Sick City
第三章・道化再臨

 認識する。
 脳裏に映るレーダー網に、いくつか重なる時間軸のレイヤー(層)を。今まで、この時間軸の階層構造をどう攻撃手段として応用するか、思い付けないでいた。
 でも今なら判る。
 白銀も黒金も、全ての矢が『現在』消失していても、過去と未来においてはまた存在するのだと。そして『未来』は予測であり、『過去』は存在である。過去の存在を改変するのであれば、今が変わる。いくつも重なる無数の『過去』から、いくつも重なる無数の『未来』へと、数多の矢を移動させる!
「吾が身既に鉄なり。吾が心既に空(くう)なり――兵法陣立・天魔調伏(てんまちょうぶく)!!」
 キン、と甲高い耳鳴り音が木霊(こだま)する。
 百数羽のワタリガラスが、群れを成して襲い掛かって来る。
 レーダー網にて精査。
 ワタリガラスの実態はダイオキシン類、フッ素、ヒ素、水銀、マイコトキシン類等、数百にも及ぶ汚染物質にて構成されており、その強い毒性がそのまま滅殺プログラムになっている。人間には滅殺プログラムは殆ど影響は無いが、単純に毒の影響で死に至るだろう事は明らかだ。
 しかし、ワタリガラスの群れが私に襲い掛かる事は出来なかった。
「――グエッ!?」
 百数羽全てに、赤っぽい色の矢が命中している。時間軸階層構造の多重認識による未来予測によれば、数百の汚染物質が周辺環境に与える被害は甚大であると予想出来た。従来の白銀、及び黒金による攻撃で撃退しても、汚染物質を除去する事が出来ない。
 第三の矢の名は『赤銅(しゃくどう)』。
 その名の通り赤銅色をしており、形状は鏑(やじり)が極端に大きく、二カ所の穴が開いているのが特徴だ。
 日本では古来より邪を払う為、祭事に用いられたとされる鏑矢(かぶらや)というものがあった。鏃(やじり)に鏑(かぶら)と言われる円筒形、或は円錐形の中身が刳り貫かれた木製の武具を装着し、これを放つと音が出る。この音が、邪を払うとされてきた。
 しかしこれは、赤銅の特性が後世に語り継がれた結果でしかない。
 赤銅の特性。
 それは、マイクロ波の電磁波干渉によるデータ抹消攻撃。
 鏃の特殊な形状によって大きな大気摩擦を引き起こし、電磁誘導を生じさせる。この時発生した誘導電流により、マイクロ波が発生する。発生したマイクロ波には抗生ウイルスとして機能するデータが含まれており、情報生命に対してその活動を急激に抑制し、死滅させる効果を持つ。
 古来より邪とされてきた物、例えば幽霊や物の怪の類いなど、およそ人の手に負えない存在とは、そもそもが神と同じく、情報そのものであった。
 ワタリガラスの動きを未来予測にて先読みし、赤銅によって百数羽全てを打ち落とす。さらに電磁波干渉によるデータ抹消によって汚染物質を浄化、同時に『神』の構成要素である中核プログラムをも抹消する。
 白銀や黒金による攻撃であるならば『径穴』への攻撃となるが、ここに来て『獣神』の滅殺能力の弱点が露呈した。それはワタリガラスへと変身し、自らが滅殺プログラムとなってしまった事によって『径穴』に関係無くワタリガラスの情報を抹消すれば、存在が消えてしまうという矛盾を抱える事になってしまったのだ。
 天魔調伏の真価はそれだけではない。
 データ抹消攻撃自体は赤銅の特性であって、天魔調伏の『技』としての特性ではない。
 この技の真価は『過去』の矢が『未来』へと飛ぶ事で、何の予備動作も無く、敵の攻撃そのものを予測地点にて迎撃出来る点にある。既に放った筈の『過去』の矢を、『現在』では無く起こり得る『未来』へと解き放つ。
 一瞬の攻防を傍目で見ていた者には、飛び掛かってきた百数羽の『黒』に『赤銅色』が突き刺さり、私と『赤銅色』の姿形が一瞬、何重にもブレて見えた筈だった。
「……え!? 何? 分身!?」
 73式のハンドルを握っていた叶さんが驚き、眼を見開く。
