Sick City
第一章・五行集結

 まるで成層圏まで突き抜けて行きそうな、抜ける様な青空の下、目の前に拡がるのは大きな湖。湖畔に設けられた公園内を歩いていると、幾人もの観光客とすれ違ったりする。湖上を眺めると盛大に水飛沫が立ち上がっていて、湖の中に噴水が設置されているのが見える。
「さすがに見応えあるわねぇ。水の女神様としては面白くも何ともないんだろうけど」
 相変わらずスポーティな格好をした叶さんが、隣を歩いていた浦部美雪こと『ゆきちゃん』に感想を尋ねていた。当のゆきちゃん、こちらはアルビノという外見的特長が周囲の観光客からの注目を集めているにも関わらず、全く動じる事無くやんわりとした受け答えを返す。
「いいえ、そのような事は御座いません。美しいものはやはり美しいと思います故。それに本来、地上に設けるべき噴水を、逆に湖上にしつらえるとは誠に良い着想でありますれば。些かも面白くないなどと、誰が言えましょうか」
 ゆきちゃんの言葉遣いがいくらか古風な事を除けば、本人は至って常識人だと言える。などと感心している私の事など露知らず、ゆきちゃんはさらに隣で不機嫌丸出しの表情を隠そうともしない蓮見を見る。
「――そう思いますでしょう? 卓郎様」
 途端、まるで長年連れ添った妻が、愛する夫を愛しむ様な穏やかな顔をする。
 前言撤回。
 何もなければ至って常識人だけど、蓮見が絡むとゆきちゃんは何かズレてしまう。そんな顔で見詰められたら小恥ずかしいのは当たり前、蓮見は顔をわざとらしく背けつつも良心が咎めると見え、ぞんざいながらも応える。
「……あ〜、なんだ。この湖畔公園の目玉らしいからな。こっちは人工物だが、上諏訪の温泉街には間欠泉だってあるらしいぜ。叶さん的にはそっちに行きたいだろ」
 蓮見の口から出てきた上諏訪という言葉。
 私達が今いるのは、観光名所として名高い日本有数の湖、諏訪湖。何故こんな、鎌鍬から遠く離れた場所にいるのかと言うと――。
「俺達が寝泊りする屋敷にゃ露天風呂がある。わざわざ間欠泉見たさに、温泉街まで繰り出す必要はあるまい。万が一、そんな所で戦闘にでもなったらここまで来た意味が無くなる」
 後ろから聞こえてきた爺ちゃんの声。
 ここまで来た意味――つまり、普通の生活をする以上は周囲に多大な迷惑を掛けてしまう為、当面は山奥にでも篭ってしまおうと考えた訳。
 誰にも行き先は告げず、いきなり鎌鍬から姿を消す。学校はどうすんだとか色々と言いたい事はあったんだけど、そこら辺はどういった根回しなのか大丈夫らしい。
 大方、蓮見か爺ちゃんがコネでも使ったんだろうけど。
 問題はもしもこんな時に零ちゃん達が帰ってきたら、って事なんだけど、そこはエリカさんのお爺さんであるフリッツさんにだけ居場所を伝えてあるらしい。さらに爺ちゃんの背後を見ると、佐伯龍太郎と霧島皐月の二名も同行していた。
「って俺ら、もしかして騙されてた?」
「タダで温泉旅行……そんなにおいしい話、もっと疑って然るべきでしょう?」
 何だか佐伯君は皐月さんに突っ込まれてるし。そして肝心要の静ちゃんは、私の隣でいくらか明るい顔をしていた。
「温泉卵、食べられるかな」
「……うん、まあ。食欲があるっていい事だよね、っと」
 敢えて突っ込みはすまい。




 結局、私達の選択は巫女としての目覚めに適した要件を満たした地理を持ち、なおかつ敵の接近をいち早く察知する事が容易で、守るに易く攻めるに難あり、一般人を巻き込む確立が極めて低い、そんな立地条件を併せ持った土地へと避難する事だった。
