爺ちゃんの一喝に、何を意図した指示なのかを瞬時に悟る。核爆発がもたらすのは、ただの破壊だけではない。長期に渡って放射能が残留し、人体や環境に多大な被害を与えるのだ。すぐに『過去』を認識し、予測地点へと数多の『赤銅』を飛ばす。
 せめてもの抵抗のつもりか、こちらに顔を向けて爆発の余波を浴びせようとしたフェンリルへ、膨大な数の赤銅が次々と飛んでいく。
 ドゴン!!
 フェンリルの頭が爆発で吹っ飛び、解放された爆発エネルギーの余波が衝撃となってこちらへ向かって来る。それを天魔調伏で迎撃し、データ抹消攻撃の効果で全て相殺する!
 頭を失ったフェンリルはその姿を維持出来なくなり、その巨大タンカー程もある巨体がみるみる内に小さく萎んでいく。元の姿へと戻ったロキが、何を思ったか唐突に笑い出す。
「……クックック、ハーッハッハッハッ! まさか我が眷属の力全てが通用せんとは、さすがに笑うしか無いわ! だがな、このロキがこれで終わると思ったら大間違いよ! 来れ! 『器の神』よ!!」
 いつの間にかロキの手に、金色のゴブレット(杯)が握られている。その杯を頭上へと放り投げ、遥か高く飛んでいく。そして地上から1000mもの高みにて停止し、突如として巨大な杯が現出する。その大きさは目測で、およそ1km程にもなる。
 あの不可思議な物体が周囲に撒き散らす圧倒的悪意は、普通の人間を発狂させるのに充分な狂気を発散している。『器の神』を前にした他の三人の内、仁科さんだけが直視する事を避けていた。
「くっ! ヤツめ、またアレを出したのか! 皆、気を付けるんだ。アレを直視しなければ、多少はマシな筈だ」
 どうやら仁科さんは、以前にも『器の神』を見た事があるらしい。吐き気を抑えていた佐伯君と皐月さんが、仁科さんのアドバイスを聞いて慌てて視線を外す。
「ぶはっ! すげえ気持ち悪ぃ。何だありゃあ」
「……何とか落ち着いてきたけど。この精神に直接干渉してくる圧倒的なプレッシャー、並では無いわね」
 三人共何とか正気を保っているけど、これは彼らが『超能力者』であるからだろう。常人と比べ、多くの情報量を脳内で処理する彼ら超能力者は、神々の発する膨大なエネルギーによって発せられる、電磁波などの情報を伴った『神気』を受けてもある程度の耐性があるようだ。
 それよりも、『器の神』とは一体何なのか。
 それは『仮面の神』と同じく、外宇宙から飛来した悪意の塊であり、物体にして神であるという不可解極まりない存在だった。感じ取れる意思はただ『食欲』のみ。だが、例えば人は何かを食べたら、その食べた物はどうなるだろうか。答えは単純明快、最終的には『排泄』という行為が待っている。
 金色の巨大ゴブレットの下部から、何か黒い液状の物がロキの頭上へと滴り落ち、ロキの全身が黒い液状の物体で覆われていく。やがて黒い液体はロキの肉体に吸収され、以前よりも力を増したロキが辺りに『神気』のプレッシャーを撒き散らして高笑いする。
「はっはっはっはっ! どうもただの『神』では貴様には到底敵わんらしいんでな。少々卑怯な手段を使わせて貰った。『器の神』は全てのエネルギーを喰らう破滅をもたらす脅威ではあるが、このように力を分け与える事も出来るのだ! 今の俺は主神5人分位の力があるかな?」
 いつの間にか、『器の神』の姿が無くなっている。
 それよりロキの言う通り、既にそのエネルギー総量は五億にも達している。溢れ出る膨大なエネルギーにより、周辺の空間に紫電が迸る程だった。しかしロキに対峙する爺ちゃんは、相変わらず平常心を保っていた。
「戦いに、卑怯もクソも無い。好きにしたらいいんじゃないか? どのみち、貴様を倒したところでこの戦いが終わる訳では無いしな。いい加減、面倒臭くなってきたんでさっさとケリを付けようじゃないか」
 その余裕どころか太々しい態度を前に、今のロキもまた動じない。
「全く同感だ。この忌々しい戦いに、最早意味など無い。さっさと貴様を殺し、そこの連中も殺して巫女を殺すとしようでは無いか――行くぞッ!!」