 この私のレーダー網の中に限り、私を認識しようとすると時間軸にズレが生じ、ほんの一瞬だけ残像のように見えてしまうのだ。特に意味は無いのだけど。
 これでマッハは、跡形も無く消滅した。
 この意外な結末に、バイヴ・カハの残りの二人、モーリアンとネヴァンは激しく動揺した。
「……なっ! おお、マッハよ!!」
「くッ! 折角、神としての己を取り戻したというのに…」
 しかし皐月さんと交戦中のネヴァンはすぐに己を取り戻し、一方のモーリアンは怒りに満ちた形相で私を睨む。
「よくもマッハを殺してくれたな――とは言え、どうやら侮りすぎていたようだ。神としての己の力を過信し、敵を知らずして負けるのは当然かも知れん。『神殺し』の妹もまた『神殺し』とはな……。ネヴァン! こいつらは普通の人間では無い! 持てる力の全てを解放せよ! 我ら三位一体の一角が崩れようとも、まだやれる筈だ!」
 最後、何かおかしな言い回しをしたように思った。
 その疑問に応じるが如く、ネヴァンが得心したといった感で頷く。
「そうだな! マッハの為にも、ここで死ぬ訳には行かぬ! 『アレ』をやるしかあるまい!!」
 ネヴァンの言う『アレ』が何かは判らないが、おそらく滅殺能力の類いだろうと予想は出来る。しかし、わざわざ『三位一体』だの何だのと、一々確認するところに違和感を感じる。
「行くぞ人間ッ! 我らバイヴ・カハの切り札、とくと味わうが良い! クリーアハ・フィーアル! ――ウル・ギャラル・ドルヒダス!!」
 クリーアハ・フィーアル(真の終わり)、ウル・ギャラル・ドルヒダス(暗黒月食)。
 またもアカシック・レコードによる同時翻訳が脳裏に閃くが、やはり技の中身までは判らない。とは言え、おそらくはすぐに判る。何故ならば、既に眼に見える変化が起きているからだ。
 モーリアンとネヴァンの輪郭が崩れ、周辺の『闇』と同化していく。
「ッ! これは!?」
 まず先に、皐月さんが反応した。
 未来予測によって結果を先読みしたのだろう、先程の棒高跳びの要領で、一気に空中へとその身を躍らせる。ネヴァンの間近にいた皐月さんには、すぐに退避しなくてはならない理由があったのだ。
「――闇が、光を喰っている?」
 不可解な現象だった。
 可視光線である光の波長は、直進性を持っている。だから完全に『闇』となって消えるような事にはならない。この夜空に輝く月があるのだから、なおさらである。しかし、現実に暗闇が周辺へと拡大していき、ついには夜空の月さえ隠してしまう。
 これは、おそらくマッハの使ったデアナン・ポルシオン(汚染変化)の強化版だ。
 違いがあるとするならば、物質的な汚染を引き起こすデアナン・ポルシオンに対し、もっと根源的な物理現象への浸食という形になって発動するのがウル・ギャラル・ドルヒダスの本質なのだろう。
 具体的に言えば、別に光だけに影響を与えているのでは無く、『波長』全てに対してその運動を強制的に止めてしまうという効果を持っている。『波長』とはすなわち、空間を伝わる波の周期的な長さの事を言う。一例を挙げるなら『電波』が一番、『波長』を説明するのに適しているだろう。
 電波とは電磁波の内、光よりさらに周波数の低い帯域のものを指す。電波と光の違いなど無いに等しく、ただ光の方が波長が強いと言うだけなのだけど、敢えて差を付けるなら電波は波長性、光は粒子性をその性質として、科学的に利用する事が多い。
 人間は歩くたびに微弱な電磁波を発しており、さらに言えば、人間の血液の大部分は鉄分であるので、電磁波の影響を脳が受けやすい一つの理由になっている。
 ウル・ギャラル・ドルヒダスの影響を受けると波長という波長は全て運動を停止し、生物ならばその活動を止める結果となるのだ。
 全ての活動に対し、等しく死を与える暗黒――それがこの技の正体だ。
 では、モーリアンとネヴァンはどうなったのだろう?
