第二章・猛獣王国
結局、浦部女史のスケジュールの関係で、具体的な話はまた次の機会にと言う事になった。社会見学なんて大嘘なんだから別に気にしなくてもいいのに、叶さんは残念そうに呟く。
「あ〜あ、折角久しぶりに教師らしくしてみたってのに。あまり役に立たなかったみたいね」
「そんな事無いんじゃない? 叶さんの意外な一面が見れて、私は面白かったよ」
そんな軽口を言い合いながら、ズーワールドの動物園の中を歩く。
研究施設は中心部にあったけど、その周りをドーナツの様に囲っている区画が動物園になっている。他の動物園とは違って、地面にコンクリートやアスファルトは一切使われていない。基礎部分に鉄筋コンクリートが使われているかも知れないけど、目に見えるところは殆ど木が植わっている。道路は土が剥き出しで、周りは林になっていて、まるで自然公園みたいだ。
時折、一般のお客さんと擦違う。
平日なのに子供連れがいるけど、よく見るとまだ小学生にもなっていない様な小さな子なので、私達みたいに学校をサボタージュしてる様な子供はいないみたいだ。
林の中に、いきなり開けた空間が現れる。
鉄柵に囲まれた円形の広場に象が二頭いて、お客さんがリンゴを投げ与えていた。それを見た静ちゃんは、羨ましそうに眼を細める。
「わぁ、象さんお鼻器用」
「やってみたいの? どうやらあっちの売店で、リンゴを買えるみたいだね」
少し離れた所に、小さな売店が見える。
「判った判った。どうせまた、俺に金出せってんだろ。出せばいいんだろ、出せば。ええ、出しますとも」
こっちが何か言う前に、蓮見はブツクサ言いながら売店へと向かった。蓮見が離れている間に、それを見計らっていたかの様に叶さんが口を開く。
「伝一郎さんに聞いた事があるんだけど、大昔に鬼退治をした者達がいるんだって。しかも、それが私達のご先祖様なんだって」
それはおそらく、楯山神社に伝わる鬼伝説の事だろう。何でも崎守家を中心として、いくつかの氏族が結集して鬼を退治したのだとか。
ふと、何でこんな事をこの瞬間に知っているのか、疑問に感じた。蓮見に楯山神社の歴史を聞いた時、鬼伝説なんて知らなかったんだけど。
「急にどうしたの?」
そもそも、どうしてそんな話をこっそりとするんだろう。叶さんの意図が判らずに聞き返すと、自分の顔を指差した。
「私のご先祖様は、確か諸国を旅して鉱脈を掘り当てる山師だったかな。修験者はそういうの、得意だからね。仁科君のご先祖様は忍者、佐伯君は鉄砲商人、霧島さんは戦国武将の分家だとか」
仁科って人は何回か家に来た事があるけど、直接お話してないからどういう人なのかは知らない。確か鬼退治に参加した氏族は全部で五つあって、『火』『矛』『竿』『隠』『杖』の五つの技を持っていたとか。
『火』は鉄砲商人、『矛』は戦国武将、『隠』は忍者、『杖』は修験者。そして『竿』は、鬼伝説によれば剣士だったらしい。
「そういえば、『竿』の剣士がいないね」
叶さんを筆頭として、関係者は殆どが鬼退治のメンバーの子孫だ。
でも、『竿』だけがよく判らない。
叶さんは、売店でリンゴを買い求めている蓮見を指差した。
「蓮見君が『竿』の末裔なんじゃない?」
「ええ!? まさかあ」
驚く私に、叶さんはなおも先を続ける。
「伝一郎さんが関係者は全員が、鬼退治の末裔だって言ってたのよ。関係者で素性の判らないのは、蓮見君だけなのよね。それに『竿』なのに剣士って変じゃない? 竿を使うのは猟師さんでしょ。だからさっき、浦島太郎の話なんてしたんじゃないかしら」
何だか話がごちゃごゃしてて、軽く混乱してしまう。
『竿』は剣士で、もしかしたら蓮見がその子孫かも知れない。だけど『竿』って言ったら猟師だから、もしかしたら浦島太郎に何か関係しているのかも知れない。それがどうして、敵かも知れないアイルランド人ハーフの海洋学者との接触で出てくる話題なんだろう。
