Sick City
第四章・迷宮兵器

 重力を無視した奇妙キテレツな現象。
 俺とリャンは、部屋の端でエリカを見上げる様な形になっていた。
 ――果たして、ミノタウロスは何処へ行ったのか。
 空中で固定されたエリカは身体を動かすが、向きを変える事こそ可能だが、そこから脱出する事は出来ない様だった。
「空間を操り、慣性すら操る……ミノタウロスを少々侮っていたみたいです」
 冷静に聞こえるエリカの声だが、その実、内心はかなりの焦りを感じている。エネルギー出力を最大にして念動力を使い、なんとかこの固定された状態から抜け出そうとするものの、くるくると回転してしまうだけでどうにもならない。その時、俺は『心眼』でミノタウロスの存在を感知した。
「エリカ! 右斜め上だ!!」
 俺の声を聞き、エリカが右斜め上へと身体の向きを変える。その方向へと伸びる通路の先の暗がりから、突如としてミノタウロスが出現した。
「――死ねッ!!」
 猛然と頭突きによる体当たりを敢行するミノタウロス。飛来する巨体から逃げられず、エリカは左腕の楯を構えてからミノタウロス目掛けて念動力を発動する。
 ズドン!!
 大気圧縮による爆発。
 しかし、ミノタウロスの巨体は膨大な重力エネルギーから得られる磁気嵐バリヤーに守られ、全く怯む事無く突進してくる。
「シュネレ・エントヴィックルング!!」
 エリカは再攻撃する暇が無く、楯の防御に頼るしか無い。
 目の前に展開される防御壁。
 そこへ、ミノタウロスの頭突きが激突した。
「――なっ!?」
 だが、強力な重力エネルギーがエリカの身体を後ろから押し上げ、ミノタウロスの頭突きとサンドイッチになる。
 ミノタウロスの角と防御壁が干渉し合い、火花が散る。
 僅かの抵抗も虚しく、防御壁が発勁によって弾け飛んだ。
 強烈な頭突きが、エリカの身体に激突する。
「ぐうッ!」
 何とか楯によって防御したものの、膨大な衝撃力が肉体に浸透し、エリカは即死した。それでもすぐに蘇生し、完全回復を果たす。エリカを通り過ぎ、先の通路へと消えていくミノタウロス。横に錐揉み回転したエリカだったが、何とか停止して体勢を整える。
「まだだ! 次が来るぞ!!」
『心眼』によってミノタウロスが何処から出現するのか判る俺は、エリカに警告した。
「くッ!」
 回復したばかりのエリカは、右から現れたミノタウロスの頭突きをまともに受けてしまう。今度は楯を構える事すら許されず、為す統べなく即死した。
 またもや蘇生するエリカ。
「今度は下から来るぞ!!」
 続いて、下方向の通路からミノタウロスが出現する。
 どうもこの空間において、ミノタウロスは自由に瞬間移動が可能らしい。下方向へと向きを変えたエリカだったが、それだけで行動が終わってしまい、再度ミノタウロスの頭突きを受けてしまう。
 当然の様に、また即死だ。
 まさに、手も足も出ないといった状況だった。
 おそらく、ミノタウロスの『滅殺兵器』とは、殺し蘇生してまた殺す、の繰り返しによって、対象のエネルギーを急激に消耗させて、最終的には全てのエネルギーを使い果たすのを待つ、というもののようだ。
 これでは、エリカは嬲り殺しの末に力尽きてしまう。
 何せエリカがミノタウロスの攻撃に合うまでに、一度しか行動が出来ないのだ。俺のような『無拍子』が使えるのならともかく、これでは攻撃も防御も不可能。出来るのはせいぜい方向転換くらいで、まともな行動など難しい。
 メフィストフェレスと戦った時が思い出される。
 あの時も身動きを封じられて、嬲り殺しの状況になった。そう考えるとあれは、メフィストフェレス流の滅殺兵器だったのだろう。だがミノタウロスのそれは、メフィストフェレスを遥かに上回る。重力と空間を操り、絶対的な支配の元に今の状況がある。
 これこそ本家『滅殺兵器』。
 みるみる内にエネルギーを消耗していくエリカ。
 俺が側にいなければ回復速度の落ちるエリカ。
 もし合流していなければ、と思うと背筋が寒くなる。だが俺が合流した今でも、このままならばあと3分もしない内に完全に死ぬだろう。
「どうしたエリカ! そこから脱出する方法は無いのか!?」