 それもまた、マッハのデアナン・ポルシオンを踏襲している。マッハはワタリガラスに『変質』した。同じく、モーリアンとネヴァンは『暗黒』になったのだ。
「御空ちゃん! このままじゃマズいんじゃない!?」
 73式のハンドルを握る叶さんの警告の声を聞きながらも、『暗黒』に対する対処法を必死に模索する。
 まずは『暗黒』とは何かを認識しなくてはならない。
『暗黒』とは光を吸収する場のようなもので、実際には完全に光を吸収する事は出来ない。何故ならば、全ての物質は多かれ少なかれ熱量、すなわちエネルギーを持ち、赤外線を放射しているからである。
 だが、例外もある。
 それは『暗黒物質』或は『ダークマター』と言われる、未知の物質だ。
 現在の科学では仮定の物質ではあるものの、宇宙の物質の大半を占めると言われる、未だ未確認の未知の物質の総称である。
 ダークマターが一つの物質なのか、複数の物質なのかすら判っていないので総称として考える。しかし、『暗黒』の正体がダークマターであるとは到底言えないだろう。
 何故ならば、ダークマターはその質量で光を屈折させるのであり、光を吸収するのでは無いからだ。
 次に『暗黒物質』の他に「ダークエネルギー』と言われる未知のエネルギーの存在が仮定されている。
 この『ダークエネルギー』とは別名『真空のエネルギー』と言われており、つまりは宇宙空間の大部分を占めるであろう『真空』中のエネルギーであると考えられている。ダークエネルギーは負の圧力を持ち、『反発する重力』の効果があるのだそうだ。
 科学では説明出来ない事象でも、私の『心眼』を以てすれば違った見方が出来る。
『心眼』によれば、ダークエネルギー、または真空のエネルギーとは、実は『反発力』そのものにある。正確に言えば、『真空』が反発力なのである。
 真空状態になると電気の伝導率は悪くなっていく。
 これは空気中の電極間で電子が加速し、空気が導電性を帯びるようになり、電極間にて電流が発生するようになる。これは雷と同じ原理で、火花電圧と呼ばれ、気圧に反比例する。この為、真空状態は絶縁性を持つ。
 これがすなわち、真空があらゆる物質と反発する性質を持っているという事に繋がる。要するに、真空とは拒絶なのである。だからこそ宇宙空間では寒いし、空気が無いから無音だし、基本的に暗闇なのである。
 ただし、宇宙空間では光が存在すると疑問を抱くのだが、これは宇宙空間のダークエネルギーの割合が約7割程度であり、残り25%程がダークマター、残り5%程が我々が通常観測可能な物質で構成されているという事実が反証材料となる。
 もしも空間がダークエネルギーとダークマターのみで全て構成された場合、完全なる『反発』する空間が出来上がり、光すら『弾き飛ばされてしまう』のだ。
 逆に言えば、地球のような生命に満ちた惑星上において、ダークマター及びダークエネルギーの存在量は極めて低くなり、他の物質が存在し得るのだ。
 いや、この表現は正しくは無い。
 正確を期して言うならば、『通常物質がダークエネルギーを質量で勝り、逆に反発力で弾き飛ばして、一つにまとまった形』が地球のような惑星である。
 そしてダークエネルギーを地球上で観測出来ない理由は、『地球という大きな質量がダークエネルギーを弾き返している』からだ。
 もしもこれから先、科学の発展を望むのであれば、重力を観測出来る観測機器を宇宙空間へ打ち上げなくてはならないだろう。宇宙で無ければダークエネルギーは観測出来ないのである。
 モーリアンとネヴァンは『真空』へと『変質』し、それは『ダークエネルギー』へと変じたという事である。
 この『ダークエネルギー』を喰らうとどうなるか。
 ダークエネルギーは反発力だから弾き飛ばされる、などという事にはならず、素粒子単位での反発、つまり原子崩壊へと繋がる。人であろうと神であろうと、どんな物体も跡形も無く消し飛んでしまうだろう。
 ところで肝心の対処法だけど、実は一つだけある。と言うよりは、元よりたった一つしかあり得ない。
「……まさかダークエネルギーなんてもんを、間近で見る事が出来るなんてね。実は科学史に、その名を残せるんじゃないかな。まあそんな事はどうでもいいか。しかしこれが『我らの地獄は暗黒地獄』って意味だったんだね〜」
 割合、余裕を持ってそんな感想を口にしてみたりする。
 そんな私を見て、叶さんと皐月さんが呆れたような表情をする。
「……なんかさあ、焦って損しちゃったわよ」
「ですわね。しかし、余裕があるという事は勝算があるのでしょう」
 そう。私には勝算がある。
 ダークエネルギーとは反発力であり、真空であり、暗黒である。さて、そこでモーリアン達の生み出したダークエネルギーよりも多くの質量をぶつけたらどうなるだろうか?