繋がるようでいて、全く繋がらない。
繋がらないようでいて、実は繋がるんじゃないかと『勘』が言っている。私と叶さんは二人して悩んでしまい、そんな様子を黙って見ていた静ちゃんが、珍しく口を開く。
「……楯山の言い伝えで、『竿』の剣士は『備前長船長光』っていう刀を使ったって聞いた事があるの。別名『物干し竿』、有名な佐々木小次郎の剣だと思うの」
いきなり飛び出てきたトンデモ説に、叶さんと顔を見合わせる。だけどそこは元社会科教師、やんわりと否定する。
「まさか。佐々木小次郎が『備前長船長光』を使ったなんてのは、後の文献に書かれていただけで、その文献の信憑性も怪しさ半分ってところなのよ。それに、佐々木小次郎って名前も単なるこじつけ。歌舞伎やら小説やら映画やらで一般化しちゃってるけどね」
そんな事、初めて知った。
今までずっと、佐々木小次郎っていう人物が実在していたんだと、何の疑いも持たなかった。
「え〜、小次郎っていなかったの〜?」
武蔵と小次郎、歴史に残る名勝負として知られているのに、それが無かったんだとしたら残念だ。何となく裏切られたような気分の私に、叶さんは何故か困ったような顔をする。
「それが、そうとも言い切れないのが歯痒いのよね。宮本武蔵の養子で、小笠原藩の家老になった宮本伊織ってのが小倉に慰霊碑みたいなものを建立してるんだけどね。そこには、武蔵は船島で『岩流』と戦って勝ったって書いてある。つまり、そこだけは本当の話なんだろうって専門家は考えているみたい。でも実は、息子の伊織ですら伝聞で聞いた話らしいのよ。ま、実在の怪しい小次郎が仮に『竿』の剣士だったとしても、浦島太郎の話がどう関係してるのか、さっぱり判らないし」
元社会科教師の面目躍如と言ったところか、さすがに詳しい。それに『竿』の剣士が佐々木小次郎かどうかと言う疑問だけじゃなくて、『竿』が猟師で浦島太郎に関係があるのかって問題もある。
女三人、ぱお〜んと鼻を伸ばす象の前で悩んでいるという変な図式。
「な〜に黙っちゃってんの? リンゴ買ってきたぞ」
いきなり声を掛けられ、慌てて前を向くと蓮見が戻ってくるところだった。
いくら悩んでいたからと言って『心眼』の感知をすり抜けたのか、一瞬だけ動きを追えなかった気がした。
空が茜色に染まる頃、さすがにもう帰ろうという事になった。
イジメで心を閉ざしていた若者が、イルカと触れ合う事で社会復帰を果たしたって話があるそうだ。象と触れ合って満足そうな静ちゃんにも、同じ事が起きればいいなと思う。
しかし、さすがに広い敷地面積を誇っているだけあって、歩いて帰るのは大変だ。
「しんどいから、水路を行き来してるボートに乗ってくか?」
蓮見の指差す方角を見ると、ボート乗り場の手前に人の列が出来ていた。
「賛成。でもお金は出さないわよ」
「いちいち言われんでも判ってるよチクショウ」
そもそも無一文なんだけどね。
いい加減、蓮見にお金を出させるのが面白くなってきた。ケチなヤツに出させるのって、気持ちいいよね。
ボート待ちの人の列に並んでいると、急に辺りの気温が冷え込んできた。いつも薄着の叶さんが、肌寒さにブルッと身体を震わせる。
「……なんだか急に寒くなったと思わない? それに、霧が出てきたわねえ。海に突き出た人口島だからかな」
さっきから、どうも『心眼』の感知範囲が狭まったと思っていた。辺りを見回すと、林の木々の間から霧が流れてきている。
霧というものは厄介で、空気中の水分子濃度が増えるにしたがって『心眼』の感知能力を下げる原因となる。水分子が電波を乱反射させる為、エネルギー感知の妨げになる。航空機が霧で飛ぶのを見合わせるのは、何も視界が悪くなるってだけじゃなくて、レーダー精度が落ちるのも関係しているのだ。
そんな事を考えている間に、辺りはすっかり濃霧に包まれてしまった。視界はたったの1メートル、隣にいる人間しか判別出来ない。
いくら何でもおかしい。