 幾つかあった候補地の中で、どうして長野の諏訪地方だったのか。
 それは諏訪湖周辺に点在する諏訪大社の存在や、水の女神スリスの力を引き出せる湖という地形が大きい。諏訪大社は当然ながら神社なので神道だけど、そこに伝わる成立の過程は縄文の信仰がベースとなっているらしい。とは言え、別に諏訪湖周辺に落ち着くつもりは無く、ここからさらに北東へ上って八ヶ岳の霧が峰高原に滞在予定の屋敷がある。
 霧が峰には縄文時代の史跡があるらしく、さらに八ヶ岳自体にも次の様な伝承が地元に残っているそうだ。曰く、『八ヶ岳と富士山が筒を用いて背比べをしたが、富士山が筒を用いて八ヶ岳を叩いたら八つになった』など。私自身はどうでもいい話なんだけど、何故だか爺ちゃんはこの話を気にしているっぽい。
 それに諏訪湖に立ち寄る意味も、実はよく理解出来ない。
 これも爺ちゃんに言わせれば意味があるらしく、何でも日本の信仰は元来、自然信仰から端を発しているのだから、どの山が重要で、どの山から水が流れて集まっているのか、それを肌で感じる事に深い意味があるのだとか。きっと私にはあまり意味は無いけど、静ちゃんには重要な意味があるんだろう。
「でもさ、こんなに人が大勢いるところを堂々と練り歩いてていいの?」
 判らない事は当然の如く後回し、今は当面心配しなくちゃいけない事を聞いてみる。逃避行とは言わないけど、撤退戦であるならば後方の支援が機能していなくてはお話にならない。
 まずは目的のお屋敷とやらを万全の体制に整え、何処かに出掛けるなら必ず屋敷に誰かを待機させ、目的に合わせて外出する人数を絞った方が安全だろう。私は爺ちゃんに尋ねた筈だったのに、そこは自分の領分とばかりに蓮見が説明に回る。
「通常考えられる尾行の類は無い、ってこれは崎守も判ってる筈だよな。まあ相手が例の『仮面の神』とかいう奴なら、俺達が全く予期していない形でこちらの足取りを掴んでいてもおかしくはないが、だとしたら何処へ行こうと無駄だしな。そこら辺は考えても萎えるだけだからイレギュラーとして保留にしといて、自分の頭で予測出来る範囲で動くしかない」
 何だか楽観的なのか悲観的なのか、どちらとも言い辛い説明を聞いて佐伯君が嫌そうな顔をする。
「……あ〜、くそ。結局危険な訳かよ。ほいほい付いてきた俺が馬鹿でしたよ」
「へっ、何言ってやがる。今まで役立って来なかった分、ここらで挽回しとけって事だろうが。何も出来ねえなんて言わせねえぞ」
 愚痴をこぼす佐伯君に蓮見が突っ込み、ただただ苦い顔で渋る佐伯君。こうして見ると二人は結構言いたい事を言い合ってるみたいで、どうも昨日今日の関係ではなさそうだ。
「いやまあ、そりゃ『力』はあるさ。でも俺の場合、大っぴらにそこいらで使えるもんじゃねえんだよ」
「どゆこと?」
 失礼だけど、私はてっきり佐伯君は何も出来ない人なのかと思っていた。
 だってこの前、監視のお役目を失敗しちゃってるし。そんな私の疑問の声に応えたのは皐月さんだった。
「彼、『火』の力があるのだけど、銃器が無いと使い物にならないのよ」
「あ、そですか納得。街中で拳銃持ってたら捕まっちゃうよね。ところで皐月さんはどうなの? 何だっけ、ホンコンさん?」
「矛だろオイ。誰だよソレ」
 どうやら渾身のギャグは不発に終わったらしい。
 容赦の無い突っ込みを入れる蓮見を華麗にスルーしつつ、大人の女性である皐月さんは淡々と説明をしてくれる。