「ま、どうなるかは見ててね。ふうっ――我が命、我が物と思わず。武門の儀、あくまで陰なり。死して屍、拾う者無し――兵法陣立・地獄花(じごくばな)! 迷わず地獄へ落ちるがいいッ!!」
 遥か天空へ向け、白銀、黒金、赤銅を次々と速射。
 さらに『過去』から『未来』へと数多の矢を放ち、さらには闇夜において自由な配置が可能な白銀の特性を利用し、ダークエネルギーの周囲を包囲する形で『兵法陣立・霧切舞(むせつまい)』も同時に展開、そして黒金による『兵法陣立・不知火(しらぬい)』、『兵法陣立・千乃乱れ(せんのみだれ)』によって数多の矢が全方向からダークエネルギーを間断無く攻め、最後に『兵法陣立・天魔調伏(てんまちょうぶく)』による予測迎撃とデータ抹消攻撃。
 これぞ天仰理念流兵法陣立・地獄花。
 近接射術の究極の一つが『貫き推衝(すいしょう)』なら、兵法陣立の究極の一つがこの『地獄花』だ。『波定陣(はじょうじん)』も合わせて五種類の兵法陣立の合わせ技。
 圧倒的とも言える大量の矢の洪水が、闇の浸食を徐々に押し込んでいく。
 これこそ単純明快にして、たった一つの正解。
 ダークエネルギーは反発する力であるので、それを上回る物量を以て力技にて対処すればいい。さすれば物質同士は対消滅を起こし、残ったエネルギーは赤銅の効果によって『無垢』なるエネルギーへと変換されて自然へと還ってゆく。
 延々と繰り返される全方位射撃の前に、ついに均衡が崩れる。
「あっ! 別れた!?」
 ダークエネルギーの大幅な減衰と、夜空に退避して姿形を元に戻すモーリアン。その変位を目にして叶さんが反射的に空を見上げる。だがしかし、当の本人であるモーリアンが何故か驚いていた。
「……ネヴァン、どうしてだ」
 未だダークエネルギーに変じたままのネヴァンに問い掛けるモーリアン。だけどネヴァンは答えられない。
 ネヴァンの姿も、ダークエネルギーも、既にそこには無かったからだ。ついに地獄花の前に、ダークエネルギーは完全消滅したのだった。
 ネヴァンの犠牲によって生かされたと思われるモーリアンは、身体を小刻みに震わせて悔恨を口にする。
「ああ、何という事だ! これではまるで、神話の時代と同じ結末では無いか! 何故、私を逃がしたのだネヴァンよ! 私達は三位一体、共に最後まで戦うと誓った筈なのに!!」
 マッハに続いてネヴァンまでを失い、動揺を隠せないモーリアン。
 一方、カンナカムイと激しい攻防を繰り広げていたスリスが、そんなモーリアンを僅かに見た後、悲しげな顔でぽつりと呟く。
「……いっそ人としての人生を全うすれば、このような悲劇を回避出来たでしょうに」
 だけど対峙しているカンナカムイは、そんなスリスの言葉を否定する。
「より高みを目指すは人の業。それは決して攻められる類いのものではあるまい。彼女達は自らの意思で、神へと至ったのだ。ならばどのような結果になろうが、恥じるものでは無い」
 そして一人生き残ったモーリアンは、黒い翼を拡げてこちらを見据えてきた。
「憎い。憎いぞ崎守御空! 貴様一人に我が姉妹を! だがな、折角ネヴァンが生かしてくれたこの身、ここで滅ぶ訳にはいかん。良いか。次に出会った時には必ず貴様の首を上げてやる。せいぜい覚悟しておく事だ!!」
 そこまで告げると途端、モーリアンは夜空を飛んで逃亡してしまった。追撃の為に白銀を放つけど、地獄花で大量の矢を使った為か、立ち眩みがして思わずたたらを踏んでしまった。それでも73式の荷台にいたのが幸いし、ロールバーに掴まる事で何とか踏ん張った。
 しかし、その瞬間。
「――ッ!?」
『波定陣』のレーダー網に、恐ろしい程の膨大なエネルギーが突如として感知された。
