Sick City
第一章・路上決闘

 夜のビル群に、上昇気流の起こす風が唸りを上げる。数々の煌めきを見下せる高みに、金色の髪の毛が舞う。
 俺とエリカは、都心にある超高層ビルの屋上に佇んでいた。
 私服姿のエリカは、丈の長いスカートを風になびかせてこちらを振り返る。
「この高さなら、広い範囲での感知が出来そうですか?」
 俺は軽く頷いて肯定した。
「普通の高さだと様々な人間の意志が邪魔になるし、遮蔽物は透過出来るとは言っても、数が多ければやはり邪魔になる。高ければ高い程いいんだ」
 ――『心眼』による広範囲に渡るエネルギー感知。
 人の多い場所だと人の意志まで拾ってしまう為、俺の脳の処理能力では広範囲の感知は難しくなる。だが人との距離が離れたり、そもそも人が少ない場所なら『心眼』はその真価を発揮出来る。
 人の意志を拾わずにいる事も可能だが、今回は不自然な力を使う人間の意志を感知するのが目的なので、その方法は論外と言える。
「あなたの持つ『心眼』と言う力が、私達の最大の武器です。悪魔との契約者はついに姿を現さず、通常ならば打つ手が無い状況な筈――と、相手は考えて油断をしているかも知れません」
 エリカの説明の通り、メフィストフェレスと契約をしていた者が未だ判然としない状況下において、俺達が取り得る手段は限られている。手当たり次第歩き回ってみるのは現実的では無く、しかも相手に気取られる可能性が高い。
 それならば、人の集まる都内に固定して一定期間観測するべきだ、と言うのがエリカの考えだった。
 何せ、エリカはこの国では目立つ容姿をしている。
 金髪碧眼の美女が、都内を歩き回っていれば道行く人々の印象に残る訳で、その中に契約者がいたとしたら警戒されてしまうだろう。
 そもそもメフィストフェレスは始めからエリカの命を狙っていたのだから、エリカの容姿どころか人間の時の詳しい個人情報まで知られている可能性は大きい。どうやって調べ上げたのか判らないが、何か特定出来る方法でもあるのだろう。
 結果的に見れば、既にエリカの正体を知られているのだから、追跡調査は可能であったと結論付けが出来る。
「しかし相手が、そう迂闊に力を使うかなんて判らないだろ」
 俺は念の為に疑問を口にする。
「それは契約者と神の属性によって条件は違います。例えば、私とレイジさんの組み合わせは最も私欲とはかけ離れた組み合わせと言っていいでしょう。私は正直な話、この争いに興味はありませんし」
「でも目覚めちまった訳だよな」
 俺が皮肉っぽい事を言った為か、エリカは困ったような微妙な笑みを浮かべた。
「私は普通に生きていければいいです。それはレイジさんも同じかと思います。私達は似た者同士なんですよ」
 柔らかな笑みを浮かべて、そんな事を言うエリカ。俺はその事について語れる程の人生経験がある訳では無いので、敢えて何も語らずにいた。
「ですが、それは他の契約者にも言える事なんです。悪魔と契約する者は欲望の権化だからこそ、悪魔と契約出来る。悪魔と契約したと言う事は悪魔から力を与えられている筈。そして欲望に忠実ならば、その力を使いたがるでしょう」
 理屈としては筋が通っているが、判らない部分もある。俺はまたも疑問を口にした。
「じゃあなんで都内なんだ? 人が多いからってだけでは、理由としては弱い気もする」
「単純に確率論です。人が多いのもそうですが、やはり都心にはより多くの欲望が集中しています。力を求める気質の持ち主ならば、必ず都心を行動の拠点としているでしょう」
 そこまで言われれば、納得するしか無いだろう。
 現実問題として、俺達には余りにも情報が不足している。この状況下ではある程度は決め打ちして行動しないと、指針が何も無くなってしまう。
「……悪意、欲望、そういった感情がこの街は多すぎる。悪魔にとって、これほど活動しやすい環境は無いだろうな」