霧の発生スピードが異常に早い。
「……妙だな。夕方になって気温が下ったから、霧が出るってのは判る。でも、霧が出たら放送で注意する筈なんだ。ボートの運航に支障を来すからな」
言われてみれば確かに、こんな濃霧でボートを動かすのは難しい。蓮見の指摘に不安になり、前に並んでいるお客さん達を追い抜いてボートの係員に聞いてみる。
「すいませ〜ん。こんな霧じゃ、ボートは無理ですよね?」
いきなり霧の中から現れた私に係員はちょっと驚いたけど、すかさず営業スマイルを浮かべて対応してくれる。
「そうですね〜。さすがに無理なんで、霧が晴れるまでお待ち戴くか、諦めて戴いて歩いて貰う他ありませんね」
並んでいたお客さん達が『え〜!?』とか言ってブーイング。
そんな時だった。
「ぎゃああああああああッ!?」
遠くの方から、男の人の絶叫が聞こえた。お客さん達が一気に騒然となり、係員が慌てて無線連絡をする。普段だったら『心眼』で判るのに、今の私の感知出来る範囲は50メートルくらいまで狭まっていた。
さらに。
バリッ、ボリッ、ゴリッ!グシャッ!
妙な音が聞こえる。
まるで、肉食獣が獲物の肉を咀嚼しているような。
「……ダメだ。無線が繋がらない」
係員は何度も無線機に問い掛けるけど、いくらやっても応答が無い。そして今になってやっと、何か大きな生き物が周囲を取り囲んでいるのが感知出来た。
じりじりと近寄ってくる気配は、全部で六つ。体格が人間のそれよりも、明らかに大きい。
例えるなら、さっきの象くらいある。
動物園から獰猛な肉食動物が逃げ出した、って訳じゃ無さそうだ。象と同じくらいの大きさの肉食獣なんて、聞いた事が無い。
すぐに皆の側まで駆け寄り、ソフトケースからリカーブを取り出す。
「どうやら、敵のお出ましみたいよ」
ブルプッシュで弦を張りながら、敵の動きを探る。指にタブを嵌めていると、叶さんが静ちゃんを庇うように前に立つ。
「静ちゃんの事は、私に任せなさいな。御空ちゃんは蓮見君を守ってあげて」
その言葉に対して、蓮見は手を振って拒否した。
「自分の身は、自分で守れるさ。今までは素性を隠してたんで戦いを回避してたが、もう隠す必要は無いからな」
ずいっと前に出て、両手を掲げて構えを取る。そこへ、六つの気配が一気に動いた。
「グルァアアアアッ!!」
獰猛な咆哮が辺りに轟き、ボート待ちのお客さん達がパニックを起こす。右手から聞こえてきた獣の轟きから逃れるように、お客さん達は逆方向へと逃げる。
「みんな待って! 動かないで!!」
私は慌てて警告するけど、声だけでパニック状態の人間が止まる筈が無い。背後には水路があり、水路の対岸にも気配があるから逃げ場なんて無い。あるとするなら、ボートに乗って水路を進むしか手は無い。
ブシュッ! ビシャッ!!
「うぎゃああああああッ!!」
「痛い痛い痛いッ! 死ぬ死ぬ死ぬッ!!」
「ひいッ!? ば、化け物だあああああああッ!!」
真っ先に逃げ出したお客さん達が、断末魔の絶叫を上げる。
何が起こっているのか目で確認出来ないけど、最悪の結果となったのは叫び声で想像が付く。ボートの係員は緊急時の訓練でも受けてるのか、それとも職務を放棄して逃げる事に抵抗でもあったのか、その場でじっとしていた。
それならば、彼だけでも救わなくては。
「係員さん、ボートで早く逃げて!」
怯えていたのか、私の声にびくっと驚いてボートに乗り込む。
「き、君達も早く!」
「いいから早く行けッ!!」
私達にも乗り込むように言ってくれたけど、蓮見がボートを足で蹴って岸から離す。そこへ対岸に潜んでいた気配が大地を蹴り、ボート目掛けて襲い掛かる。
「グガアアアアアアッ!!」
「させるか!!」
死角から引き出した白銀を、即座に番えて霧の中へと速射。
「グギャッ!?」
咄嗟の判断だったので狙いは不正確、それでも身体の何処かにヒットしたらしい。
バシャン!!