 巫女を殺す? ロキの目的は静ちゃんの殺害だったのか。
 さらに強大な力を手に入れたロキが、脚部ローラーダッシュ機構を回転させて爺ちゃんの周りを移動し、両腕をガトリングガンに変化させて無数の弾丸をバラ撒く。それを時間軸多重認識による残像で回避しつつ、ロキとの間合いを詰めようとする爺ちゃん。
「大技に拘るのはやめだ! 弾丸の一発でも当たれば貴様ら人間は死ぬのだから、小技を組み合わせれば勝機は充分にある!」
 さらに背中から両肩にかけて油圧式パワーショベルのショベルアームが迫り出し、次いで背中に7.6mもの大きさの多連装ロケットランチャーが出現する。それを見た佐伯君がまたしても、その武装の詳細を告げる。
「今度はBM-30スメーチかよ! ありゃロシア製多連装ロケットランチャーだぜ。確か、対人クラスター弾頭を射ち出す筈だ」
 対人クラスター弾頭とは、一発のミサイルから子弾72発をバラ撒くという大量殺戮兵器だ。スメーチは12発の300mmロケット弾を装弾しており、70kmから90kmもの長射程を誇る。本来はこのような近距離で使うべき兵器では無い筈だけど、相手は神、こちらの現代兵器の知識とは全く違う使い方が出来てもおかしくは無いだろう。
 スメーチから12発のロケット弾が真上へと発射され、煙を振り払うようにローラーダッシュでロキが今度は反対方向へと移動してガトリングガンを射つ。対する爺ちゃんはやはり時間軸多重認識で全ての攻撃を躱し、真上へと飛んだロケット弾すら気にする事無く、ロキとの間合いを詰めようと疾走する。
 しかしロキの移動速度はおよそ時速200km程にもなり、人間の足ではせいぜい平均速度35km程であり、しかもそれはオリンピックの短距離選手の話だ。齢70にもなる爺ちゃんでは、そこまでの速度は出せる訳が無い。とは言え、70歳とは思えない走力で、何と時速30km近く出ている。さらに15mの間合いでなら、一秒以下でその間合いを詰める事も出来る。
 そこへ空へと飛んだ12本のロケット弾が真下へと方向転換し、爺ちゃんの真上で無数の子弾をバラ撒いた!
「やべえ!」
 スメーチの性能を知っている佐伯君が、その光景に堪らず叫ぶ。無数の子弾が地面に着弾、次々と爆発を起こして辺りがもうもうと煙に包まれる。そこへ駄目押しとばかりに、ガトリングガンを掃射するロキ。
「うはははははッ! 分身だか何だか知らんが、無尽蔵の我がエネルギーで物量にて攻めれば、いかな貴様と言えどもいつか疲れが出るだろうよ!」
 ロキの狙いはどうやら、爺ちゃんの疲労を誘う事らしい。確かに高齢である事が唯一の欠点と言ってもいい爺ちゃん相手には、有効な戦法だろう。煙の中から何事も無く爺ちゃんが飛び出し、ロキは高速移動で再び距離を取りつつガトリングガンの掃射で牽制する。
 正確に言うなら、爺ちゃんは何事も無いという訳では無かった。散々走り回った為、その顔は汗でびっしょりだった。それに、走る速度も目に見えて衰えてきている。そんな姿を見てしまえば、誰しも戦いの趨勢はロキに傾きつつあると思う。
「……伝一郎さん、このままじゃヤバいんじゃないか?」
 援護でもしようというのか、佐伯君が9mm拳銃を構えて呟く。それを仁科さんが手で制する。
「いや、我々の出番は無さそうだ」
「…何だって?」
 仁科さんの物言いは、まるで今の状況を理解しているとは思えないものだった。佐伯君は怪訝な表情でその場を動かず、皐月さんは何か物思いに沈んでいるように見える。仁科さんは補足するように、説明を続ける。
「判らないか?一見、ロキの撹乱に伝一郎さんが踊らされているかのように見える。だが、そうではない。踊らされているのはロキの方だよ。伝一郎さんは、あちこち走りつつも、着実に『準備』をしているんだろう」
 準備。