「そうね、まずはどうして『矛』が予知能力者なのか、その辺りから説明しましょうか。御空さん、『天逆鉾(あまのさかほこ)という言葉をご存知?」
「…ありがとう神戸?」
「『あ』しか合ってねーじゃねえかよ! 既にボケじゃねえよ!」
「『古事記』などに出てくる、国生みの神話に登場する矛の名前なのだけど。坂本龍馬が引き抜いたなどの逸話も残っている、魔を打ち払う神聖なる武器とされているわ」
 そこで叶さんが話に割って入る。
「ああ、それって神仏混合の影響で元来の『天沼矛(あめのぬぼこ)』の解釈が変わった結果みたいよ? 修験道では独鈷杵(どっこしょ)と同じ物として扱われてるわよ」
「ええ。まあ解釈の違いはこの際置いておきましょうか。どちらにせよ、神聖なる武器という役割を担う事になった矛は槍の台頭によって次第に祭具として扱われるようになったの」
「つまり戦場の花形を槍に奪われて、ただのお飾りになっちゃった訳か」
「そういう事になるわね。神道にも様々な流派があるのだけど、その内の一つ、伊勢神道において『天逆鉾』は猿田彦命(さるたひこのみこと)の宮処(みやこ)の印と変じたの。別の流派によれば猿田彦命は『導きの神』となり、後に天狗のモデルとなった。これら別々の解釈が、実は全て繋がっているとしたらどうなるかしら?」
 何が何やら段々と話が複雑になってよく判らないけど、とにかく凄い神様なんだろう。
「どうなるって、もっと普通の人に判りやすいように話しようよ〜」
「あら、ごめんなさいね。つまり『矛』とは、人を導く者の象徴という側面が付与されたの。最も、この説は一般的ではなくて、次第に形を変えて結局は『槍』の使い手の中に人を導く能力を持つ者が現れるようになるの」
「ふ〜ん。それが予知能力なんだ?」
「まあそれに近いもの、とでもしておきましょうか」
「はい?」
 近いものって予知能力とは違うのか同じなのか、何だかはっきりしない。私達がそんな歴史のお勉強みたいな話に興じていたら、爺ちゃんが近場のベンチに座って欠伸をしていた。
「…あ〜何だ。そろそろ屋敷へ入っておかんと夕食にありつけんぞ?」
「うん、それは何より一大事だ。者ども、いざ我に続け!」
 やはり他所の土地に来たなら、その土地の食べ物を堪能しなくてはならない。
 食い気は全てに勝るのだった。




 例によって叶さんが借りたレンタカーで諏訪湖より八ヶ岳方面、東南へ走る。途中で郊外型の大型商業施設にて当面の食料品など、必要となる物を買い揃え、高速道路をしばらく走った後、山間部へと入っていく。
 やがて到着したのは民家も何も無い、斜面に面して造られた日本家屋だった。
 目的地の古いお屋敷に到着した時には既に夕暮れ時、一行は車から荷物をそれぞれ降ろして屋敷へと運んで行く。車から荷物を運び出し終え、辺りを見回していた蓮見が感心したかのような顔で口を開いた。
「いやあ、中々のロケーションじゃないか? これだけ周りを見渡せるのに、いい具合に木々が生い茂っている。これならレーダー役の崎守がいるこちらの方が地形的には有利だ」
「そうでございますね。ただこのお屋敷で戦闘になったら、わたくしはあまり力を発揮出来ませぬが」
 隣で同じく、周りの景観を眺めていたゆきちゃんの感想に爺ちゃんが応じる。
「いきなり本陣にて迎え撃つのは得策では無いな。俺の考えではまず御空にあらかじめ諏訪湖辺りから索敵網を構築して貰い、途中に伏兵を置くようにしたいと思っている」
「はい?」
 諏訪湖からここまで、一体どれほどの距離があると思ってますか?