 『心眼』によるエネルギーの感知は既に広範囲に渡って行っており、まさに膨大な意志の断片が、怒濤の如く流れ込んでくる。その殆どが享楽的、刹那的な、あまり意味の無いノイズの様なものであり、そんなものが意志として強い筈が無い。
 俺が探し当てるべき対象は、強い動機から沸き上がった切迫感のある、強烈な意志としての欲望である。そうでなければ強力な存在である悪魔が、この世界に現界する際のスターターにはならない。
 俺は強い風をこの身に受けながらも、ゆっくりと周囲のビル群を見回す。超高層ビルが立ち並ぶこの区画から少し離れたところには駅があり、その向こう側には繁華街がある。その繁華街はかつて不夜城とも言われた程の、まさに栄華を極めた街であり、昨今では都の浄化作戦によって多くの不法な店が摘発されたものの、それでも未だに欲望渦巻く夜の街なのである。
 やはり繁華街こそ最大のエネルギーの発信源であるのだが、何故か夜には人気が無くなるオフィス街の方に、大きな力を発散する者を感知した。
「……なんだろう、何者か判らないが強いヤツがいる」
 正直なところ、悪魔の使うエネルギーかどうかは判らない。俺が感じたのはただ強いエネルギーを保有している者がいる、という事だけだった。
「悪魔の力では無いんですか?」
 エリカは俺が曖昧な表現をしたのが気になったのか、怪訝な表情で聞き返してきた。
「地獄の亡者の魂をエネルギーに使ってる訳じゃないみたいだから、俺達の探してるヤツじゃないと思う」
 あくまで俺自身の判断だが、おそらくは悪魔との契約者とは違う。俺の意見を聞いたエリカは少し考えを巡らせ、ふと思い立ったかの様に顔をこちらへ向けた。
「――行ってみましょうか」
 意外な答えに、俺は呆気に取られてしまった。
「いえ、もしかしたら何か意味があるかも知れませんから」
 意味、という言い回しに違和感を感じたが、エリカが俺の背後へ回って抱き付いてきた為、思考が中断されてしまった。
「お、おい」
 戸惑う俺に構う事無く、俺の身体を強く抱きしめたエリカはエネルギーを開放する。
「時間短縮の為、飛んでいきましょう」
 途端にふわりと浮き上がる身体。
 有無を言わせない迫力みたいなものを感じた俺は、仕方無しに、目標のいるであろう方角へ指を向けた。




 俺達は小さな公園の近くに降り立っていた。何故かこの公園には、かなりの数の若者が集まっている。
「……何の集まりでしょう?」
 エリカの疑問の声には答えず、俺は公園の中で何が行われているのか『心眼』で感知していた。どうも公園内では二人の男が闘っているみたいで、その周りには数十人の若者が、野次やら歓声やらあげている。
「ストリートファイトみたいだ」
 最近ではインターネットを使った実況中継と、賭けを行う胴元のような事をしているアンダーグラウンドな連中が存在しているらしく、俺が通う学園でも一部のディープな連中が夢中になっている程の話題性はあるらしい。実際に何処で行われるかは、警察の網の目をかい潜る必要がある為に不定期かつ流動的で、夜間は人気の無いオフィス街とは盲点を突いたチョイスだと思った。
 すり鉢状になった公園の周りには円弧状の階段があり、そこに一際目立つ風貌の男が座ってビデオカメラを回している。
 中央では二人の男が闘っており、一人はいかにも柄の悪そうなラッパー崩れのような男で、もう一人は2メートルを超える長身で隆々とした肉体を持った男だが、髪はボサボサ、服はまるで工事現場の季節労働者みたいな感じで、一種異様な風体であった。
 もっと異様だったのは、ラッパー崩れの男が繰り出す拳を、その大男が何の防御もせずに殴らせる一方である事だ。
 そして強烈なエネルギーは、その大男から発散されていた。
「……あのデカイ奴だ」
 俺の言葉を聞いて、エリカは大男をじっくりと観察する。
「――確かに、普通の人間ではありませんね」
 エリカにも俺程では無いにせよ、エネルギーを感じる能力は備わっている。