ボートへの着地が失敗し、どうやら水路の中に落ちたみたいだ。
「ひ、ひい!」
怯えた係員はすぐにボートを急発進させ、エンジン音を響かせながら遠ざかっていく。濃霧の中での運転は大変だろうけど、水路の配置が頭に入っているなら何とかなるだろう。
派手な着水音が切っ掛けになったのか、他の五つの気配がこちらへと突進を始める。距離にしておよそ30メートル程、左右の水路沿いにそれぞれ一つずつ、前方と左右斜めの等間隔。
扇状に囲む包囲戦、相手はそれなりに知性があると考えられる。巨体に似合わず動きが早いので、速射でも二回しか射れない。まずは水路沿い、左側がズーワールドの出口方向なので、そちらの気配に向けて速射。
「ギャアアアアッ!!」
感知能力が大幅に低下している為、何処に当たったかは判らない。続けて第二射、お隣の左斜めの気配へ向けて速射。一方、叶さんは探偵ボクサーと戦った時に見せたあの扇を取り出し、腰を落として大きく振りかぶる。
「烈風呪法! ――天狗扇(てんぐせん)!!」
以前はこの術の理屈がまるで判らなかったけど、二回目ともなれば多少は理解出来る。風というものは気圧の高い所から低い所へと、空気の流れが出来る事で発生する。この術は扇を振る事で空気の流れを生み、開始点から急激に気圧の変化を誘発する事によって、突風を生み出しているらしい。
原理はよく判らないけど、日本の呪術は大概が神通力を宿したアイテムを使うみたいなので、あの扇には何らかの呪術が施されているんだろう。エネルギーの出所は高次元空間、そこは神の住まう『神域』だとか言われている場所だ。
修験者は神道と仏教の両方を信仰しているので、どっちの神域のどの神様に祈祷してるのか全く判らない。例えば、お日様の加護が欲しいとして、神道では天照大神、仏教では大日如来と、どっちにお祈りすりゃいいのって事になる。叶さんは神様の名前を口にしていない訳で、もしかしたら伝統的な修験道のルールからは逸脱した方法を取っているのかも知れない。
ただ、伝統的なルールの元に修業をした人間が実際に超常現象を起こせるとは思えないので、何か特殊な条件があったとしてもおかしくはない。
いきなり発生した突風は、周囲の霧をたちまち吹き飛ばし、突進して来た三つの気配の動きを止める。
「うおっ! 何だありゃあ!?」
私達の周囲10メートル程の空間が晴れた事によって、さらけ出された敵の姿を目の内に捉えた蓮見が、素っ頓狂な声を上げる。
象と同じくらいの大きさの肉食獣、始めはそう思っていた。でも、私達の目の前にいたのは、そんな生易しいモノじゃ無かった。
頭部はライオン、胴体はおそらく山羊、そして尻尾は蛇。
どう考えても通常、動物園にいるような動物なんかじゃなくて、まるっきり化け物だ。扇を振るったままの状態で硬直していた叶さんが、その姿に思い当たるものを口にする。
「……あはは、これってギリシャ神話のキメラってヤツに、そっくりじゃない」
キメラ、或いはキマイラ。
最近では遺伝子分野においてキメラ細胞とか言うのが有名になってるけど、それの語源になったものだ。
「ぐるるるる……」
三体のキメラは低い唸り声を上げながら、じりじりと近付いてくる。尻尾の蛇は随分と長く、器用にも背中からライオンの顔のすぐ上辺りで、鎌首をもたげてしゅうしゅうと舌を出している。
左側の二体はそれぞれ右大胸筋と左目に白銀が突き刺さっており、意外にも普通に赤い血が流れ出ている。
ザバッと背後で水音がして、水路から最初に襲い掛かってきたキメラが路上に上がってきた。こちらは前脚の股の辺りに白銀が突き刺さっていて、肉体へのダメージはそれ程でも無さそうだった。