 苦い顔で抗議しようかと思ったら、さらなる爺ちゃんの追撃に合って言葉を遮られてしまう。
「別に御空一人でやらせようという訳では無い。この屋敷から始めて諏訪湖まで行く。だが諏訪湖で力を発揮出来るのは主に、水中戦が可能な人員だろう。ならば必然、御空と美雪、さらに叶の三名で諏訪湖の周辺を担当して貰う事になろう」
「にゃんですと!?」
「あら、それならば心配はいりませんわね」
 私とゆきちゃん、対照的な反応をしてしまう。
「用兵の基本で考えるならば、通常は斥候を置くべきだろう。偵察に向くのは御空と蓮見だな。だがここは敢えて、最大戦力にて機先を制す」
「いやさ、言いたい事は判るけどね? そもそも諏訪湖が初戦となるとは限らないのでは? それに私達が突破されたらどうすんの?」
「何、簡単な分析よ。敵がこちらの戦力を削ぐならば、当然厄介な筈の御空と美雪に戦力を集中するだろう。敵は諏訪湖を初戦に想定しているのでは無く、あくまでお前達を狙うのだ」
「あー、つまり私達は生け贄? そんなに魅力的かしら」
「……実は意外と余裕がおありのようですが?」
 ゆきちゃん珍しく視線が痛いです。
「もしもお前達を突破して敵がこちらに侵攻してくる場合、伏兵によるゲリラ戦術を取る。それで撹乱出来れば良し、だが万が一、この屋敷にまで到達された場合はいっそ屋敷など放棄してしまえば良い。そして八ヶ岳方面へと移動して総力戦を行う」
「でもさあ、伏兵って言うけど、私達三名で組んだら後は爺ちゃんと蓮見、佐伯君に皐月さんの4名でしょ? 誰と誰を組ませるつもり?」
 蓮見はともかく、佐伯君と皐月さんの力量は未だ未知数。
 果たして頭数に入れても大丈夫なのか、それとも爺ちゃんは二人の実力を知っていて計算に入れているのだろうか。
「俺以外の三名を一緒にする。俺はこの屋敷で待っていよう。もしもお前達で敵を仕留める事が出来れば、俺は楽が出来る」
 途端に意地の悪い笑みを浮かべる爺ちゃんを見て、思わず脱力してしまう。
「そりゃ年寄りだもんねえ。本当は強い癖にさ」
 爺ちゃんは私と零ちゃんの師匠なので、当然強い。
 ただ年齢的に持久力に不安があるので、これは到って普通の判断だろう。この話に蓮見も納得したようで、玄関口へ一人向かいながら感想を漏らす。
「俺としてはありがたい編成だな。連中と真っ向からやり合うなんて、ゾッとしねえ」
「アンタはまた多田市郎さんになればいいじゃないの」
 私がそんな事を言うと途端に立ち止まり、さも嫌そうな顔を向けてくる。
「アレは平気で無茶するから嫌なんだっての。この前も右手の靭帯が、そりゃあもうヤバい事になってたんだからな」
 まあ確かに、今思えばあの『巌燕』という技は切り返し時に手首に軽く数トン単位の負荷が掛かっていると思われる訳で、まず常人であれば実現不可能な技となる筈だ。それでも実行出来たのだから、やはり蓮見はかなり修練を詰んでいると思われる。
「今回は出来れば、ナイフとワイヤーだけで何とかしたいもんだけどな」
「ってそう言えば何であの時、空から刀が降ってきたのよ」
 今の今まですっかり忘れていた疑問。
 蓮見はリーディング能力があるだけで、その他には特殊な能力は無い筈だった。
 アレではまるで。
「と、そういえば食事当番なんだった。ほらほら先行く」
 今日はカレーの日だ。




「ごちそうさんでごわず」
 全員でお屋敷の食堂でカレーを食べ終え、それぞれが雑談に興じたり何かの準備に取り掛かったりする。
「ところで、どうして黄色い人はカレーが好きなんだろうね? スパイス教育を受けたという蓮見君?」
「…そのネタ随分引っ張るなぁお前。大体、黄色い人って何を指してんだ? 黄色人種って意味か? だったらまあ、大概の日本人はカレーが好きなようだからイエスなんじゃねえの?」
「ノンノンノン。ジュッテーム、ボンジュール、ボンソワール、シルブプレ。戦隊モノの中の人の事さね〜」
「あ、そりゃ俺の領分じゃねえな。スパイス教育関係無いし。龍太郎、キラーパス行ったぞ」
「ん? 何だって?」
「おお、アナタが黄色い人ですか。日本はインドと仲良くしてますよ。東インド会社万歳!」