 俺の言葉が聞こえたのか判らない内に、またもや即死。だがそれが功を奏したのか、脳に直接エリカの声が響いた。
 (――聞こえてますねレイジさん)
 さすが神の一員、テレパシー能力も備わっていたらしい。
 (――聞こえている。死にまくってるのによく念話出来るな)
 俺も『心眼』で波長を合わせて応じる。安心したのか、エリカの声はいくらか落ち着きを感じさせた。
 (ワルハラのバックアップシステムに意識を分散させています。それよりも、この状況から抜け出す為に協力をお願いしたいのです)
 (俺に出来る事があるなら何でも言ってくれ)
 エリカが俺に直接、助けを求めてくる事など珍しい。それだけ『滅殺兵器』の効力が絶大なのだろう。
 (ありがとうございます。具体的にはワルハラの空間制御システムを起動させて、ラビュリントス破りに使います)
 エリカの提案を聞いて、俺は何と無茶苦茶な方法だろうかと思った。メフィストフェレス戦において俺はエリカの楯の力を使う為に、ワルハラへとアクセスをした事があった。ワルハラは常に俺と、俺を通じてエリカの存在を探知しており、こちらからのアクセスも受け入れている。
 この迷宮は異空間に設定されたものだろうが、それが何処にあろうとエリカ自身とも言えるエネルギーの出所がワルハラから供給されているので、こちらからアクセスする事は可能である。問題なのはこの迷宮の空間にワルハラの空間自体をぶつけ、お互いの空間を干渉させて誤爆させるその副作用だ。
 うまくいけば、エリカを縛りつける重力の制御権をワルハラ側で奪い取れる。だが少しでも空間同士のバランスが崩れてしまうと、この空間の安定性が失われて最悪、ここにいる者全てが消滅してしまうかもしれない。
 (そんな事をして大丈夫なのか?)
 そんな俺に、エリカは多少の切迫感を感じる声で応えた。
 (私だけでは難しい事ですが、レイジさんの力を借りれば何とかなるかも知れません。認識力に優れるという事はバランス感覚にも繋がると考えられますから、空間制御はレイジさん向きだと思うのです)
 随分とエリカは俺を高く評価しているようだが、正直俺には自信が無い。それもその筈、そんな事はやった事が無いし、そもそも普通の人間の手に負えるものでは無い。だが、それしか手段が無いのならばやるしか無い。
 (判った。ワルハラへのアクセスは今終わった。……空間制御システムは俺にはアクセス権限無いじゃないか)
 前にアクセスした時はエリカの意識から辿ってアクセスをしたが、今回は要領が掴めているので俺単独でアクセスに成功していた。しかしワルハラの中核部分となるオペレーションシステムの下位レイヤー、俗にカーネルなどと呼ばれる底層レイヤーに直接アクセスするには、ゲスト扱いの俺ではアクセスしようとしても撥ねられてしまう。
 (レイジさんの心眼は意識の共有が出来ると言いましたよね。私をエミュレーションして下さい)
 エリカの言っている事は、つまり俺にエリカに成り済ませと言っているのだ。
 (難しいな……こればかりはトライアンドエラーの繰り返しになるぞ)
 言うは易し、行うは難し。
 意識の共有によって俺はエリカの思考をトレースして、エリカの行動原則を真似る事が出来る。それだけならば何も問題は無いが、さらに推し進めていけば『もう一人のエリカ』になる事も出来る。
 しかし、それは俺自体の意識が無くなってしまう事になり、そんな事をしてしまうと俺という『個』の死に繋がる。表層だけを真似ればいいのか、それで足りなければ俺の『個』を少しずつ削っていく事になる。
 俺とエリカの意識が繋がり、それぞれの思考が混濁していく。念話をする必要など無くなり、これが思わぬ効果を生む結果となった。
 エリカはワルハラのバックアップシステムに意識を分散させていた。俺がエリカと意識の共有をするという事は、俺自身もワルハラのバックアップシステムへと意識を分散させる事になったのだ。
 何とか自意識を保てるギリギリのレベルでの共有だが、それでもバックアップシステムを介して空間制御システムへのアクセス権限が得られる。脳に多大な負荷が掛かり、俺の意識は何度も飛びそうになるが、それをエリカがエネルギーを供給して補う。二人の能力が一つになり、それによって空間制御システムが起動した。