キメラの外見には驚いたものの、霧が一時的に晴れたおかげで実は必要以上に警戒しなくても大丈夫だと判る。エネルギーの出所や運用の仕方に変わったところは無く、普通にそこら辺の動物と同じだ。
ただ、連携が出来るから知能はそれなりにあるだろうし、神のような強力な力は持っていないからと言って、特殊な能力を持っていないとは限らない。
大体、尻尾が蛇っていう時点でおかしい。
ライオンの頭に脳があるのに、蛇にも小さな脳があったりするのだから、あんなんでよく肉体の統制が取れるもんだと逆に感心してしまう。それに蛇にも脳があると言う事は、本体とは独立した動きが可能なのかも知れない。
白銀によってダメージを受けている三体は動きが若干鈍っているので、そちらは叶さんと蓮見に任せ、まずは元気なヤツからどうにかしたい。
元気なヤツの内、二体の口元が血で汚れていた。先程のお客さん達は、こいつらの牙に掛かって死んでしまったんだろう。
「あれ? あれれれれ〜、また霧で見えなくなっちゃうよ〜」
叶さんが戸惑った様な声を出す。
風が止んだ途端、みるみる内に霧が流れ込んでしまい、再び視界を奪われてしまった。
「グガアアアアッ!!」
それを待っていたのか、六体のキメラ達が一斉に動く。
――ズダッ、ズダッ、ズダッ、ズダッ、ズダッ、ズダッ!
「……こいつら、見掛けによらず頭いいじゃねーか」
キメラ達は不用意に突っ込んで来たりはせず、足音から察するに、私達の周りを等間隔にぐるぐると回っているらしい。
蓮見の言う様に一時的に霧が晴れて居場所を把握出来ていたのを、霧に乗じて位置を分散させて不意打ちを仕掛けてくるのだから、なかなか頭がいい。
何故か胸の奥がドキドキして、気持ちを落ち着けようと息を吸ったところで、あの『虫の報せ』が脳の奥で閃いた。
「それなら、こっちは裏技使っちゃうもんね」
濃霧の中、頭上へ向けて弓を引く。
「――ふッ!」
虚空へ飛ぶ白銀、さらに続けて連続速射。
――ヒュヒュヒュヒュヒュッ!
視界の全てを白が覆い尽す中、何処からともなく風を切る様な音がした。
――ザシュザシュザシュザシュッ!!
「ギャアアアアッ!!」
「ギニャッ!?」
「ギャースッ!!」
遅れて響いた音はまるで肉を刺突する様であり、キメラ達は何が起きたのか理解する前に痛みにのたうち回る。
「ふっふーん。これぞ天仰理念流兵法陣立(へいほうじんだて)・霧切舞(むせつまい)」
空へ向けて放った12本の白銀は、霧の中において自由な配置が可能となる。通常空間では誰も見ていない場合でも自分自身の認識力が逆に制限を生み、霧などの認識力が低下する状況下では従来の『矢と矢』を引き寄せる誘導方法に頼る必要が無くなる。足音やプレッシャーからキメラ達のおおよその位置を見定め、その周回地点に重なる様に、空から白銀を出現させ、円を描く様に頭上から降らせたのだ。
『兵法陣立』とは戦場における戦術を総称した技術体系で、理念流において裏技的な意味をも併せ持つ。『霧切舞』と言う技は戦国時代、崎守空也と言う侍が用いたのだそうだ。
朝靄の平原、ぬか雨の山肌、闇夜の林間。
そういった見通しの悪い状況において、攻防一体の秘技として編み出された究極の一。ちなみにケツアルコアトル戦における地上レーダー網には、『波定陣(はじょうじん)』と言う名があるらしい。
「なになに、何かやったの?」
状況がまるで判らず、叶さんはきょろきょろと辺りを見回す。
さて、ここからが本番。
キメラ達を刺し貫いたのは、あくまで攻め手。『兵法陣立』の陣立とは用兵の配置を意味し、つまりは『陣を立てる』事。
再度弓に白銀を番え、天空目掛けて連続速射。
ザシュザシュザシュザシュッ!!