「ソレはイギリスだ!」
「ところで佐伯君、アナタ一体そんな物騒なシロモノを何で置きますか?」
 後片付けの済んだテーブルの上に、一際異彩を放つ重厚な物体が。そのロングバレルの鈍いヤツが、こちらに銃口を向けているからさあ大変。
「ああ、これね。これが俺の武器。AW50。アンチ・マテリアル・ライフルってヤツ」
 アンチ・マテリアル・ライフルとは対物ライフルと訳される銃器で、AW50はイギリスのアキュラシー・インターナショナル社が製造、販売している。しかし私にはそれ以上の知識は無いので、AW50がどのような銃であるのか詳細までは判らない。
 ただ、目の前でやけに簡単に取り回しているように見えたので、携行に適したタイプのライフルなのだろうと予想は出来る。それでも全長が1.4メートル程もあるので、実際に持ってみたら大変な筈だ。
 確か米軍が湾岸戦争やイラク戦争で用いた対物ライフルがバレットM82というタイプで、イギリスはこのAW50を使用していたと聞く。
「いやね、どうして今、ここで組み立てているんでございましょうか?」
 やや引き気味ながら質問をしているのに、佐伯君は淡々とした様子でライフルの隣に何やら道具類を並べていく。
「そりゃ銃の整備をする為だよ。訓練で使ったのが二ヶ月前だったか。そろそろ弄ってやらないと、ヘソ曲げるからな」
「うん、まあ私もリカーブのメンテくらいするけどね。ここは食卓でございますよ?」
 そう、ここは食事をする所。
 こういう無粋なモノを並べるのは幾ら何でも抵抗がある。
「あー、言いたい事は判る。でも机が無いんだよこの屋敷。まさか畳の上で弄れる訳無いし」
 そんな事を口にしつつ、スコープを覗いたりしている。それを横で見ていた蓮見の手が、箱の中から大きな弾丸を取り出す。
「こりゃラウフォスMk211ってヤツだぜ。先端部分が緑色と白に塗られているだろ? ノルウェーのナモ・ラウフォス社の多目的弾頭でな。徹甲弾、炸裂弾、焼夷弾の三つの機能を併せ持ったHEIAPって弾頭だ。タングステンの弾芯が高い貫通能力を発揮し、衝突時に焼夷剤を燃焼、さらに貫通後はジルコニウム粉を燃焼させる。こいつは人間なんて簡単に貫通しちまう、エグいヤツなんだけどな」
 対物ライフルである時点で既にエグいのだけど、この弾頭はその中でも特に凶悪な部類に属する。
 ただ、米軍においてはバレットM82を運用する時にはこの弾頭がほぼセットで扱われるとの話もあり、単純に対物ライフルの運用という観点からすれば、至極当然のチョイスなのかも知れない。
「いや、普通に話してるけどさ。銃刀法違反だとか未成年だとか、そんなチャチなもんじゃねえ、もっと恐ろしいモノの片鱗を味わった気がするぜ……」
 私自身が弓矢を使っている時点で十分に警察に突き出されるレベルなので、今更常識的なツッコミを入れようという気にはならない。
「それよりは俺としてはこいつの方が気になるな。この光学照準機はシュミット&ベンダーの3-12×50 PMUだ。これ一つで30万はするって」
 蓮見が次に眼を向けたのは銃の上部に取り付けられた光学照準機。オプティカルサイトと言った方が通りが良いだろうか。
 3-12×50 PMUはミルドット光レティクルという方式を採用しており、オプティカルサイトの中でも特に高い性能を持っていると言われている。
 ちなみにレティクルとはスコープを覗くと眼に映る十字の事であり、ミルドットのミルとは主に軍事用語で使われる角度の単位で、ミルドットとは1ミルのドット(点)単位での調節が可能という意味である。スコープにミル単位の目盛りがあるので、三角比の公式を使って対象までの距離を計算する事が出来る。
 スナイパーや砲撃手には弾道計算は必須スキルであり、数学が出来ないとお話にならなかったりする。ただ対象物の大きさから計算をする為、人間なら人間の大きさをその場で正確に測定出来る訳が無いので、そこら辺は経験とか勘とかでおおよその大きさを推定しての計算になる。
「でもさあ、昼間はいいとして、夜間はどうするの? これ使えないんじゃないの?」