 その総量、およそ一億。
 一億ものエネルギーの持ち主と言えば、かのバロールやケツアルコアトルなど、『主神』クラスと呼ばれる、神々の中でも最強レベルの力の持ち主だ。考えてみればバロールもケツアルコアトルも、実は本当はまぐれで勝ったような相手だ。
 一億ものエネルギーが出現したのは、陸上競技場から離れた薮の中。
 そして薮の中より突如現れた、無数の鎖。
 天空へ向けて駆け上がる鎖はモーリアンを絡め取り、そのまま地面へと引き摺り倒してしまった。
「――ガッ!?」
 この突然の異常事態に、この場の全員の動きが止まった。レーダー能力のあるカンナカムイが真っ先に動いた。
「ッツ! ヤツめ! とうとう痺れを切らしたな! ここは一旦退くべきか……」
 自身へ向けて襲い掛かってきた鎖を、背中のケムカ・クリップを投擲する事で迎撃しつつ後ろ向きで空を飛び、最高速度400kmにて戦線から離脱して行く。
 突然戦いを放棄して逃げてしまったカンナカムイ、しかし取り逃がしてしまったスリスは『リーディング』の力によってか、薮の中に潜む何者かの存在に迂闊に動けないでいた。
「……この気配。これはまさか、フィボルグ神族?」
 スリスの口から飛び出た『フィボルグ神族』とは何か。
 アカシック・レコードに瞬間的に与えられた情報によれば、かつて神話の時代、ケルトが支配したヨーロッパの勢力圏内において、ダーナ神族やフォモール神族より以前に栄えた神族なのだという。元々はネメド神族と呼ばれる勢力がいたが、フォモール神族に敗れて追放され、西へと逃れた一派と北へと逃れた一派がいたのだそうだ。
 さて、そのネメド族の中から再びケルトの地へと戻ってきた一派がいた。それがフィボルグ神族だ。別名『極寒の巨人族』とも呼ばれ、どうも北へと逃れた一派だったようだ。
 巨人族と呼ばれるからには、さぞかし巨体なのだろうと思いがちだが、それは違うらしい。
 元々、北欧のバイキングはカスピ海沿岸の方から移り住んできた一族であり、実はバイキング、コーカソイド、モンゴロイドの三種類の混血であったのだという。
 そんな彼らは北欧の先住民であったケルト系のフィボルグ族が比較的大柄であったので巨人と揶揄し、温暖で過ごしやすい土地に住んでいた為に、比較的小柄であったモンゴロイドを小人と揶揄したのだ。
 スリスの発した言葉に反応したらしく、薮の中に潜んでいた何者かが姿を現し、ゆっくりと鎖で雁字搦めにされて地面に転がるモーリアンの前で立ち止まった。
「――おいおい。お前達の役目はこいつらの抹殺だろう? 逃げ出すようでは存在価値は無いな」
 それは男だった。
 銀色の長髪に、黄色いサングラスとゴーグルの間の子みたいなアイウェアを付け、それなりに長身。顔もかなりのイケメンなんだろうけど、顔に浮かぶその表情は、あまりにも残虐性が滲み出ている。
「ぐッ! ううッ――な、何故だ! 私を殺す必要など無いだろう! 何故なんだロキ!!」
 鎖から赤錆が広がり、モーリアンの肉体を浸食していく。急激に力を失いつつあるモーリアンが、力を振り絞って何とか男に食って掛かる。
 エネルギー総量一億の脅威、ロキ。その名は私でも知っている。
 かの北欧神話において、トリックスターとか裏切りの神とか言われている、最終戦争ラグナロクを引き起こした元凶。そのロキは、何故だかモーリアンを無視してスリスへと向き直った。
「フィボルグか。何とも懐かしい響きよ。北欧がアース神族によって支配される以前、俺が属していたのがフィボルグ神族だったな。さすがは水の女神、この俺の素性をそこまで看破したのは貴様が初めてだ」