 だが俺のようなレーダーとしての機能は弱く、それ以上にエリカ自身が強力な存在なせいか、比較対象が余程大きな力を持っていない限り、注意を払うべき対象として映らないという欠点がある。
 大男は確かに常人を遥かに超えるエネルギーを持っているが、それはエリカからすれば、蟻とカブトムシの差くらいにしか感じないのかも知れない。
「でも今の私のように、人間としての肉体に収まっている場合は私の感知はあてにならないので、この際、私の主観は無視して下さい。あなたが注意を払うべき対象と考えるならそれに従います」
 エリカにも自分の欠点が判るのだろう。
 そしてもし、あの大男の正体が何かの神であるならば、今の姿から感じとれるエネルギー量は極く一部でしか無いという可能性がある。
 正直な話、今の段階では俺にも掴み切れない。
 ただ、こうして観察をして判った事がある。
 あの大男は一見、無抵抗に殴られているようにも見えるが、実はしっかりと防御をしている事が判った。
 中国武術の使い手には、内面の気の作用によって、肉体を打撃から守る『硬気功』と呼ばれる身体操作を可能とする者がいると聞いた事がある。
 大男は今まさに、その力で鉄壁の防御を発揮しているのだ。
 ラッパー崩れの男は面白がって殴っていたが、その後僅か1分もしない内に息切れが激しくなり、次第に殴るペースも落ちてきた。最終的には両手を両膝に乗せて、中腰でゼエゼエと息を切らせて殴る事を止めてしまった。
「……げほっ…うえっ…く、糞っ! ……何で効かねぇんだよっ!」
 ラッパー崩れも体格は立派なものだ。
 だが何ら技術を持たないケンカ屋では体格に差がある以上、そもそも勝てる筈も無い。周りで野次を飛ばしていた連中も、やっと勝負にならないと感じたのか、一気に興ざめしてしまったようだ。
「……やってイイヨ、ツァオシン」
 野次馬の集団に一人の少女がいた。
 少女の発した妙なイントネーションの声を聞いた大男は、ゆっくりとラッパー崩れに歩み寄った。
「………あ?」
 ゴスン!!
 次の瞬間、ラッパー崩れは横に錐揉み回転し、何回転も空中に吹っ飛ばされた揚げ句、ひしゃげたような音をたてて地面に叩き付けられた。何事が起きたのか、野次馬達は一転して静まり返る。ピクリとも動かないラッパー崩れを見て、周囲に動揺が走る。
 まさか、死んだ訳じゃないだろうな、と。
「――死んでしまいましたね」
 エリカが俺の耳元に囁く。
 そう、死んだのだ。
 皆が動けずにいる中、数人のメイド服姿の女達が現れて、ラッパー崩れを引きずっていった。
「……何でメイド姿なんだ?」
 妙な疑問だったが、それだけこの場にいるには不自然な格好のように思えた。よく観察してみると、先程のビデオカメラを回していた男が何やら指示を飛ばしていた。
 俺はその男の風体がさっきから気になっていた。
 遠目な上に夜なので顔は判らないが、大きめのサングラスをかけている事は判った。
 一番気になるのは髪の毛だ。
 どうも銀髪に見えるのだが、等身も高いし頭も小さいので、もしかしたら外人かも知れない。だが外人が、日本でストリートファイトの元締めをしているというのも変な話だ。
 俺の視線に気付いたエリカが、その男を視界に捉えた。
「……ゲルマン系でしょうか?」
 エリカ自身もゲルマン系なのだから、ある程度は同族の区別は付くのだろう。
 俺は続けて大男と少女を観察した。
 大男は周りを見回しているが、少女はメイド服の一人から封筒を受け取っていた。多少幼さを残す顔立ちだが、勝ち気な顔はなかなか整っているように見える。服装は何故か丈の短いチャイナ服で、喋り方が辿々しい事から考えるとおそらく中国人あたりかも知れない。
 俺が観察している事に気付いたのか、大男がこちらに視線を向けた結果、俺と視線が合った。