「夜はナイトヴィジョンを取り付けるんだよ。そこの黒い変な形のケースに入ってる。PVS-14Aってヤツなんだけどな」
 そういって佐伯君が取り出した黒いケース。
 途端に蓮見の眼の色が変わる。
「マジか。お前、普通だったら学生でこりゃねえわってレベルだぞ。まあ俺達ゃ既に普通の人間じゃあねえから別にいいけどよ」
 PVS-14Aとは米軍で使用されているナイトヴィジョンだ。
 一般的に軍用ヘルメットの上から片目に装着するスタイルを取るものだけど、ライフルにマウントして使う事も出来る。
 ただオプティカルサイトとの併用をする場合、ナイトヴィジョンに対応しているモデルでないと使えないという制約がある。
 ちなみに私がこれらの知識があるのは、単にスナイピングに関する情報を知りたくてネットで拾った知識なので、あくまで浅い範囲だ。私自身は銃は使わないし、今では心眼があるので特に必要は無いけど。
 しかし彼ら男子にとっては、趣味として興味の対象なのかも知れない。そういえば蓮見はカメラが趣味だった筈なので、こういった機器に興味があってもおかしくは無い。
 私達がテーブルを囲んであれこれとやっていると、奥の部屋から皐月さんが顔を覗かせた。
「アナタ達、そろそろお風呂なのだけど…何やらお邪魔だったみたいね」
「いやいや、別にそんな事ないです。ヤロウ共は趣味に熱中してるんで、私が入らせてもらいます」
 そう告げていざ温泉へと思ったけど、せっかくなので皐月さんが加わって組になる三名が揃ったので気になっている事を聞いてみよう。
「そうだ。考えてみたら佐伯君が狙撃するって事はさ。蓮見と皐月さんはどうすんの? 蓮見は基本的に接近戦でしょ? 皐月さんは矛だか槍だか使うんでしょ? 三人共、それぞれ得意な距離が違うじゃない。どう連携取るつもり?」
 すると熱心にナイトヴィジョンを見ていた蓮見がまたも解説する。
「スナイパーってのは普通はもう一人、スポッターっていう観測手と共に行動するのが一般的だ。まあその場合、スポッターもまたスナイパーとしての技量を持っていて、二人が役割を交代する事で負担を軽減させるんだが。他にも汎用機関銃手、小銃射手の三人チームで戦果を挙げたという例もある」
「まあそうらしいね。でも蓮見と皐月さんは狙撃出来ないでしょ?」
「まあな。ただスナイパーってのは相手にとってはとても厄介な障害となるから、真っ先に叩き潰すターゲットともなるんだ。人間相手ならばともかく、敵はとんでもない化け物だ。一撃で仕留められるとは思えない。だから俺や皐月さんが龍太郎が狙われた場合のサポートをしないとならない訳だ」
 蓮見の説明で何か思い出したのか、佐伯君が足下のバッグに目を向ける。
「観測手はお前に任せるわ。このバッグの中にPVS-15が入ってる。それ使ってくれ」
 PVS-15はPVS-14が単眼式なのに対して両眼式のナイトヴィジョンで、車両部隊が多用しているらしい。ヘルメットに装着しないで素で使うなら、持ち運びやすいPVS-15が適しているという判断だろうか。
 バッグの中から取り出したのは、いかにも軍用とでも言うべき無骨な双眼鏡みたいなモノだった。
「おう、こりゃ助かるわ。俺も『リーディング』で半径100メートル程度なら闇夜だろうと手に取るように判るんだが、さすがに狙撃で射程100メートルじゃお粗末だもんな。ありがたく使わせてもらうわ。しっかし、これ欲しいなあ……」
「バカ、お前これ後で返却しなきゃなんねえんだから変な気起こすなよな?」
「判ってるって。言ってみただけだろ」
 二人で何だか盛り上がってきているので、さっさとお風呂を済ませる事にしよう。
「……やれやれ、銃器とかって完全に男の子趣味だよねえ」
「まあそれが役に立つのだから、この際感謝するとしましょう」
 皐月さんと二人してお風呂場へ向かう。
 男子二名は相変わらず手にしたヤバいブツ達に熱中していた。


第十話・剣聖無双
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