 軽く笑うロキに対し、水を向けられたスリスは不快感を露にする。
「貴方のような邪神に褒められても、全く嬉しくありませんわ。それに、私は貴方の正体を『もっと深く』まで知っています。外宇宙の外道をこの地球へと引き入れ、各地に紛争の種を撒き散らした者こそ貴方。そして、初めて『仮面の神』に支配されたのも貴方」
 スリスの認識が、ロキに隠された『仮面の神』の相眸を暴く。
 薄らとだが、ロキの端正な顔に重なるようにして、炎のように燃え盛る三つの眼らしきモノを持つ、黒々とした曖昧な輪郭の『仮面』が現れたのだ。しかしそれも一瞬の事で、少しの瞬きの間にその異形は消え失せていた。
「――があああああああッ!!」
 絶叫と共に全身を赤錆に浸食し尽くされ、モーリアンの肉体はまるで砂上の楼閣の如く崩れて風に消えていった。あまりに呆気ない最後を遂げてしまったモーリアンだが、感傷に浸っている余裕など無い。
「さて、折角用意した手駒が当てにならんのでは致し方ないな。この俺自ら相手になるしかあるまい。精々楽しませてくれよ? イッヒ・ベゲーレ・エス・ウント・エッセ・エス! ――グレイプニル!!」
 滅殺兵器グレイプニル。
 かつて魔獣フェンリルを繋ぎ止める為にドヴェルグ(小人)によって造られ、数多の鎖から浸食する赤錆は、酸化という化学反応を利用した滅殺プログラムになっている。
「まずいッ!」
 襲い掛かる無数の鎖を避ける為、叶さんが73式を急発進させる。だけどその場に取り残された皐月さんは、未来予測でいくら回避しても圧倒的な物量の前には限界がやってくる。
 槍はあくまで刀など槍よりリーチの短い武器を相手に優位なのであって、もし槍よりリーチが長い武器を相手にするのであれば、ただのかさばる棒に成り下がる。
 ――ズドン!
 そこへ狙いすました佐伯君の狙撃がロキの右肩を吹き飛ばし、さらに黒い影が皐月さんを抱き抱えて73式の荷台に飛び移ってきた。
「あれえ? ちょっと、仁科君じゃないの。久しぶりぃ。零二君達と一緒だったんじゃないの?」
「お久しぶりです叶様――いや、実は諏訪湖に来てからずっと貴女達と共におった訳なんですが……。まあ、それはいいでしょう。それが我が『陰』の能力故。問題はヤツです」
 黒い影の正体は黒装束に身を包んだ忍者の様な格好の男、仁科三郎さんだった。ちなみに黒装束と言っても本当に黒い訳じゃなくて、柿の色を黒っぽくしたような形容しがたい色合いをしている。
 仁科さんは海外に行ったまま帰って来ない零ちゃんと行動を共にしていた筈だけど、今ここにいると言う事は皆帰って来たんだろうか。
 それにしても『陰』の能力、ダークストーカーとか言う気配を殺す能力は、私の心眼やスリスのリーディングでも捉えられないのだから凄い。
「ちょっと、いい加減降ろして下さらない?」
「あいや、これは失礼!」
 抱き抱えられたままだった皐月さんのキツい一言に、慌てて仁科さんがその身体を荷台の後部座席へと降ろす。そしてロキの攻撃範囲を逃れたのを確認した後、説明を続ける。
「ヤツはイラクにて我々を襲った、おそらく本当の敵の首魁(しゅかい)なのです。零二君が言うには、あの者の『意思』が敵であると」
「本当の敵? それより零ちゃんはどうしたの?」
 敵の正体も気になるけど、零ちゃんが今どうしているのかも気になる。だけど仁科さんは首を横に振った。
「今どうしているのかは判りません。詳しい話は後にしますが、途中で私だけ先に日本へと帰って来たのです。零二君が気になる事があるからと、私を先に行かせたのです。そして貴女達の手助けをして欲しい、と」