 大男は無言のまま、こちらへ歩いて近付いてきた。俺もエリカも何事かと思いつつ、その場に佇んで大男が目の前まで来るに任せた。俺の目の前で立ち止まった大男は、俺を見下して口を開く。
「――お前、強いな」
 唐突にそんな事を言われ、俺もエリカも呆気に取られてしまった。
「ただの暇潰し、期待はしていなかったが、まさか本物が掛かるとは思いもしなかったぞ」
 一体何を言っているのかとも思ったが、どうも雲行きが怪しくなってきた。
「ただの暇潰しで人を殺すのか」
 俺は先程のラッパー崩れが運ばれていった方を見やってそれだけを言った。
 大男は表情を変えず、淡々と口を開く。
「議論など無意味。まずは拳で語るがいい」
 言うや否や、突如として大男の肉体に力が漲る。
 明らかに人を超えている。
 大男は問答無用とばかりに、妙な構えを取った。
 左半身の姿勢で腰を落とし、後ろへ退いた右足に重心を落とし、前へ一歩進めた左足は爪先立ちとなり、左腕の肘を肩の高さまで上げ、前腕を地面に向けて折り曲げ、右手を腰に置いた型だ。
「レイジさん」
 隣にいたエリカが声をかけてくる。
 どう対処するのか心配になったのだろう。
「言ってやめるような奴じゃなさそうだ。まずは俺が相手をするから、離れててくれ」
 エリカは何か言いたそうな顔をしていたが、俺の顔を見て諦めたように口を開いた。
「……わかりました」
 正直な話、人目がある以上エリカを戦わせる事は出来ない。
 相手が正体を現してしまえば俺の配慮もご破算だが、そうなると限った訳じゃないので、今の段階では俺が戦うのが無難だと思う。
 俺は大男と真正面から向き合い、構えを取った。周りにいた若者たちは何がどうなっているのか判らないらしく、ざわついていた。その中でメイド服の一人が、声を大にして若者たちに声を掛ける。
「――何はともあれバトル開始です! 中国四千年が生んだ奇跡の巨人、カンフーマッスルか!? それとも期待のニューカマー、スーパーヒロシ君か! オッズメーカーの予想は15対2! さあ賭けた賭けた!!」
 スーパーヒロシ君とは俺の事か。
 そんな事に気を取られていた隙を大男は見逃さず、いきなり右拳を突き込んできた。
 しかし普通の突きでは無い。
 足元から拳までの全ての回転力と、前へと進む力、そして体が沈む際の重力の力、呼吸による反発力など全て渾然一体となった一撃必殺の突きだ。最近では漫画などで有名になった、中国武術の内家拳と呼ばれるものだろう。
 受け流す事すら困難なこの突きへの対処は、一つ間違えれば即、死に繋がる。『浸透勁』などと呼ばれる力だそうだが、俺が使う打撃も『徹し』と呼ばれる同種のものだ。
 それでも、回避する事は難しい事では無かった。
 斜め後ろへ反転しつつ相手の裏を取る、すなわち、一瞬にして背後へと回り込む。それと同時に回転力を利して、右の手刀を振り降ろす。
 こちらも一撃必殺、しかし相手も一流の武人。
 大男は振り向き様に片足を上げて、ショートアッパーの様な上向きの突きを放ち、俺の手刀を防ぐ。
 俺はそのままさらに重心を落とし、肘を曲げて一気に肘をかち上げる。しかし大男も上げた片足を落とし、肩から体当たりを仕掛けてくる。俺の肘と大男の肩が激突し、その凄まじい威力がお互いを反発させて、両者は吹き飛ばされてしまった。
 だが体重の軽い俺の方が吹き飛ばされた距離は大きく、体勢を維持するのに若干遅れてしまう。追撃されたら少々不利な状況だったが、大男は何故か追撃しようとはせずに、こちらを見て笑みを浮かべた。
「いいぞ! もっと俺を喜ばせてみろ!!」
 嬉々とした表情とは裏腹に、強烈な殺気から凄まじいプレッシャーを感じる。周りで観戦している若者達はいきなりハイレベルな攻防を見せつけられ、何がなんだか判らず戸惑っていたところに、今まで経験した事など無いであろう、殺気という強烈な意志からくる圧迫感に当てられて、一様に表情が凍りついている。