 それは一体何の準備なのか、でも私には判っていた。爺ちゃんは走りながらも、対角線上等間隔に何本も刀を地面に突き立てていた。そしてその形は真上から見る事が出来れば、完全なる『円』を描いている事だろう。そして多刀曲芸の秘技が、その猛威を振るうのを今か今かと待っているのだ。
 ロキが爺ちゃんを走り回らせている時、爺ちゃんしか見ていなかったのが敗因だった。対して爺ちゃんは、『心眼』によって周辺の状況を細かく把握しており、その認識力こそ最大の武器だとロキは気付くべきだったのだ。
 とうとうロキが『円陣』の内側中央に『誘導』された。そこで爺ちゃんは走るのを止め、再び発射された12本のロケット弾からバラ撒かれる子弾の着弾を受ける。
「ふはははははッ! とうとう疲れがきたな! これで貴様も終わりだッ!!」
煙る空間に、ロキのガトリングガンが炸裂する。背中のスメーチからも再びロケット弾が射出され、圧倒的物量による攻撃で畳み掛ける。
 しかし次の瞬間。
「――なっ、何いッ!?」
 突然の事態に、どうすれば良いのか判断出来ずに攻撃を止めて驚愕するロキ。一体何が起こったのか?
「……天仰理念流兵法陣立・多刀円陣(たとうえんじん)。残念だが、終わりはお前さんの方なんだよ」
 それは円陣上の刀一つ一つを基点にしてその刀の上に立つ、数多くの爺ちゃんの姿だった。刀そのものが爺ちゃんの認識のアンカーであり、この奥義の為に数多の刀を召還する『八百万』があったと言ってもいい。そして円陣は別に一つだけでは無く、一番大きな円陣の内側に何重もの円陣があり、その全てに爺ちゃんの多重分身が立っているのだ。
「……ふん、だからどうした! 物量で押し切るだけだ!!」
 ローラーダッシュ機構を最大限に利用し、その場で360度回転するロキ。回転しながらガトリングガンとスメーチを射つが、何百という爺ちゃんが一斉にロキへと挑み掛かってくる。まず一番近い円陣、15メートルの間合いを一瞬で詰めた12体の爺ちゃんがロキと擦れ違う。
「――ぐはッ!?」
 擦れ違い様に二刀で身体中を切り刻まれ、ロキの身体から血飛沫が舞う。続けて二陣目、24体の分身がロキと擦れ違い、三陣目、四陣目と分身が倍々に増えていく。斬られては再生し、また斬られて再生の繰り返し。しかし着実にロキの肉体が削られていき、『極線の術理』は確実にロキの膨大なエネルギーをも削っていく。
 そして全ての分身が攻撃を終えた時、切り刻まれてズタズタになったロキの背後に、爺ちゃんが一人立っていた。
「……これぞ天仰理念流多刀曲芸・千之無双(せんのむそう)」
 まさに向かうところ敵無し、無双の名を冠するに相応しい技だった。一対一でも多数相手でも、この技を以てすれば一瞬で勝負が付くだろう。欠点があるとすれば準備に時間が掛かる事だろうけど、その苦労に見合うだけの威力を持っている。しかし、ロキはまだ滅んだ訳では無かった。
「――このまま滅んでたまるものかあッ!!」
 ガシャン! ウィーン!
 ロキの両肩に生えていた油圧式パワーショベルのアームが逆へと向きを変え、唸りを上げて背中合わせに立つ爺ちゃんの背に向かって振り降ろされる! が、何を思ったか爺ちゃんはその場に片膝を付いてうずくまってしまう。
「ガッ!?」
 突然、ロキの身体中に無数の刀が突き刺さった。多刀円陣の全ての刀が、ロキ目掛けて飛来したのだった。
「――これぞ天仰理念流多刀曲芸・万之無双(まんのむそう)」
 ゆっくりと、地面に倒れ伏すロキ。それを見て佐伯君が喝采を上げる。
「や、やったぜ! すげえな伝一郎さん! あの化け物を一人で倒しちまったよ!!」
 その声に応えた訳では無いだろうけど、爺ちゃんはこちらへとゆっくり歩いて来る。これで戦いは終わったと思われた時、皐月さんと私が同時に反応した。
「ッ! まだよ! 伝一郎さん!!」
「爺ちゃん!!」
 ある程度の未来予測が可能な、私と皐月さんが見たもの。ゆっくりと歩を進める爺ちゃんの背後、死んだかと思われたロキが襲い掛かろうとしていた。
「――死ねえッ!!」
 ドルルルルルルッ! キュイーンッ!!