今度はキメラ達を取り囲む様に、外周を囲む形で12本の白銀を地面に突き立たせる。濃霧によって感知能力が大幅に低下しているのだから、白銀をアンテナにして防御陣を構築しておくのだ。
続けて弦に白銀を添わせ、『鳴弦』を行う。人間の可聴領域を超える高周波振動が白銀に反響し、矢柄が反射波を発信、12本の白銀が相互に連携して感知能力を補強。
ケツアルコアトル戦の様な広範囲の知覚は出来ないけど、これなら200メートル程度はカバー出来そうだ。アンテナの数を増やせば増やしただけ範囲は拡がるだろうけど、今はこれだけでも充分だ。
「ガッ!?」
感知精度が上がった瞬間、キメラの一匹が短い叫び声を上げた。いつの間にやら蓮見が間を詰めていて、白銀を三本喰らって弱った一匹の額にナイフを突き刺していた。
濃霧で周辺状況が把握出来ない筈なのに、どうやって相手の位置を知ったんだろう。音で判断したとしても正確な距離感を得るのは難しいし、一体どんなマジックを使ったんだか。
額を貫かれたキメラはそのまま絶命し、蓮見はさらに次のキメラへと間合いを詰める。その動きはナンバ歩きで片足半歩ずつ、連続でスライドさせる特殊な歩法だった。
二本なり三本なり白銀を喰らい、弱っていたキメラ達を次々と葬っていく。
蓮見は霧の中でも見えているのか、全てのキメラの息の根を止めて戻ってきた。
「ちぇっ、このナイフはもうダメだな。さすが化け物、普通の武器じゃすぐにボロボロになっちまう」
血にまみれ、刃こぼれだらけになったナイフをぽいっと捨ててしまう。
「何だ、意外にやるんじゃない。鳴神の前でビビってたのは演技だったの?」
私の軽口に、蓮見は両手を挙げて肩を竦める。
「お互い素手なら、アイツの方が上さ。俺は本来、コイツが得意なんでね」
そう言って懐から取り出してみせたのは、漆塗りの鞘に納められた由緒正しそうな小太刀だった。
「……小太刀? スパイのクセに、随分と古風じゃない」
「ほっとけ。お前に言われたかねーよ」
確かにお互い様なんだろうけど、小太刀を使うなんてちょっと引っ掛かる。
先程の叶さんとの話に出てきた佐々木小次郎は、巌流を創始する以前は『中条流』と言う流派の門弟だったのだそうだ。その中条流は小太刀を得意とする為に、帯刀を許されていなかった農民達に人気があったとか。でも、佐々木小次郎が実在したか怪しいと叶さんは言ってたし、その人物像も何処までが本当の話なのか当てにならない。
「しかし、霧の中でよく動けたね」
「それもお互い様だろ? とは言っても実はお前の事はリサーチ済みで、大体の事は判ってるんだけどな。前に楯山神社の歴史を調べただろ。鬼退治の伝説とやらに、崎守の二人の兄妹が特殊な能力を持ってたって伝わってんのさ。『心眼』なんてもんが本当にあるんだから、俺の『リーディング』なんて大したもんじゃないだろ」
蓮見の説明に、思わず脱力してしまう。
実は私の事は殆どバレていて、さらに蓮見自身にも特殊な能力があるってんだから。
『リーディング』と言うのは、物体から情報を得る超能力だったと思う。よくテレビで生放送中に事件の捜査を行う番組があって、元CIAの超能力捜査官って言うのが出てきて、被害者の遺品などからその人の想いや事件に関係ありそうな情報を得たりしていた。
「もしかして、『リーディング』のおかげで情報収集が得意だったりする?」
「当然。接触しなきゃ使いもんにならない地味な能力だけど、スパイ活動にゃ無敵の力だわな。ただ、必ずしも欲しい情報が手に入る訳じゃないのが玉に傷でね」