 どうやらあのバカ兄貴は、まだ遊び足りないらしい。そこへ厳しい顔をしたままの皐月さんが、仁科さん諌める。
「問題は問題なんでしょうけど、それよりまずはロキを倒さなくてはどうしようもないでしょう?」
 確かに、あの男を野放しには出来ない。
 レーダー網による索敵では現在、佐伯君の狙撃に痺れを切らしたロキはまずスナイパーを排除しようと考えたらしく、佐伯君のいる方角へと物凄い速度で走っていた。凄いと言っても、それは人間の速力と比べた場合の話であり、時速にすればおよそ80km程度なので73式で逃げる事が可能だった。
 狙われている当の佐伯君もまた、傍に控えていた蓮見の運転する陸上自衛隊偵察用バイクKLX250で逃走を開始した。狙撃に使用していたAW50は、バイク移動ではかさばるのでそのまま放棄したようだ。
 スリスも自身の身体を多量の水へと変化させ、そのまま地面を滑るようにして川へと向かって行く。




 さて、それにしてもロキを倒すにはどうすれば良いのか。
 グレイプニルの圧倒的な物量は、それだけで脅威だ。接近戦はほぼ封じられたに等しいし、遠距離で戦おうにもあれだけの移動速度の持ち主、当然、撤退しつつ応戦する形になるだろう。佐伯君がAW50を捨てた今、それが可能なのは私くらいだろうし。
 茅野市運動公園を出ると丁度、KLX250に相乗りした蓮見と佐伯君も飛び出して来た。
「いよう! 何かとんでもねえのが出て来ちまったなあ! わははははっ!!」
「笑ってる場合か! 俺はもうご免だよ!!」
 何だか妙にテンションの高い蓮見と、その後ろに跨がって心底怯えた感じの佐伯君が対照的だった。
「んな心配すんなって! 俺と仁科の旦那で、トラップ仕掛けまくりだからよ! なあ!?」
「その通り! この事態も大方は予想通りなんだよ佐伯君! 伝一郎さんのね!」
蓮見と仁科さんが、二人して佐伯君に笑ってみせる。73式とバイクで並走しているので、どうしても大声になってしまう。どうやらあの狸ジジイは、ロキの登場も予想していたようだ。それに仁科さんの説明だと、爺ちゃんは仁科さんが合流していたのも知っていた事になる。おそらく蓮見も。
「ま、一応はトラップで多少は時間を稼げるだろうよ! 何せアイツは、空を飛べないって話だからな!」
「街中だってのに、一体どんなトラップ仕掛けられるってのよ!」
 まるで戦争映画みたいな話に、思わず頭を抱えたくなってしまう。
「おいおい、街ん中だって色々なモノが溢れてるだろ!? 例えば車とかな! サーマルセンサーや起爆式の爆弾を仕掛けておいて、トラップを仕掛けたポイントを通過するように誘導するんだ! そういう訳なんで叶さん、頼みますよ!」
「それはいいけど!このままお屋敷までアイツを引っ張っちゃって大丈夫なの!?」
 叶さんの懸念通り、屋敷まで連れて行ったら静ちゃんがいるのだからマズい。しかし蓮見は不適な笑みを浮かべ、こちらに向かって親指を立てて見せる。
「大丈夫だ! あのヤロウが出て来たら、伝一郎さんに任せろって指示なんだよ! 親玉同士がやり合うってのが筋なんだとよ!」
 うわあ、やっと戦う気になったかあの糞ジジイ。
 レーダー網に、急速に接近してくるロキのエネルギーを感知する。先程は時速80km程で走っていた筈が、いつの間にやら時速200kmを超えている。どういう事なのかとより精細に探知してみると、何と脚部が何かの漫画だかアニメだかで観たような、ローラーダッシュ機構みたいな状態に変化している。
「……うっわー、そりゃないわー」
 アイツは何でもアリなのか。
 しかしそこで、道路脇の軽トラックが爆発してロキが吹っ飛ばされる。隣を並走する蓮見を見ると、立てた親指がいつの間にか何かのスイッチを押していた。