「――何だ!?」
 突然、重力の働きが正常に戻った為に、ミノタウロスが突進を中断する。部屋の壁面の一部に穴でも開いたかの様に別の空間が生み出され、『向こう側』が垣間見える。
 青い空を突き抜ける白い巨木――巨木から拡がる数多の枝。
 遠目からはそうとしか見えないが、それこそワルハラの中枢にそびえ立つ時空間制御デバイス『ユグドラシル』だ。
 時間の織り成す数多の可能性、それを限定的ながらコントロールして過去と未来を安定させ、最良の選択をする。超古代文明の生み出した最高傑作。
「――ラビュリントス破れたり!!」
 ラビュリントス破りに成功したエリカは、自由になった身体を念動力でワルハラ側の空間に飛び込ませる。俺と意識を共有したエリカは今この時のみ、俺の『心眼』を使う事が出来る。神の演算能力が合わさった事で、ラビュリントスの全容が解明される。
 ミノタウロスのエネルギー供給を兼ねた絶対支配空間。
 だが、外から見ればワルハラよりも規模は極く小さく、内から破る事は困難でも外から破る事は容易。
 エリカは『ユグドラシル』を介して、数多の可能性の中から最良を選択。その右手を天に掲げ、グングニルが出現する。
「グングニル・ベギンネン! アングリフ・モードゥス・ドライ!!」
 掛け声と共にグングニルが分裂する。
 その数――数千。
「ロイムリッヒ・アングリフ! ――タオゼントヤーレ・シュぺーア!!」
 右手を振り降ろすと、数千のグングニルが光を伴ってラビュリントスを突き抜ける。まるでレーザー光線のシャワーの様に数多の光が降り注ぎ、ラビュリントス独自の空間が解除されていく。膨大な光が視界を埋め尽くし、ラビュリントスもワルハラも認識出来なくなる。
 光が晴れ、気が付けば、元いた夜の公園に俺達は立っていた。
「……馬鹿な――ラビュリントスが破られただと?」
 茫然自失、といった形容が相応しい程にミノタウロスは唖然として呟いた。
 そしてラビュリントスが消失してしまった為か、膨大なエネルギーの殆どを消滅させられたミノタウロスの姿がみるみる内に元の人間に戻ってしまう。己の両の手を見詰め、立ち尽くしてしまう。
「――うっ」
 宙に浮かんでいたエリカも力の殆どを使い果たし、大地に着地したものの膝から崩れ、武装が消える。神としての存在は保ってはいるものの、銀色の鎧は存在を維持出来ずに消失し、その下のドレス姿になってしまったのを見るに、これ以上の戦闘は不可能と思えた。俺との意識の共有も解除され、エリカは一気に襲い掛かってきた疲労感に息を荒げている。
「ツァオシン!!」
 リャンが変身の解けたミノタウロスに駆け寄る。それで意識が現実に引き戻されたのか、ミノタウロスは俺とエリカを交互に見やって口を開いた。
「……引き分け、のようだな」
 ミノタウロスの言う通り、互いに戦闘続行不能という状態だった。エリカは蹌踉めきつつも立ち上がろうとしたが、ぐらりとバランスを崩しそうになったので俺が肩を貸した。
「……そのようですね」
 自分の状態が最早戦えるレベルでは無い事を感じ、エリカは俺に身体を預けながら認めた。
「ふん、正直悔いは残るが、引き際は肝心だ。この勝負、次に預けておいてやる」
 そう言って、ミノタウロスはリャンと共に立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってくれ」
 俺は聞きたい事があり、それを引き止めた。
 ミノタウロスは首を僅かにこちらへ曲げ、訝しげに応えた。
「……何だ。慣れ合うつもりなら御免だ」
「そうじゃない。ここでビデオ回してた男がいただろう。あの男が仕掛け人なんだろ?」
 俺の言葉にリャンが反応する。
「……そうネ。でも誰かは知らないネ。ワタシ達、場を用意されただけネ」
 それだけ聞ければ問題無い。あの男とメイド連中の姿は消えていたが、いつかまた出会う事になると予感していた。
「引き止めて悪かった。それだけ聞ければ充分だ」
 俺がそう言うとリャンは手を振って、ミノタウロスは「ふん」と顔を逸らして二人は夜の街に消えていった。


第二話・獣神咆哮
inserted by FC2 system