私の『心眼』は基本的にエネルギーと空間の知覚であって、『リーディング』は物体そのものに宿る情報を読み取ると言う一点のみにおいて、それ専門に特化した能力だ。
「でも、霧の中で動けるのはどうして?」
「それも『リーディング』なんだよ。基本は手による接触だけど、実際は身体の一部が触れてれば使える。肌が空気中の水分子から情報を読み取る事で、周辺の位置関係を知る事が可能だ。まあ距離は短くて、せいぜい100メートル位なんだけどな。普段はあまり意味は無いけど、夜とかは便利なんだぜ」
「うーむ、人の事は言えないけど、実に便利な能力だ」
あれもこれもお互い様、『心眼』と『リーディング』も結果的には似た者同士って事なんだろう。
「やっぱり、蓮見君が『竿』の末裔なのね」
静ちゃんを伴って側に寄ってきた叶さんが、蓮見の顔をまじまじと見る。
「やっぱり?」
「鬼の伝説は楯山神社でも断片的にしか残っていないから、『五氏族』の末裔それぞれに伝わる伝承も突き合わせないと、全体像が見えてこない。『杖』の末裔である桐内に残っている伝承では、『五氏族』は何かしらの能力を有しているとされているのよ」
次から次へと、『鬼の伝説』とやらは一体何なんだ。どうも全ての中心には、その『鬼の伝説』がある様な気がしてならない。叶さんは今までの謎を解明したいのか、さらに先を続ける。
「桐内の『杖』は霊能力者、『火』は発火能力者で『矛』は予知能力。『隠』は気配を完全に遮断する迷彩能力、シャドウストーカーとも言うわね。そして『竿』は釣り竿だけじゃなくて、小舟を動かす棹でもあり、明鏡止水の心を持つとされている。これが『リーディング』って訳」
その説明通りだとすると非戦闘員である二人、佐伯君は発火能力者で、皐月さんは予知能力者って事になる。
「でも、佐伯君と皐月さんは普通の人っぽいよ?」
そんな私の疑問に、叶さんは指を口元で振ってみせる。
「別に皆が皆、能力を開花させてる訳じゃないのよ。あくまでその素養があるってだけで、切っ掛けが無い限りは目覚めたりしない。そもそも超能力なんてのは何かを犠牲にした対価によるもので、御空ちゃんの『心眼』だって切っ掛けがあったんでしょ? 私の場合はウチの旦那が亡くなって、旦那の霊が見えるようになってからだし。その時に娘がお腹の中にいたから、その所為らしいんだけどね」
そう言えば、叶さんの旦那さんの話は今まで聞いた事が無かった。棗ちゃんと言う娘さんがいるのに、旦那さんはどうしたんだろうって思ってたんだけど、もしかしたらお亡くなりになっているのかもと思って敢えて聞かなかったのだ。
私は自分の臨死体験から『心眼』に目覚めた訳だけど、叶さんは私と逆で、心通わせた身近な人間の死が切っ掛けになって霊感に目覚めた訳か。
「ま、それはさておいて。化け物は倒したけど、相変わらず霧が深い。このまま帰るにしても、また化け物に襲われるかも知れない。かと言って、ぐずぐずしてりゃすぐに日が落ちて夜になっちまう。俺としては、水路を手掛かりに入場ゲートを目指すべきだと思うんだが」
蓮見の状況分析を聞いて、皆がそれを反芻して考え込む。
しかし次の瞬間。
――ザバアッ!
背後の水路から、何かが飛び出したかのような水音が聞こえたかと思うと、眼前に何か線状の物体が飛んできた。
「あぶねえ!!」
蓮見の声と、私が身を翻して回避したのが同時。
チュイーーーーーーン!!
足下の地面が、何か高速で射出される線状の物体によって真一文字に斬られた。
「私の霧の中で回避するなんて、たいしたものだわ」
霧の中から、澄んだ女の声が聞こえる。
その声は、浦部美雪のものだった。