「へっ! こんなもんで済むと思うなよ! 今回はトラップ満載でやらせて貰うって決めてんだからな!!」
 その言葉通り、体勢を立て直して再び追いすがるロキが車やら看板やらを通り過ぎる度に、何らかのトラップが発動する。爆弾、ワイヤートラップ、電気網、撒菱(まきびし)、煙幕など、多彩な罠の数々がロキを襲う。一部、何か忍者みたいな罠もあったりするけど華麗にスルーしておこう。
 兎も角、数々のトラップが功を奏し、ロキの追撃のスピードは中々上がらない。やがて県道196号線へと差し掛かった。そこで73式の荷台に一緒に乗っている仁科さんが、ばつが悪そうにぽつりと呟く。
「……さすがにこの道路では、あまり多くの罠は仕掛けられませんでした。ここからは今まで稼いだ距離が、果たして何処まで持つのかが勝負の分れ目ですな」
 こちらの時速が約130km、一方のロキが200km程。
 道は段々とのどかな田園風景となり、やがて八ヶ岳中央農業実践大学校の前を通過する。ここまで来ると、さすがに八ヶ岳の尾根の数々が間近に見えるようになり、もしも昼間で快晴だったなら、とても美しい風景が楽しめただろう。
 しかし今は夜で、しかもロキなんていう化け物に追われている真っ最中。こんな事を呑気に考えていられる程の余裕があるのも、心強い仲間達のおかげかも知れない。別行動中のスリスもまた、渓流を伝ってこちらを追い掛けてくれている。
 このままなら後少し、10分もあれば屋敷に到着する。しかし、そう簡単には思い通りにはならないらしい。とうとうロキが追い付いて来たのだ。
「随分と手こずらせてくれるものだ! だがもう逃がさんぞ! 喰らえッ! アイン・ヴァッフェンアンデラング・アイン・フィールツヴェック・ラケーテ!!」
 何をするのかと思った途端、ロキの両肩から二対のロケットランチャーが現れる。それをバイクの後ろに跨がっていた佐伯君が見て驚きの声を上げる。
「って何だ!? ありゃジャベリンか!?」
 FGM-148ジャベリン。アメリカ製の歩兵携行式多目的ミサイルだ。二対の発射筒から圧縮ガスによってミサイルが発射され、数メートル飛んだ後にミサイルの安定翼が開き、ロケットモーターが点火した。
「やらせないっての!!」
 急遽二本の白銀を死角より引き出し、リカーブに番えて二本同時に射る。
 天仰理念流近接射術・二双打ち。
 二本の矢が二本のロケットと衝突し、空中で爆発、四散する。しかしロキの両腕が今度は無骨なガトリングガンに変化し、73式とバイクの両方に狙いを定める。
「って、ソレはさすがにヤバい!」
 ブォン――ドドドドドドドドドドッ!!
 途端、二対のガトリングガンが唸りを上げて無数の弾丸を撒き散らす。73式とバイクに無数の穴が開くが、何とか全員、身体を地面へと投げ出して受け身を取る。73式とバイクが爆発、炎上する。全員がすぐさま体勢を立て直し、ロキの追撃に備える。
 しかし、ロキは何を思ったのか急停止してしまう。脚部のローラー機構が、音を立てて回転を止める。そしてその視線の先に、炎に照らされた人影がいる。
 両手にそれぞれ刀を持ち、黒袴という出で立ち。足袋に草履を履き、足音一つ立てずに近づいて来る。
「ほほう、お前さんがロキかい。こらまた随分と物々しい格好だな。さてさて、あっちこっちで頑張ってるらしいが、それはここで終わりになるんだ。悪ぃな」
 人を喰ったような、太々しい物言いがまさに似合う、それが崎守伝一郎なのだ。


第十話・剣聖無双
仁科三郎
inserted by FC2 system inserted by FC2 system