 その中で僅かながら動ける者と言えば、それはエリカと先程の少女、それにオッズメーカー連中くらいか。俺は大男の言葉に少々気分が悪くなり、反論する。
「冗談じゃない。こんな街中で本当の殺し合いをするなんて、頭がどうかしてるんじゃないのか?」
 だが大男は、俺の言葉に呆れた様な顔をする。
「こんな紛い物ばかりの人間社会なぞに、気を使う必要など何も無い。弱肉強食こそ世の理。俺の力に喰われる程度ならば、黙って喰われていればいいのだ」
 それはまさに、強者の論理であった。
 しかしそれでいいのであれば、社会はここまで発展する事など無かっただろう。だがそれを言ったところでこの男に通じるとは思えず、俺は反論する事を諦めた。
「そうかよ」
 怒りを感じると共に、しかし思考は冷静。
 俺は一気に間合いを詰め、突進スピードそのままに大男の首筋に手刀を打ち込んでいた。あまりの勢いに、大男の身体は一回転しながら頭から地面に叩き付けられ、大きくバウンドした。
「――え?」
 エリカが理解の範囲を超えた出来事に、目を丸くしている。
 俺は一瞬で、大男の後ろまで突き抜けるように駆け抜けていたのだ。
 『心眼』によってエネルギーを感知出来るという事は、それは素粒子レベルまで判別が出来る事であり、普通の人間が1という単位を思考する間に何千何万を数えるようなものである。実際はそんな桁外れの数字をいちいち数えるのは無理にしても、体感として時間を判断する最小単位がより細かいという感じだろうか。
 それが可能となると、あらゆる動きが単純化出来る。
 武において『大から小に到る』と言う言葉があるらしいが、まさしく同義の意味である。
 そしてこの日本においては、『無拍子』と呼ばれている。
 通常の攻撃に要する動作は、『構え』『溜め』『打つ』で三拍子。
 この三つの動作をもっとシンプルに、1動作にまとめてしまうのが『無拍子』である。一歩で詰まる間合いであるならば、それは距離が離れているとは言わない。
 一歩はあくまで一歩。
 その間合いは、既に攻撃範囲である。
 相手もそれが判らない訳では無かっただろうが、『心眼』を持つ俺の『無拍子』を避ける事は出来なかった。
 大男は首の骨を折られ、一瞬で絶命していた。
 だが突如として巨大なエネルギーが大男に集まり、折れた首そのままに立ち上がった。
「――いいぞ、貴様程の強者は滅多に出会えない。我が真の姿を前にどこまでやってくれるか楽しみだぞ!!」
 突如として、周囲を襲う激震。
 大地を震わせる程の強大なエネルギーが大男の身体に流れ込み、その姿に劇的な変化が訪れる。メキメキと骨が軋む様な音を立てつつ肉体が膨張し、衣服が破れていく。口の辺りが前面に迫り出し、両方の側頭部が盛り上がってくる。その劇的な変化はまさに悪夢の様で、周りの者達は恐慌状態に陥っていた。
「な……なんだアレ」
「身体がデカくなってねーか!?」
「……角! アレ角だぜ!!」
 そんな声が聞こえてくるが、彼らはこの異常な事態においても危機感というものがまるで欠けていた。肉体の変化が終わり、大地を揺るがすような振動も収まって、ようやく大男だった化け物が口を開いた。
「ブハ〜〜ッ! この姿になったからには……必ず貴様を殺してやるぞ!!」
 その姿はまさに――神話に出てくるような化け物であった。
 3メートルを超えるであろう隆々たる肉体。
 血走り、殺気を孕んだ狂気の瞳。
 そしてまるで闘牛のような顔と、頭の両側から突き出た立派な角。首には巨大な金属製の首輪が嵌められていた。
「オマエ、もうオワリネ。ツァオシン、そのスガタになったら手つけられナイヨ」
 あの少女が、諦めた様な顔でそんな事を言う。
「――ミノタウロス!!」
 その化け物の有名な名前を、エリカが驚きを以て告げた。


第二話・獣神咆哮
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