 おそらく、残り僅かのエネルギーを振り絞っての攻撃だったのだろう。両腕をチェーンソーに変化させ、大きく振りかぶって爺ちゃんの背中へと斬り掛かる。チェーンソーならばさすがの日本刀も、受け止める事も受け流す事も難しい。
 しかし。
「……天仰理念流剣術・飛び無刀(とびむとう)」
 即座に振り返り、左の一刀を空へと放り投げ、右の一刀でロキの左腕のチェーンソーを受け流す。
 ギャリギャリギャリギャリ!!
 甲高い切削音が響き渡り、刀の刀身に沿ってチェーンソーが滑り、地面を砕く。チェーンソーを受け流したはいいものの、右の刀は刃こぼれでボロボロになってしまって使い物にならないだろう。爺ちゃんは右の刀を手放し、時間差で振り降ろされるロキの右腕のチェーンソー目掛けてさらに一歩、踏み込んだ。
 ガシッ!
 爺ちゃんの両手が、ロキの右腕のチェーンソーのエンジン部を掴む。まるで柳生新陰流の『無刀取り』みたいな格好になり、両者の視線が交錯する。
「力比べか? 神を相手に力で敵うと思うのか! このまま押し切ってやる!!」
 残りのエネルギーを膂力(りょりょく)に変え、ロキが右腕に力を込める。さらに地面に食い込んだ左腕を持ち上げようとしたところを爺ちゃんの足が踏み付ける。
「左を封じたか! しかし勝つのはこのロキよ!!」
「……何か勘違いしているようだが、お前さんは上を心配した方がいいぞ?」
「……何だと?」
 爺ちゃんの意味深な言葉に、ロキが頭上を見上げようとする。しかし、それは適わなかった。
 ズンッ!
 一本の刀が、ロキの脳天を貫いていた。声を出す事も出来ず、ロキは今度こそ滅ぶ。ロキの全身がボロボロと崩れ、やがて砂のようになって夜風に乗って消え去った。
「……これぞ天仰理念流剣術・飛び無刀の真髄だ。何故、左を空へ投げたのかを考えるべきだったな」
 天仰理念流剣術・飛び無刀。
 この技は無刀取りで相手の動きを止め、あらかじめ投げた一刀を空より再び呼び戻す事で相手の脳天を貫くという、まさに秘剣であった。この技は多刀曲芸では無く基本となる剣術に分類される技であるけど、その基本剣術における究極の一つと言えるだろう。
 兎も角、これで勝敗は決した。無傷でロキを倒した爺ちゃんに、皆で駆け寄る。
「いやあ、一時はどうなるかと思ったんですけど、さすがっすね!」
「これで我々も、静さんと合流出来ますわね」
 佐伯君と皐月さん、それぞれが笑顔を見せる。しかし仁科さんは、一人浮かない表情で爺ちゃんに相対した。
「……折角の勝ち戦の後に申し訳無いのですが、お知らせしなくてはならない事があります。大方察しは付いておられるでしょうが」
 それを静かに聞いていた爺ちゃんが、僅かに頷いた。
「ああ、あやつを倒して終われば楽なんだがな。生憎と、これで終わりという訳では無い」
 その言葉に、喜んでいた佐伯君と皐月さんの動きがぴたりと止まってしまう。そして爺ちゃんは、とんでもない事を言い出した。
「おそらく、静は既にさらわれてしまっているだろう」
「……はあ?」
 その一言に、私は思わず間の抜けた声を出してしまう。しかし爺ちゃんは慌てる事も無く、実に落ち着いた顔で続ける。
「一応、それを防ぐ為に蓮見達を向かわせたんだが。どうも一足遅かったらしいな」
 そう言って内懐から取り出したのはケータイだった。


第十話・剣聖無双
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